The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
CSRセミナーを聴講―バリュー投資の必須評価アイテムか?
世の中には 自らが“先進的”であるフリをするために、環境のマネジメント・システムも出来ていないにもかかわらず、CSR報告書を作成しようとする企業もあるようだ。特に A(C)の社長は そういうことに躍起になりそうであり、そういう人は妙に世間の動きに敏感で早耳、昨年CSRのISO26000が制定されたとのことで、さらに一層CSR報告書のためのシステム作りを促進させているところもあるようだ。
また、自らはコンプライアンス意識も希薄なくせに、第三者意見を述べることを生業に加えているISO審査機関もある。この審査機関、政府に極めて近い財団法人であり、政府補助金等も受け取っているにもかかわらず、ISO審査員の採用に当たって年齢制限を加えていたようないい加減な機関だ。
そういう流行に右顧左眄するのではなく、CSRの本質は何か、ISO26000ではどういうことに注目し、組織にどういうパフォーマンスを要求しているのか、を知りたいとかねてから思っていた。特に、企業を外形的に評価するために CSR報告書を どのように読み解くべきかを知ることは、先週話題にした“バリュー投資”にも有効な手段となるはずだ。そういった思いが強く募り、大阪の産業創造館で開催されたCSRに関するセミナーに有料ではあったが聴講に赴いた。
昔は “倫理”を“したり顔”で話す人は 要注意人物であると思っていた。大体は、先述した政府系ISO審査機関のようないい加減な輩が“上から目線”で語るものだと思っていたし、まして自らがそのようなことを語るには かなり面はゆいところがあった。今も、CSRをことさらに言い募る人や、組織には胡散臭さがあるような気がする。
だが、世界にはそんな素朴な倫理感より、もっと手前のところで、顔を背けたくなるような酷いことを厚顔にやってのける企業や組織がある、ということなのだ。その目に余る行動に国連事務総長も業を煮やして、グローバル・コンパクトを制定している。いや、それ以外にアラスカで座礁して大規模海洋汚染を引き起こしたタンカーの名前から作られたバルディーズ原則という基準等、様々な倫理規範が既に存在している。さらにCSR報告書を作成するにあたってはGRI基準というものも存在する。この辺のことについては、かつてこのブログでも指摘したことがあったが、そういう様々な基準と ISOとはどのような整合性を保とうとしているのかも知りたかった。
さて、講演の講師であるが、㈱損害保険ジャパンの理事・CSR統括部長の関正雄氏であった。同氏はISO26000規格づくりの日本産業界代表エキスパートを務めた枢要の人であるとのこと。
講演によると、この規格は “環境と貧困”という最近の人類社会への2大脅威要因の緩和策としてあり、昨年2010年11月に発行。このISO26000をあえて一言で言うと“持続可能な発展を実現するために、世界最大の国際標準化機構ISOによって、多様な参加と合意のプロセスで開発された、あらゆる種類の組織に向けた、社会的責任に関する包括的で詳細な手引き書”であるとのことである。ここでの“社会的責任”は正確にはCSRではなくて、CorporateのCが取れたSRであるという。つまり企業活動に限らず、あらゆる組織的活動全般を対象にしている。しかし、要求事項を含まないガイダンス文書であるため手引書となっている。したがって第三者認証や自己適合宣言は不可とのこと。それは、SRそのものが発展途上の概念であり、正解がないものであり、絶対的な基準で判定できるようなものではなく、自ら“何をどこまでやるかを選択し、あらゆるステーク・ホルダーとの関係の重要性を考慮する”ものであるべきであるからだ、とのことであった。これは今後の取り組みの進展やイノベーションを妨げず、育成・促進するべきであるとの積極性のためでもある。したがって、規格の認証は将来ともに その枠組みは出来ない、という確たる見通しであった。
ならば、ここで言う“あらゆるステーク・ホルダー”を顧客と限れば、ISO9001も“絶対的な基準で判定できるようなものではなく、正解がない”と考えれば、その第三者認証にも無理があるのではないか、と思えるのだがいかがだろう。
