一昨日の続きです。
「呑龍と青い鳥」を過ぎ、時々現れるビルの陰で、帽子を取り汗を拭い、新青梅街道を歩いていると、突然、何やら叫び声が聞こえてきました。
バトカーや、救急車、消防車と等が、赤信号の交差点を通過する際に発する警告音声のように聞こえたのです。
辺りを見回したのですが、赤いランプを点灯した緊急車両の姿は見あたりません。高い位置から発しているように思え、もしかして、「ヘリ」による上空からの広告宣伝かと思い空を見上げたのですが、へりは飛んでいません。
それでも、叫び声のようなものが聞こえてきます。右手奥に「仮設の塔」のような建物を発見。そこに「消防訓練塔」の看板がありました。
消防署だったのです。石神井公園に向かう交差点の角は「石神井消防署」でした。消防署の屋上辺りから声が聞こえてきます。
入り口には「防火管理者講習会」の立て看板があり、丁度終了したようで、ぞろぞろと人が出て来ました。
消防署を右に曲がり、少し行った処で建物を見上げると、オレンジ色の作業服?を着た消防隊員が、バックを背負い降下訓練をしていました。
メガホンを持った指揮者らしき隊員が、
『よし!○○!』『次!○○!』と、良く聞き取れない、専門用語を叫んでいました。かなり、近所に響きます。通りすがりの人は、必ず声のする方を見上げていきます。
消防署は火災の時だけではなく、普段も訓練や講習会で忙しいようです。暑い中、ご苦労様です。
消防署を過ぎた処にあった「消火器」ですが、説明文は日本語、英語、中国語、ハングルの四つの言語で書かれていました。
最近、こうなったのでしょうか、いままで気付きませんでした。消火器もグローバル化です。
新青梅街道を離れ、石神井公園はもう少しです。汗を拭き拭き歩いていると、通りの向かいに、いい具合の「上塗り剥離モルタル」の商店を見つけました。
「牛乳屋さん」と「ガラス屋さん」です。ガラス屋さんの方は店を閉めてしまったようです。
よく見ると、壁に上塗りがくっきりと残っている処があります。直ぐに「エンゼル」の跡と気が付きました。
森永牛乳のお店ですから、エンゼルマークです。「エンゼル・・・天使」は何処かに飛び去ってしまったようです。
飛び去ったエンゼルの跡が寂れ感を漂わせています。宅配牛乳の時代は遠い昔に過ぎ去ってしまいました。
このエンゼルを見るのも久ぶりです。懐かしいです!
石神井公園はもう直ぐです。
それではまた明日。
「明日の記憶」を「先日」テレビで観ました。いつだったかハッキリ思い出せないのが怖いです。忘れないうちに感想を書く事にしました。
その日、ちょこっと覗く程度でチャンネルを合わせたのですか、徐々に引き込まれて行き、結局は最後まで観てしまいました。
感想を一言で云えば「そこそこ面白く良くできた作品」と云うことです。特に感動はしませんでしたし、涙も流しませんでした。
かなり、他人事のようにドラマの展開を眺めていたのです。病が進行する事により、夫婦の関係がどう変化していくのか、それを見届けたくて最後まで観てしまいました。
映画はやっぱり、何と云っても映画何ですね。主人公は大手広告代理店のやり手の営業部長、この設定で「まぁ。映画だから」と思いました。
そして、「えっ! それはないだろ!」と思ったのは、主人公が病名を医師から告げられ、自暴自棄になり病院の屋上から飛び降り自殺を図ろうとした時に、医師の説得した言葉です。
主人公が医師に向かって、
『所詮あんたにとっても他人事だろう・・・』と云ったことに対して、
『私の父もアルツハイマー何です』の言葉で自殺を思い留まるのです。
このシーンの緊迫したやりとりが、この言葉ひとつでぶち壊しです。それに、この医者何ですが、あまり医者らしく見えないのです。
それと、主人公の奥さんが、旦那が病気で会社を退職した後、家計を助ける為に働きに出るのですが、その働く先がお金持ちを相手にした高級輸入雑貨のお店です。
そして、一時、父親に対する反発から非行に走った娘が立ち直り、結婚をするのですが、その結婚相手が建築家なのです。
大手広告代理店、高級輸入雑貨のお店、娘の結婚相手は建築家、どうにも設定にリアリティーがないのです。
こういう設定でないと映画にならないのでしょうか? 主人公を演ずるのが「渡辺謙」で、その奥さんが「樋口可南子」だとこうなるのでしょうか?
この映画は、小説を読んで「感動」した渡辺謙が作者に手紙を書き、映画化の承諾を得たそうで、設定は小説によるものだと思います。
もし、主人公が中小企業のサラリーマンで、奥さんの働き先がスーパーのレジ係りで、娘の結婚相手がフリーターのコンビニの店員だったとしたら、小説にも、映画にもならないのでしょうか?
ハッキリと云えるのは、その設定では映画を作ろうと渡辺謙は思わなかったでしょう。
兎に角、「若年性アルツハイマー症」の理解はそれなりにできました。しかし、発症後の夫婦の葛藤は、「そうは旨くいかないだろう」と思うのです。
ネットで感想を見てみると、涙を流して感動された方が多いようでした。私もやっぱり「危ない」のでしょうか?
映画の中で、主人公がアルツハイマーの診断テストを受けるシーンがあるのですが、私も真剣になってやりました。かなり「危なかった」です。
「西武新宿線から西武池袋線シリーズ」は明日から再開です。
それでは、明日もよろしく。

