かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

06リセットハンマー その5

2010-08-08 12:00:00 | 麗夢小説『夢の匣』
「動くな死夢羅!」
 榊は、一人勝手に戦いを始めようとするルシフェルを制止した。既に両手で愛用の拳銃を突き出し、その背中に狙いを定めている。この怪物にそんなモノが通用しそうにないことは榊自身も重々承知していることではあるが、これまでの自分のスタイルとして、そうそう簡単に止められるものでもない。要は気迫だ、とばかりに、榊は腹の底から声を上げた。
「たとえ事情がどうあれ、その子達に手を出すことは私が許さない!」
「許さない、だと?」
 ルシフェルの足が止まった。ルシフェルは、振り回していた大鎌を肩に担ぐと、左肩越しに榊を睨みつけた。白骨化した眼窩から漏れ出す妖しい魔眼の光が、洞窟内の気温を急降下させたかのように榊の背筋を冷たく撫でる。だが、それも一瞬の出来事に過ぎなかった。榊の背筋が震え上がる前に、輪環の打ち合う涼やかな音色がその冷気を打ち払ったからである。
「榊殿、助太刀いたす」
 愛用の錫杖を構え、円光が一歩前に出た。
「やれやれ、出来る限りのことはしてみましょうか」
 鬼童も、一見スキーゴーグルな装置を頭にセットし、点滅するLEDや液晶表示を見やりつつ、持参してきた巨大拡声器のような装置を手に榊に並んだ。
「貴様ら、あの餓鬼共に散々な目に遭わされておきながら、このわしの邪魔をしようというのか?」
 ルシフェルの発する不穏な気が急激に膨れ上がるのを、円光は肌で、鬼童は装置の測定値で知った。榊も、髭がピリピリと震えるような、一種異様な雰囲気に緊張を高めた。
「それとこれとは話が別だ。貴様を野放しにするわけにはいかない!」
「では死ね!」
 はっと気づいた瞬間、榊の目の前にルシフェルの大鎌が迫っていた。あまりの速度になすすべなく固まった榊は、ほんの鼻先で、突然鎌が異音を発し、天井高く跳ね上がるのを唖然として見送った。鋭い切っ先に刈り取られた髭がフワっと宙を舞い、かすった額から、つ、と鮮血がにじんで小さな流れを頬に刻む。こわばった目が鎌を追うと、鎖で連結された鎌がまっすぐルシフェルの手元に戻るのが見えた。
「ふふふ、よくしのいだな。貴様も腕を上げていると見える」
「死神、これ以上の狼藉はこの円光が許さん!」
 榊は、今の一瞬に、死夢羅が突然振り返って鎌の先端を飛ばして斬りかかり、危うく首を持って行かれるところだったこと、そしてその切っ先を円光が錫杖で跳ね上げて助けてくれたことを、ようやくにして理解した。榊自身、警視庁では相当腕を鳴らした武道の達人ではあるが、このまさに尋常ならざる超人達の身のこなしは、目で追うのがやっとである。
「あ、ありがとう、円光さん」
「なんのこれしき」
 額に脂汗を浮かべつつ榊がなんとか円光に軽く会釈すると、円光はじっとルシフェルを睨み据えたまま言葉を返した。
「ここは拙僧が引き受け申す。榊殿は鬼童殿とあの子たちを」
「わ、判った」
 榊の返事に、円光はぐいと錫杖を握り直すと、突如脱兎の如くルシフェルめがけて走り寄った。
「死神、参る!」
「危ないっ円光さん!」
 死神の懐めがけ円光が飛び込んだ瞬間。
 ケタ違いのエネルギーを探知した鬼童のセンサーが、ゴーグルの表示を真っ赤に染めた。鬼童の叫びにぎょっとした榊は、漆黒の衣装で固める死神の姿が、瞬間的に3倍ほどに膨らんだのを見た。
「な、なんだ?」
 榊が驚き眼を見張るうちにも、ルシフェルの身体が急激に膨らみ、漆黒の球体へと変化していく。脅威的な反射神経で急ブレーキをかけた円光は、トンボ返りに後退し、改めて錫杖を構え直した。
「ものすごいエネルギーの瘴気ですね。さすが死神だ」
 鬼童がほとほと感心したように、今や直径3m程に達した闇の球体に目を凝らした。
「感心している場合じゃないぞ鬼童君! 奴は、何をするつもりなんだ?」
 拳銃を構えつつも、思わぬ展開に戸惑う榊に、鬼童は言った。
「さて、単に防御のためとも思えませんが、あ? これはひょっとして……」
 肉眼ではさっぱり判らないが、特殊なセンサーが捉えたデータをゴーグルに表示している鬼童には、より詳しい状況が見えているようだ。榊は焦りを募らせながら、鬼童に尋ねた。
「ひょっとして? 何だ?」
「それはですね……」
 ルシフェルを包み込んだ球体は、鬼童の答えを待つこと無く、今度は急激に縮小して、野球ボールほどの大きさになったかと思うと、撃ち出された砲弾のように3人の少女達の頭上を走り去った。
「しまった、行っちゃったよう」
「親衛隊も不甲斐ない。あっさり取り逃すとは」
 眞脇紫と斑鳩星夜が困惑と怒りを顕にすると、真ん中に立つ纏向琴音が、ややうつむき加減になって、珍しく声を震わせた。
「……また皐月に怒られる……」
「はあぁぁあぁ……」
 琴音の言葉に、原日本人巫女の後継者3人はがっくり肩を落としてため息をついた。
 その様子に、円光はようやく構えを解いて言った。
「きゃつめ、最初からこれを狙っていたのだな」
「やはり、脱出のタイミングを図っていたんですね」
 鬼童は円光の元に駆け寄ると、互いに考えが一致したことに頷きあった。当面の危機は去ったと言って差し支えない。だがその安堵も一歩遅れて合流した榊の問いに、あっさりと吹き飛んだ。
「で、奴はどこに行ったんだ?」
 驚きに顔を見合わせた円光と鬼童は、すぐにその危険な状況を理解した。 
「多分あの娘の所に相違ない」
「そうだ! 麗夢さんも一緒だ!」
 こうしてはいられない、と出口に足を向けた円光と鬼童は、物静かな少女が一人、両手を広げて通せんぼしているのを見て、足を止めた。
「教頭先生は取り逃がしてしまったが、親衛隊の諸君はその場で待機していてもらおうか」
「君達まで逃がしたら、今度こそ皐月に殺されちゃうよ」
「…………」
「馬鹿な! そこをどきなさい! 君達の仲間が危ないんだぞ?」
 しかし、思わず怒声を上げた榊に、紫と星夜はニッコリと笑みを返して言った。
「皐月なら大丈夫だ。心配ない」
「それより自分達の心配をしたら? 逃げる気なら、ね」
 鬼童のゴーグルが、小さな警告音を鳴らして、チカチカと新たな表示を映しだした。円光も、3人から立ち上る不穏な気を感じたらしい。錫杖を握り直して、榊に言った。
「どうやら冗談ではなさそうですぞ、榊殿」
 鬼童も、ゴーグルに手をやって細かくセンサーの調整を付けると、その表示にひゅうと口笛を一つ吹いて2人に言った。
「油断大敵、ですね。外見に惑わされたら駄目みたいですよ」
「なんだって?」
 榊はまじまじと目の前の3人の小学生を見つめた。どう見ても可愛らしいとしか形容のしようのない子供たちだ。だが榊は、この子達が死神と相対していた時も、まるで恐れもしていなかった事を思い出した。
「さぁどうする? 無駄な抵抗って奴をみせてくれるのかな?」
「できたらそのままおとなしくしていて欲しいけど、やる気なら暇だし付き合ってあげてもいいよ」
 星夜と紫の挑発に、榊もなるほど、と納得せざるを得なかった。
「仕方ありませんな。円光さん、鬼童君」
「うむ」
「ええ。早く麗夢さんのところに行きませんとね」
 榊は拳銃をホルスターにしまうと、指を鳴らしながら足を踏み出した。円光、鬼童も、榊を挟むようにそれぞれの獲物を手に前に出た。
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06リセットハンマー その4

2010-08-01 22:10:59 | 麗夢小説『夢の匣』
ふっと目が開いた、と同時に、榊は口の中に混じるジャリジャリとした土の味に、思わず顔をしかめた。上体を起こし、まだ薄ぼんやりとする頭に右手を当てる。
 無理な姿勢をとっていたのか、体中の節々がこわばって痛い。特に腰が張っているように感じられるのは、やはり年だからだろうか?
 榊は、奇妙な夢の記憶の残滓に心を惑わせながら、ゆっくりと辺りを見回した。
 灯りらしい灯りが感じられない薄闇の中、巨大な鍾乳洞のような壁が見える。ここまで解剖中逃げ出したカエルを追って……、いやあれは夢だ。そうではなくて……。
 榊の視界に、同じく上体を起こした墨染衣の、心配げな表情が映った。
「榊警部殿、大事ないか?」
「円光、さん?」
 見慣れた頼りがいのある顔に、榊の記憶が蘇った。そうだ、この若者について、南麻布女学園地下の大洞窟にやってきたのだった……。榊は、ようやく夢の残滓を振り落とし、円光に答えた。
「ああ。大丈夫だ円光さん」
「警部。僕たちは、まんまと罠にはまったようですね」
 円光の反対側で、瀟洒なスーツをシワだらけにした端正なマスクが起き上がっていた。榊は小さく安堵の溜息をついて、そのしかめ面に声をかけた。
「鬼童君も、どうやら無事だったようだな」
「さて、無事と言っていいか少々疑問もありますがね」
「やっと目が覚めたか。榊」
 鬼童の言葉にかぶさるように、榊の背後から禍々しい声が届いた。ぎょっとして振り返った榊は、その漆黒の闇を練り上げたような長身の背中に、思わずうめき声を上げた。
「死夢羅……貴様一体……」
 無意識に右手が左懐に伸び、愛用の拳銃の銃把を握る。
「おのれ死神!」
 円光も錫杖を手に立ち上がる。だが、背中越しに振り返って、ふん、と嘲笑ったルシフェルは、大して興味もないとばかりに榊に言った。
「やはり貴様らの夢だったか。全く、つくづく馬鹿馬鹿しいものに巻き込まれたものよ」 
「我々の夢だと?」
「正しくは、私たち3人の心をベースに、夢が編まれたんですよ」
「3人?」
「そう。拙僧、鬼童殿、そして警部殿の3人だ」
 3人? 何のことだ? 円光、鬼童に助け起こされながら、榊の頭は疑問で一杯になった。
「一体どういう事だ?」
 榊の質問に、ルシフェルは顎をしゃくって榊に言った。
「気になるなら、あやつらに聞いてみるんだな」
「あやつら?」
 榊はルシフェルのマント越しに、3人の少女が並んでいるのを見た。2人は緑を基調とした半袖セーラー服に身を包み、向かって左の1人だけ、その上から大き過ぎる白衣をまとっている。こちらが起きるのを待っていたかのように、その右端の、セーラー服を着た少女がニコニコしながら言った。
「あーあ、やっぱり起きちゃった」
「しょうが無いな。もう一度やり直しか」
 一人置いて、白衣の少女が腕組みして言った。
 起きる? やり直し? 相変わらず榊の頭には疑問符ばかりが並んでいる。そもそもこの子供達は何だ? 死神を前にしているというのに全く動じている様子もなく、かえって自信あり気に小さな胸をはっているこの子供達は?
「君達は何者だ?」
 すると少女らは、あからさまに眉をしかめた。
「あれぇ? 覚えてないの?」
「あまり夢を記憶しないタイプと見えるな」
 ただ一人、中央の少女だけが、黙ってじっとこちらを見つめている。その視線に榊は思わず気圧されそうになった。何だこの子達は? 改めて問いかけようとした榊の肩が、ポン、と叩かれた。振り返ってみると鬼童と円光が横に並んでいる。
「ここは僕達にまかせてください。警部」
「何か知っているのかね?」
「ええ。多分」
 榊はなおも疑問を覚えたが、こうも判らないことだらけでは致し方ない。榊が半歩下がると、この場を二人に任せた。鬼童は3人に油断なく目配りながら、一人ひとり指さすように呼びかけた。
「君たちは眞脇紫君、纏向琴音さん、斑鳩星夜さん、原日本人4人の巫女の後継者、だったね」
「そして拙僧等は、原日本人親衛隊、と申した」
 その隣で円光も言った。
「さすがに二人は記憶もしっかりしているようだな」
 白衣の少女、斑鳩星夜が、軽く腕を組んでつぶやいた。
「うむ。夢は全て覚えている。なのに、ほとんど時間は経っていないようだ」
「そうだね。胡蝶の夢という奴かな? それとも、やっぱり僕達は竜宮城に誘われたのかも?」
「竜宮城だと?」
 榊は思わず口を挟むと、斑鳩星夜が答えた。
「うむ。まさに竜宮城と言ってもよいだろうな」
「だって、楽しかったでしょ?」
 眞脇紫が相変わらずにこやかに同意を求める。榊は、朧気ながら夢の記憶の残滓が心の奥底にたゆたっているのを意識した。それは、確かに胸騒ぐ楽しさに満ちているようだ。
「確かに、楽しくなかった、というと嘘になりますね」
「拙僧も、それは否定しない」
 鬼童、円光も、想い人を担任に小学生を送った夢を思い起こし、榊の胸の内に同意を示した。しかし、この男だけは別である。
「ふん、楽しかっただと?」
 ルシフェルは呆れ果てたといわぬばかりに、一人毒づいた。
「あのように虚仮にされて楽しいわけがなかろうこの馬鹿者めが。だが、まあいい。おい貴様ら、あの小賢しいもう一人はどうした?」
「もう一人って、皐月のこと?」
「綾小路先生のところだよ教頭先生。もう一度夢をやり直すためにね」
「そうか……」
 星夜の半ば挑発めいた呼びかけを無視して、ルシフェルは少し考え込んだ。このまま待てば、あの箱を持って勝手にやって来ることだろう。だが、万一また麗夢が取り込まれでもしたら、少々厄介でもある。ここはやはり、迎えに行くべきであろう……。
「では、ここにいてもしょうがないな」
 ルシフェルは、もう要件は済んだ、と一人3人の少女にむけて歩き出した。すると、ずっと黙っていた3人組の真ん中の少女、纏向琴音が、すい、と音もなく一歩前に出ると、その両手を大きく左右に広げて、ルシフェルの前に立ちはだかった。ルシフェルも一旦足を止めて訝しげにその姿を凝視した。
「何の真似だ?」
 黙りこくってじっと見つめるばかりの琴音に替り、紫と星夜が口々に答えた。
「皐月から、足止めしとくように言われてるんだ」
「そのまま動かないでいてもらおうか」
 するとルシフェルは、ふん、と鼻で哂って見せた。
「貴様らごときがこのわしを足止めだと?」
「僕たちを甘く見ないでもらいたいな、教頭先生」
「紫の言うとおりだ。我々にかなわないのは既にご存知のはずだろう」
 紫と星夜も、琴音の横に並び立った。対するルシフェルは、楽しげにその様子をあざ笑った。
「ふふふ、身の程知らずな餓鬼共めが。もうあの様なまやかしは通用せんぞ」
「通用しないかどうか、やってみようよ?」
「そしてすぐに思い知るがいいね。私たちにはかなわないことを」
「そうか。あくまで逆らうつもりか」
 ルシフェルは、マントから右手をにゅうと横に突き出すと、軽く手首をひねった。その途端、突然宙から一本の長い棒が現れ、ルシフェルの右手に収まった。
「言うことを聞かぬ餓鬼には、やはりお仕置きが必要と見えるな」
 ルシフェルの言葉を合図にしたかのように、棒の上端から横に、すらり、と白銀に輝く刃が伸びた。すべての命を刈り取る死神の鎌。ルシフェルは、右手一本でバトンのごとく軽々と大鎌を振り回しながら、再び歩き始めた。
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06リセットハンマー その3

