かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

03.南麻布学園初等部 その1

2010-04-17 12:00:00 | 麗夢小説『夢の匣』
「……せい、……うじせんせい!、……起きなさい!」
「ふぇ?」
 突然の衝撃に揺さぶられ、一瞬遅れて額を襲った衝撃に、私は、やられた! と気を許した自分の不覚をなじった。なんとなく遠くで、「この馬鹿者が!」と舌打ちしている声が聞こえてきたような気がする。
 …… …… …… 。 
 あれ? ここどこ?
 奴は……?
 ……、……奴って
 ……誰だっけ……?
「先生、早く起きなさい。午後の授業が始まりますよ」
 おぼろに霞む目を開き、がっくり落ちた首をもたげて見上げた視線の先に、さっきまで争っていた敵の魁偉な顔が浮かぶ。ロマンスグレイと呼ぶにふさわしい豊かな銀髪の下に、血色のあまり良くない痩せた顔つき。その割にやたらと鋭い目と、まるで突き出されたように聳える見事な鷲鼻。
「……ア、シニガミハカセ……」
「くっ! 貴女までくだらないあだ名を……ま、まだ寝ぼけているんですか? 綾小路先生!」
 アヤノコウジセンセイ……。
 その名前が耳に入った瞬間、私は一気に覚醒した。思わず視線が教頭先生の顔から職員室中央の柱にかかる時計に走って、一瞬だけほっと胸をなで下ろす。午後1時10分前。まだ、充分に間に合う!
「す、すみません! 昨日あまり寝てなくて……」
 慌てて取り繕う私に、シニガミ、じゃない、教頭先生の盛大なため息が襲ってきた。
「まだ1年ちょっとの貴女が初めてクラス担任になって、慣れない仕事で多忙を極めているのは判っています。故に、昼休み机の上でいぎたなく昼寝をすることはまだ容認しているのです。ですが、仮にも教師が授業に遅れるなど、貴女を指導する副担任として許すわけには行きません。何時までも新米気分でいてもらっては困るのですよ」
「……すみません」
「それとも、何かお悩みでも? ならば私が、専門家としてカウンセリングして差し上げますよ」
 言葉は丁寧で口調は柔らかそうだが、その端々に有無を言わさぬ圧力を覚える。なにせ相手はこの南麻布学園初等部教頭にして、副担任と言う名前の、初めて6年生のクラス担任を受け持つ私のお目付け係。そして、T大文学部心理学科を首席卒業し、れっきとした学位を持つ優秀な研究者。しかし、その物腰柔らかな仮面の裏に、怜悧で傲岸不遜な本性を隠し持ち、なかなか言う事を聞かない生徒を心理的に追い詰めて矯正する徹底した指導ぶりは、一部生徒たちに「死神博士」の令名を轟かせている南麻布きっての辣腕教育者だ。本当に文字通り新米だった去年はまだ判らなかった私も、今やその言葉の鎌で命を刈り取られ続ける毎日を送っているんだから、寝ぼけ眼で思わずポロッとその二つ名をこぼれてもしょうがないというもの。でも、今も口元をひくひくさせながらお説教モードを続ける様子からも、ご本人がそのあだ名を相当気にしているのが分かる。
「あ、あの、本当に、大丈夫ですから。教頭先生」
「そうですか? 何やらうなされていましたよ。何か嫌な夢でも見たのではないのですか?」
 自分の顔が急に発熱したのを自覚する。教頭先生の指摘は、当に図星だった。確かにこの数日、私は奇妙な夢に悩まされている。けれど、だからといって、死神博士のカウンセリングなんて、死んでも受けたいとは思わない。いくら優秀な心理学者だからといって、わざわざその噂に聞く『実験台』に上がるなんて、御免被りたい。
「いえ、本当に大丈夫ですから」
「先生、夢を甘く見てはいけませんよ。夢は無意識の窓。貴女が意識しない貴女の本質や悩みを知る絶好の手がかりになるのです。さあ、話してみなさい。夢分析は少々専門外ですが、充分にお役に立てると思いますよ」
 しまった、食いつかれた! 私は狼狽してとにかくこの場をごまかすことにした。
「い、いえ! ご相談したいのはやまやまなんですけど、実はどんな夢を見たのか覚えていないんです」
 すると教頭先生は疑わしそうな目で一瞥し、なおも執拗に迫ってきた。正直、その目と態度が怖い。
「ふむ……。では、催眠療法など試してみましょうか。一時的に失われた記憶を呼び覚まし、貴女の深層心理に眠る問題点を切り出して、解決に導きましょう」
 もう! あー言えばこう言う! このままじゃ死神博士の格好の餌食だわ! 私は大慌てで職員室を見回すと、ようやく一点の光明を見つけて、目の前の鷲鼻に笑顔を向けた。
「教頭先生、あの、時間がもう……」
 私は、さっき目覚めた時に見た時計が後2分で午後1時を告げようとしているを遠慮がちに指差した。