「ちひろ美術館」前を通る「新青梅街道」を「石神井公園」に向かいます。この通りは、働いている頃に2~3度車で通った記憶がありますが、町の様子などは全く覚えていません。
新青梅街道から見た、美術館ですが隣のマンションと色調が同一の為に、通りすがりの車の中からでは見落としてしまいます。

千川通りと違い、新青梅街道は賑やかです。西武新宿線の沿線イメージに近いです。

途中、こんな店が隣同志でありました。

塗料店の「呑龍」、クリーニング店の「青い鳥」です。龍を呑み込む「怖い」名前の隣が、「明るく爽やか」な青い鳥です。この対比が面白いです。
そして、青い鳥は「平和」をイメージしますが、「呑龍」と云う名称は、昔の「帝國陸軍」の「百式重爆撃機」にあるのです。
この塗料店の経営者は、その事実を承知で店の名前にしたのでしょうか?これが「重爆機」の呑龍です。

「呑龍に青い鳥」が並んでいる風景は、何か「意味深」なメッセージのようです。
「呑龍と青い鳥」の先に「東京芸術座」です。

戦前からの、左翼的文化運動の「歴史と伝統」現代に受け継ぐ、由緒正しい劇団です。
テレビや映画に出るような「役者」はいませんので、現在はほとんど無名の劇団です。業界関係者にはそれなりに知られているようです。
西武新宿線の沿線イメージにピッタリな風景を見つけました。

サンルームの中に、「観葉植物」そして、「白いテーブルとイス」が見えます。樹木に囲まれ、庭には緑の芝生、そこまで行かない処が西武新宿線の沿線イメージです。
もう少し、新青梅街道を歩きます。
それではまた明日。

住宅街の路地を抜け「ちひろ美術館」に着きました。

これが「ちひろ美術館」です。ちょっとイメージと違いました。もっと可愛らしい色使いを想像していたのです。
明るく、柔らかく、心優しい・・・・・・そんな建物を想像していたのですが、外壁の色が暗く、堅く、重く、拒絶感があります。
「いわさきちひろ」の、それなりの権威を象徴しているのでしょう。

この方が「いわさきちひろ」さんです。今回、始めてお目にかかりました。なかなか可愛い女性です。
1918年に生まれ、1974年55歳の時に肝ガンで亡くなられています。ご主人は共産党の元衆議院議員の松本善明さんです。
「ちひろ」さんも、敗戦の年1946年に日本共産党に入党しています。この頃、文化人の入党が「流行った」頃です。
戦時中の治安維持法下で、恐怖の為にじっと黙っていた人、体制に融合した人、そんな中にあって「命を懸けて」体制を批判した共産党員は、敗戦後は「英雄」でしたからね。
「ちひろ人気」は根強いようです。平日、そして、この暑い日に、都心から離れた美術館に、それなりに訪れる人が絶えない、これはやっぱり「スゴイ」と思います。

それで、私ですが、この日はあくまでも「様子を探り」に来ただけですので、入館はしません。
「ちひろ美術館」に、中年男が一人で絵を観ている姿は、あまり「絵」にならないと思うのです。次回、二人で観に来る下見です。

通りに面した建物脇に子馬と少女の像がありました。「ちひろ」の絵のイメージが頭の中にイッパイ詰まった入館者は、ちらっと視線を向けるだけで、通り過ぎて行くような気がしました。
何だか、とても・・・・・・とても、子馬と少女が可哀想に思えました。
それでは、ここで、私の「可愛いマナちゃん」の「ちひろ的」写真をご覧下さい。