2010-07-25 10:47:19 | 麗夢小説『夢の匣』
「痛ぁいぃ……」
 麗夢は、円光の錫杖に一撃された後頭部を両手で押さえ、ごろん、とうつ伏せの状態から仰向けに転がった。あまりに痛くて片目しか開けられないが、すぐ隣のやや埃がたまった床に、『凶器』の錫杖が所在無げに転がっているのが見えた。あの斑鳩日登美のパワードプロテクターを打ち破った業物である。痛いだけで済んでいるなら僥倖と言うべきだった。
 麗夢はようやく両目を開き、右手は後頭部のコブに当てたまま、上体を起こして室内を見回した。涙でにじんだ視界に、見覚えのある狭い部屋が映る。耳を澄ませると、学園のそこここで奏でられる明るい歓声が、初夏の微風に乗って窓越しにささやいてくるのが感じ取れ、麗夢は、強い既視感を覚えた。
 まださっきまでの夢の残滓が色濃く脳裏に漂うようで、現実感がいまいち不足しているようだ。
 自分が小学校教師になっていて、あの死神が教頭先生で、榊警部や円光、鬼童が小学生になっていて、と、ゆっくり夢の記憶を想起し、現実の自分と切り離していく。その上で、あの、あっぱれ4人組の妹を名乗る4人の小学生の事を改めて意識した。4人がここから逃げ出し、濃密な夢の気配の中を追いかけて、あるはずのない南麻布学園初等部まで行ったのはもう何日も前のことだ。だが、麗夢は腕時計を見て軽く目を瞠った。ほとんど時間が経っていない。他に時間や日付を確認する方法は無いが、外から漏れ聞こえる女生徒達のクラブ活動の様子などからしても、うたた寝から目覚めてから、間違いなく時間はほとんど経過していないと考えてよいだろう。これはまさに『胡蝶の夢』。あるいは、これこそあの『玉手箱』の力なのかもしれない。すると、次に白い煙を浴びたら、一気に時間が進んだりするのだろうか?
 麗夢は軽く頭を振った。頭の中がクリアに澄んでくるのが意識される。
 後頭部だけはまだズキズキするが、かえってこの痛みが残っている方が、意識がはっきりしていいかもしれない。
 もう大丈夫だ。
 麗夢はようやく円光の錫杖を拾い上げ、立ち上がろうとした、その時。
「動かないで」
 麗夢は、ゆっくりと背後の出入口を振り返った。
「貴女は、夢じゃないのね」
 静かに問いかける麗夢に、荒神谷皐月はいつになく真剣な面持ちで言った。
「もう少しだったのに。もう少しで必要な力が蓄えられたのに」
「全てをリセットする力?」
 皐月は、無言で唇をかみしめ、麗夢を睨みつけた。その無言の答えを、麗夢は正確に受け取った。なるほど、もう少しだったわけだ。私が私でなくなり、ルシフェルが、榊警部が、円光さん鬼童さんが、それぞれの本来の姿を失ってしまうまで。その上で『何を』リセットしようとしていたのか。それは恐らく……。
 麗夢は言った。
「弥生さんが、好きだったのね」
 皐月の目が大きく見開かれた。
「でも、それは無理なことだわ。できないのよ」
「そんなこと無い!」
 皐月の叫びが、狭い室内を一瞬で満たした。
「できるのよ! 私にはできる。原日本人4人の巫女の正統後継者である私なら、ここまで起こった全部を無かった事にして、原日本人だとか征服民族なんてこともみんな無かった事にして、みんなみんな無かった事にして、呪いもしがらみもない平和で楽しい毎日を創り出すことができる!」
 皐月の想い、願い、望みが、膨大な感情に乗った心の叫びが、麗夢の全身に突き刺さった。ようやく麗夢には理解できた。そうか、そこまで考えていたのか。
 だが、麗夢は冷酷に言った。
「絶対無理。私とルシフェルの力を吸い尽くして、榊警部や円光さんや鬼童さんの力まで利用して貴女のその『玉手箱』の力をフルに発揮したとしても、できない」
「できる!」
「いいえ無理だわ」
 麗夢は冷静に皐月の様子を看て取った。なんてことだ。あれから現実世界でほとんど時間がたっていないのに、この娘は……、これじゃ、まるで本当に『浦島太郎』じゃない……。
 麗夢は言った。
「自分の事なんだから、もう分かっているでしょう? 貴女はもうもたないわ。多分、もし成功したとしても、貴女は私やルシフェルと共に、消えてしまうんじゃないの?」
「それでも構わない! 原日本人の呪いだなんてくだらないものがこの世から消えて無くなるなら、本望だわ!」
「どうしても、あきらめないのね?」
「麗夢ちゃんこそ、諦めて私の言うことを聞いて。あと少しなのよ」
 皐月の言葉を聞きながら、麗夢はゆっくりと立ち上がった。いつの間にか皐月は、あの彩り鮮やかな小箱を両手に持ってこちらを睨みつけている。どうにかしてあの箱を彼女から取り上げないと、彼女こそ力を箱に吸い尽くされてしまう。錫杖を両手に抱えて完全に皐月と正対した麗夢は、ふと、気づいて皐月に言った。
「他の3人の子はどうしたの?」
「ルシフェルと親衛隊トリオを抑えに言ったわ。私が麗夢ちゃんを片付けて駆けつけるまで足止めする役目よ」
 皐月の言葉に、麗夢は思わず叫んだ。
「そんな無茶な! ルシフェルの恐ろしさを見くびりすぎてるんじゃないの?!」
 すると皐月は、ふふふ、と初めて不敵な笑みで頬をほころばせた。
「心配いらないわ。あの3人だってただの小学生じゃないの。5分や10分足止めするくらい、って、ダメ!動かないでって!」
 だが、麗夢はその制止を全く無視して、突然皐月に体当たりをかけた。咄嗟に皐月が小箱を固く胸に抱きしめて左に身をかわす。
「あっ!」
 皐月は、麗夢が『玉櫛笥』を狙いに出たものとばかり思い込んでいた。ひたすら麗夢を睨みつけていたのは、麗夢が飛び掛ってくるタイミングを図っていたからでもある。だが、麗夢の狙いは当面皐月にはなかった。
 麗夢は脱兎の勢いで出入口から廊下に飛び出すと、原日本人の地下祭壇へと通じる奥の階段めがけ、突っ走った。急がないと!
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06リセットハンマー その2

2010-07-18 22:15:13 | 麗夢小説『夢の匣』
その痩せた後姿を追いながら、サカキ少年は何故自分が「死神」の言うことを聞いてついて行ってるのか、という疑問をふくらませていた。
 担任の綾小路先生に言われるのならまだ判る。サカキ少年が思うに、見ているこっちが危なっかしくてしょうがない位、綾小路先生は1年経っても新米臭さが抜けない。だから、しょうがないな、とばかりに思わず助けてあげたくなる。
 今日のカエル事件でも、サカキ少年は真っ先に我に帰り、先生の失敗は自分達が助けてあげなければ、と思う一心で、迷わずカエルが飛び出した窓から外に出ようとした。それなのに、こんな遠くまでカエルの逃亡を許したのは、
「サカキ君! 窓から出ちゃ駄目! それにちゃんと靴を履き替えなさい!」
 と、緊急事態にもかかわらず、健気に普段のルールを口走る担任の先生の言葉がサカキの耳に飛び込んできたからだ。いや、それでも普段ならそんな制止は簡単に降りきって飛び出したかもしれない。本質的に天邪鬼で唯我独尊なところがあるサカキ少年としては、そのほうが自然な行動と言えた。それが思いとどまったのは、思いとどまらせた当の本人が、タイトなミニスカートも顧みず、サカキ同様思わず窓から身を乗り出そうとしながら、はっと顔色を変えてこちらをにらんでいたからだった。その姿を目の当たりにして、さしものサカキも、全くしょうがない先生だな、と思わず苦笑してしまったのである。そして苦笑したまま、「みんなそのまま待機してて! 先生捕まえてくるから!」と改めて実験室の出入口から飛び出して行った担任を追って、ここまで付いてきたのだった。
 それなのに、どうして今はこの教頭の背中を追うことになっているのか。
 綾小路先生、一人で本当に大丈夫なのだろうか? とサカキは不安も覚えた。
 幾ら部屋の中に追い込んだからといって、何匹かのカエルをあの頼りない先生が一人で全部捕まえられるのだろうか? 俺が行って助けてあげないといけないんじゃないか? サカキは何度も考え、そのたびに思わず引き返したくなった。
「綾小路先生なら心配いらん! それよりちゃんと付いて来い!」
 ところが、まるでサカキの胸の内を読んでいるかのように、タイミングよく目の前の「死神」が声をかけてきた。これでは問題児サカキシンイチロウでもなかなか離脱はしにくい。結局、後ろにつくキドウ、エンコウと一緒に、教頭先生の後を懸命に追うよりしょうがないのである。
「こっちだ!」
 薄暗い部室棟の一番奥まで走ってきた教頭が、一声鋭く左に舵を切った。上下に階段があるその角を曲がり、一段と暗い下り階段に向かって、教頭が走り降りていく。その暗さに、思わずサカキの足が止まった。
「付いて行くの? サカキ」
 不安げな声で呼びかけてきたのは、ここまで黙って付いてきたキドウだった。
「綾小路先生に聞いたほうがいいんじゃない?」
 隣のエンコウも、いかにもやめたほうがいいんじゃないか? とばかりに、難しい顔をしてサカキに言った。
「でも、カエルはどうする?」
 サカキは言葉を返しつつも、内心、その意見にはうなずいていた。先生が連絡も取れないほど遠くにいるならともかく、すぐそこの部屋にいることは分かっているのだ。
「先生だって、一人であのカエルをちゃんと捕まえられているかどうか……」
 キドウの言葉は、まさにさっきまでサカキが考えていたことでもあった。
「判った、一度先生に聞いてみよう」
 サカキは今度こそ踵を返そうとした。
「なにをしておる! 早くこんか!」
 突然、教頭の叱責が階段を木霊し、サカキ達の心を鷲掴みにした。再び3人で目を見合わせる。
「急がんか! バカ者共が!」
 だが、もう一度更に強い叱声が飛んだ時、自然に3人の足は、下り階段の方に向かっていた。漠然と強まりだした不安も、「死神」の怒りへの恐怖には勝てない。
「こっちだ!」
 ほぼ一階分降りたところで、教頭が薄暗くカビ臭い廊下の奥から声をかけてきた。サカキ、キドウ、エンコウは、こわごわながらもその声を追って廊下を走った。
「そうだ、そのまま走って付いて来い!」
 冷たいセメント張りの廊下は電灯が付いているわけではない。また、どこからか地上の光が差し込んでいる、というわけでもない。しかし、不思議と真っ暗の闇にはならず、ぼんやり薄暗いままの状態が続く。さすがに気味が悪くなってくるサカキ達だったが、と言って今更戻るわけにも行かず、ただ必死に先を行く教頭先生を追いかけた。
 やがて、サカキは足元がコンクリートでは無くなったことに気がついた。薄暗いのではっきりしないが、靴裏の感触は、まるで土の校庭を走っているかのようなザラツキ感を足に伝えている。ふと気づくと、3人並んで走るのが苦になるほどに狭苦しいはずの廊下が、いつの間にか広がって、ちょっと手を伸ばしたくらいでは壁が触れなくなっていた。そんな中、先を走る「死神」の姿だけがぼんやりと浮かんで、早く来いとこちらを急かしている。その背をひたすら追うサカキ達は、いつしか熱に浮かされるように、ただ無心に足を動かしていた。なんだか足元が心もとない。まるでふわふわと柔らかな雲の上を走っているような感覚に、3人の意識がぼおぅと呑まれていく。
「いーい塩梅だ。そのまま、そのまま急げ。もうすぐだぞ!」
 遠く先を走るはずの教頭の姿が、時にすぐ側まで寄り、時に後ろから追うかように見え隠れし、前後左右遠近も構わず語りかけてくるように感じられる。それがどれだけ続いたか、時間すら分からなくなってきた頃、ようやく「死神」の足が止まった。
「ようし、着いたぞ。さあ、起きるがいい!」
 ぼんやりとした頭で、サカキは足元にバンザイの姿勢でうつ伏せで倒れている大柄な男を見下ろした。クタクタのレインコートをまとい、顔中覆うような髭が、半分以上土にまみれている。
 エンコウもまた、自分の足元に伏している男の姿を見た。頭はつるつるで一本の毛もなく、墨染の和装に身を包んでいるが、半分だけ見えるその顔は案外に精悍で若々しい。
 キドウも同じく、一人の男の傍らに立っていた。瀟洒なスーツが土にまみれ、腕時計にしてはやけに大柄な機械がその左腕でチカチカとLEDを点滅させている。
 3人は同時に思った。
 これは、誰だろう?
「待って! その人に触ったら駄目っ!」
「離れろ! みんな!」
 その時、サカキ達がやってきた薄暗い闇の向こうから、少女然とした児童が3人走ってきた。サカキ達もよく知るクラスメイト、纏向琴音、斑鳩星夜、眞脇紫の、少女二人と少年一人である。肩で息を切らすその3人を迎えて、サカキ達同様、漆黒のマントを纏う、やたら「死神」によく似た男の傍らに立つ教頭先生が、凄みのある笑みを浮かべて言った。
「遅かったな。だがもう茶番は終わりだ。貴様らの悪夢、覚まさせてもらうぞ」
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06リセットハンマー その1