「え? こ、これはいけない! 私としたことが……! 綾小路先生はすぐ教室に行きなさい! お話は放課後伺いましょう! ……なんです? その顔は」
「な、なんでもないです! 行ってきます!」
 え?放課後も? とあからさまに嫌な顔をしてしまったのを、きっとシニガミは放課後までしっかり覚えていることだろう。あーぁ、これはちょっと取り返しのつかない失敗だ。放課後は相当みっちり絞られるに違いない。これも、またヘンな夢を見てしまったからだろうか……。
 私は、実はまだ忘れていなかった、というよりすっかりおなじみになって忘れようにも忘れられなくなっているさっき昼寝の最中に見た夢を思い出しながら、担当の教室に急いだ。
 でも所詮は夢だ。
 無意識からの警告だとか暗示だとか、専門家の教頭先生にいわれなくても、私も人並みにその程度の知識ならかじっている。昔からその手の話は好きだったし、教育者への道を選んだのも、それがきっかけでもある。だから、その夢には人一倍興味と関心と、そして不安があった。でも、それで仕事や生活が左右されているわけでもない。実害も、こうして危うくシニガミハカセの毒牙にかかりそうになったり、授業に遅れそうになって廊下を駆け足で走らされたりするくらいのものだ。
 ……ただ……。
 そう、ただなんとなく、まるでその夢が自分を眠りに誘い込んでいるような気はしていた。昼休み、教頭先生いわく「いぎたなく」眠りこけてしまうのも、単に疲れだけとは言えない気がする。何の根拠もない、ただの印象だけれども。
 でも、そんな思考は自分の受け持ちクラスが見えてきたところで封印した。
 今はとにかく授業に集中しないと!
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02.悪夢の後継者 その6

2010-04-10 12:56:55 | 麗夢小説『夢の匣』
「でも……、でも、それじゃああの闇の皇帝はどうなの? あれは原日本人の信仰する神様じゃないの? それに夢守の民だって」
「あれはね麗夢ちゃん」
「あれは?」
「よくわかんなーい」
 まさに一点の濁りもない朗らかな皐月の答えに、麗夢の膝が一瞬がくっと力を失った。
「わ、わかんないって、それじゃあ答にならないじゃない!」
「まあそれはそうだけど、日本人だって八百万も神様を信仰してたじゃない。そのうちの一人だって思えば納得できない?」
「……皐月。神様は一人じゃなく、一柱」
「そ、一柱よ」
 琴音の指摘に、皐月がすまし顔で訂正した。
「そんなことより!」
「……神様の数え方は、大事」
 畳み掛けようとした麗夢の言葉を、琴音が静かに遮った。ぼそっとしたけして大きくはない声なのに、まるで何か特別の力が宿っているかのように場を圧することができる不思議な声だ。麗夢は気圧されている自分を意識しつつ、言葉を継いだ。
「わ、分かったわ。まだ納得出来ないところもあるけど……。それじゃあ答えて頂戴。復讐が目的じゃないなら、あなた達は何をしたいの?」
 すると、皐月、琴音、紫、星夜の4人が、一斉に麗夢を見つめた。
「私たちのやりたい事は、一言でいうとリセットよ」
「リセットって、どういう意味?」
「それはね……」
「誰だ! 廊下にパチンコ玉など撒きおったのは!」
 答えようとした皐月の言葉を、しわがれた怒声が切り裂いた。
「ヤバイ! シニガミだ!」
「逃げろ!」
 その声を聞いた途端、今までじっと4人の少女らの後ろに控えていた少年たちが、一斉に廊下に飛び出した。
「またお前たちか! いたずらばかりしおって! 今日こそ許さんぞ!」
 憤慨して腕を振り上げた一人の老教師が、驚きの余り声が出なくなった麗夢を見て言った。
「ん? 何だ、高等部の生徒が何故初等部の校舎にいるんだ?」
「教頭先生、早くしないと、榊君達、逃げちゃいますよ?」
 皐月がすまし顔で指摘すると、老教師は、そうだった、と我に帰ったように、再び少年たちを追って駆け出した。
「こら! 廊下を走っちゃいかん! 待たんか! 榊! 鬼童! 円光!」
 たちまち廊下を走り去り、階段に消えたその背中を見送って、麗夢は今度こそ自分はどうにかなってしまったんだ、と確信した。あの男が……、闇と恐怖と悪の権化が、なんで「教頭先生」なんて呼ばれているのだ? そして死神が追っていった少年たちの名前は? あまりの衝撃に思考がフリーズした麗夢に、皐月が言った。
「驚いた? もちろんソックリさんじゃないよ? あの3人も、もちろん名前が同じだけじゃない。麗夢ちゃんのよーく知ってる人たちだから」
 呆然とする麗夢の耳に、皐月の声が流れていく。そう言えば、なんとなく予感はあったのだ。あの顔立ち、目元やあごのラインに、青年2人と壮年1人のよく見知った男達の面影が。でも、これまでは理性がその直感を完全に否定していた。それが今、崩れ去ろうとしている。