その他、ISO26000の特徴は、“組織に法令遵守を超える活動を奨励”し、“世界のグッド・プラクティスの集大成”であり、“既存のガイドラインに取って替わるものではない”。ということで、先に指摘したグローバル・コンパクトやバルディーズ原則、ISO14001と並存することにはこだわらない、ということで簡単に肩透かしを食らってしまった。
そして、ISO規格策定としては画期的であったのは“マルチ・ステーク・ホルダー参加”による作業だったという。つまり、各国の政府、産業、労働、消費者、NGO、その他有識者の6種の団体代表 約400人規模の策定パネルの合意であったとのこと。決定に際しては多数決主義をとらず、あくまでも合意に拠ったので非常に時間を要したが、その結果 内容としては極端な事項は取り上げてはいないという。
その証左であろうかISO26000経緯として、最初の動きは2001年4月にISO理事会で規格作成可能性と要否の検討をISO/消費者政策委員会COPOLCOに要請したことから始まり、様々な活動を経て昨年ようやく国際規格となった、ということで約10年を要している。
その第2章には“国際行動規範”として、粗く表現すると “世界に共通の規範や、それを超えて社会の期待に応える行動”を求められていると規定している。
また、同じく“社会的責任”は“透明かつ倫理的な行為を通じて、組織の決定及び活動が社会及び環境に及ぼす影響に対する組織の責任”とある。この“透明かつ倫理的な行為”とは“持続可能な発展、健康および社会の繁栄への貢献/ステーク・ホルダーの期待への配慮/適用されるべき法律の遵守、国際的な行動規範の尊重/組織全体で統合され、組織の関係の中で実践される行動”としている。
また“社会的責任の7つの原則”とは ①説明責任 ②透明性 ③倫理的な行動 ④ステーク・ホルダーの利害の尊重 ⑤法の支配の尊重 ⑥国際行動規範の尊重 ⑦人権の尊重 としており、この内、組織にとっては①や②においてネガティブ情報への公開性が問われることになる。
そして、“世界のグッド・プラクティスの集大成”として“7つの中核主題・37の課題・231のアクション”が記述されているという。このため、ISO9001やISO14001などと比べては非常に膨大な規格となっている。
“7つの中核主題”は以下の通り。 (1)組織統治 (2)人権(差別/労働基本権) (3)労働慣行(ILOの原則) (4)環境(汚染予防/気候変動緩和・適応) (5)公正な事業慣行(汚職防止/公正な競争・ロビーイング活動/川下のバリューチェーンにおける社会的責任) (6)消費者課題(消費者の権利保護/消費者自身の持続可能な消費) (7)コミュニティ参画及び開発(雇用創出及び技能開発)
ISO26000は中小企業にとっても、推進するべき規範であるとの講師の考えであり、セミナー副題に“中小企業にこそ求められるISO26000とは”とあったが、ISO9001やISO14001等と同様、具体的にどのように組織に浸透させて行くべきかの解説は残念ながらなかった。
ISO26000は、ある種の理想を文書にしたとも思えるのだが、非常に滑稽に感じたのは あの中国がこの国際規格に非常に熱心であるという説明だった。それも あの利益至上主義の中国政府が率先して奨励しているということだった。やっぱり、“倫理”を“したり顔”で話す人は 要注意なのであろうか。いや、こういう傾向を甘く看過していると、その内、日本は中国から“倫理”で論破される事態に到ることもあるのかも知れない。
さらに、配布資料にはISO元会長でイスラエル人のジバ・パティール氏によるという次の言葉が唐突に載っていた。“我々は皆・・・持続可能で公正なよりよい社会に住みたいと願っている。でもそのために我々は 個人として、組織として、社会として、何をしているだろうか?”とか“ISOはグローバルな相互関連性を強める政策を展開してきたが、今日、社会的責任よりもグローバルな関連性の強い分野はほとんどない。”との立派な見解ではある。そして、ジバ・パティール氏がどういう人物か私は全く知らないが、イスラエル政府やユダヤ人がアラブ人に対して行っている行為を見たとき、この言葉との整合性はどう考えるべきであろうか。国家と個人は異なる見解を持っていても当然ではないかとのもの言いもあるかも知れないのだが、こういう警戒心は安易に解かない方が良いのではないか。冒頭に言った胡散臭さを感じてしまうのだ。