2010-07-11 15:49:49 | 麗夢小説『夢の匣』
「教頭センセー! お願いです捕まえて下さーい!」
 進行方向に、見慣れた痩身白髪の『上官』の姿を見て思わず叫んでしまったけれど、次の瞬間には、そう言えばカエルの解剖は苦手って言ってたっけ、と思い出した。でもこの非常事態に、苦手だから、なんて言っていられない。何としても、一秒でも早く捕まえて麻酔をかけ直してあげないと、追いかけながらあんなシュールな状況を見続けている私の方が、先にどうかなってしまいそうだった。
 それにしても、カエルってあんなに飛びまわるの速かったっけ? 
 指導要領、という名の「虎の巻」には、途中で麻酔が切れて暴れることもある、という注意事項が書いてあった。それを予習してあったおかげか、あの瞬間、きゃあきゃあ悲鳴をあげる女生徒ほどには取り乱さずにはすんだ。でも、お腹を解剖ハサミで切り開かれて内蔵を引きずるというあの状況で、あんなに元気よく跳ね回り、挙句に、麻酔薬のエーテルがこもらないように開けてあった窓から飛び出して、そのまま逃げてしまうなんて予想もしていなかった。私もすぐに窓を越えて追いかければ早かったんだろうけれど、生徒たちの手前あんまりはしたない格好をするのもはばかられるし、日頃厳しく注意しているのに、上履きのまま外に出るのもためらわれて、結局理科室を出て玄関口まで回り道している間に大きく遅れ、こうして高等部の敷地まで追いかけることになってしまったのだ。
 でも、教頭先生が何とか止めてくれたら、この修羅場もようやく収まる。その後、100%「死神」のお説教に生命を刈り取られることになるのだろうけれど、このスプラッターな追いかけっこを終了できるなら、それも甘受していいかも。私がそこまで考えて覚悟だって決めたのに、やっぱり無理だったみたい。誰かと談笑していた教頭先生がこちらを振り向いた途端、顔色を真っ青に変えて途端に震えだしたから。
 「あ、あ、ああ綾小路先生!」って呼びかけてくる声なんて、完全に裏返って異様に高い。あれ? 教頭先生と談笑していたのはクラス委員長の荒神谷皐月さん? 随分ぎょっとした様子でこちらを睨みつけているけれど、体調崩して休んでいたのではなかったっけ?
「あの中に逃げたぞ!」
 すぐ後ろを走っていた榊君の叫びに、私もすぐ我に返った。今は荒神谷さんのことよりも、カエルの事が第一だ。カエル達は怯えて悲鳴をあげる教頭先生を挟みこむように通り過ぎ、ちょうど開け放たれていた、その後ろの建物の扉をくぐり抜けた。私は荒神谷さんを置いて、榊君と、その後ろに付き従う鬼童君、円光君を引き連れて、建物に突っ込んだ。ついでに顔色だけは死神そっくりになっている教頭先生も、引っ張り込むようにして一緒になだれ込んだ。明るい戸外からいきなり薄暗い建物の中に飛び込んだせいで一瞬だけ目がくらむ。そういえば、ここってどこだろう?
「部室棟ですよ」
「へ?」
「高等部の部室棟です。さあ綾小路先生! カエル達はあっちに飛んでいってますよ!」
 何故私が考えていることが判ったのか、驚く私は教頭先生に間抜けな返事にもならない返事をしつつも、その骨ばった指が差す廊下の奥へと視線を投げた。
 いた! 
 仲良く編隊を組んで一塊になったカエル達が、奥へ、奥へと進んでいる。目が慣れてくるに従って、廊下の両側にずらりと並ぶ古ぼけたドアやそのドアの脇にかかるクラブ名を記した表札が見える。なるほど、確かに部室棟という建物らしい。そんな数々の部室の前を走り抜けながら、私達もカエルの後を追った。
 と、突然カエルの編隊が数匹づつ2手に別れた。その一隊が急に進路を右に転じて、開いていたドアの奥へと吸い込まれるように消えて行く。残りはそのまま、奥の暗闇に向けまっすぐ進んでいる。
「綾小路先生はあの部屋のカエルを何とかなさい! 3人は私について来なさい!」
「は、はい!」
 いつの間に立ち直ったのだろうか? 教頭先生が俄然スピードを上げて先頭に立つと、張りのある元気な声で後ろの私達4人に声をかけた。それもやたらと明るい不気味な調子だ。いつもなら、「えーっ!」と不満一杯に顔をしかめて逃げ出しにかかる榊君達も、その声と雰囲気に圧倒されたか、文句一つ言わずに教頭先生の後を追う。私も、命じられるままにそのドアに向けて急カーブを切った。今度こそ御用だ!
 部屋に飛び込んだ私は、まず一番奥の窓が開いていて、初夏の爽やかな風が流れ込んで来る様子に怖気を振るった。まさかまた窓から飛び出したかも?! と疑ったわけだが、すぐにそれはないことに気がついた。がらん、とした虚ろな広さが目立つ何も無い部屋に、窓辺に寄せられた椅子が一脚。そして、その前に身を投げ出してうつ伏せで倒れている、女の子が、一人。豊かな緑の黒髪が床に広がり身体を覆い隠しているが、髪越しに見えるその制服は、間違いなく南麻布学園高等部の女子の制服に違いなかった。
 そしてカエル達は、その女の子の周りで動かなくなっていた。
 私は、カエルを避けてまず女の子の側にしゃがんだ。カエルは多分もう駄目だろう。あんな状態でこれだけの距離を飛び跳ねてきたのだ。その事自体信じられないほどの脅威な出来事だけど、それもここに来てついに力尽きたのだろう。それよりも、倒れている女生徒をそのままには出来ない。たとえ教える学年は違っても、同じ南麻布の生徒だ。
 私はそっとその子の肩に手を伸ばすと、仰向けに抱き起こしつつ言葉をかけた。
「貴女、大丈夫? ねえ……?」
 うつ伏せで隠れていた顔がこちらを向いた。なめらかな肌にはどこもケガとかはしてなさそうだけれど、と思ったところで、あれ? と私はその顔を凝視した。誰この娘? なんだかよく知っている気がするけれど……。
 その瞬間、私は頭を思い切り殴られたような衝撃に、思わず目をつむった。これは、これは、この娘は……!
 それは、女の子のすぐ近く、部屋の隅に立てかけてあったとおぼしき一本の棒が倒れてきて、私の頭にためらいなくぶつかってきた衝撃だった。
 シャラン、と輪環の打ち合う涼やかな音が聞こえたその時。
 私は、目が覚めた。
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05.転機その3

2010-07-04 16:55:26 | 麗夢小説『夢の匣』
「あ! 教頭先生に荒神谷さーん! お願い! そのカエル捕まえてぇっ!」
 担任、綾小路麗夢の叫びに、皐月は、初めてその前をぴょんぴょん跳ねる何匹もの緑色の姿に気がついた。
 だが、何かおかしい。
 飛びまわる小さなカエルが、ヒトの走るスピードと同じくらい早く、まっすぐこちらに向かってくる事自体が異例な事なのであるが、それ以上におかしなことが、このカエル達にはある。なんだかカエルが紐みたいな何かを引っ張って飛んでいるような……。あれは、何?
 次の瞬間、その「何か」が皐月にも唐突に理解された。と同時に、唐突にこみ上げてきた嘔吐感に、皐月はうめいた。そうだ、この死神が言っていたではないか。理科室で解剖実験だ、と。
「ははは、なかなかの趣向だろう? 臓物をさらけながら行進してくるのがカエル、というのが、わしとしてはかなり物足りないのだがな」
「何をしたの?」
 喉元をせりあがってくる酸っぱい衝動を我慢して、皐月はなんとか問いかけをこぼした。対するルシフェルは、心底愉快げに眉をそびやかせて答えた。
「ふふん、途中で麻酔が切れて動物が暴れだすなどは、解剖実験ではよくあることだ。それをわしの力で少々大げさに演出してやったまでよ」
 その説明で、皐月には大体の状況が理解できた。
 一旦は麻酔薬をかがされておとなしく解剖台に載ったカエルが、お腹を切り開いて内臓の様子が観察できるようになった途端に麻酔が切れて暴れだし、腸やなにかをさらけながら実験室中を飛び回る様を。
 その途端にパニックになり、悲鳴を上げて逃げ惑うクラスメイトの様子。
 そんな実験室の阿鼻叫喚ぶりが、嫌に鮮明に皐月の目に浮かんだ。
 紫は、多分他の女の子たちと一緒に悲鳴を上げて、ひょっとしたら失神位しているかもしれない。
 星夜なら冷静に動いただろうか。いや、案外咄嗟には何も出来ず、カエルたちが窓から飛び出る様を見送っていたかもしれない。
 でも、と皐月は思い直した。
 琴音がいる。
 琴音なら、いつもどおり静かにきっちりと仕事してくれているはず。
 でも、そうだとしたらどうして? どうして皆がこっちに向かってくるの?
「教頭センセー! お願いです捕まえて下さーい!」
 見ると、麗夢は大きなガラス瓶を抱えていた。多分再度麻酔をかけようと、慌てて容器を持ち出してきてしまったのだろう。そのすぐ後ろに、榊、鬼童、円光の3人がいる。それから大分遅れて、顔を真っ青にした琴音を抱えるように星夜と紫が走って来る……って、あれ? 琴音が? あの子、カエル苦手だったの? そんな設定、したっけ?
「早く止めないと、あ奴らも気づくかも知れんなぁ?」
 のんびりと話すルシフェルを、皐月は初めて睨みつけた。お腹が切り裂かれてから麻酔が覚めるなんて演出、悪趣味にもほどがある。
 でも、状況は確かにまずい。
 このままあの場所まで彼らになだれ込まれたら、これまでの苦労が水の泡になりかねない!
「さて、せっかくの趣向だ。わしも最後の演技位は、全うしてやろうか」
 焦りの色も濃い皐月を前に、ルシフェルはニンマリと口元をひねりあげたかと思うと、途端に顔を真っ青に変じさせてへっぴり腰に姿を変えた。
 傲岸不遜な夢魔の総帥から解剖が苦手な教頭先生への見事な変身。ともすると自分の構築した悪夢がまだ破綻なく続いているのではないか、と皐月に錯覚させかねないほどの、それは見事な変化であった。そんな表情のまま、ルシフェル、いや、教頭先生は声をひっくり返して指導対象である新米教師に呼びかけた。
「あ、あ、ああ綾小路先生! い、いいいいい一体これはどういう事ですかっ!」
 初めて発せられる上司の裏声に、麗夢も慌てて言い訳を返す。
「すみません! 麻酔が足りなかったみたいで、カエルがみんな逃げ出したんですぅ!」
「は、はは早く! 何とかなさい! ひぃっ!」
 10匹近い腸を引きずるカエルの群れが、教頭先生を挟みこむように通過して、高等部部室棟に飛び込んだ。
「あの中に逃げたぞ!」
 榊の叫びに、麗夢と男子小学生の一団も部室棟になだれ込んだ。勢いで教頭に化けたルシフェルも一緒に扉をくぐる。振り向きざまに、ルシフェルがニヤリと満面の笑みを見せつけていったのが、皐月の逆鱗を思い切りひっぱたいた。5人の姿が部室棟に消えるのを見送った皐月は、ようやく追いついてきた仲間の3人に語気鋭く言い放った。
「揃いも揃って何やってるのよ! バカぁっ!」
「す、済まない。まさか琴音が悲鳴上げて気絶するなんて思わなかったから」
「でも可愛かったよ? キャーッなんて黄色い声上げて」
「……ごめんなさい」
 斑鳩星夜が口ごもりながら謝り、眞脇紫が脳天気に笑顔を見せる。きっと睨みつけられた琴音は、無表情な中に微妙な気落ちした様子を漂わせて、一言小さく謝った。だが、今はそんな場合ではないことは、皐月自身が最もよく理解している。急がないと!
「とにかく追うの! 急いで!」
 言うやいなや、荒神谷皐月は高等部部室棟へと飛び込んだ。
「お、おう!」
「待って! 皐月!」
「…………」
 3人3様の答えを返し、星夜、紫、琴音がリーダーの後を追う。目指すはかつての姉達の根城。古代史研究部部室である。
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05.転機その2