「でもやっぱりルシフェルさんはすごいね。あの3人はちゃんと思った通り小学生になったのに、結局姿形は変えられなかったもん」
 ……姿形を、変える? 麗夢は、今初めて自分を見つめる少女たちに鳥肌が立つのを覚えた。
「でも麗夢ちゃんだってすごいよ。こんなに時間が立っているのに、まだ自分を見失わないんだから。ひょっとしたら、夢守の民には、ちょっとばかり抵抗力があるのかも知れないね」
 そうか、抵抗力が……、だからまだ、南麻布女学園の記憶が、榊、鬼童、円光が立派な大人でルシフェルが死神だった記憶が、頭に残っているのか。でも、それもそろそろ限界かもしれない……。
「それじゃあ、麗夢ちゃんはどうしようかな? 何になりたい? 私たちの同級生かな? 今ならリクエスト聞いてあげてもいいかも?」
 荒神谷皐月の話が聞こえてくる。聞いてはいけない。今すぐここを離れないと、取り返しの付かないことになる。麗夢の崩れかけの理性は、必死に赤信号を点滅させ、その足を動かそうと頑張った。だが、多分この校舎に入ったところから、麗夢の理性は絡み取られていたのであろう。いや、それを言うなら、あの古代史研究部の部室でこの4人と会った時からかもしれない。麗夢は、痺れたまままともな判断ができなくなりつつあることに、かつてない恐怖と戸惑いを覚えながら、荒神谷皐月の最後通牒を聞いた。
「何もないの? それじゃあ私の希望通りでいいね? まあ返事はどっちでも一緒だけど」
 荒神谷皐月が、ずっと手にしていた箱を改めて胸の前に掲げると、その蓋をずらした。するとたちまち白い煙が箱から沸き立つように流れ出し、初等部校舎4階を満たした。
「それじゃあ、おやすみなさい麗夢ちゃん。次会った時は、もーっと一杯遊びましょうね」
 白い煙に巻かれ、徐々に薄れて行く荒神谷皐月が、満面の笑顔でバイバイと手を振っている。麗夢は結局、その姿が煙に隠れるまで、意識を保つことができなかった。
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02.悪夢の後継者 その5

2010-04-03 20:34:52 | 麗夢小説『夢の匣』
「必要ない?」
 どういう事? と麗夢が更に問い詰めようとした時、階段から何人も駆け上がってくる足音が響いたかと思うと、息を切らせながら残る3人の少女達(?)、眞脇紫、纏向琴音、斑鳩星夜が姿を現した。
「あーやっと追いついたよ」
「……皐月早すぎ」
「まったく、我々を置いて暴走するのは悪い癖だな」
「ごめんごめん。つい麗夢ちゃんとの鬼ごっこが面白くってさぁ」
「それで一番面白いところは自分一人で楽しんでしまった、というわけか」
 ニャハハハ、と頭を掻きながら平謝りに苦笑する皐月に、眞脇紫が腕を組んで溜息をつく。
「大丈夫よう。まだちゃんと美味しいところは取ってあるんだから。それより、話を続けましょ? 麗夢ちゃん?」
 3人の少女が、部室の時と同じように皐月の左右に並んだ。麗夢も望むところだと意気込んだが、ふと、視線をずらした斑鳩星夜が、眉をひそめて麗夢に言った。
「その前に、スカートをなんとかした方がよい。コドモにはちと刺激が強すぎると思うぞ」
「あーダメだよ星夜ちゃん、せっかく親衛隊の3人のために黙ってたのに」
 皐月の言葉に、麗夢は初めて自分がトンデモナクはしたない格好で、廊下に座り込んでいたことに気がついた。パチンコ玉で尻餅をついたときに、思い切りスカートがはだけて、普通はけしてあけっぴろげにしないところが、これでもかとばかりにはっきり露出していたのだ。麗夢は見る間に耳まで真っ赤にすると、大慌てで翻ったスカートの裾を抑えつけた。そのまま皐月達を睨みつけると、4人の後ろに屯していた少年たちもまた赤い顔で、ややひ弱そうな両端の二人は、いつの間にか鼻血まで垂らしていた。麗夢は、小学生相手に翻弄されっぱなしの状況に目眩すら覚えたが、今この時をおいて疑問を解決する機会もない。麗夢は、心の中でゆっくり3つ数えてから、右手を口元に当ててこほん、と一つ空咳をすると、裾を払って立ち上がった。お尻がジンジンと痛んだが、そんな痛みにかまってもいられない。
「じゃあ、改めて聞くわ。さっき、原日本人の復讐は必要ない、って言ったわね。あなた達のお姉さんがあれほどやりたがっていたことを、必要ない、って断言する理由は何? それ以外に、その奇妙な箱を使って何をしようとしているの?」
 すると皐月は、右横に立つ斑鳩星夜に振り向いて言った。
「必要ない、っていうのは、意味がない、と言い換えてもいいんだけど、星夜ちゃん、ちょっと説明してくれる?」
「うむ。何、難しいことではない」
