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今度はディケイド・トレーダー?―“バフェット式の教訓”・・・を読んで

うかつであったが、株式投資において“バリュー投資”という言葉があることを最近知った。それが、どういう考え方なのか知るために そのことについて書かれた本を検索してみた。すると“バフェット”という聞いたことのある米国投資家の名前が出てきた。つまりそのウォーレン・バフェットが“バリュー投資”を実践して巨万の富を築いたということなので、ひとまず手っ取り早く入手できた本を2冊読んでみた。
その1冊が、バフェットの義理の娘(息子の嫁)メアリー・バフェットの書いた“バフェットの教訓”である。これは“逆風の時でもお金を増やす125の知恵”という副題で、ウォーレン・バフェットが折に触れて話した125の警句を集めて解説したものである。
もう1冊は三原淳雄氏監修の“「バフェット式」投資の原則”である。三原淳雄氏とは懐かしく思い出す名前で、かつて私が株に興味を持っていた頃、経済評論家としてよくテレビに登場されていた。特に株式市場に関する解説をいつも落ち着いた様子でコメントされていたので、その名に惹かれて読むことにした。そして、どうやら同氏はかねてからのバフェット・ウォッチャーだったようなのである。

さて、“バリュー投資”とは何か、“「バフェット式」投資”とは何なのか。どうやら投資対象の企業価値を見極め、株価が 気まぐれな市場変動でそれに見合う適正価格になった時に いわば安価にその株を購入し、価値あるものとして長く所有することにその真髄があるということ。そうすれば、価値ある企業はその創造的活動により自らの価値を継続的に高め、結果として所有した株の価値・価格は大きく上昇し、巨万の富を築くことが可能となる。現に、それを実践したバフェットはビル・ゲイツに次ぐ世界的大富豪となった、と言う。
つまるところ、日々の株価の動きに右顧左眄することなく、くだらぬ噂に惑わされず、むしろ市場から遠く離れて、じっくり構える姿勢が肝要とのこと。その意味で“ディ・トレーダー”ならぬ“ディケイド(10年)・トレーダー”であるべきだ、ということなのだ。現に、バフェットは、“‘オマハの賢人’の敬称が示すように、ウォール街から遠く離れたネブラスカ州オマハで活動”しているとのことである。
この2冊の本ではこのような説明が異口同音に何度も繰り返し登場する。この2冊はあたかも同じ本を読んでいるかのような印象なのだ。“バフェットの教訓”は、原語では2006年出版で、日本語訳は2008年1月、“「バフェット式」投資の原則”は同年7月出版なので、“バフェットの教訓”を種本にして“「バフェット式」投資の原則”は書かれたのかも知れない。(断っておくが、“「バフェット式」投資の原則”は三原氏の著書ではなく、あくまで監修である。残念だが読み終えかけてから気付いたのだが。)

しかし、バフェットのように的確に“投資対象の企業価値を見極める”ことは 容易なことではない。いみじくも“「バフェット式」投資の原則”に書かれていたが、三原淳雄氏が、“就職したての昭和30年代初めに、上場したばかりのソニー株を買った”とのことであるが、当時 最低購入単位で25万円してたのを工面して投資したが、それを“持ち続けていれば、いまでは20億円以上”になっていたはずで“実に1万倍近いリターン”だという。
私のショボい経験では、三原氏とはまったく違い、一部上場の立派な優良株を長年持ち続けて来たが、一向に株の価値は何倍にも上がらなかった。とは言え、これらいずれの会社も90年代やリーマン・ショックの不況も十分に乗り切って生き延びて日本経済を支えている優秀な企業である。なので、三原氏との違いは、私の場合は伸び盛りの成長過程にある企業ではなくて既に出来上がっていた企業だったという点にあり、そのため何倍にもならずに終わったのかも知れない。つまるところ投資対象を伸び盛りの企業にするのは、未だ“海のものとも山のものとも分からない”評価の定まらない状態で、その企業の本質を見極めなければならないことになる。それが 私には容易に出来ることではなかったのだ。