2010-06-27 18:33:39 | 麗夢小説『夢の匣』
 理科実験室で麻酔をかけられたカエルたちが仰向けに固定されている頃、一人実験室を抜け出してきた教頭は、職員室を素通りし、そのまま大きく開放された出入口から校舎の外に出た。そのまま中庭の花壇を通り過ぎ、初等部の正門を抜けて、道一つ挟んだ向かいにある、高等部の敷地へと足を踏み入れた。
 迷いなくまっすぐ前を見て堂々歩く様子には、さっき気弱げに実験室を後にした「解剖の苦手な」老教師の姿はない。むしろ、無表情のうちにも口元に自信あり気な笑みをかすかに浮かべて目標を見定めている姿には、「死神」の通り名にふさわしい威圧感さえ覚えさせるものがあった。
 グラウンドを横切る初等部教頭の姿に、体育の授業で校庭に出ていた高等部生徒達が何事かと遠巻きに眺め、近くにいた何人かが慌てて会釈して逃げるように去っていったが、教頭はそんな生徒たちの様子など全く意に介さない様子で通り抜け、ついに、目的地、「南麻布学園高等部部室棟」へとたどり着いた。
 まだ授業真っ最中の今、校舎から少し離れて立つ部室棟に、人の気配は絶えてない。教頭は更に周囲を伺うと、部室棟へ入ろうとして、ふと足を止めた。その入り口正面に、高等部の校庭には似合わない、小柄なツインテールの女の子が立ちはだかっていたからである。
「荒神谷君ではないですか。身体の具合はもういいのですか?」
 その少女は、担任から、体調を崩して休んでいると聞いていた、荒神谷皐月であった。両手を後ろで組んで部室棟出入口の真ん前に立った皐月は、軽く頭を下げると教頭に言った。
「ええ、ちょっと疲れが出ただけで、もう大丈夫です」
「それはよかった」
 教頭は、怪訝な顔を穏やかな微笑に変えて、自身副担任を担当するクラスの委員長に話しかけた。
「それなら早く理科実験室に行きなさい。解剖実験を始めたところだから、今からでも充分授業に間にあいますよ」
 しかし、荒神谷皐月は微動だにせず、すまし顔で教頭に言った。
「そんなことより、教頭先生はどちらに行かれるんですか?」
「なに、高等部の先生に少し用事があるんですよ」
 すると皐月は、じっと下から伺うように教頭の目を見つめながら言った。
「違うでしょう教頭先生。先生の目的は、部室棟奥の古代史研究部じゃありません?」
「何を言ってるんです君は。いいから早く行きなさい。ここは、初等部の生徒がいていい場所じゃないですよ」
 少し困ったふうに呼びかける教頭に、皐月はゆっくりと手を前に回して、おへその前辺りで組み直した。その小さな両手の中に、鮮やかな刺繍が施された小さな箱が収まっている。その箱が目に入った途端、教頭の目がすぅっと細くなった。その変化にニヤリと笑みを浮かべた皐月は、教頭の注意を無視して改めて尋ねた。
「教頭先生、今、先生は本当に教頭先生ですか?」
「いいかげんにしなさい荒神谷君。君はさっきからどうも様子がおかしいですよ。何をワケの分からないことを言っているんです?」
「様子がおかしいのは教頭先生ではないですか? もう一度お尋ねします。先生は今、本当に教頭先生ですか? それとも……」
「それとも?」
「……死神ですか?」
 言い終える間もなく、荒神谷皐月の身体が横っ飛びに左へ飛んだ。その残像を、プロのボクサーもかくやと言わぬばかりの教頭の右手がつかみ損ねた。半ばのんびりとした老人の姿をかなぐり捨て、残忍さを漂わせる嘲笑で唇をひねりあげながら、教頭は言った。
「フフフ、よく気づいたな、小娘」
「やっぱりその姿で覚醒していたのね。でもどうやって? あの時ボッコボコにして今度こそ完全に取り込んだはずなのに」
 姿だけは教師然としたルシフェルは、不快げに目に怒りを閃かせると、すぐに嘲笑を取り戻し、皐月に言った。
「おかげで一つ気づくことが出来た。このくだらない悪夢を終わらせるヒントにな」
「じゃあ、今度こそ貴方を取り込ませてもらわないと」
 皐月は慎重にルシフェルを見据えると、その進路に立ちはだかった。皐月の抱える箱が急激に霊力を上げ、白い煙がその口からこぼれ出す。だが、今度はルシフェルは慌てなかった。
「わしが何の手も打たずに、ここまでのこのこ出てきたと思っているのか?」
「どういうこと?」
「フフフ、ほら、聞こえぬか小娘」
「?……!」
 ルシフェルの言葉に、わずかに注意を耳に集中した皐月は、グラウンドを隔てた初等部の方から少しずつ近づいてくる、悲鳴とも怒号ともつかぬ声に目を瞠った。
「待てー! お願いだから待ってー!」
 その目に入ってきたのは、タイトスカートの裾が乱れるのも構わず駈けてくる、担任の全力疾走だった。
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05.転機その1

2010-06-19 22:53:00 | 麗夢小説『夢の匣』
「ふぁあああぁあぁ……、い、いけないっ!」
 慌てて口元に手をやり、焦った視線を隣に泳がせる。その目に飛び込んだのは、今にもこらえきれぬとばかりに大きく口を開けてあくびをする、恐怖の権化の姿だった。
「あぁあ……、っと、失礼、昨夜はどうも寝苦しくてね」
 軽い涙目で私を見やった教頭先生は、再び口を開きそうになると、珍しく慌てたように遠近両用メガネを外し、目頭をもんだ。私はほっと一息つくと、教頭先生に同調した。
「わ、私も、なんだかひどい夢を見たようで、あまり寝た気がしなくて……」
「ほう、それは奇遇ですね。実は私も何ともひどい夢を見たのですよ。ただ、ひどかった、ということしか覚えてなくて、内容は全く記憶に無いのですがね」
 同じだ。
 私は、目の前で日頃の謹厳実直さがいくらか割引かれたように少し気が抜けた教頭先生の言葉に、軽く目を瞠った。危うく私もと言いかけて、慌てて口をつぐむ。危ない危ない。ここで気を許したら、放課後の恐怖のカウンセリングが待っているに違いない。私は今度こそ緊張の汗を手に握ると、目の前の授業に集中した。
 今は理科室での授業で、テーマはカエルの解剖。私の子供の頃には普通にやられてた授業だけれど、イマドキの小学校ではもうほとんど教えるところはないらしい。でも、この南麻布学園は別で、動物の体の仕組みや生命の尊厳を理解するため、今でも欠かさず六年生の授業に取り入れられているのだ。もっとも、私の時は子供たち自ら近所の小川や田んぼから採ってきたカエルを使っていたが、さすがにこの都会でカエルを捕まえられるところなどないから、教材メーカーさんから仕入れた実験用のカエルを使っている。まあ昔は、先生がダメって言ってるのに大きなウシガエルを自慢げに持ってくる男の子グループがいたりして先生を困らせていたから、今は同じ種類、同じ大きさのカエルで実験できるだけありがたいかもしれない。今自分が教師になって初めて判ったと思う。昔の先生は偉かったんだなって。
 そうこうするうちにも、子供たちがワイワイガヤガヤと班に分かれ、今日のやることや手順などが書かれた黒板の前の実験台から、解剖用のバットやはさみをセットで持っていく。やがて、実験台の上からカエルが入ったガラス水槽と幾つかの蓋付きのガラスビーカーだけが残されたところで、教頭先生がげんなりした顔で私に言った。
「さて、本当に申し訳ないが、私はどうもこの解剖と言うのが苦手でね。綾小路先生、後は頼みましたよ」
「判りました。万事お任せ下さい!」
 私は少しの不安も残さないよう、痩せぎすの背中を丸める教頭先生の常ならぬ弱々しい姿を、最敬礼で見送った。嬉々として自らメスを振るいそうな、と思い込んでいただけに、授業の準備の下打ち合わせの時、初めて解剖が苦手だ、と聞いた時は、思わず声に出して、「うそでしょう?」と驚いてしまい、「そんなに意外ですか?」とあの目で冷たく睨みつけられたものだ。それでも直前まで疑っていたのだけれど、この様子だと本当に苦手なんだな、と判る。あの死神の弱点が見つかったと思うと、なんとなく嬉しい。それに何といってもお目付け役がいないと言うのは、私の精神衛生上とても都合がいい。寝不足は私も同じだけれど、そこは若さでカバーするのだ!
「先生、準備出来ました」
 副委員長さんの報告で、私は生徒たちに向き直った。そう、今日は何故かクラス委員長の荒神谷さんも体調が良くないと朝から休んでいる。いつも元気一杯の彼女にしては実に珍しいことだ。一応一番仲の良い纏向さん、斑鳩さん、眞脇君にそれとなく様子を聞いてみたが、ちょっと疲れが出たみたい、と私とさして変わらない程度の情報しか得られなかった。まあ女の子だし、具合の悪くなる時もあるだろう。荒神谷さんのことは、また後で確認するとして、ともかく今は目の前の授業に集中しないと。
「じゃあ次はカエルを配るから、グループからひとりずつ前に来て!」
8つの実験台に分かれていた子供たちから、選ばれた一人が出てきた。ほとんどは男の子だけれど、2人ほど女の子が混じっているのは、ジャンケンに負けたのかはたまた好奇心が旺盛なのか。精一杯胸を張って自信満々を演出している子や見るからに恐る恐ると言う感じの子とそれぞれ個性的な生徒たちの姿を微笑ましく見ながら、さり気なく理科室全体に目を配る。窓……OK。ちゃんと全開になっている。換気扇は……ちゃんと廻っている。火の気は……大丈夫。どこにもない。理科室の後ろの水槽には、いつも通り金魚のアルファ、ベータが静かにプカプカと浮かんでいるばかりで、変わったことも危ないことも何一つない。室温で気化して、麻酔効果が高く、しかも引火性もあるという危険物のジエチルエーテルの刺激的な匂いがかすかに鼻に届いている今、子供たちを昏睡や爆発の危険から遠ざけるためには、安全確認はしつこいほどしておくに越したことはないのだ。
「じゃあ一つづつ持っていってね。あ、蓋はまだ開けちゃダメよ!」
 私はカエルを一匹ずつ大きなピンセットでつまんでは、用意しておいたビーカーに入れ、手早くエーテルを少量注ぎこんで蓋をしては子供たちに渡す作業を繰り返した。シンナーのような独特の匂いが強くなり、目の前の子供たちがあからさまに顔をしかめる中、少数派の女子の一人、斑鳩星夜さんだけが、少し目を輝かせて順番を待っているようだ。
「この匂い……、何か懐かしいモノが有るな……」
 キミは幾つだ? と突っ込んでみたい衝動にかられるが、相手は生物なら既に博士号クラスの実力を持つスーパー小学生、斑鳩星夜さんだ。南麻布学園は日本の学校だから、教育基本法や学校教育法で認められていない以上、義務教育期間中の飛び級は出来ない。ただ、ある特定の科目について特別に優秀な成績を示す生徒には、その教科だけ上位クラスの授業を受けられるよう便宜を図る制度は、他の私立学校同様に存在する。斑鳩さんはその制度を最大限利用して生物学だけ高等教育を済ませた天才児だ。本来なら私などよりも余程理科の授業で教鞭をとれるだけの知識と経験を積んでいるはずなのに、こういう彼女にしたら幼稚なレベルに思える実験でも、特に嫌がったり偉ぶったりすることもなく、結構嬉々として授業を受けている。本質的にこういう事が好きでたまらないのだろう。学習の進度が異なる子たちが集まる教室で、もっとも先頭を走っている子がこういう態度で授業を受けてくれるのは、先生として本当にありがたい。
 最後に斑鳩さんが、エーテルでぐったりとなったカエル入りのビーカーを持って跳ねるように一番後ろのグループに戻った。いよいよ始まりだ。
「じゃあみんな、ピンセットでカエルを取り出して、仰向けにして解剖台に置いて!」
 きゃあ、とか、わぁ、とかにわかに理科室が騒がしくなり、私も自然声を大きくして、各実験台を見て回りながら、子供達に指示を出す。
「ピンで手足を止めたら一旦席について。全員準備ができたら始めるわよ!」
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04.悪夢の中の悪夢 その4