 星夜は、特に気負うでも無く、淡々と麗夢に語り出した。
「我ら原日本人は、既にこの国中に満ち満ちている。その数、ざっと1億2千万というところか。即ち、全国民が我らの同胞であるのに、我らは一体誰に復讐する必要があるだろうか」
「はい?」
 麗夢は耳がおかしいのかと疑った。一億二千万人、全国民が、同胞……? それってどういう……、とここまで考えて、はっと麗夢はひとつの可能性に閃いた。まさか! ひょっとして、この学園を改造したみたいに、不思議な力で国全部を変えちゃったの? 自分の想像に戦慄した麗夢を見て、荒神谷皐月はアハハとまた笑い転げた。
「麗夢ちゃん何考えてるか丸わかり! でも、そんな想像していることじゃないよ?」
「あなた、静香さんと同じ……」
「違う違う。でも、超能力なんて無くても、この箱を使って学園を変えたみたいに日本中原日本人だらけにしちゃったかも? って想像したこと位、今の麗夢ちゃん見てたらすぐ分かるよ」
「う……」
 小学生にここまで言われる自分って、と落ち込む麗夢の耳に、星夜の小学生離れした落ち着いた声が響いた。
「皐月の言う通り、別に何もしていない。話はもっと簡単で単純なんだ。もうずっと昔に、我ら原日本人の祖先と今の日本人の祖先達は、混じり合っているんだよ。遺伝的に」
「混血……」
 麗夢が呟くと、そうそれっ! と皐月が手を叩いた。
「文明と文明、人種と人種がぶつかった時に起きるのは、単なる殺し合いだけじゃないってわけ。互いに混じり合い融合して、新しい種になっちゃう事だってあるの。私達やお姉ちゃん達だって純血の原日本人じゃないし、日本中の、いえ、ひょっとしたらもっと世界中にだって原日本人の遺伝子は散らばっているかもね」
「我が国は、何万年も前から、東西南北から海を超え、島を伝って様々な人が渡ってきた。その人達が何世代もかけて混血を繰り返して生まれてきたのが我々日本人だ。そのうちの誰を原日本人とし、誰をそれ以外の征服民族の末裔とするのか、もはや今となっては区別もできない。即ち、意味がないというわけだ」
「……そのことを、弥生さん達は?」
「モチロン、お姉ちゃん達には耳タコで教えてあげたわよ? でも聞く耳持たないんだからしょうがないじゃない」
「我が姉君も物理は大の得意だったんだが生物はカラシキでね。いくら遺伝学を説明しても、理解してくれなかった」
 全くあの物理バカは、と腕を組んで溜息をつく星夜に、麗夢は思い切り頭を殴られた思いで半ば呆然と立ち尽くした。なんてことだろう。彼女たちは、あの4人は、ひょっとしてけして叶えられない幻想に殉じてしまったと言うのだろうか。原日本人、という想像の産物を追って。でも、本当に、本当にそんなに簡単な話でいいんだろうか?
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02.悪夢の後継者 その4

2010-03-27 21:56:53 | 麗夢小説『夢の匣』
 中庭の中央には大きな花壇があり、荒神谷皐月がその花壇を回りこんだ。その前方に、大きなガラスが上下にはまった観音開きの扉が今は全開に開かれており、その奥に、小さな扉がたくさんついた下駄箱が林立するのが麗夢にも見えた。どうやら校舎の玄関口らしい。
「待てーっ!」
 麗夢が花壇を巡りはじめた時には、既に皐月のツインテールがその玄関口から校舎に飛び込んでいた。皐月の足は案外に速い。高等部での追いかけっこでも、麗夢が全力で駈けているのに、一向に追いつく様子がないくらいである。彼女の姉たちが、運動神経という点ではごく平均的な女子高生の域を出なかっかったのに対し、皐月の足は間違いなく次元が違う。ひょっとしたら、一種の超能力だろうか? と麗夢は思った。荒神谷弥生達原日本人の巫女達は、古代史研究部別名ESP研究会を主宰する超能力者達でもあった。もし小気味良く先を走り続ける自称後継者が本当に彼女らの妹であるならば、何らかの異能の力を宿していたとしても、全く不思議ではない。
 とはいえ、今更警戒していてもどうしようもない。今も現実を侵食するこの異様な学校。そして見た目のあどけなさからは伺いしれない未知の能力。どれをとっても躊躇するには十分すぎる材料が揃っている。それに、まるで誘うように一定の距離を保って逃げるツインテールの様子を見ても、罠の存在は疑いないだろう。だが、と遅れて玄関口に飛び込みながら麗夢は思った。虎穴に入らずんば虎子を得ず。この状況を何とかするためには、罠だろうが何だろうが、飛び込むしか無いのだ。
 こんな時こそ円光さんがいてくれたら、とふと思う麗夢だったが、そう言えば、と胸のうちに、ある疑問が沸き起こった。
 円光さんは何をしているのだろう?