このように自己主張の強い人々の多い国際社会において、日本政府の領土問題や拉致問題への対応を見ていると、内向きの日本人の“島国根性”という 子供の頃しきりに聞かされた言葉を思い出してしまう。だが、そのように内向き指向になるのではなくて、むしろ日本や日本人は、国際社会においてこそこのISO26000規格を楯に有効にフル活用するべきであるのかも知れない、と思考が飛躍してしまうのだった。
また、自らはコンプライアンス意識も希薄なくせに、第三者意見を述べることを生業に加えているISO審査機関もある。この審査機関、政府に極めて近い財団法人であり、政府補助金等も受け取っているにもかかわらず、ISO審査員の採用に当たって年齢制限を加えていたようないい加減な機関だ。
そういう流行に右顧左眄するのではなく、CSRの本質は何か、ISO26000ではどういうことに注目し、組織にどういうパフォーマンスを要求しているのか、を知りたいとかねてから思っていた。特に、企業を外形的に評価するために CSR報告書を どのように読み解くべきかを知ることは、先週話題にした“バリュー投資”にも有効な手段となるはずだ。そういった思いが強く募り、大阪の産業創造館で開催されたCSRに関するセミナーに有料ではあったが聴講に赴いた。
昔は “倫理”を“したり顔”で話す人は 要注意人物であると思っていた。大体は、先述した政府系ISO審査機関のようないい加減な輩が“上から目線”で語るものだと思っていたし、まして自らがそのようなことを語るには かなり面はゆいところがあった。今も、CSRをことさらに言い募る人や、組織には胡散臭さがあるような気がする。
だが、世界にはそんな素朴な倫理感より、もっと手前のところで、顔を背けたくなるような酷いことを厚顔にやってのける企業や組織がある、ということなのだ。その目に余る行動に国連事務総長も業を煮やして、グローバル・コンパクトを制定している。いや、それ以外にアラスカで座礁して大規模海洋汚染を引き起こしたタンカーの名前から作られたバルディーズ原則という基準等、様々な倫理規範が既に存在している。さらにCSR報告書を作成するにあたってはGRI基準というものも存在する。この辺のことについては、かつてこのブログでも指摘したことがあったが、そういう様々な基準と ISOとはどのような整合性を保とうとしているのかも知りたかった。
さて、講演の講師であるが、㈱損害保険ジャパンの理事・CSR統括部長の関正雄氏であった。同氏はISO26000規格づくりの日本産業界代表エキスパートを務めた枢要の人であるとのこと。
講演によると、この規格は “環境と貧困”という最近の人類社会への2大脅威要因の緩和策としてあり、昨年2010年11月に発行。このISO26000をあえて一言で言うと“持続可能な発展を実現するために、世界最大の国際標準化機構ISOによって、多様な参加と合意のプロセスで開発された、あらゆる種類の組織に向けた、社会的責任に関する包括的で詳細な手引き書”であるとのことである。ここでの“社会的責任”は正確にはCSRではなくて、CorporateのCが取れたSRであるという。つまり企業活動に限らず、あらゆる組織的活動全般を対象にしている。しかし、要求事項を含まないガイダンス文書であるため手引書となっている。したがって第三者認証や自己適合宣言は不可とのこと。それは、SRそのものが発展途上の概念であり、正解がないものであり、絶対的な基準で判定できるようなものではなく、自ら“何をどこまでやるかを選択し、あらゆるステーク・ホルダーとの関係の重要性を考慮する”ものであるべきであるからだ、とのことであった。これは今後の取り組みの進展やイノベーションを妨げず、育成・促進するべきであるとの積極性のためでもある。したがって、規格の認証は将来ともに その枠組みは出来ない、という確たる見通しであった。
ならば、ここで言う“あらゆるステーク・ホルダー”を顧客と限れば、ISO9001も“絶対的な基準で判定できるようなものではなく、正解がない”と考えれば、その第三者認証にも無理があるのではないか、と思えるのだがいかがだろう。
その他、ISO26000の特徴は、“組織に法令遵守を超える活動を奨励”し、“世界のグッド・プラクティスの集大成”であり、“既存のガイドラインに取って替わるものではない”。ということで、先に指摘したグローバル・コンパクトやバルディーズ原則、ISO14001と並存することにはこだわらない、ということで簡単に肩透かしを食らってしまった。