2010-06-05 16:05:06 | 麗夢小説『夢の匣』
「貴様ら、よくもこのわしにここまでやってくれたものだ」
 ルシフェルがつぶやくうちにも、腹に響く衝撃音を幾つも鳴り響かせながら岩が落ちてくる。そのうちの一つが、死神の頭上をまともに襲った。あっと息を呑む麗夢の目の前で、その身に倍する巨岩が、突如横っ飛びに吹っ飛んだ。ルシフェルが、うるさいとばかりに右手で払いのけたのである。
「あららさすがは教頭先生。こんなものじゃ効かないんだね」
「当然だ! わしを誰だと思っている!」
 ルシフェルが吠えた瞬間、更に次々と落下してきた岩の群れが、暴風にさらされた木の葉のように一瞬で消し飛んだ。
「もう容赦はせん。貴様ら、地獄の悪夢で骨も余さずすりつぶしてくれるわ!」
 ルシフェルは一声叫ぶと、その細身の身体から、玉手箱の白い煙をも凌駕する膨大な漆黒の瘴気を吐き出した。
「ワルプルギスの夜に集いし黄泉の国の住人達よ。地獄の覇王メフィストフェレスの名において命ずる!」
 ルシフェルの叫びに呼応して、広がる瘴気が渦を巻き、にわかに吹き出した突風に、触手のごとく伸びうごめいて稲光が閃いた。耳をつんざく雷鳴が轟き、夢を圧する重低音が大地を揺るがせる。ルシフェルは、裂け、破れた裾やボロボロになったマントを翻らせながら、両手を大きく天に広げ、更に膨大な呪を込めた言霊を、おのが瘴気へと放った。
「我が鎧、ダークアーマーをここへ!」
 叫びに呼応した瘴気が一瞬急激に膨れ上がったかと思うと、唐突に圧縮されて分厚い黒雲に凝り固まった。無数の稲光が黒雲の表面を走り、周囲に雷となって撃ち放たれる。突然、その雲の中から次々とグレーの金属塊が飛び出してきた。
「フハハハハ、4人の魔女共め、ちゃんと修復は終えたようだな」
 ルシフェルの哄笑に導かれるように、塊の群れが金色の雷光を無数にまとって空中に浮かび、不快な金属音とともに次々と繋がっていく。
「またあんなものを……」
 麗夢は半ば呆れながら、合体を終えた奇怪な巨大ロボット見上げた。ジュリアンの夢の中でルシフェルが呼び出し、あわやというところまで麗夢を追いつめた悪魔の逸品。錬鉄からそのまま削り出したかのように鈍色の光を放つその姿は、まさに鉄の城と呼ぶにふさわしい威容である。
「へぇ、面白いもの持ってるのね」
 対する荒神谷皐月は、待ちくたびれた様子でふぁぁ、と軽くあくびしながら言った。
「出してから合体するなど、無駄が多いぞ教頭先生」
「それでもちゃんと出来上がるまで待っているんだから、僕たちって優しいよね」
「…………」
 斑鳩星夜が呆れ返った様子で腕を組み、眞脇紫がニコニコと笑う。纏向琴音だけが、変わらずじっとその巨体を見つめていた。対するルシフェルはフフン、と鼻で哂うと、アーマーの開いた胸にひらりと飛び移った。
「覚悟するがいい。闘うもの全てを滅びへと導くこの力の前に、助かる術など残ってはおらんのだ」
 ルシフェルが乗り込み、胸の扉が再び閉まる。途端にロボットの両腕が大きく上がり、長大な3本の爪が、手のひらのように大きく広がり、また閉じた。
『さて、祈りは済んだか? 待ちはしないがな!』
 ルシフェルはロボットの胎内から嬉しそうに嘲笑うと、その右腕を大きく振り上げさせた。
「待ったのはこっちよ。それじゃ、私たちもね」
 目の前で凄まじいパワーを秘めた破壊の鉄追が振り上げられているにもかかわらず、皐月は至ってのんびりした様子で、やっと出番が来た、とばかりに、3人の仲間に振り返った。3人がそれぞれ頷き返し、皐月を丸く囲んで両手を互いにつなぎ合わす。中央に玉手箱を抱えて立った皐月は、箱を頭上に大きく掲げ、一声、出番よ!と声を上げた。
『死ね!』
「カモン!」
 ルシフェルの最後通牒と、皐月の軽やかな掛け声が同時に麗夢の耳に届いた。直後にダークアーマーの右腕が猛烈な勢いで皐月達に振り下ろされ、巨大な濡れタオルで思い切り殴られるような衝撃が、麗夢の全身に襲いかかった。濛々と粉塵が舞い飛び、麗夢もルシフェルも、一時的に視界を失った。が、手応えは十分だ。ルシフェルは、鎧の中で一人ほくそ笑んだ。玉櫛笥を粉砕してしまったのは惜しかったが、学校の教師役などと言う無様な茶番を演じさせられた恨みを晴らすには、調度良い犠牲だと思えたのだ。
 だが、その喜びも束の間に過ぎなかった。
 薄れゆく粉塵の中からダークアーマーの右腕を掴み上げる、おどろおどろしいその巨大な腕が伸びてくるまでは。
『なに?』
「ジャジャーン! 真打ち登場、ってね!」
 大地ごとまとめて粉砕されたはずの荒神谷皐月他3名の小学生が、傷ひとつないそのままの姿でニコニコと手を振った。その華奢な体を一人の異形の巨人がかばっている。ルシフェルの搭乗するダークアーマーに匹敵するそれは、凄まじい膂力を発揮して、つかんだアーマーの右手をひねりあげた。
「ゥオオオオォオゥウウウゥ」
 奇怪な唸り声を上げて立ち上がったのは、荒神谷弥生達原日本人の巫女達が、麗夢の力を使って復活させた、あの闇の皇帝そのものに違いなかった。
「……うそ……」
 麗夢は、ただ言葉を失って呆然とその姿を凝視した。あれほど苦戦し、鬼童が用意した新兵器思念波砲を使い、円光とともに力を振り絞って、4人の巫女ごとやっとの思いで次元の狭間に封じ込めたはずのあの闇の皇帝が、今再び麗夢の目の前に姿を現したのだ。
「これも夢の中だから、っていうお約束だよ。ついでにこんなのもどう?」
 皐月が玉手箱を頭上に掲げ直した。またも真っ白な煙が吹き出したかと思うと、ダークアーマー、闇の皇帝に匹敵する巨人がまた一人、夢の中に忽然と姿を現したのである。
「なんてことを…… もぅなんでもありなの?」
 もはや呆れるより無い、という様子で、麗夢はがっくりと肩を落とした。ルシフェルのダークアーマーを闇の皇帝と挟み討ちにするその巨人は、間違いなく暴走する平智盛の怨霊であった。
「麗夢ちゃんのことはちゃーんと色々調べてあるんだ。この際何だって出してあげるよ。そうね、ROMちゃんなんてどう? カワイーと思うんだけどな」
「いやいい、いいからやめて」
 麗夢は急に頭痛を覚えて皐月に懇願した。この上あの天真爛漫な破壊天使まで呼び出されては、さしもの自分もこの夢からしっぽを巻いて逃げ出したくなるかもしれない。アルファ、ベータも今は渋い顔で、急変する成り行きについていくのが精一杯という様子である。
 一方、絶対的な力の差で一瞬でケリをつけるつもりだったルシフェルは、この思わぬ伏兵に挟撃され、今や完全な劣勢に立たされてしまった事を自覚した。何せ、自分のダークアーマーと体格もパワーも遜色ない相手が同時に2体、前後から挟み撃ちなのである。幾ら最強を自負するダークアーマーと言えども、あまりに分が悪い戦いではないか。ついに闇の皇帝に両腕の自由を奪われ、智盛の振るう草薙の剣にさんざん後ろから斬りつけられて、冷静さを失ったルシフェルはカンカンになって麗夢に叫んだ。
「ええい! 麗夢! 貴様一体何をしておる! 早く助けぬかぁっ!」
 だが、麗夢は動けなかった。もちろん自分の十数倍する化け物たちの殴り合いに割って入る気など到底起こりそうにも無かったが、それ以上に、荒神谷皐月の繰り出すワケの分からない圧倒的な力に、すっかり心が呑まれてしまったのである。
 そうこうするうちにも、2対1でパワー負けしたルシフェルのダークアーマーが押しつぶされるように地面に転がされ、闇の皇帝と平智盛に蹴られ、殴られ、斬りつけられ、と一方的に凌轢されるところまで形勢が傾いた。ダークアーマーのあちこちに深刻な亀裂が入り、鎧を形作る迷いし者供の腐った血が辺り憚りなく飛び散り、腕がひしゃげ、足がもげ、と、もう状況は時間の問題でしかなかった。
「さあ、次は麗夢ちゃんの番だね、と思ったけど、ざーんねん。時間切れー」
 タコ殴りに粉砕されたダークアーマーから半死半生でルシフェルが這い出てきた時、荒神谷皐月が嬉しそうに宣言した。途端に夢の世界がぼやけ、少しずつ薄く消えていく。目覚めの時が訪れたのだ。
「でも、これで判ったでしょ? 無駄な抵抗はやめて、今度こそしっかり私たちの先生をしてね(はぁと)」
 皐月が改めて玉手箱の蓋をずらす。麗夢もアルファベータもルシフェルも、溢れ出る煙に巻かれながら、抗いようのない敗北を意識せざるを得なかった。
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04.悪夢の中の悪夢 その3

2010-05-29 12:00:00 | 麗夢小説『夢の匣』
「それがそうはいかないのよねぇ」
「こっちの都合ってモノがあるんでね」
 皐月と星夜の言葉に、ルシフェルが眉をそびやかした。皐月のペースで弛緩していた空気が、軽く帯電したかのように麗夢の肌を刺す。
「勝手なことをされたら困るんです」
「……」
 そんな空気もお構いなしに、紫と琴音がうんうん頷くと、皐月が満面の笑みで言い放った。
「だから、やり直しを宣言します」
「……やり直し?」
「どういう事だ」
「こー言うことです!」
 皐月がまっすぐ右手を頭上にかざした。すると、瞬きする間もなく空中からあの「箱」が現れ、その手のひらに収まった。ルシフェルと麗夢、当代最強と呼んで差し支えない二人が何の抵抗もできずに、南麻布学園初等部の先生を強制されたあの箱である。あっと驚く麗夢が飛びつく間もなく、胸に抱えるように箱を両手にした皐月が、その蓋をずらした。たちまちドライアイスを何百トンも一度に昇華させたような真っ白い濃密な濛気が箱から噴出し、膨大な力が夢世界に溢れ出した。
『もう一回、今度こそちゃんと先生やってねっ』
 視界を埋め尽くす白い煙の向こうから、荒神谷皐月の声が響いてくる。まるで銭湯や洞窟で放った大声のように妙にくぐもった声が反響し、煙に吸い込まれるように消えていく。
 やがて、白い煙が跡形もなく宙に溶け、夢世界をパンクさせかねないほどの力も、場を支配する独特の重みだけを残して解けた。
 これでよし。
 安堵して蓋を元に戻した皐月は、再び晴れ渡った夢世界に、驚きをもって首を傾げることになった。
「あれ? なんで?」
 目の前に、死夢羅=ルシフェルと麗夢、それに、アルファベータの小柄な姿が見える。死夢羅は漆黒のマントに大鎌を持ち、麗夢は肌もあらわな夢の戦士の姿で大剣を構えている。
 けして、地味なスーツに黒いアームカバーと言う、皐月がイメージした教師定番コスチュームではない。
 皐月の戸惑いに、紫、星夜も不審と動揺の色を隠せずキョロキョロと二人と二匹を見回した。
 一人琴音だけが、じっと変化しない状況を見据えてつぶやいた。
「……夢の中だから……」
 その言葉を聞いて、ルシフェルは久しぶりに心を昂らせながら、唇をひねりあげて嘲笑した。
「ふぁっはっはっ! わしを誰だと思っている! 現実世界では油断したが、もう二度目はないぞ!」
 麗夢もまた、ほっと一息ついて、4人組を睨み据えた。
「どうやら夢の中では私たちの方が力が上みたいね」
「さあ、その箱、渡してもらおうか!」
 鎌を振り上げたルシフェルが、いきなり皐月に飛びかかった。驚愕から覚めやらぬ皐月は、ただ呆然と立ち尽くすばかりである。
「待って……!」
 慌ててルシフェルを制止しようとした麗夢は、ルシフェルの鎌がかすりもせずに空を切ったのを見て驚いた。目を見開いて固まったままの皐月達が突然消え、10mは下がったところに、ほぼ同時に同じ姿で再び現れたのだ。
「間一髪だったね」
 ふう、と額を拭う紫に、皐月が抱きついた。
「ありがとう紫!」
「ちょっ! 待って顔が近いぃっ!」
 今にもキスの嵐を降らせようとする皐月を振りほどこうと紫がもがく。やれやれ、と星夜が腕を組んで苦笑いし、琴音が静かに、凛とした声で叱りつけた。
「……まだ早い!……」
 あ、そうだった、と紫を離した皐月は、10m先で、怒りに任せ凶悪なオーラを惜しげも無く噴出させる死神の姿に、ニコリと笑った。
「残念でした! 玉手箱はあげないよ!」
「あなた達も超能力が使えるの?」
 ようやくルシフェルに追いついた麗夢は、驚きのまま皐月に言った。あの能力、まさに眞脇由香里が見せたテレポーテーションそのものではないか! 対する皐月、紫、星夜は、ニコニコしたまま首を傾げた。
「さあどうかしら?」
「ここは夢の中だからねぇ」
「何でもありなんじゃない」
 ねー、と3人揃えて声を合わす。
「だからこんな事もできるわけだ。無粋だけどね」
 向き直った星夜が、大きすぎる白衣を勢い良く脱ぎ捨てた。途端に、ガチャリ、と重々しい金属音を奏でながら、麗夢には記憶も生々しい、オプション満載のブルマ姿が現れた。
「そっちが強すぎて玉手箱が効かないのなら、叩いてのして弱くすればいいわけだ」
 星夜が、かつて姉の日登美が装着していたのと全く同じパワードスーツに身を固め、危険極まる砲口を、ルシフェルと麗夢に突きつけた。
「多分死なないだろうけど、死んでもすぐ生き返らせてあげるからねっ!」
 物騒な宣言を引き金に、ミサイルの乱射が始まった。猛烈な爆炎が幾つも花開き、耳をつんざく爆裂音と衝撃波が、麗夢とルシフェルを包み込む。
「馬鹿め! 効かぬわっ!」
 爆炎を切り裂いて、ルシフェルが一瞬で間合いを詰めた。振りかぶられた大鎌の刃が、斑鳩星夜のがら空きになった左の胴めがけて疾走する。だが、一刀両断を確信した死神渾身の一撃を、星夜は脅威的なパワーで受け止めた。
「そっちのも、効かないね」
 死神の鎌が直撃したはずの装甲には、カスリ傷一つ見当たらない。それでも、ルシフェルが叩きつけた力は尋常ではない。装甲は破れずとも、その勢いだけで身体が吹っ飛び、背骨をへし折らずにはいられなかったはずだ。だが、星夜はただにやりと笑みを浮かべ、ルシフェルの懐にミサイルランチャーを突きつけた。
「でも、そっちはこの距離だとどうかな?」
 ルシフェルの目に、初めて動揺が閃いた。とっさに引こうと身を翻しかけたが、星夜の反応はそんなに鈍くは無かった。
「遅いよ、教頭先生!」
 たちまち密着した星夜とルシフェルを、0距離で炸裂した先に倍する爆炎が呑み込んだ。自らも巻き込むことも厭わない星夜の戦法に、さしものアルファ、ベータも息を飲む。それでも、今度ばかりはルシフェルも辛くも逃げ切った。とっさに麗夢が跳びかかり、ルシフェルを危険域からはじき出したのである。
「痛たたた、大丈夫? ルシフェル」
 死地からは逃れたとは言え、凄まじい爆発は打撃を受けるには充分すぎる。麗夢は軽く先が焼け焦げた自慢の前髪に舌打ちしつつ、だき抱える形になったルシフェルに声をかけた。
「離せ! 誰が助けろと言った!」
 ルシフェルは声を荒らげて麗夢を振り払った。ルシフェルもまた、ひしゃげた鎌を持つ腕を無残にもむき出しにして、焼け焦げた瀟洒なスーツのあちこちから、白い煙をくすぶらせている。
 麗夢は頬をふくらませてルシフェルに言った。
「何よその態度! 全く、油断しすぎなのよ貴方は!」
「綾小路先生もねっ!」
「え?」
 突然暗い影が、麗夢とルシフェルにかかった。何? と頭上を振り仰いだ麗夢の視界が、突如出現し、急速に落下してくる巨大な岩の群で埋め尽くされる。
 サイコキネシス!
 同じように襲われた時の記憶が、フラッシュバックになって麗夢の脳裏に電光を発した。これは、荒神谷弥生の得意技ではないか!
 夢の中だから出来るのか、はたまた彼女らも姉達と同じ力を持っているのか、
そんな詮索をしている暇もない。麗夢は必死に飛びすさり、落ちてくる岩を全力で避けた。アルファ、ベータも巨獣化して、麗夢の回避を援護する。一方ルシフェルは、まるで岩など目に入らない様子で、今はスクラップになった自慢の鎌を投げ捨てると、無造作に立ち上がった。
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04.悪夢の中の悪夢 その2