朝顔を、優しく持つ、手、指、花に顔を近づる様子・・・・・・まさしく天使のようです。
アッ! スイマセ~ン。じじ馬鹿をやってしまいました。
それで、美術館の様子を探り終え、次の目的地「石神井公園」を目指し、新青梅街道を「北?」に向かって歩き始めました。
それではまた明日。

そうです。何で「上井草」なのか?です。今回のルートは、西武新宿線の上井草から、東武東上線の常盤台へのコースでした。
昨日触れたように、都心から放射状に郊外へ延びる私鉄の路線が何本かあります。
新宿から西に伸びる西武新宿線、地図上でその上を通る西武池袋線、そして、その上を通る東武東上線があるのですが、その路線と路線の間に挟まれた一帯の、地理的イメージが繋がっていないのです。
その為、今回は新宿線の上井草駅から、池袋線の石神井公園駅、そして東上線の常盤台駅と北上し、地理的関係を頭の中で繋げたいのです。
「繋げてそれでどうするの?」と、云われたら困るのですが、兎に角、繋げてみたいのです。
スタート地点を上井草に選んだのは、実は、前々から思っていたのですが、あの「ちひろ美術館」の様子を「探って」来ようと思っているのです。
そんなこんなで、上井草の駅前から歩き始め、千川通りに向かいました。途中でこんな「駄菓子屋」を発見しました。

緑の多さと云い、駄菓子屋と云い、ここは何処? これがあの「西武新宿線」なの? これまで想い描いていたイメージは次々と壊れていきます。

千川通りから上井草駅に入る交差点の風景です。上井草は田舎だったのです。千川通りに面して畑もあります。
きっと「上井草農協」何て建物が目の前に現れても違和感はありません。地名からして「井草」です。農業色の濃い地名です。
千川通りを少し行った所の電柱に有りました。「ちひろ美術館」の案内板です。地図は要らないようです。

並木が茂る千川通りです。

このマンション、そして駐車場には「赤に白のトップ」の「ローバーミニ」です。こんな風景が西武新宿線のイメージだったのです。

そして、100㍍ほど先にこんな「可愛い看板」です。眼、鼻。口、髪、そして手指の動き、何と表現したらいいのでしょう・・・?

可愛い! 純真! 清らか! 無邪気! あどけない!・・・・・・、そして、寂しさの漂う表情。
「いわさきちひろ」の描く子供達を観ると、悪人達も、みんな、みんな、善い人になります。
この可愛い看板の処で、千川通りを左に折れ住宅街に入って行きます。

住宅街の路地を右に左に曲がって、電柱の案内板を辿って行くのです。遠くに中年のご婦人のグループがこちらに向かって歩いて来ます。
すれ違いざまに聞こえてきたのは、『良かったねェ』『可愛かったねェ』、そんな楽しそうな会話でした。間違いありません。「ちひろ美術館」の帰りです。

ずっと、ずっと、住宅街を通ります。「ちひろ美術館」は住宅街の中に有るの?

この先、住宅街を抜け新青梅街道に面して、「ちひろ美術館」がありました。上井草からのコースは裏道伝いの近道コースだったのです。
ここ数年、想い続けていた美術館にやっと到着しました。
美術館の話しは明日です。
それではまた明日。

