前回の続きです。
ぼけ対策です。
『人新世の資本論』を、読んで、綴って、記憶と記録に残す作業をしています。
本日は小見出し『13.冷戦終結以降の時間の無駄遣い』です。
『指数関数的な成長が、有限な世界において永遠に続くと信じているのは、正気を失っている人か、経済学者か、どちらかだ』
と、半世紀前の「経済学者」のケネス・E・ボールディングの言葉を冒頭に記しています。
経済学者として、その責任においての警告です。でも、しかし、半世紀前です。彼の「有限な世界において」の「世界」は「地球」でした。
しかし、科学技術の発展は無限、よって経済の発展も無限、地球は有限でも、宇宙は無限、そんな思い、期待は、反論は、それなりに考えられる?
月に、火星に、金星に、太陽系の外に、そして、銀河系の外にも、未来は開かれている?
しかし、人類が数百万、数千万、数億万単位で、地球外に脱出できるのは、いくら何でも、いくら早くても、どう少なく見積もっても百年程度の時間は必要? それに加えて、そもそも、です。数百万、数千万、数億万を脱出させるエネルギーは地球には無い?
しかし、現実は、もう、すでに、急激で不可逆的な変化が起きて、以前の状態に戻れない「ポイント・オブ・ノーリターン」に迫っていると云うか、危機は始まっているのです。
※気候変動のエビデンスは、本書にもいろいろ掲載されてます。世間にはいろいろな データが出回って降りますので、詳しくはそちらをご覧ください。
それと、『冷戦終結以降の時間の無駄遣い』の表題に付いての記述は、以前、私が、本書の小見出し順序を無視して、書き散らしていたときに触れたので、割愛します。
そして、そして、次は、いよいよ、お待ちかねのと云うか、本書の肝、マルクスの登場です。
はい、小見出し『14.マルクスによる環境危機の予言』
「資本主義は、収奪と負荷の外部化・転嫁で解決を先送り・・・実は、この問題点を早くも19世紀半ばに分析していたのが、あのカール・マルクスであった」
『資本主義は自らの矛盾を別なところへ転嫁し、不可視化する、だが、その転嫁により、さらに矛盾は深まり、泥沼化が必然・・・最終的には破綻する』
と、記しています。そのような事を、あのマルクスが百年以上も前に指摘していたのです。知りませんでした。
でも、しかし、この破綻を「気候変動」と解釈したのは著者の真骨頂?新解釈?
それで、「そうした資本主義の限界の所在を突き止めるべく、マルクスを参照しながら、技術的、空間的、時間的という三種類の転嫁について整理しておこう」
として、次の小見出しに続きます。
小見出し『15.技術的転嫁・・・・・・生態系の攪乱』
技術的転嫁による、矛盾の深まり、泥沼化、破綻の例として、マルクスが採り上げた、同時代の化学者ユストゥス・フォン・リービッヒの「掠奪農業」批判について記しています。
この話しですが、土壌養分としてのリンやカリウムが、資本主義の発展により、生産する農村、消費する都会として隔絶され、土壌養分の循環が遮断される。
早い話しが、食べた穀物が人糞として排泄され、人糞は肥料として畑にまかれる、この循環が断たれるのです。私の幼い頃には未だそのような循環風景を目にしました。
また、資本主義下では「地力回復の休耕より、儲けのための連作を好む」とか、「土地を潤す灌漑設備への投資なども最低限にとどめる」とか、「短期的な利潤を優先」土壌は疲弊との指摘。
以上、マルクスとリービッヒさんの指摘は、どう考えても百年前の、遠い遠い時代のお話です。いくら何でも、21世紀の資本主義下では無理があります。
特に土壌循環の遮断は、科学技術の発展により、アンモニアの工業的製法「ハーバー・ボッシュ法」により、安価で大量に化学肥料を生み出し、人糞時代よりも食料生産を飛躍的に増大させました。
この「ハーバー・ボッシュ法」は20世紀最大の発明と云われ、現在の地球人口は、この発明によってもたらされた、とも、云われているそうです。
ここ迄ですと、マルクスの予言は外れた事になります。でも、しかし、この続きがあるのです。
まあ、この続きが無ければ、この本は第一章でお終いですし、この本が世に出ることも無く、ベストセラーになる事も無いわけですからね。
長くなりましたので、この続きは次回とします。
それでは、また。