2010-05-22 09:39:13 | 麗夢小説『夢の匣』
二人は焦っていた。
 荒神谷皐月の生み出した結界に、自分の力がまるで通用しない事実に。
 そして、松尾亨のフロッピーディスク、という石を投じてできた波紋の小ささに、少なからず焦っていた。
 二人の計算では、あれで「南麻布学園」の結界に少なからぬゆらぎを与え、その結界にほころびを生じさせることが出来たハズなのだ。そのほころびに自分達の持つ夢の力を作用させてやれば、ほころびは更に拡大し、やがて、結界の崩壊まで導くことができる算段だった。しかし、現実にはこうやって、教師としての日々の生活の中のごく一部分、この、夜見ている夢の世界に意識を顕現させるのが精一杯なのである。この程度のほころびでは、自分達の力で結界を突破することは出来そうにない。よりひずみを拡大させ、世界を不安定にする事はできるかもしれないが、きっとその時点で全てのエネルギーを消耗し、力尽きてしまうことだろう。
 そうなれば全ては終わりである。
 完全にこの偽りの世界に意識が同調し、真の姿である夢の世界の方が消滅することになるだろう。世界には、夢魔の総帥もドリームガーディアンもいなくなり、平和で安寧な日々が訪れる……。何の疑いも無く、死夢羅の『指導』に辟易しながら、子供達と過ごす毎日。それでもいいかも? と思う自分が少しだけ存在することを、麗夢は自覚していた。ひょっとして、死夢羅もまた、諦観とともに、悪くない、と思う自分が心の隅に生じつつあるのかもしれない。そして、その敗北主義に誰よりも苛立ち、焦りを覚えているのもまた、本人達なのだ。アルファ、ベータには、こうして互いに痛いところをつかれた形になった二人を、止めようが無かった。もはや行くところまで行って暴れる以外に、頭を冷やす方法はなかったのだろう。
「覚悟せい!麗夢!」
「行くわよ! ルシフェル!」
今まさに、命を刈り取る死神の大鎌と悪を断罪する夢の戦士の大剣が火花を散らそうとした、その時。
「こーんなところで密会してたんだぁ」
「……いやらしい……」
「え? え? なんで喧嘩してるの?」
「全然周り見えてないね」
 今にも触れあわんとしていた冷たい刃と熱い切っ先が、目に見えない壁に斬りつけたかのように空中に静止した。強靭な膂力でそれぞれの獲物を振るっていた二人の目が、これ以上ないほどに見開かれ、突然の闖入者達の姿を凝視する。
 なぜ?
 どうやって?
 どこから?
 疑問符ばかりが頭上を飛び交い、目の前の事象に投げかけられる。それは、ここに二人を呼び寄せるのに尽力した二匹もまた同じであった。
 だが、それぞれ四対7つの肉眼と一つの魔眼が捉えた事実に、脳の情報処理が追っついてこない。撃ち合う寸前まで体重を載せ、また静止せんと飛び込もうとした姿勢のままで、2組の世界が瞬間凍結されたようにただ呆然と固まっていた。
「どうしたの?」
 一歩前に立つ少女、荒神谷皐月が、常と変わらぬ朗らかな顔で頭を振る。
「そんなに意外だったか? 我々が現れたのが」
 皐月から一歩控えて左斜め後ろに立つ斑鳩星夜が、小学生の身体には大きすぎる白衣の裾をひらひらとさせながら腕を組んだ。
「僕たちを甘くみてたんですね」
 右の端で、いかにも少女然と、ヒラヒラにドレスアップされた眞脇紫がニッコリ笑う。
「…………」
 皐月の傍らでじっと見つめる纏向琴音の視線が、無機質な中にそこはかとない軽侮と嫌悪で薄く彩られた。
「う~~っ」
「シャーッ!」
 ようやく驚愕から覚めたアルファ、ベータが、小さな身体の向きを変え、全身の毛を逆立てて、威嚇の唸り声を上げた。一瞬遅れて、ルシフェルがうめいた。
「き、貴様ら……。一体どうやってここへ?」
 麗夢も、わななきつつもルシフェルに続く。
「……夢の中に入ってくるなんて……」
 対する皐月は、相変わらずの軽い調子で、未だ驚愕覚めやらぬ二人に告げた。
「いやいやいや、おかしぃでしょその疑問は。私たちだって、原日本人の血を継ぐ四人の巫女なんだよ?」
「で、でも、夢守の民と原日本人は別だったはず……」
「それはどうかな? きっちりゲノム解析したわけじゃないが、多分それなりに混血しているんじゃないかと思うのだが」
 麗夢の疑問に斑鳩星夜が答え、うんうん、と紫が何度も頷く。
「まあ、とにかく、夢の中くらい私達にだって行き来できるんだって! 方法や理屈はともかく、事実がそうなんだからそれでいいじゃない。ね?」
 皐月は、三人の仲間に振り返って朗らかにそう宣言した。纏向琴音が一瞬だけ何か言いたそうに瞳の色を薄くひらめかせたが、すぐにほとんど誰にも感知されないレベルで、小さくフゥ、と溜息をついた。それを待っていたかのように、こちらは少しほっとした調子で紫が言った。
「そうそう。そんなことより、僕たちに隠れてこそこそやってる方が問題だって」
「そうだな。さすがは現今最強の夢守の民、と言いたいところだが、秘密の逢引など、あまり褒められたことではない」
 ねー、と声を合して顔を見交わした紫と星夜に、麗夢の額へ青筋が走った。
「あ、あなた達にとやかく言われる筋合いはないわ!」
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04.悪夢の中の悪夢 その1

2010-05-16 16:54:43 | 麗夢小説『夢の匣』
 パソコン授業の後の昼休み。
 教頭先生は随分張り切って私を伴い、いかにも古臭い感じのするパソコンを倉庫から引っ張り出してきて、準備万端整えたのだけれど、結局、荒神谷さん達4人は職員室にやって来なかった。おかげで、「どうしたんでしょうね?」と首を傾げ、暇を持て余した教頭先生から、「生徒指導はしっかり目を離さないようにしてください」とこっぴどい『指導』を受けてしまった。何とかその矛先をかわそうと、フロッピーの中身は? と問いかけてみると、何かプロテクトが掛けてあって読むに読めないらしかった。そこでやめておけばよかったのに、「キドウ君に頼んでみようかしら?」となにげにつぶやいてしまったのがまた教頭先生のお気に召さなかったようで、「生徒に頼みごとをするなど、教師として恥ずかしくないのですか!」と烈火のごとく散々に絞られる羽目になった。
 そんなストレスを抱え込んだまま帰宅してしまったからだろうか。とんだとばっちりにクタクタになってベットに倒れ込んだ私は、また、あの『夢』を見ることになった……。
…………。
………………………………。
………………………………………………………………。
………………………………………………………………………………………………………………………………。
「…………起きろ。起きぬかこら! 麗夢!」
「ニャニャニャニャニャーン!」
「ワン! ワンワンッ!」
 一方は危険と不快という文字をそのまま練り上げたような冷気を覚えさせる声。一方は、信頼と友愛に溢れる陽だまりの温もり。不調法な男の声と可愛らしい猫と犬の鳴き声という不協和音の極端な温度差が、ようやく『夢の眠り』から、麗夢の意識を引き上げた。潤いを帯びたまつげが微妙に揺れ、震えるまぶたがゆっくりと開く。半分開いたまぶたの中で、見る者をすべからく魅了してやまない大きな瞳が、コントラスト激しい声の方に振り向いた。可憐な唇がポツリとこぼす。
「…………、あ、教頭先生……、おはようございます……」
「馬鹿者! いつまで寝ぼけておる! シャンとせんか!シャンと!」
 ギラリ! と危険な光を放つ死神の鎌が眼に入り、麗夢はようやく深い迷妄から覚めた。
「ル、ルシフェル! 荒神谷さんは! 学校はどうなったの?!」
「ニャーン!」
「ワンワン!」
 うつ伏せに寝ていた麗夢が、威勢よく両腕で身体を起こした。途端にアルファ、ベータの二匹の声にも明るさと元気が蘇る。死夢羅=ルシフェルは、その声の持つ正のエネルギーに眉をしかめつつも、今は耐えるより無い、とばかりに麗夢に言った。
「何も変わっておらぬ。未だ、あの忌々しい「悪夢」に囚われたままだ」
「そう……。でも、楔を打ち込む事には成功したはずだわ」
 麗夢は勢い込んで、膝の上に飛び乗ってきたアルファ、ベータに視線を落とした。
「ニャ!」
「ワン!」
 嬉しそうに目を細め、盛んに尻尾を振る二匹。
 そう。この1週間、こうして夢の中ですら原型を保つことができなくなってきた麗夢と死夢羅を土壇場でつなぎとめたのが、アルファ・ベータのコンビであった。
 南麻布女学園で麗夢が消息を絶った時、荒神谷皐月の繰り出す南麻布学園初等部という悪夢結界に苦労しつつも、ようやくベータが夢世界にその痕跡を嗅ぎ出し、夢の中での再会を果たした。その時、麗夢は夢の戦士として死神ルシフェルと熾烈な戦闘の最中であったが、二匹の姿を認めると、麗夢も死夢羅も、あっさりと互いの得物を引いて戦いを収め、二匹に、こんな戦闘よりも遥かに深刻な事態を知らしめたのである。
『こうして戦っていたら、その闘気を感じ取って必ず来てくれるって信じてたわ!』
『我ら二人の力を持ってしても破ることの出来ぬ結界も、貴様らが外部から働きかければ、ゆらぎ、ほころびが生じぬとも限らぬ。主が大事と思うのなら探すのだ。この忌々しき結界を揺るがすきっかけを』
 不倶戴天の敵同士が手を組んでなお余る強力な結界……。二匹はその深刻さに身震いして、一心に「きっかけ」を探し求めた。その直後、一段と強力な結界が二人の意識を飲み込み、アルファ、ベータとの連絡を断ち切った。しかし、二匹は諦めず、刈り取られ、改変された世界に馴染まないでいる、現実世界の残滓を求めてひたすら駆け回った。そうして発掘してきたのが、松尾亨の遺したフロッピーディスクだったのである。
「確かに楔は打ち込まれ、再び夢の中で己を取り戻すことは出来た。だが、結界を打ち破るにはまだゆらぎが不足している。もっとこの結界を揺さぶるモノが必要なのだ」
 死夢羅は、珍しく苦りきった表情で、アルファ、ベータを見返した。二匹も、敵意もあらわに睨み返すが、今は争っている時ではないことは重々承知している。せっかくこうして、一段と威力を増した結界から、夢世界の中だけとは言え本人の意識を取り戻すことが出来たのだ。更に一手進めることで、今度こそ「南麻布学園」という結界を打ち破れるかもしれない。
「……でも、荒神谷皐月さん……。彼女、一体何をやりたいのかしら?」
 麗夢のつぶやきに、死夢羅は吐き捨てるように語気を強めた。
「知るか! 餓鬼のママゴトにいちいち理由など求めてどうする?!」
「何よその言い方! 相手の狙いを知らなければ、そもそも対策の立てようもないでしょう?」
 麗夢もムキになって反論した。すると死夢羅は、皮肉げに唇をひねり上げ、嘲りもあらわに笑みをこぼした。 
「何がおかしいのよ」
「麗夢、さては貴様、今の状況を楽しんでおるのではあるまいな?」
「な、何ですって?」
 今の状況を楽しむ? 麗夢は、自分の耳を疑った。すると構わず死夢羅は言葉を継いだ。
「闇と光の永劫続く戦いの日々に倦み疲れ、今のこの生ぬるい吐き気を催すような平和に安住し、このまま永遠にこの日々が続けばよいのに、と思っているのではなかろうな?」
「そんなわけないでしょう!」
 麗夢は立ち上がって、冷笑を続ける死夢羅に言った。
「こんな訳の判らない状況でやったことも無い学校の先生を強制されて、しかも悪魔が上司だなんて楽しい訳ないでしょうがっ!」
「餓鬼に花束をもらって感激していたのは、どこの誰だったかな?」
 1週間前。今はすっかり定着した感のある現実世界で、麗夢は生徒達に感動の儀式をもって迎えられた。あの時流した嬉し涙の心地よさは、まだ麗夢の胸の中に疼いている。だが、それとこれとは話が別だ。麗夢は死夢羅に言い返した。
「あ、あなたこそ、子供たちイジメて『死神』なんて呼んでもらえて、結構楽しんでるんでしょう!」
「馬鹿な事を言うな。仮にもこのわしが、夢魔の総帥、悪魔の二つ名を持つこのわしが、たかが餓鬼共のお守りで満足するなどと思うか」
 すると麗夢は、死夢羅の冷笑を奪い取ったかのように半身に構えると、腕を組んで死夢羅に言った。
「その割に、熱心に『指導』してくれたじゃない。『愛と平和』?『公平と寛容』?『希望と未来』? 死神サマも随分と物分りがよくなったのねぇ」
 今度は麗夢の冷笑に、死夢羅がギクリと脂汗を流す番であった。
 この二人には、荒神谷皐月によって強制されている、南麻布学園でのやりとりをちゃんと記憶している。それこそ夢を見ているような感覚であるが、夢というにはあまりに生々しい鮮度で、その体験を認識しているのである。
 そんな記憶が刺激されたのであろう。死夢羅はいかにも苦しげに呻いて言った。
「ううう、なんとおぞましいことだ。このわしが……、このわしがよりにもよって『愛と平和』なぞを得々と語ろうとは…… これがどれほどの屈辱か、分かるか? 麗夢!」
「分かる訳ないでしょ! 大体、あなたが不用意に引っかかるからいけないんじゃない。自業自得よ」
「あの時榊やクソ坊主どもが邪魔立てしなければ、こんな事にはならなかったのだ! それがなんだ! 貴様まで手も無く引っかかりおって! 力に頼り過ぎて油断するからだこの愚か者が!」
「その言葉、そっくりそのままお返しするわ! 何が夢魔の総帥よ! 悪魔の二つ名よ! 偉そうなことばかり言って、結局あんな小さな子に手も足も出ないじゃない!」
「餓鬼に屈したわけではないわ! いい加減にせぬと、その素っ首、この場でたたき落としてくれようぞ」
 殺意の込められた死夢羅の鎌が、ゆらり、と麗夢の方に向けられた。麗夢も、スラリと夢の剣を構えて対峙する。
「やれるものならやってみなさい! きっちり返り討ちにしてあげるわ!」
「ふん! 愚か者は一度痛い目を見ぬと目が覚めぬらしい」
「ニャーン!」
「ワンワンワン!」
 にわかに険悪度を増した二人に、今はそんなことをしてる場合じゃない、と慌ててアルファ、ベータが呼びかけた。しかし、二人はまるで聞く耳を持っていなかった。
「ちょっと黙っててアルファ、ベータ。今この鼻持ちならない自信過剰なバカを黙らせるから!」
「獣風情が口出しするな! 己の力もわきまえられぬ愚か者の目を、今わしが覚まさせてくれる」
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03.南麻布学園初等部 その4