昨日、東京に行って来ました。兎に角、ホント!暑かったです。
予定では、西武新宿線の「上井草駅」から、東武東上線の「常盤台駅」まで歩くことにしていました。
距離は約12㎞です、3時間半程度を想定していたのですが、暑さの為に途中で休憩を何度も行い、結局は、西武池袋線の中村橋駅が終点となりました。
今回のコースは、始めて歩くところばかりです。ホントに「知らないところ」を歩きました。久ぶりの地図持参です、とても新鮮で楽しかったですよ!
それでは、高田馬場駅からはじまりです。
高田馬場で降りたのは何十年ぶりです。高田馬場で西武新宿線に乗り換えたのは始めてです。
一旦、駅の外に出たのですが、このガードしたからの風景は、「うん。そう、こんな感じ」と云ったところで、昔とはあまり変わらない印象でした。
西武新宿線は過去に一度だけ乗った記憶があります。仕事で乗ったような気がします。いつの頃だったかは、まったく覚えていません。
鮮やかな黄色の車体。お洒落です! 乗客までもが「お洒落に」に見えてしまいます。
路線と「乗客」のイメージなのですが、千代田線で代々木上原、表参道、乃木坂辺りから、お茶の水辺りまでは「お洒落」な感じが漂っています。
しかし、湯島辺りから変化し始め、日暮里を過ぎると車内に「東京の外れ感」が漂い始めます。連続して乗っている乗客も、区間により異なって見えてくるのです。
お洒落な若者、スーツをキッチリ着こなしたビジネスマン、しかし、日暮里を過ぎた辺りから、少しずつ「都会の匂い」が消えていきます。
お洒落な若者は「農家の次男」に、ビジネスマンも土日は野良仕事をする、兼業農家のおじさんに見えてきて、親しみが湧いてくるのです。
確かに、代々木上原から金町までの間に、乗客は入れ替わるのですが、同一人物でも、区間によって異なって見えてしまうのです。これって私の偏見でしょうかね?
そんな、同一路線の区間イメージがあるのですが、路線イメージもあります。
私のような東京の「外れ生まれ」にとって、西武新宿線は「高級」で、「上品」で、「お洒落」で、都会的と云ったイメージをずっとずっと子供の頃より抱いていました。
京成、東武に「親しみ」を抱き、西武、小田急、京王、東急に対しては、かなり「近寄りがたい」イメージを今でも抱いているのです。京急は全く意識の外にあります。
それで、西武新宿線の高田馬場です。急行、準急の後に、上井草停車の普通電車が来ました。車内はガラガラです。
鷺宮で急行の通過待ちです。「鷺宮」の駅名でいすが、やはり京成の、新三河島、千住大橋、青砥、立石と比べて「お洒落」です。これも偏見?
目的地の「上井草」に到着。このホーム、田舎の匂いがしますね、ホームの壁に沿って長い木製のベンチ。
これって、東武伊勢佐木線の堀切駅に重なるイメージです。これは何かが違う、お洒落なイメージは壊れ始めました。
今思うと、高田馬場を過ぎてから直ぐに、車窓の眺めから高いビルが消え始め、所々に、緑と空き地が見えていたのです。
どうも私はこれまで、西武新宿線とJR中央線とを「まぜこぜ」にしてイメージしていたようです。
上りと下り、ホームの連絡橋はありません。改札付近の風景に「田舎」を感じます。とてもイイです。
こちらは下り線の駅舎です。少し洒落ています。
こちらの上り線の駅舎は、のどかな雰囲気がしてとてもイイです。
駅前広場も、バスターミナルも商店街のアーケードも無く、緑が目に付きます。
上井草がこんなに「田舎」だとは思いませんでした。オドロキです。
それで、上井草に降りた理由なんですが・・・・・・。
その事は、長くなったので明日にします。
明日もよろしくね。
さて。どうしましょうかねェ?
世間では「自民党と、民主党と、何処が違うのか?」と、云われる事があります。答えは?・・・・・・「党名が違う!」のであります。
そして、自民党は「政権党」であり、民主党は「野党」である。これが「政界」じゃなくて、「正解」です。そんなことはない!「政策」が違うと、云う意見が出ると思います。
国家の「あり方」に関しての「考え方」は、表現の違い程度で「基本的」には、「党」として同じです。
外交、防衛、経済、財政、文化、教育等々、違いがありません。そして、憲法改定。違う様に見えるのは、政権党か野党かの「立場の差」からくる、表現の違い程度です。
そうではない!支持層が違うではないか、そして、自民党は財界、官界、業界団体等との「しがらみ」があり、民主党は「しがらみ」が無く、金銭的にも「清潔な党」である。何て事を云う意見があります。
そうじゃないんです。これこそが「政権党」と「野党」との差であり、政策や理念、党の体質の差でも、何でもないのです。
自民党が政権党であるが為に生まれた「垢」であり、民主党も政権を獲れば「垢」が貯まります。
「垢」にだけ対処するのであれば、民主党による政権交代で自民党の「垢」はそれなりに取れるでしょう。民主党も予算編成を5~6回も行えば「垢」が貯まります。
民主党は「野党」であり、「政権」を奪取することを「第一目的」に結成された党です。政策は手段であり二の次です。
自民党は「政権党」であり、「政権」を維持する事が「第一目的」に結成された党です。政策は手段であり二の次です。