 円光は麗夢のように夢に入る力はないが、気の流れを読み、悪鬼邪霊の瘴気を感じとる能力は麗夢をもしのぐものがある。今、この現象の中に身を置いているならば気づいていないはずが無く、その焦点と目されるあの少女の持つ箱の存在を、絶対に外すことなく突き止めているはずだ。その足も、足場によっては下手な乗用車よりも速い。それ程の男が、何故か今だに何の気配も無い。ひょっとしてなにかあったのだろうか……。
 玄関口から、左右に立ち並ぶ下駄箱や、今は空っぽな傘立ての列の中を抜け、麗夢は廊下に躍り出た。円光や鬼童、榊のことも気になるが、今はそのことを確かめる術も時間もない。
 麗夢が左右を素早く見回すと、背後から、あの天真爛漫な声が届いた。
「何してるの? 早く来ないと、置いてっちゃうよ?」
 振り返ってみると、10mも行かないところの右側の壁から、少女のツインテールがひょっこりと顔を出していた。
「早く早く! こっちだよ!」
 少女が満面の笑みを引っ込めた途端、タンタンタン! と小気味よく階段を駆ける音が廊下に木霊した。上か! と麗夢も大急ぎで廊下を横切り、現れた階段を駆け上がる。手すり越しにすぐ手の届きそうな所で揺れるツインテールの一端が見え、たまにチラッと少女が目線を寄越してきては、すぐにかっと笑って消えるというのが繰り返される。誘われているのはもはや疑いない。
 古代史研究部の部室を出て以来姿の見えない残り3人の娘(うち一人は男の子?)の行方も気にかかる。囮役の少女が逃げるこの校舎の上のどこかで、待ち構えて罠を張っているのだろうか。だが、特に遠回りもせず全速力でここまで来た少女と麗夢を抜いて、先にたどり着いている、というのも考えにくいことではある。それでも、何があってもおかしくない、というつもりでいないと足元を掬われるに違いない。既に、弥生達の妹、というだけで、十分驚かされているのだから。
 2階を過ぎ、3階を通り越して、麗夢は、最上階の4階までたどり着いた。改めて左右を見やると、左の先にある教室の一つに、今にも飛び込む少女の姿が一瞬だけ見えた。追い詰めた、いや、追い詰められた? どちらにしても、鬼ごっこはこれで終わりだ!
「もう逃がさないわよ!」
 麗夢は飛び掛るように少女が消えた教室前まで躍り出ると、今はわずかに隙間を空けて閉じている扉に手をかけ、一気に引きあけようと力を込めた。
 ! 
 殺気ではない。だが、非常にそれに近いものが、力を入れかけた麗夢の右手を押しとどめた。
 期待、押し隠した喜び、笑いの前兆。
 そんな無邪気で鋭い気の動きを察知した麗夢は、自分の腕に、白い粉が一つまみ、付着していることに気づいた。恐る恐る引き戸にかけた手を引き、粉が落ちてきたとおぼしき上を見ると、上の桟のあたりに、扉に挟まれた黒板消しの姿が目に入った。本来は黒に近い紺色のイレーサー部分が、たっぷりのチョークの粉をまとって真っ白になっているのが見える。
 なんとまあベタで子供らしいいたずらなの。でも、そんな幼稚な手には、引っかからないわ!