2010-05-09 12:00:00 | 麗夢小説『夢の匣』
 更にひっくり返してみていると、板の片面に、シール状のラベルが張ってあるのに気がついた。
「なになに? えーと、『闇の皇帝の信仰と実態 ならびに南麻布の霊的地場に関する一考察 マツオトオル』? なにこれ?」
「どうしたかね?」
「きゃっ!」
 上げかけた悲鳴を、とっさにサカキ君が手でふさいでくれた。全く、気配を殺してヒトの背後に立つのは止めて欲しい。私はゴクリ、と喉を鳴らして悲鳴を呑み込むと、サカキ君にお礼のウインクをして振り返った。その向こうで、私のパソコンに取り掛かっているはずのキドウ君とエンコウ君が顔を真っ赤にしてサカキ君をにらめつけているのが不思議だったが、死神の前で余所見なんてしてたら冗談抜きで命を刈り取られかねない。私は努めて笑顔を作って、目の前の天敵に対峙した。
「き、教頭先生、いつの間に……」
「いつの間にもなにも、今来たところですがね。それより先生、何をしているのですか?」
「あ、それが、日直のサカキ君に預けられた教材に、ヘンなものが混じっていたんですよ」
「ヘンなもの?」
 首をかしげる教頭先生に、さっきの四角い薄い板を差し出した。
「これなんです」
「なんだ、フロッピーディスクじゃないですか」
「え? でも、形が全然違いますよ?」
 驚く私に、教頭先生はいかにもしょうがないな、と顔に書いて、私に言った。
「まあ随分古いタイプのものですがね。昔は、フロッピーディスクというとこれが主流だったんですよ。でも、これがどうかしたのですか?」
「サカキ君が言うには、教頭先生から預かった教材に混じっていた、ということなんですけど、ちょっとここ見てください。これ、教頭先生のではないですよね?」
「どれどれ……。マツオトオル……。先生の前任の方ですね。はて、何で彼の物が?」
 そうか! どこかで聞いたことがあると思ったら、私の前に担任をして、今は入院されているという人の名前だったのか。
「闇の皇帝の信仰と実態? 彼は私の後輩ですが、こんな研究をしていたのかな? ……まあ、これは私が預かりましょう。折を見て、松尾先生にお返ししますよ」
「あ、きょうと……」
「教頭先生!」
 私が、何か妙に引っかかるものを感じて思わず声をかけようとしたその時。私を押しのけるようにして、一人の少女が割って入った。
「何ですか? 君たち」
 教頭先生が振り向き、学級委員長の荒神谷皐月さんに答えた。いつの間にか、巻向琴音さんや眞脇紫君、斑鳩星夜さんがその後ろに並んでいる。
「そのフロッピー、実は私たちのなんです!」
「ほう?」
「……松尾先生が入院される前に、預かりました」
「君たちが? またどうして?」
 教頭先生の何気ない疑問に、荒神谷さんから目配せされて、斑鳩星夜さんが妙に慌てて答えた。
「あの、その……、そう、そうです! 中のデータを見ておいて欲しい、って、頼まれたんです!」
「データを? 君たちはこれに何が入っているのか、知っているのかね?」
「はい。大体は聞いています」
「良ければ、先生に教えてくれないかね? 中身は何です?」
「そ、それ、ただのゲームソフトなんです!」
「あ、バカ!」
 眞脇紫君が答えると同時に、彼の頭に髪の色とそっくりな三角形の物が二つ、ピョコン、という感じで立ち上がった。コンビニのおにぎりより一回り大きなそれは、いわゆるネコミミという奴だろうか。でも飾り物と違って、ぴくぴく動く様はまるで本物の猫の耳みたいだ。その瞬間、一瞬、ではあったが、教頭先生が凍りついたのが判った。あの『死神』をたとえ一瞬とは言え茫然自失させるなんて! 自分も一緒に唖然としてしまったのが実に惜しい。そんな微妙な空気に当の本人は、
「え? なに?」
と周囲を見回していたが、すぐに異変に気づいて、恐る恐る手を頭にやった。指で摘んだ瞬間だけ、気持ちよかったのか、ほわん、と表情を和ませたが、すぐに仰天して叫び声を上げた。
「な、なにこれ! なんで僕の頭に耳が生えてるの?!」
「さっき約束したじゃない! とにかく引っ込めて!」
 我に帰った斑鳩さんが慌ててそれを抑えようとし、纏向さんが口を塞ごうと眞脇君の背後から抱きつく。が、荒神谷さんが天井を仰いでいるところを見ると、全ては後の祭りだったらしい。いつの間にー! と床にぺたんと座り込み、頭を抱えて半泣き状態の(ア、なんかカワイイ)眞脇君を見下ろして、教頭先生の白い眉がみるみるそびやかされた。
「斑鳩君。またやったのかね?」
「え、いえあの、さつ……、ではなくて、委員長に乞われまして……」
「ちょっ! まって!」
 デヘヘヘヘ、と頭をカキカキ悪びれずに笑う斑鳩さんに、こんなタイミングで暴露するなんて! と憤懣やるかたない様子の荒神谷さん。
 教頭先生は、ふう、と深い溜息を一つついた。
「斑鳩君、君の知識と能力には端倪すべからざるものがあることは先生も認めています。だが、無闇に濫用してはならぬと前にも言いましたね? 覚えていますか? その優秀な頭は」
「……はい」
「では、可及的速やかに元に戻しなさい。そして、以後勝手な人体改造は慎むように。荒神谷君もです。いいですね?」
「でも……」
「いいですね?」
 返事を濁そうとした二人に、教頭先生は背筋だけ季節を3ヶ月ばかり逆行させるような声で念を押した。こんな声を出すから、『死神』なんてあだ名をつけられるのだ、と私が考えていることを読み取ったように、その視線がぐるりとこちらに向けられた。なんて恐ろしい死神なのだろうか……。
「綾小路先生、後で私のところに来て下さい。生徒指導の件で、少しお話しましょう」
 ひえぇ、とんだとばっちりだ……。
「あの、その、この後はちょっと用事が……」
「いいですね?」
「……はい」
 私まで斑鳩さん、荒神谷さんと相似形をなす中、ふん、と一瞥くれて教頭先生が踵を返した。
「……教頭先生、そのフロッピー……」
 しょげる二人(+私)と座り込んだ眞脇君に変わり、なおもけなげに纏向さんが追いすがった。すると教頭先生は、振り返ってこうのたまった。
「5インチのフロッピーを再生する装置など君達持っていないでしょう。放課後に先生のところへ来なさい。装置は、こちらで準備してあげます」
「……でも……」
 まだ未練ありげに見つめる纏向さんに、教頭先生は最後通牒を下してその視線を振り切った。
「大体、ゲームと聞いては君達に預けるわけにはいきません。君も校則は知っているはずですね? これは私が預かります。以上」
「…………」
 じろり、と睨みつけられては、さしもの纏向さんでも返答には窮するらしい。その無言を了解と受け取った教頭先生が、ようやく教室を去った。緊張のあまり氷点下まで下がった教室の雰囲気が、ようやく季節らしい温かみを取り戻す。
 もっとも、私の方はそれどころではないのだけれど……。
 でも、それはそれとして、実は非常に気になることが一つ有った。
 マツオ先生のフロッピーディスク。
 そしてそれの中身がゲームソフト……。
 なんだろう。
 何かが引っかかる。
 何か、頭の中に奇妙なわだかまりを覚える。
 思わず考え込んでしまった私は、その様子をじっと睨む荒神谷さん達4人の視線に、気づくことが出来なかった。
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03.南麻布学園初等部 その3