自民党も民主党も「寄せ集まり」には変わりありません。理念、理想が一致している訳ではありません。
自民党議員は「政権党」として「予算配分」に対しての「利益誘導」を目的に寄せ集まっています。民主党は「政権政党」になることを「目的」に、寄せ集まっています。
日本では「政策」は「官僚」が立案し、「国会」で承認され、官僚により「執行」されます。
ですから、今回の「年金記録問題」とか、自衛隊の「イラク派遣問題」とか、民主党が政権党であったとしても、全く同じで、攻守が変わるだけです。
民主党政権であったなら、小沢首相が野党の「安倍党首」に、国会や、予算委員会で、
「記録はどうなっているのか?政府の責任だ!」
「イラクの開戦理由は米国でも否定さている!」
「イラク戦争に対する、自衛隊の支援は誤りである。責任を取れ!・・・・・・」何て、
追及されている筈です。立場の差でしかないのです。政権党が政策を立案していないのですから、しょうがないのです。
「法案」の具体的な条文作成、「予算編成」、等は、官僚にしかできませんし、効率的です。個別具体的な問題にまで、政治家は立ち入る必要はありません。
その程度の問題で「官僚」と、能力を争ったところで無意味です。しかし、この程度の政治家がいるのです。
特に「民主党」の「若手」で、官僚出身とか、「松下政経塾」出身の人達が、官僚抜きで「法案」を作って、得意になっているのです。
政治家は理念!理想!を掲げ、個別具体的な「法案」「政策」「予算編成」は「官僚」の仕事です。
しかし、理念や理想など「選挙」で訴えたところで、「票」にはならなかったのです。地元に利益を誘導することを「選挙民」は望んだのです。
そして、いまでも「利益誘導型」の「政治家」を選挙民は望んでいます。しかし、「誘導」してくる「利益」は少なくなりました。
政治家は国会で、改革には「痛み」が伴うと云って、「誰に不利益」を「押しつけるか」を考えているのです。しかし、痛みはいつ「回復」し、その先にどのような暮らしがあるのか、まったく見えません。
現実的、具体的、政策立案は「官僚」に任せ、提出された「法案」を、理念、理想でチェックして下さい。
理念、理想を訴え、「清く、貧しく、美しく」、そんな、政党、政治家を探しています。
それは「理想論」で現実的ではない! そんな声がしますが、今の世の中、利益誘導は「もう出来ない」のです。経済の拡大は「もう出来ない」のです。
地元への「利益誘導」は、「所得の再分配」の側面もありました。中央に対して、地方の経済が停滞していると云われます。
しかし、地方の経済は戦後、ずっと停滞していたのです。地方経済は「利益誘導=所得の再分配」で潤っていたのです。
しかし、現在は再分配できる経済的な余裕はなくなってしまったのです。もう、買いたいものも無くなり、そして、資源も枯渇し、環境も破壊されました。
地球で暮らす全ての人達が、美味しい肉や、魚や、野菜を、お腹一杯食べて、自家用車に乗って、冷暖房の効いた清潔な部屋で暮らすのは、不可能なのです。
そういう世の中です。だからこそ、理念、理想を闘わす「論争」が必要なのです。
いまだに、道路だ、橋だ、空港だ、港だ、トンネルだ、新幹線だ、高速道路だ、企業誘致だと、相変わらずの時代遅れの主張が叫ばれています。
今こそ、理念、理想、を論議する時です。今回の参議院選挙からでも遅くはないのです。理念、理想で既成政党の再編が必要です。
これから、起きる?憲法改定論議は絶好のチャンスです。
景気対策、財政赤字、消費税、年金等の問題は、それほど大きな問題ではないのです。選択幅は限られています。
理念、理想の選択幅は広く、一度誤ると一世代では修復できません。
安倍さんも、理念、理想を掲げ、憲法改定・教育改革を参議院選挙の争点としたかったようですが、年金で躓きました。野党は「敵失」での得点に頼るのはやめましょう。
与党も野党も、正々堂々と正面から「憲法論議」を闘わせるべきです。そう思う政治家は沢山いる筈ですが、しかし、選挙で訴えたところ「票」にならないのです。
大半の選挙民は、「しちめんどくさ」くて、聞いても「チンブンカンプン」で、そんな事より、「年金を幾ら貰えるか?」が心配何ですね。
さて。どうしましょうかねェ・・・・・・。
糖尿病の診断基準では、空腹時の血糖値が「126mg/dl」以上となっていますが、今回、124mg/dlになってしまいました。
3年前に、「126」を突破して「135」になったことがあり、その時は、食事と運動で体重を落とし、「118」まで下げました。
しかし、最近は油断をして食事も酒量も増え、運動量も少なくなり体重も「最悪血糖値」の頃に近づいていました。予想された結果でした。
診断結果を見て、「やっぱり!」そうか、「これはヤバイ」と思い、決意を新たに「減量作戦」を開始する事にしました。
食事の量を減らし、晩酌の焼酎を減らし、1日1時間以上歩くか、2時間以上自転車を乗る決意を固めました。
そして、作戦開始から2日目の日曜日、龍ヶ崎にある「お茶屋さん」まで、お煎餅を買いに自転車で行ったです。
途中、多宝塔のある「来迎院」近くの交差点に差し掛かったところで、「チィーン、チィーン」と打ち鳴らす「りんの音」が聞こえてきました。