 麗夢は改めて扉に手をかけると、一気に引きあけると同時に、思い切り後ろに飛んだ。支えを失った黒板消しが、チョークの粉をこぼしながら正確に落ちてくる。麗夢は勝利を確信して力強く床に着地した、その瞬間。
 「あっ?!」
 硬いリノリウムの床を踏んだはずの右足の上靴底が、何か小さい粒々を踏んだ感触を麗夢に伝えた瞬間、つるんっと滑った。ぐらりと上体がバランスを失い倒れこむ中、とっさに出た左足も、それは見事に床を捉え損ない、跳ね上げた右足の後を追った。麗夢の両手が虚しく宙を掻き、怖気をふるう落下の感触を一瞬残して、麗夢のお尻がこれでもかとばかりに床に叩きつけられた。
「っ!」
 余りの痛さに声も出ない。麗夢はうつむいて痛みをこらえ、床に着いた手の平のおかしな感触に、涙あふれる目を辛うじて開いた。その視線に、直径1センチほどの銀色のボールが、床一面に転がっているのが見える。パチンコ玉だ。敵は、麗夢が黒板消しの存在に気づき、後ろに飛び跳ねることまで計算して、罠を張っていたのだ。
「きゃーはははははっ! ま、まさかこんなに綺麗に引っかかるなんて! 麗夢ちゃん、なんていいキャラなの? あぁもうお腹痛いぃっ!」
 開け放たれた扉の向こうで、お腹を抱えてげらげら笑い暴れるツインテールの少女が見えた。麗夢は、自分がまんまと小学生の罠にはまったことに、猛烈な怒りを覚えて叫んだ。
「ど、どういう積もりよこんないたずらして! もう、もう絶対、絶対許さないんだから!」
「子供の可愛らしいいたずらにいちいち怒ってたら、しわが増えちゃうよ? 第一、あたしがしたんじゃないしぃ」
「あなたじゃなけりゃ、誰の仕業よ!」
「我々、原日本人親衛隊の仕事だ!」
 荒神谷皐月の背後から、わらわらと3人の少年が姿を現した。一人は少し恰幅のよい体格をしているが、残る二人は痩せて小柄な子供子供した体形である。3人とも、まるで南麻布女学園の制服を男子用にアレンジしたような制服を着ている。一目異なる点は、少年達がスカートではなく、半ズボンをはいていることだろう。細かく見れば、リボンの代わりにネクタイを絞めていたり、色々デザインの違いはあるが、まだ、南麻布は女学園だという『真の』記憶が残る麗夢には、非常に違和感を覚える姿だった。
「うむ、ご苦労! 親衛隊の諸君!」
 皐月が少しだけまじめな顔を作って、敬礼する少年達に答礼を返した。少年達がうれしそうにはにかんで見せる姿が初々しい。
「その子達は一体なに?!」
「だから親衛隊……」
「そうじゃなくて! こんな子達まで巻き込んで、あなた一体何を狙っているの?! 弥生さんたちと同じ、原日本人の復讐? 支配の復活? そんな夢物語、できるわけ……」
「違うわよ。今更そんなこと、必要ないもの」
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02.悪夢の後継者 その3

2010-03-20 12:00:00 | 麗夢小説『夢の匣』
 古代史研究部=以下略が収まる校舎の扉を開けると、麗夢はグラウンドの方に駈けて行く皐月の背中を追った。放課後のグラウンドには、あちこちに体操服やユニフォーム姿で部活に勤しむ生徒の姿で埋まっている。皐月は、細く二本にまとめた髪を元気よく揺らしながら、彼らの間を縫うように走って行く。麗夢は、逃がさないぞ! と気合も新たに駆け出した。膝丈のスカートが翻り、伊達メガネがずり落ちるのも構わずに、一直線にグラウンドを走り抜ける。他の3人の姿はないが、今は目指すは荒神谷弥生の妹と名乗ったツインテールただ一人!
「待ちなさーい!」
 知り合いでもいれば、その子たちを止めて! とお願いすることもできたかもしれない。だが、潜入捜査で極短期間しか在籍していないこの学校では、あのアッパレ4人組以外に知己となり得た生徒はいなかった。麗夢は、以外に足の早い皐月に舌を巻きつつ、自分も思い切りスピードを上げた。
 皐月が、野球部が練習するマウンド付近を駆け抜けた。あっけに取られたユニホーム姿の生徒たちに、ごめんなさい! と叫びながら、麗夢もその後を追っかける。皐月が体操服姿でランニングしていた生徒たちの列をかき乱すと、麗夢は彼らにぶつかりそうになりながら、なおも負けじと後を追う。サッカー部のテリトリーでは、突然横合いから飛んできたサッカーボールを危うく避けながら、びっくりする生徒達を縫って二人の追いかけっこが延々続く。トラック競技に勤しむ陸上部の生徒たちが、何事? とばかりに二人の疾走を見送り、向こうのテニスコートでも、何人か手を休めて、金網越しにこちらを見ている生徒がいるようだ。
 麗夢は彼らの姿を見て、やっぱり、と思わずにはいられなかった。女子生徒に混じって、確かに男の子の姿が、それもかなり大勢の恰幅の良い生徒たちがいる。さっき横切った野球部なんて、マネージャーを除けば多分全員が男子生徒だ。
 麗夢は、ついさっき行った荒神谷皐月とのやりとりを思い起こした。たしかに自分の中には、ここは女学校だった、と言う記憶がある。その一方で、何故かここは男女共学の学校だった、と言う記憶も『同時』に存在するのだ。それが何故なのか、今の麗夢にはまだ判らない。その秘密は、目の前のツインテールが握っていることだけは、間違いないはずだ。
「こっちこっち!」
 息を弾ませながら、満面の笑みを浮かべて皐月が振り向いて手を回す。この! と麗夢もまた息を切らせつつ、陽気に飛び跳ねるツインテールを追い続けた。どうやら皐月の目的は、グラウンドの先にある通用門らしい。外に出られると厄介なことになる、と麗夢は必死に走り続けた。
 やがて皐月が、通用門から出て行くのが見えた。舌打ちをこらえつつ麗夢も通用門をくぐり抜けた。だが、小道を挟んだ正面に、もう一つ通用門が有り、その向こうに、皐月が走っていくのがかいま見えた。麗夢は、ふと視線を門脇の表札に振って、そこに記された文字を読んだ。
「南麻布学園『初等部』?」
 確かに有った。
 振り返ると、今自分が通り抜けた通用門の脇には、「南麻布学園高等部」の表札が掲げられている。
 しかし、こんな門や表札、果たしてここに有っただろうか?
