先日、5本まとめて見ました。見れば確かに面白く、続きは、この後の展開は、となるのでした。
視聴したのは以下の4本。
6/11 第22回『設楽原の戦い』
6/18 第23回『瀬名、覚醒』
6/25 第24回『築山へ集え!』
7/02 第25回『はるかに遠い夢』
それで、後期高齢者を前にして、いつの頃か、ドラマを見ても、本を読んでも、すぐに記憶が薄れてしまうのです。
大相撲は4~6時までを録画して、6時半ごろより、一杯飲みながら、食事をしながら、視聴しているのですが、見ているときは、それなりに、勝敗を記憶している「つもり」なのですが、翌朝になると、誰が勝って、誰が負けたか、ほとんど覚えていない今日この頃なのです。
そんな、こんなで、見たら、それなりに調べ、それなりの感想を、意見を、綴ることで記憶にとどめ、ボケ防止と暇つぶしに努める今日この頃なのです。
それで、6/11放送の第22回『設楽原の戦い』ですが、因みに、長篠城の近く設楽原で戦ったので『長篠・設楽原の戦い』とも云うみたいです。
武田軍による、徳川の出城、長篠城攻めで、落城寸前の窮地から救うため、援軍としての織田・徳川連合軍。
野戦へと誘導しての設楽原、作戦は織田信長の主導です。信長は、武田軍の得意とする「野戦」を敢えて選択しました。
織田軍は、土塁を積み上げ、馬防柵を広く一直線に展開、これを見た武田軍の家臣たちは「信玄公は、十分なる勝ち目なき戦は決してなさいませんでた」と勝頼に進言。
勝頼は「だから武田信玄は天下をとれなかった、手堅い勝利を百重ねようが、一の神業には及ばぬ」として、一の神業に賭けて突撃。
突撃する武田軍、防御する織田軍となり、実質的には城攻めと変わらない戦となりました。武田軍の予想した織田軍の鉄砲は一千丁。
いつの世も、戦の常識として、攻撃側は防御側の3倍の兵力を必要とするらしいのですが、この時、攻撃する武田軍一万五千人と鉄砲千丁、迎え撃つ信長・家康軍三万人と鉄砲三千丁。勝ち目はなかったのです。
ところで、話は、ウクライナの反転攻勢ですが、かなりの膠着状態。攻守逆転で、防御のロシア軍、攻撃のウクライナ軍、どちらも、負けさせない、勝たせない、米国主導の管理・代理戦争。
兎に角、一方に肩入れせず、ゼレンスキーにも、プーチンにも、四の五の言わせずに休戦!停戦!
はぃ! 話を戻します。
そして、信長は、武田の予想を超えた三千丁の鉄砲で、勝頼の騎馬軍団を迎え撃ったのです。それで、この鉄砲戦ですが、ドラマでは、巷の定説、世にいう織田の「三段撃ち」が描かれました。
でも、この火縄銃の欠点を補う「三段撃ち」ですが、信頼性のある記録は残っていないそうです。織田が勝利した要因は鉄砲の数と、「弾と火薬」の質と量の違いであって、三段撃ちではない、との説が、いまでは、その筋で定説のようです。
しかし、今回、NHK大河は、あえて、最近、戦国歴史筋での定説を否定し、世間の通説、「三段撃ち」を描きました。
たぶん、これは、単に、三段撃ちが、映像的に戦闘シーンとして、絵になること、そして、信長の戦法の先進性を際立たせる、視覚効果を優先したものと思います。
とにかく、三段撃ちの連射で、武田騎馬軍団の突撃は、ものの見事に鉄砲の的となり、馬防柵を前にして撃ち殺され、死体が積みあがっていくのです。
戦闘の様子を高台の陣から見下ろす、信長、秀吉、家康、そして、家康の息子、信康。
信康『これが戦でございますか、これはなぶり殺しじゃ』
刀や槍での殺し合いと、鉄砲での殺し合いに、それほど残虐性に差はないと思います。短時間での大量死と、長時間での大量死の差だけのような気が・・・。
この衝撃に、信康は、優しさは、武将としての弱さ、強くあらねばと、その後、戦場で勇猛果敢に戦い続け、精神を病んでいく・・・との解釈で描かれます。このことで、『瀬名覚醒・築山へ集え・はるかに遠い夢』へと、物語は繋がっていくのです。