始めて見ました。先頭に「提灯」を持つ人、笹を持つ人、お坊さん、お防さんに「大きな傘」をかざす人、遺影を持つ人、位牌を持つ人、お骨を持つ人、「葬列」です。

映画で、こんなシーンを観た覚えがあります。生で観るのは始めてです。近くで撮るのは失礼と思い、遠くでシャッターを切りました。

「来迎院」に向かっているようです。暑い日中に「完全正装」のお坊さんは大変です。

この家のようです。案内板には1時から葬儀になっていました、時計を見ると1時45分、葬儀を終えて直ぐに納骨なのでしょうか?
葬儀を見送り、ペダルほ漕ぐ脚にも力が入ります。
『血糖値!下げねばお墓へまっしぐら!』と頭の中でくり返しました。
そして、市役所近くに来ると、血糖値の大敵を発見。牛丼屋の「すき家」です。

何とこれも始めて見る、「ドライブスルー」の新型店舗。営業開始は未だのようです。当分、牛丼との「お付き合い」は止める覚悟です。
龍ヶ崎駅の踏切脇に、コロッケ色の「龍ヶ崎コロッケ」の大看板。

看板を見て思い出しました。今日は7月1日です。マインバザールのコロッケでした。しかし、おやつにコロッケでは、自転車で消費したカロリーは全て帳消しになってしまいます。
コロッケは高カロリーです。お付き合いを当分は控えなくてはなりません。
駅前を過ぎ、やっと到着です。このお茶屋さんのお煎餅が美味しいのです。

以前、龍ヶ崎に来たとき、ガラス越しに見えた「お煎餅」、一目でこれは旨そうだと思いました。そして、旨かったのです。来るたびに買っています。

先ず何と云っても、表面の色がいいのです。変にテカテカとした艶が無いところが良いのです。照りを出す為の小細工をしていないのです。
それと、煎餅を焼く際に「変形」しないように、押さえつける小細工もしていないのです。自然に反り返っているところが良いのです。
そして、見た目どおりの「素朴」な「味」がするのです。そして、そして、何と云っても、32枚!も入っていて、390円!はスゴイ!です。
これで4回目です、お店の主人はいつも「煎餅」だけを二袋買って行く、怪しい中年を不思議そうな表情で迎えてくれます。
今回も、眉を寄せ不思議そうな表情で、表に止めてある自転車を見ながら、『自転車ですか?・・・』と一言、呟くように声を発しました。
『えぇ、そうです。それじゃ・・・』と煎餅の入ったポリ袋を受け取り、店を後にしました。
見た目も、味も、自然で素朴な「お煎餅」を求めて、往復3時間の自転車旅でした。かなり、カロリーを消費した筈です。
帰宅後、冷たい麦茶で、美味しく「2枚」ほど頂きました。
さぁ。3日坊主にならないように、「減量作戦」をガンバリま~す。
それでは、これから散歩に出発です。
また明日。