そして、ISO規格策定としては画期的であったのは“マルチ・ステーク・ホルダー参加”による作業だったという。つまり、各国の政府、産業、労働、消費者、NGO、その他有識者の6種の団体代表 約400人規模の策定パネルの合意であったとのこと。決定に際しては多数決主義をとらず、あくまでも合意に拠ったので非常に時間を要したが、その結果 内容としては極端な事項は取り上げてはいないという。
その証左であろうかISO26000経緯として、最初の動きは2001年4月にISO理事会で規格作成可能性と要否の検討をISO/消費者政策委員会COPOLCOに要請したことから始まり、様々な活動を経て昨年ようやく国際規格となった、ということで約10年を要している。
その第2章には“国際行動規範”として、粗く表現すると “世界に共通の規範や、それを超えて社会の期待に応える行動”を求められていると規定している。
また、同じく“社会的責任”は“透明かつ倫理的な行為を通じて、組織の決定及び活動が社会及び環境に及ぼす影響に対する組織の責任”とある。この“透明かつ倫理的な行為”とは“持続可能な発展、健康および社会の繁栄への貢献/ステーク・ホルダーの期待への配慮/適用されるべき法律の遵守、国際的な行動規範の尊重/組織全体で統合され、組織の関係の中で実践される行動”としている。
また“社会的責任の7つの原則”とは ①説明責任 ②透明性 ③倫理的な行動 ④ステーク・ホルダーの利害の尊重 ⑤法の支配の尊重 ⑥国際行動規範の尊重 ⑦人権の尊重 としており、この内、組織にとっては①や②においてネガティブ情報への公開性が問われることになる。
そして、“世界のグッド・プラクティスの集大成”として“7つの中核主題・37の課題・231のアクション”が記述されているという。このため、ISO9001やISO14001などと比べては非常に膨大な規格となっている。
“7つの中核主題”は以下の通り。 (1)組織統治 (2)人権(差別/労働基本権) (3)労働慣行(ILOの原則) (4)環境(汚染予防/気候変動緩和・適応) (5)公正な事業慣行(汚職防止/公正な競争・ロビーイング活動/川下のバリューチェーンにおける社会的責任) (6)消費者課題(消費者の権利保護/消費者自身の持続可能な消費) (7)コミュニティ参画及び開発(雇用創出及び技能開発)
ISO26000は中小企業にとっても、推進するべき規範であるとの講師の考えであり、セミナー副題に“中小企業にこそ求められるISO26000とは”とあったが、ISO9001やISO14001等と同様、具体的にどのように組織に浸透させて行くべきかの解説は残念ながらなかった。
ISO26000は、ある種の理想を文書にしたとも思えるのだが、非常に滑稽に感じたのは あの中国がこの国際規格に非常に熱心であるという説明だった。それも あの利益至上主義の中国政府が率先して奨励しているということだった。やっぱり、“倫理”を“したり顔”で話す人は 要注意なのであろうか。いや、こういう傾向を甘く看過していると、その内、日本は中国から“倫理”で論破される事態に到ることもあるのかも知れない。
さらに、配布資料にはISO元会長でイスラエル人のジバ・パティール氏によるという次の言葉が唐突に載っていた。“我々は皆・・・持続可能で公正なよりよい社会に住みたいと願っている。でもそのために我々は 個人として、組織として、社会として、何をしているだろうか?”とか“ISOはグローバルな相互関連性を強める政策を展開してきたが、今日、社会的責任よりもグローバルな関連性の強い分野はほとんどない。”との立派な見解ではある。そして、ジバ・パティール氏がどういう人物か私は全く知らないが、イスラエル政府やユダヤ人がアラブ人に対して行っている行為を見たとき、この言葉との整合性はどう考えるべきであろうか。国家と個人は異なる見解を持っていても当然ではないかとのもの言いもあるかも知れないのだが、こういう警戒心は安易に解かない方が良いのではないか。冒頭に言った胡散臭さを感じてしまうのだ。
このように自己主張の強い人々の多い国際社会において、日本政府の領土問題や拉致問題への対応を見ていると、内向きの日本人の“島国根性”という 子供の頃しきりに聞かされた言葉を思い出してしまう。だが、そのように内向き指向になるのではなくて、むしろ日本や日本人は、国際社会においてこそこのISO26000規格を楯に有効にフル活用するべきであるのかも知れない、と思考が飛躍してしまうのだった。
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