古沢良太さんの解釈はドラマとしては面白いですが、史実としては受け入れがたいと思います。
秀吉『ああ 面白いように死んでいくわ~ 実に愉快でごぜいますな~』
ホントにこの作品での秀吉の描き方は、私のイメージを覆す、立身出世のためならば、残虐なことも、軽薄を、盲従を、装うことも厭わない、計算された、非情さ、異常さを感じさせます。でも、しかし、これが、真実の秀吉なのかも、そんな気がしてきました。
家康「一体、何丁の鉄砲を・・・」
秀吉「三千丁でごぜ~ます。もはや兵が強いだけでは戦は勝てん。銭にもっとるもんが勝つんだわ、最強の武田兵も、虫けらのごとくだわハハハハハ(笑)」
信長「やめよッ! 最強のつわものたちの最期を謹んで見届けよ。武田勝頼・・・見事なり」・・・このセリフ、これまでとは異なる内面を垣間見せ、かなり、意味深。こん後の展開への布石かも・・・。
それで、このドラマでは、家康は、信長の戦い方の、先進性に、残虐性に、そして財力に、恐れを抱き、これまで対等な同盟相手であった、信長と家康の関係が、主君と家来の関係へと変化した。と、描かれています。
私が調べた限り、『設楽原の戦い』以降、家康が信長の家臣になったとの事実は、見つかりませんでした。
磯田道史氏も『信玄は、家康を対等な交渉相手として、国主として、みなしていなかった・・・ここは重要な点です。信長は、家康に無理難題も押しつける厄介な存在ではありますが、一貫して、家康を対等の同盟相手として扱い、家来扱いはしていません』と、弱者の戦略で述べています。
しかし、まあ、時代考証の静岡大学名誉教授の小和田哲男氏が家来説を認めたのですから、きっと裏付けとなる、それなりの資料はあるのでしょう。家康の家臣化は、今後のドラマ展開に必要不可欠な要素となる?
もしかして、かなり消極的な判断として、家臣化を否定する資料は無いとして、家臣化を認めた?
それで、今回、はじめて、NHK番組HPを覘いてみたら、
『今、もっとも期待される脚本家のひとり
古沢良太が、新たな視点で、
誰もが知る歴史上の有名人、
徳川家康の生涯を描く』
と、なっていました。"新たな視点"なのです。この作品は原作はなく、すべて古沢良太氏のオリジナルだそうです。
知りませんでした、古沢良太氏(50歳)、今、"もっとも期待"され脚本家の"ひとり"だそうです。期待されている方は、他に何人いるの? 期待しているのはNHK、脚本家業界筋、それとも、世間一般で・・・。
つまらん突っ込みを入れてしまった。兎に角、それなりに期待されている古沢さんが"新しい視点"で描いた作品な のです。
ついでに、調べてみたら、過去、61作の大河で家康を扱った作品は2作だけでした。
1983年「徳川家康」 原作---山岡荘八 脚本---小山内美奈子 家康---滝田栄
2000年「葵 徳川三代」 原作なし 脚本---ジェームス三木 家康 ---津川雅彦
もっといっぱいあった気がしたのですが、しかし、戦国時代〈末期〉を舞台にした作品は19作あり、大河の三分の一で、やはり、戦国時代〈末期〉は人気があるようです。
話は戻します。
設楽原の戦いが「1575年」、その4年後の1579年に「瀬名と信康の処刑」その3年後の1582年3月、武田勝頼敗北し自刃し武田家滅亡。
そして、そして、その3か月後の、6月2日に"本能寺の変"で、織田信長が自刃。
本日は『設楽原の戦い』の話がながくなり、第23回『瀬名、覚醒』、第24回『築山へ集え!』、第25回『はるかに遠い夢』のお話は次回とします。
今回も、それなりに、あっち、こっち調べたので、それなりに、歴史のお勉強になりました。段々戦国時代に嵌りそうです。
それでは、次回、また。