昨日の続きです。
3杯目の「生」を注文して、少し酔いが回ってきました。聞きたい事がいろいろあります。そろそろ大丈夫です。女性に向けて、
『七ツ海さんが、ここに店を出したのはどうしてです? 奥さんがこの辺の人とか?』
『はい。母が立石の生まれなんです。この場所ではないですが、この辺を3回ほど引っ越したと聞いてます・・・』
同意を求めるように、視線を男性に向けながら話した。男性は頷き、口元が動き、何かをしゃべったのですが、私には聞き取れませんでした。
『お二人はご夫婦ですか?』
『長男と、長女です』
『そうなんだ。どちらが上なんですか?』
『姉と弟です』
警戒心が和らいだのか、少しだけ姉が表情を崩した。弟の方は神経質そうな眼をして、こちらをじっと見つめるので、
『私、テレビで七ツ海の取り組みを見たことがあるんですよ、お二人は見ました?』
『私達、父が相撲をやめてから生まれたので・・・』
そうでした。見た目の年齢からしても、それはムリでした。七ツ海が廃業したのが1959年ですから、今から48年前です。
『あッ。そうか、そうだよね、弟さんはおいくつ何ですか?』
『42歳です』辿々しい言葉でした。ハッキリしゃべれないようです。
『それじゃ、厄年だね』
すると、姉の方が弟に替わって、去年、病気をして暫く店を休んでいたと、答えてくれました。ネットで見たときに「あるブログ」で、一時、休業していた話しが載っていたことを思い出しました。
病名は? 何処の病院? どの位の期間? お二人はご結婚は? 子供は何人? 男の子?、女の子? もう独立したの? 家族はこの上で一緒に暮らしているの?
何て、余計なことを聞きたいのですが、じっと我慢。きっと「脳梗塞」と思われす。酒もタバコも好きなので困ると姉が云ってました。
『七ツ海さんは12人兄妹でしたよね、何番目の人か忘れたけど、七ツ海さんの弟で、「ヨシオさん」って云う人が、東京に働きに来た時に、家に暫く居たんですよ、その事もあって、お父さんは現役時代に家に遊びに来たのだと思います』
『そうなんですか、そうすると茨城の方ですか?』
始めて、こちらに質問してくれました。
『はい。おふくろがお父さんと同じ村です。ヨシオさんは印刷屋をやっていたって聞いたことがあるけど・・・』
姉と弟で、何やら話し始め、「あのおじさん?」、「小岩」、「早く亡くなった人」とかが、切れ切れに聞こえてきます。
『たぶん、小岩で印刷をやっていた叔父さんの事だと思います。若い時に亡くなったと聞いてますけど・・・』
あまり詳しくは知らないようです。何せ、兄妹が12人ですから無理もありません。
『私もそんな話しを聞いています。印刷屋の商売が順調で大分儲かったらしくて、お妾さんを囲ったいたそうで、亡くなったのはお妾さんの家だと聞いてます。何か脳梗塞で、腹上死なんて話しも・・・・・・』
と云って、笑いかけたのですが、二人を見ると冗談とは受け取っていない表情です。きっと去年、弟は脳梗塞を患い大変な思いをしたのでしょう。言葉だけではなく、身体も少し不自由でした。
痩せて小柄で、お父さんとは全く異なる体型です。お母さん似なのでしょう。
若くて美しい妾宅で、情事の果ての腹上死なんて、有る意味、男の願望、憧れに思えたのですが、チョット悪い冗談でした。
冷めた「鶏の唐揚げ」を頬張り、「生」を飲み干して、「酎ハイ」を注文しました。
この「鶏の唐揚げ」、柔らかくて、歯ごたえが無く、「ぱさつく」ので、胸肉のようです、間違いないです。身体には良いかも知れません。
酎ハイが来ました、かなり「小ぶりのグラス」です。一口飲むと3分の1が無くなります。
話題を変えました。
この日、ネットで調べて作った、七ツ海の十両以上の星取表を持っていったのです。
その紙を取り出し、昭和27年から34年まで、7年間も関取でいた事を褒め称えました。
そして、二人は知らないと思い、十両時代の昭和33年の夏場所に「柏戸」に勝ち、翌年の夏場所には大鵬に勝っていた事を話すと、残念ながら二人は知っていました。
七ツ海が廃業して、数年してから「柏戸と大鵬」の「柏鵬時代」の到来です。これはもう「自慢」しない訳にはいきません。
『俺は、柏戸、大鵬に勝ったんだ! 一度も負けていなんだ!』と店に来る客や、子供達に話したのでしょう。
お父さんは、そんな話しを聞かせてくれた? と聞くと、笑いながら頷いてくれました。しかし、それ以上の反応はありません。もう少しなんとか・・・・・・と思うのですが。
弟は、生真面目で、おとなしそうで、商売人向きではありませんが、料理を作るには問題ないでしょう。
姉の方も、口紅一つ塗らず、化粧気なしで素朴な感じの人でした。下町の居酒屋です。水商売を全面に出す必要も無いでしょう。
真面目な居酒屋として、しっかりした固定客を掴んでいるのでしょう。七ツ海が始めてから40数年続く店です。
