前回の続きです。
『人新世の資本論』を読んで綴っています。
それで、前回は、小見出し『15.技術的転嫁・・・・・・生態系の攪乱』でしたが、技術的転嫁については触れたのですが、生態系の攪乱は採り上げていませんでした。
それで「化学肥料は・・・限りある資源を浪費・・・製造過程で大量の二酸化炭素を排出・・・これが技術的転嫁の本質的矛盾」
そして「大量の化学肥料使用・・・窒素酸化物の環境への流出・・・地下水の硝酸汚染・・・富栄養化・・・赤潮の発生・・・漁業への影響。また土壌の保水力の低下・・・動植物の疾病を誘発」
結果として「現代農業には、ますます多くの化学肥料、農薬、抗生物質が必要となり・・・それらは環境に流出し・・・生態系を攪乱する」
そして、また、それに加えて「市場は虫食いがなく、かたちも整い、大きさも均一な、廉価な野菜を求め・・・結果として化学肥料・農薬使用の増加」さらりと著者は付け加えました。
「市場は虫食い云々・・・」と主語を市場としていますが、市場の要求とは、買い手である、圧倒的多数の消費者=労働者です。
私も、スーパーで買い物をするときに、一円でも安くを求め、形が悪い物を避け、なるべく消費期限、賞味期限の長いもの探して、奥の方から引っ張り出したり、していたり、するのです。
でも、しかし、です。この消費行動を、一方的に正しくないと、環境に優しくないと、気候変動に対して、生態系に対して、マイナスと、一方的な批判を甘んじて受けるの?
資本主義下、苦労して稼いだ大切なお金を使うときは、一円でも安く、形の良い物を、消費期限・賞味期限の長いものをと、望むのは制約された収入で生きる為の防衛策です。
余裕のある富裕層は、形の悪い、虫食いの、消費・賞味期限の短い物を、率先して買い物カゴに入れて下さい。
でも、しかし、よく考えたら、余裕のある富裕層は、住む場所も異なるし、そこにあのは高級スーパー。そういうスーパーでは、そもそも、曲がったキュウリや、虫食いの果物は取り扱っていないのでした。
兎に角、人糞循環から化学肥料への転嫁で、資本主義にとっては、生産・利潤の拡大に繋がりましたが、問題は解決されず、生態系は攪乱されたのです。
次ぎは、小見出しの『16.空間的転嫁・・・外部化と生態学的帝国主義』
ここでは「人糞循環」から「化学肥料」が開発されるれる間の、中間的な肥料問題の解決策が引き起こした問題を記しています。
人糞に取って代わって、南米ペルーで産出された「グアノ」という代替肥料を巡る争奪戦のお話。
「グアノ」とは、海鳥の糞の化石だそうで、19世紀後半、あの、博物学者で探検家で有名な「アレクサンダー・フォン・フンボルト」が発見したそうです。さすが、「ふんぼると」
そして、この産出作業では、原住民への暴力的抑圧、9万人にも及ぶ中国人クーリーの搾取、兎に角、一方的に奪い去ったそうです。
結果として、「グアノ」は急激に枯渇、海鳥も激減。枯渇するグアノを巡って、チリ対ペルー・ボリビアが対峙した「グアノ戦争・・・1864~66年」「硝石戦争・・・1879~84年」が勃発したそうです。
鳥の糞を巡って、フンボルトが絡んで、戦争までがあったとは、まったく知りませんでした。とても、とても、驚きです。
確かに、冒険家・探検家と云われる人達は、それなりに支配層の意をくんで、新たな資源を、新たな領土を、新たな市場を、新たな労働力を求めて、海を、山を、砂漠を、原野を越え、未開の地を目指したのです。
と、云うことで、「矛盾を中核部にとってのみ有利な形を取る。生態学的帝国主義は周辺部からの掠奪に依存し、同時に矛盾を周辺部へと移転するが、まさにその行為によって、原住民の暮らしや、生態系に大きな打撃を与えつつ、矛盾を深めていく」
と、云う事でした。
それにしてもです、資本主義の問題点を明らかにする例として、採り上げられるお話が、とても、とても、古いと思う次第。
確かに、気候変動の原因は資本主義である、とした事で、資本主義を理論的に解明したマルクスを中心に語られるの理解出来るのです。
しかし、です。マルクスを語るとき、もう少し、新しい、現代の問題を、例として採り上げてほしいと、思うのでした。
もしかして、この先、これから、いろいろと、資本主義の矛盾点が、新しい、いまの問題を例として、理論的に語られるの?
本書は、八章で構成され、現在は第一章で未だ序の口。それにしても、第一章の小見出しが四つも残っています。この調子でいくと、八章に辿りつく迄に飽きてきたりして・・・。
兎に角、先のことは考えず・・・、目的は、ぼけ対策。
本日は、これでお終い。
それでは、また。