私はむしろ“テクニカル分析”等の本から、同じ株を長年持ち続けるだけで“資産有効活用”しなかったことを反省していたところだった。単なる“塩漬け”は投資家としては無能の証なのだ。だからこそ、三原氏も“資産有効活用”のために、高価なソニー株を途中で手放したに違いないのである。
したがって、評価の定まった企業株ではなく、伸び盛りの成長過程にある企業の玉石混交のなかから、キラリと光る価値ある企業をいかに見極めるのか、その具体的観測方法や分析・推計方法を知る必要がある。そのために、“「バフェット式」投資の原則”には 投資先選定の財務的判断基準となる計算式が幾つか述べられているが、本当にそれだけなのだろうか。

そこまで考えると、バフェットがその投資術で成功したのは、時代が、たまたまバフェット氏御本人に僥倖を与えただけなのかも知れないと思えて来る。何十年も同じ企業の株を持ち続けることは、現代ではむしろ危険なことかも知れないのである。時代の変化は早く、それに遅れる企業には 直ちに不振の危機が迫って来る時代だからだ。バフェットが目を付けたティッシュ・ペーパや剃刀、コーラ、新聞という製品が、永続的に今後何十年も生き延びるとは一概に断言できない時代なのだ。
例えば 昔、日本にはティッシュ・ペーパそのものが無く花紙だったし、コーラは無くラムネだった。剃刀はフェザーというメーカーがメジャーだったが、今は見る影も無い。さらに、洗剤にしても関西では天一坊粉石鹸というのがメジャーだったし、歯磨きはスモカという歯磨き粉がどの家庭にもあったが、今はその存在すら確認しようがない。新聞は出版業界共々IT革命の大波に業態の転換を迫られている。
今や競争相手は世界中に広がり、それぞれが死力を尽くして虎視眈々と既存企業に挑戦しているメガ・コンペティションとなっている。したがって、ちょっとした油断も許されず、絶えざる革新が必要となっている。しかもその革新はありとあらゆる分野に目を配らなければならず、製品のみならず、販売経路の革新や、顧客はもとより一般社会との関係性も視野に入れた活動の革新も含めて絶えざる経営革新が必要である。しかも成長過程の企業にとっては、その規模に応じた適時適切な組織革新が必要なのだ。そういう革新を継続的に実施できる企業を 組織の外からどのように見抜くのか、それこそが非常に重要なポイントとなるのだが、そのこともこれらの本には全く指摘や示唆もない。
この2冊の本では、IT革命にむしろ消極的だったバフェットが、“理解できないことに投資しない”という姿勢を貫き、そのバブル崩壊後 損失がなかったことを今度は 世間に評価されるという変化を礼賛的に記述している。つまり“理解できないこと”に無理して投資しないという保守的姿勢を評価しているのだ。だがつまるところ、バフェットが気付いたときすでに多くのIT企業の時価総額が、その企業の生み出す価値をはるかに超えていたためというのが真相のようだ。要するにバフェットは将来性ある企業を見極めて投資するエンジェルにはなり得ない投資家だったということではないのか。過去の長期的持続的な成功を収めるオールド・エコノミーへの投資家であって、リスクは取らずシュンペーターの言う革新を目指す訳ではなく、その意味で経済活動へは大きな貢献はせず、利己的利益至上主義の投資家ということではないか。そういう姿勢では、いわゆる指導的投資家として今後も一世を風靡することはありえないのではないかと思われる。

“「バフェット式」投資の原則”には、先述したように結構詳しく財務分析法を示してはいるが、細かくトレースしてみると具体的には計算し辛いところがあったり、判断基準が示されていない部分があって結局 そのままでは使えないところがあるのは残念である。
かつて日本の企業の財務内容は米国基準では評価できないところがあった。米国基準ではアウトであっても 日本では立派な企業はいくらでもあった。金融資本の優位性や株式の持ち合いを初めとした日本の国際的ローカリティということもあったかもしれないが、当時ではグローバル基準というものがありえず、米国基準であっても欧州では適用し難い部分も有ったのではないか。だが今や 日本の株式市場も国際化し、すでにグローバル化した財務的判断基準は使えるだろうし、かつてとは違い企業情報もオープンになっていて事情は大きく変わってきてはいる。
したがって、私としては、バフェットの基準の使える部分は参照して、少しは“バリュー投資”や“ディケイド・トレーダー”をマネて見ようかと思っている。また財務基準ばかりではなく、ISOマネジメントの知識や経験が企業評価に どのように役立つかも考えてみたいところではある。ただし、ISOマネジメントが経営革新に本当に役立つのかどうか、不明の部分はあるのだが・・・。むしろCSR基準かも知れないのだが。

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