それにしても、客は誰も入って来ません。
『ちゃんこ鍋屋さんは、やっぱり夏は客足が落ちますか?』
『夏だけ、ちゃんこを食べに来るお客さんも居ますが、やはり夏は落ちますねぇ。まぁ、いつも、暗くならないとお客さんは入らないですねェ』
そうなんです。未だ外は明るいのです。5時前に入って未だ6時を少し回ったところです。
その後、大した会話もなく、酎ハイを3杯お代わりしました。6時半を過ぎました、そろそろ退散です。
季節が替わり、寒くなった頃に、今度は「ちゃんこ鍋」を食べにくると告げ、店を後にしました。
ふり返ると、街灯にも、看板にも明かりが灯りました。
何となく物足りない思いでしたが、こんな時間に一人ほろ酔い気分で、昼間の暑さも和らいだ立石の街を歩いると、気持ちが「ゆったり」としてきました。
今日、一日がとても良かったと思えてきました。「ちゃんこ七ツ海」は良かったです。これからも姉弟で頑張って下さい。
それでは、赤羽、そして、立石の「七ツ海」を訪ねるシリーズを終わることにします。
ありがとう御座いました。
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昨日の続きです。
ガラス戸を開け、暖簾越しに『やってますか?』と声を掛けました。
『はぃ。どうぞ』と、カウンターの中で、何やら洗い物をしている女性が、手を止め顔を上げました。化粧気がまったくありません、歳は40半ばに見えました。
カウンターに座りました。目の前の壁には「七ツ海」の文字の入った「化粧まわし」間違いないです、あの「七ツ海」の店です。
以前、外から眺めて想像していた店の様子とほとんど変わらない、懐かしい気持ちになる、昭和の匂いを感じる店内です。
カウンターの中には、女性と同年配の男性が仕込みをしています。夫婦か? それとも兄妹か? 姉弟か? 兎に角何か一言と思い、
『今日は暑いですねぇ』と、つまらないことを云ってしまいました。
『そうですねぇ。ホントに・・・・・・』と女性は、座敷に上がり2台のクーラーのスイッチを入れました。
そうなんです。それはまさしく「クーラー」であって「エアコン」ではありません。紛れもなく「昭和時代」のクーラーです。
さてと、次はどうしょうか?と思いながら、おしぼりで手を拭いながら、メニューに目をやり考えました。
兎に角、ここは先ず、取りあえず「生」を注文しました。
女性が冷蔵庫から冷えたジョッキを取り出し、生ビールを注いでくれ、男性は何やら小皿に盛っています。
カウンターの上には、道具や、器や、細々とした物がのっていて、男性の手元は死角になっています。男性は痩せていて小柄です。
生ビールと、「突きだし」に「オクラの和え物」が出て来ました。先ずはいっきに半分ほど飲み干しオクラをつまみました。
さて、どこから話しを切り出そうかと、ジョッキを口運び、当たりを見回していると、「とり唐揚げ」のかわいい文字が眼に入り、迷わず注文しました。
そろそろと思い、
『あの~。この店ねェ、インターネットで見つけて来たんですよ』
『あ~。そうなんですかァ』女性の反応はそれだけでした。無愛想と云う訳でもなく、ただ普通に淡々としているのです。
『私ねぇ、小さい頃に七ツ海に抱っこしてもらった想い出があるんですょ』
『あ~、そうなんですか・・・、相撲を見に行かれたのですか?』手元を動かしながら、口紅も付けない顔で、こちらに視線を向けてきました。
『いゃ。家に来たんですよ! 七ツ海が!』この一言で、話しに乗って来ると思ったのですが、
『はぁ~、そうなんですか・・・』と、出来上がった鶏の唐揚げを男性から受け取り、カウンターに置きました。
『生お代わり』とジョッキを女性に差し出しました。どうも、予想とは異なり、相手の反応が鈍いのです。
暫く当たりを眺めたり、唐揚げを食べたり、ビールを飲んだり、オクラをつまんだりしていました。飲むペースが速くなりました。
店に来る前に、膨らんでいたワクワク、ドキドキの気持ちは少しずつ萎んでいきます。まぁ、こちらが勝手に膨らましていた訳ですからね・・・・・・。
兎に角、お代わりの「生」を黙々と飲みました。冷や奴も注文しました。それから、一息ついて、座敷に上がり、飾られている、「七ツ海」の写真、賞状等を「来店記念」に撮す作業に取りかかりました。
写真中央は、あの「双羽黒」です。優勝しないで「横綱」になり、「暴力事件」を起こし部屋から逃亡して、世間を騒がせた横綱です。
双羽黒の右の肩口から顔を出しているのが、晩年の「七ツ海」です。
兎に角、未だ外は陽が落ちていません。「生」も未だ2杯目です。盛り上がるのはこれからです。
話しのネタは沢山ありますから、もう少し飲んでからです。
それでは、明日またお待ちしています。