 麗夢は、潜入捜査に入った直後、まずは基礎情報を集めようと、学園内をくまなく歩き、およそどこに何があるか、念入りにチェックして回った。最後の最後になって知ることになった地下迷宮のようなものならいざ知らず、学園内とその周辺で、麗夢の記憶に無いものなどありえない。だが、今の麗夢には、それが有ったと言う記憶と、いや確かに無かった、と言う記憶が交錯し、一瞬目眩を覚えるほどに混乱していた。
 自分の記憶が何かによって強制的にいじられている。
 どちらかが現実で、どちらかが虚構なのは間違いなく、今の自分は、ここが南麻布「女」学園であり、初等部などというものは無い、と言う方が現実だと認識している。つまり、この目の前に広がる新たなキャンパスは、虚構そのものに違いない。しかし、執拗で強力な何かの力が、この現実を無視し、今目に入って来るものこそ現実として受け入れるように、猛烈な圧力をかけてきているのが自覚される。今は混乱しつつもその圧力に耐え、自分の意識を保っている麗夢だったが、果たしてその虚構そのものの中に足を踏み入れた時、自分の記憶と意識が保たれるかどうか、正直言って自信が無かった。だが、先を走っていく荒神谷弥生の妹を名乗る少女を捕まえない限り、その混乱に終止符を打つことは叶いそうにない。
 麗夢は意を決して、「南麻布学園初等部」の門を潜った。途端に、ぐらり、と視界が揺れ、これまでに無く強烈な、吐き気をもよおす目眩が襲ってきた。麗夢は一旦立ち止まって目をつむると、冷静に自分の持つ力を信じ、格段に強まった心的圧力に対抗した。
 まだ大丈夫。意識はしっかりしている。
 麗夢は、目眩が消え、落ち着いた視線で辺りを見回した。だが、未知のキャンパスに足を踏み入れた事には変化は無く、南麻布学園初等部は、幻でもまやかしでもなく、実体として確かに麗夢を迎えていた。
「まるで夢のようだわ……」
 その確かな現実感に麗夢は思わず独りごちながら、改めて追跡を再開した。少し時間をロスしてしまったが、皐月が消えた校舎をぐるりと回ると、中庭を走っていく少女のツインテールがはっきり捉えられた。
「待ちなさい!」
 麗夢はもう一度叫ぶと、少女めがけて走っていった。
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02.悪夢の後継者 その2

2010-03-13 11:02:44 | 麗夢小説『夢の匣』
「後継者って……、弥生さんのいもうとぉっ!」
 麗夢は、不審な箱のことも忘れて思わず大声を上げた。
 目の前の少女は、背の高さは麗夢よりも頭ひとつ低い。荒神谷弥生と遜色なく伸びた髪をツインテールで左右に広げ、その中に、小さな顔が収まっている。やや丸い顔のライン、いたずらっぽく閃くメガネ無しの大きな瞳、にこやかな笑みを浮かべる唇、どれも弥生とは似ても似つかないように思える。なのになんとなく全体から既視感を覚えるのは、多分姉よりも明るい豊かな表情が、遺伝的な形質よりも表立って見えるからだろう。その表情の変化を取り去ってみれば、目元や鼻筋に、確かに弥生を彷彿させるものが観察される。
 皐月と名乗った少女は、南麻布女学園の緑の制服を縮小コピーしたような半袖・ミニスカートの衣装でささやかな胸を自信満々に張り出し、そこから健やかに伸びた、子供っぽさの残る細い手足で仁王立ちして言った。
「そうよ。そして彼女たちも」
 皐月は左右に振り返ると、自己紹介して、と促した。すると、纏向静香の役を演じていた少女が、控えめに半歩足を前に出して、麗夢に軽く頭を下げた。
「纏向静香の妹、琴音」
 琴音は、一言小さくつぶやいただけで、後はガラス細工のような透き通った瞳で瞬きもせず見つめてきた。顔立ちは静香そっくりなのに、その無機的な視線には、静香からは決して感じなかった一種異様な冷気をはらむ威圧感を覚える。その冷気がふっと途切れたのは、可愛らしい日本人形のような少女がずいと前に乗り出してきたからだった。
「ボクは、眞脇紫(むらさき)。由香里お姉ちゃんのおとう……」
「いもうと、でしょ!」
「ち、違う! ボクは男なんだから」