2010-05-08 12:48:18 | 麗夢小説『夢の匣』
 教師が自分の天職であることを改めて認識してから1週間。私は、「死神」教頭先生の指導に辟易し、サカキ君たちのいたずらに弄ばれつつも、日々充実した毎日を送っていた。気がつけばあの悩ましい夢は見なくなっていることがまた嬉しかった。今の自分が本当の自分ではなく、夢の中の自分、日々恐ろしい敵と戦う毎日の方が本当だ、なんていう夢は、ごくたまに見るならちょっとした活劇を観た気分で楽しめることもあるだろうが、毎日となるとさすがに自分はどこかおかしくなったの? そんなにストレス溜めてた? と不安にさせられてしまう。
そう、教頭先生に危うくカウンセリングをお願いしたくなるくらいに。でも、それもようやく消えてくれた。つまりは、新学期が始まってちょっと不安になっていた、ということなのだろう。幾ら1年経験を積んだと言っても、しょせんは教頭先生の指導下で右往左往していただけ。しかも今度は大事な最終学年の6年生なのだから。
 南麻布学園は、幼稚舎から大学まで基本エレベーター式で、18年通い続ければ立派に社会に通用する優秀な人材が出荷されるというシステムが出来上がっている。高等部や大学に上がるときは選抜試験もあるけれど、そこは南麻布生え抜きが優遇されていて、外部受験組よりもハードルが低い。また、小中の義務教育期間は完全に自動エレベーターで、転校などよほど特殊な事情が無い限りはそのまま中等部に持ち上がる仕組みだ。だから、そんなに緊張しなくてもいいんですよ、と先輩教師の方々はおっしゃって下さるけれど、教頭先生ときたら、
「……そもそも我が校の教育方針は、自由・自律・自尊! その中で、「愛と平和」「公平と寛容」「希望と未来」をキーワードに、やがて出ていかねばならない社会を堂々と渡っていけるだけの知識と知恵を教授し、それを生かしきる安定した人格を涵養せねばなりません。我々教師はそのためにいるのです。即ち! 我々教師は生徒たちの範たらねばならない! それが、わが校の創始者である……」
 と事あるごとにされる説教の通り、けして手綱を緩めてくれることはない。私自身もまだ不慣れなこともあって、教頭先生に言葉のムチを打たれながら、馬車馬になって頑張ってきたわけだ。でも、その1年は無駄では無かった、と理解できたおかげで、苦労もまた楽しからずや、で頑張れると判った。だから……、だから、苦手なパソコン授業も、なんとかこなせるというものだ……。
「あ、先生、それ違いますよ!」
 キドウ君の叱責が耳に痛い……。
 そう。私はパソコンって苦手なのだ。この、あまり可愛くない箱の中で何が起こってどうしてそうなるのか、なんて、いくら説明を聞いても理解出来る気になれない。それでも、この南麻布では初等部の低学年からパソコンの操作について授業が組まれているから、教師としてはやらないわけにはいかない。一応研修で基本的な使い方や、ワープロ、表計算といったソフトについては一通り習ったのだけれど、それが所詮付け焼刃以外の何ものでも無いことは、この授業で毎回四苦八苦しているところから丸わかりと言うもの。更に厄介なことに、このクラスにはとんでもない子が一人いる。まだ小学生なのに、私から見ればパソコンをまるで魔法のように自在に操って信じられない動作をさせる。そればかりか、私にはとても開ける気になれない箱を無造作に開けて、中の部品を取っ換え引っ換えしたり、操作のための設定を色々いじくったりと、もはや授業で教える事など何一つ無いような事を平然とやってのけるのだ。もう、かえって「教えてください」とこちらが頭を下げたくなるような困った子。それが、悪ガキトリオの一角、キドウくんなのだ。更にもう一人……。
「先生、パスワードも判らぬままシステム侵入するのは無理ですよ」
「作戦無し! とにかく突っ込むのみ!」
「だから無理ですって」
 私が、PC起動時のパスワードを忘れてしまったのを見て、エンコウ君が追い打ちをかける。いつ勉強したのか、初めてこのクラスを受け持った最初のパソコン授業の時は、私と同じくらい苦手にしていたはずなのに、いつの間にかおいてけぼりにされている。
「キドウ君はともかく、エンコウ君も結構詳しいのね」
「本屋さんでパソコンの入門書を読めば、これくらい判りますよ」
「あ、そう……」
「ほら、よそ見しないで、パスワード思い出して下さいよ、先生!」
 どうせ私は、入門書でも理解できないパソコン音痴ですよーだ! などと逆ギレしても始まらない。とにかく私は先生なのだから、それくらいの仕打ち、覚悟の上よ! と、自分の半分の年齢の子供達に怒られながらパソコンの前という針の筵に耐える。救いといえばサカキ君だろうか。彼は、私と同じで機械の類が大の苦手。教師としてはこんなこと言ってる場合じゃないのだけれど、個人的には実にほっとさせてくれる貴重な存在だ。ピンチの時にふと見てしまうのもやむを得ないというものだろう。
 私は、エンコウ君やキドウ君の十字砲火に絡め取られて息も絶え絶え、という状況を少しでも生き延びるべく、ついまたサカキ君の方に目をやってしまった。すると、珍しくサカキ君がパソコンを前に難しい顔をして何か懸命に考え込んでいる様子が見えた。ここは教師としてやるべき事をやらないと! 私は、追撃に余念のない二人のヤンチャ坊主をとりあえず宥めた上、キドウ君に、「何とかして! お願い!」と後始末を頼み込み、「えー、またぁ?」 といつもの悲鳴を背に受けながら席を立った。でも、先生は知っているのだ。厳しいことをバンバン言って、いかにも迷惑そうに言いつつも、その実顔は結構うれしそうだったりしているのを。案の定、私が席を立った途端、キドウ君とエンコウ君が、僕が僕が、とキーボードを取り合うようにしてパソコンを触り始めるのだから、可愛いものである。
 こうして、私は安心してサカキ君の席までたどり着き、覗き込むように呼びかけた。
「何してるのかな?」
「あ、先生か」
 サカキ君は、例によってぶっきらぼうに返事をした。基本的に彼は人当たりがあまりよろしくない。最初は警戒されているのか、はたまた甘く見られているのか、と疑心暗鬼にも囚われたけれど、これは、彼の一種の防御反応だ,ということに気づいてからは、気にならなくなった。この子は、見かけや行動とは裏腹に、優しく繊細な魂を持ち合わせているのだ。
「先生か、は無いでしょう? さっきから難しい顔して、何しているのよ」
 すると、思いのほか素直に、サカキ君が言った。
「俺日直だったから、死神に頼まれて教材を用意したんだけど……」
「教頭先生、でしょ?」
「話の腰を折るなよ。そんなのどっちでもいいじゃん」
「はいはい、それで? 教頭先生がどうしたの?」
「みんなに一通り教材を配ったのに、一枚余ったんだよ。それが何かわかんなくて」
 これ、と差し出してきたそれは、あまり見たことの無い薄っぺらい四角い板だった。
「教材ってフロッピーディスクだったんでしょ? これもそうなの?」
「配るまでは気がつかなかったんだけどね」
 南麻布学園初等部きってのパソコンマスターといえば、死神教頭先生。したがって、当校でのパソコン教材とカリキュラムは、一手に教頭先生が引き受けている。今日は所用で途中から授業に出てくるはずだけど、その前に日直であるサカキ君に、今日の教材を預けていったわけだ。ところがその教材を配ってみたら、ヘンなのが混じっているのに気がついたというわけか。
 私は、フロッピーディスクの倍近く大きい割りに、厚さは四分の1あるかどうか、という、樹脂製の黒い板を手に取った。見ると、真ん中に直径3センチほどの穴が開いている。それに、板はもっと薄っぺらなプラスチックのシートを二枚の樹脂状の板で挟みこむ、多層構造になっていた。
「あれ? 何か書いてあるわ」
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03.南麻布学園初等部 その2

2010-04-24 23:17:44 | 麗夢小説『夢の匣』
 自分の教室の前にたどり着いた瞬間、キーンコーンカーンコーン、と間延びした音色が鳴り響いた。既に予鈴は職員室で聞いたから、これは間違いなく本鈴だろう。教頭先生の魔の手を逃れ、廊下をダッシュし、一足飛びに階段を駆け上がり、もう時間よ止まれ! とばかりに頑張りつつも、流石にもう間に合わないか、と悲観的に思っていただけに、本鈴と同時に到着できたのは、私に取っては奇跡的な僥倖だった。ほっと一息ついて、本鈴が鳴り止むまでに部屋に入ろうと、引き戸の取っ手に手をかけて、はたと力を込めるのを抑えた。
 まず上を見る。
 ついで、左右を。
 廊下に面して、教室の摺りガラスの窓が、何事もないかのように整然と壁面を作っている。窓ガラスの並びの向こう、後ろの出入口の扉もピタリと閉じていて、やはり中の様子は伺えない。
 ……静かすぎる。
 向こうの隣のクラスから、先生のかけ声や子供ざわめきが廊下に漏れ聞こえてくる。だというのに、自分のクラスはというと、まるでヒトがいないかのように静まり返っている。
 おかしい。普段は他クラスに負けず、うるさいと感じるくらいに元気で活発な子供たちなのに。
 きっと何か仕掛けてあるのだろう。
 私の脳裏に、この間の屈辱的ないたずらの記憶が蘇った。
 これみよがしに扉の上に挟まれた黒板消しに気づいて、まあなんて単純な、とほくそ笑みつつ扉を引き開けると同時に飛び退いたら、廊下にばらまかれたパチンコ玉をもろに踏み、それはもう見事にお尻からすっ転んだのだ。あの時は、クラスのマセガキ共に思い切りスカートの中身をさらけ出すわ、お尻が痛いわ、ちょっと所要で遅れてきた副担任の教頭先生にも呆れられたり怒られたりしたわで、もう散々な目にあった。もちろん、犯人の子も教頭先生に捕まってたっぷりお説教を受けていたけれど、それくらいでおとなしくなるような子たちなら、私もこの静けさを警戒したりはしない。なにせ新学期始まって以来、ここは文字通り戦場なのだ。
 私は本鈴が鳴り止むのも構わず、じっくり状況を観察し、万一飛び退いた時に備えて背後の床にも目を配って当面の危機的要素が無いことを確かめてから、改めて入口の扉に手をかけた。
 ガラガラガラ、と歴史を感じさせる校舎にふさわしい音を立てて、教室への扉が開かれる。既に遅刻しているけれど、慌てずゆっくりと教室に足を踏み入れる。
「ごめんなさいね、遅れちゃって」
子供たちに笑顔を振りまきながら、上下にさり気なく気を配り、床にも頭上にも異常が無いことを確かめて、後ろ手に扉を閉める。
 正面にはいつも使っている教卓。
 その右手の壁に沿って黒板。
 扉を挟んで反対側の窓には、初夏の麗らかな空が映え、そして、ずらりと並ぶ席に収まる、すまし顔の子供たち。
「あれ? どうしたの? 随分静かじゃない」
 なんとなく不気味な物を感じつつ、それでも努めて笑顔を崩さず、こちらを向いている子供たちの顔を順に見る。でも、誰一人目を合わそうとしない。
 ようやく教卓までたどり着き、自分の教科書や、プリントを置く。普通ならここで日直の子が、「起立!」と声を掛けるのだが、この午後はそれも無い。
「本当にどうしたの? 今日の日直さんは……」
 背後の黒板の端に記されている、日直の名前を確めようと振り向いたその目の前が、突然ピンク色に染まった。鼻に、ツン! と甘いけれど濃厚で刺激的な香りが押し入ってくる。な、なに?! 新手のいたずら? と飛び退きかけた時、そのピンクの束が下げられ、見覚えのなる男の子の顔が、余り見覚えの無い真剣な顔つきで、声をかけてきた。
「1周年だってよ。先生」
「へ?」
「ほら、記念の花束」
 男の子、サカキシンイチロウ君が、再び私の目の前に見事な花束を押し付けてきた。
「おめでとうございます先生」
「ちぇっ、もっと早く辞めるかと思ったのになあ」
「私は信じていたもんね」
「嘘言え! 3ヶ月で辞めるって賭けてたじゃないか」
「そ、それはそれ、よ」
 途端に教室の中が蜂の巣をつついたような喧騒を取り戻した。
「あ、ありが、とう」
 私はとにかく花束を受け取ってはみたが、いまだ何が何だか判らないまま、いつもいたずらばかりする男の子の顔をボケっとみた。すると、そのふてぶてしい顔が見る間に赤く上気して、やがて我慢し切れないというように、ぷいっと子供たちの方へ振り返った。
「もういいだろ! 役割は果たしたからな!」
「ダメよ! ちゃんと先生に1年間いたずらしてごめんなさい、って言ってないじゃない」
「わ、分かったよ」
 サカキ君が改めて振り向いて、ぺこり、と頭を下げた。
「この1年、色々いたずらしてごめんなさい! これでいいだろ!」
「え? ええ……」
 私はまだ呆然としたまま、胸を張って自分の席に帰るサカキ君を見送っていた。
「先生、大丈夫ですか?」
 流石にずっと呆けたままの私に、子供たちも気づいたらしい。教室の真ん中に座るクラス委員長の荒神谷皐月さんが、立ち上がって声をかけてきた。
「わ、私、何のことだかさっぱり、なんだけど……」
 すると、教室中に「えーっ!」と驚きの声が重なった。見事な合唱ぶりにビクっと驚いてみんなの方に振り返ったが、その時、初めて後ろの黒板に大きく書きつけられた文字に気がついた。
「1周年おめでとう! 綾小路先生!」
 1周年? 何の?
 まだ面食らって目を白黒させている私に、荒神谷さんが苦笑しながら話しかけてきた。
「ですから、先生がこの学園に赴任されてから、今日でちょうど1年なんです」
「え?」
「そして、5年生の途中で、事故で入院されたマツオ先生の代わりに担任になられてから1年、ってせってい……」
「! と、とにかく私たちの担任として1年になるの!」
 荒神谷さんの隣で、眞脇紫君が言いかけたのを、斑鳩星夜さんがその後ろから羽交い締めにして強引に遮った。なんだか不自然なやりとりだったけど、私はそれよりも、自分の辿ってきた時間に思いを馳せる方に気をとられていた。
 『1年』……。
 そうか、ソウダッタンダ……。去年、どこの学校にも採用が決まらずに落ち込んでいた私が、この学園の急な空き募集に藁もつかむ思いで応募し、採用してもらってから、あっという間の1年間。私の頭の中に、その『1年』の出来事が文字通り走馬灯となって『整然』と、順を追って流れ去った。
「先生が来てくれなかったら、あのシニガミが担任でした。だから、僕たちは感謝しているんです」
 席についたサカキ君の隣で、いつも彼とつるんでいたずらばかりしているキドウ君の声だ。
「……そう。これは、その御礼」
 いつもは本当に口数少ない纏向琴音さんが、彼女にしては長いフレーズの言葉を紡ぐ。
「み、みんな大げさよぅ」
 私は、思わず花束を抱きしめながら、自分としてはさり気なく目元をぬぐった。
「でも、ありがとう。先生、これからも頑張る!」
 ヘンな夢や教頭先生の愛のムチでめげかけていた気力が急激にチャージされるのを実感する。これだ、これがあるから教師はヤメられないのだ。私は素直に感動して、この子達のために、少しでも未熟な状態から脱皮していこうと心に誓った。そんな感動の嵐に飲まれていたせいか、荒神谷さんがにやりと笑って、なにかつぶやいたのは聞こえなかった。
「……これでツカミはオッケーね。あとは……」
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