「だって女子の制服着てるし」
「ってこれは! 皐月が着ろ着ろってうるさいからでしょ!」
 眞脇由香里をおしとやかにして髪をセミロングに伸ばしたら、こんな感じになるのだろうか。気品すら感じさせるきめ細かい白い肌に整った顔立ちが麗夢にはまぶしい。声も変声期前のせいか、ボーイソプラノよりもまだ一段甲高い様子で、全く男の子の声には聞こえない。その少女、いや少年は、アニメの声優のような声を張り上げ、恥ずかしさに首まで真赤に染めて後ろの皐月に食ってかかった。だが、多分いつものことなのだろう。皐月はニヤニヤしながら適当にあしらっているばかりで、少年の抗議は一向に功を奏していないようだ。
「もういい! だから着るの嫌だったんだ! もう着替えるからね!」
 紫は、麗夢が目の前にいるのも忘れ、憤懣やるかたないという様子で部屋から出て行こうとした。
「もう今更遅いのよ、紫ちゃんはすっかりオンナノコなんだから」
「何をバカ言ってんだ。ボクは女の子じゃない」
「おかしいな、改造は済ませて置いたハズなんだが」
 出入口で反射的に振り返った紫少年の耳に、ぼそっと子供らしからぬ落ち着いた声が届いた。紫はビクっと身をすくませると、その声の主、最後尾で控えていた少女に振り向いた。
「って? ど、どういうコト? ま、まさかボクが寝てる間に……?」
「そう、そのまさかだ。皐月がどうしてもって言うんでな、ちょちょいと」
 少女は、制服の上からラフに白衣を羽織り、顔の前に立てた右手人差し指を軽く左右に振って、紫にウインクした。紫はみるみる顔を青ざめさせると、恐る恐るスカートの腰の部分、へその辺りに手を入れて隙間を作り、慎重にのぞき込んだ。
「そ、そんなバカな……! あ、ぁあーっ! 無い! 無い無い無い! ど、どこにやったんだよ!」
「チャーンと保存液につけて液体窒素に沈めてあるから、心配はいらん」
「ひっ! な、なんてことを! 今すぐ戻して! こんなのやだよぅ!」
「だと、皐月どうするぅ?」
「もう、紫ちゃんはわがままなんだから」
「誰がわがままだァっ!」
「しょーがない。後で直してあげて。その代わりに……」
「……ん? うむ。了解した。早速準備しよう」
 皐月が白衣の少女に耳打ちすると、少女も親指を立てて同意を示す。
「ちょ、ちょっと、他に何やるの? ねえ、ねえってば、教えてよ!」
「心配いらん。全て私に任せておけば大丈夫」
「そうそう、天才生物学者の腕に間違いなんてないの」
 口々に言い募る白衣の少女と皐月に、琴音も静かに2回、コクコクと頷いた。
「そんなの信用出来ないよ!」
「まあそんなことより、お客様を待たせたら悪いわ。自己紹介済ませちゃいましょ」
「おお、そうだったな、紫がつまらぬことでゴネるから、いらぬ時間を取ってしまった」
「つまらないことって……」
 紫少年(暫定的に少女)は、がっくりとうなだれてその場にへたりこんだ。少年が観念したところで、麗夢そっちのけで繰り広げられた寸劇はようやく一幕終えたらしい。白衣の少女が、ちょいとごめんよ、と手刀を切りながら、皐月の前に歩み出た。
「済まない済まない。私だけ自己紹介が遅れて。さて、私の名は斑鳩星夜。日登美ねえの妹だ。よろしく!」
「星夜ちゃんは、生物学の天才なんだよ」
「趣味は改造人間、尊敬する人は死○博士だ。もちろん、死夢羅博士のことではないぞ」
 趣味云々で麗夢は我慢の限界が来たのを自覚したが、後に続いた単語ヘの驚きが、その全てを吹き飛ばした。
「し、死夢羅を知っているの?!」
 少女らへの不審感もさることながら、彼女が死夢羅=ルシフェルを知っていると言うことが麗夢には衝撃であった。一方の皐月は、実に軽い口調で麗夢に答えた。
「とーぜんでしょ! 私たちは原日本人の4人の巫女の後継者。麗夢ちゃんの正体も、夢守の民の末裔のことも、みーんな、知ってるよ」
 絶句する麗夢の様子にひとしきり満足したのか、皐月はまだへたりこんでいる紫を立たせると、改めて麗夢に向き直って胸を張った。
「どう? 麗夢ちゃん。私たちのこと、理解できた?」
 アニメか何かなら、きっとドーンとかバーンとか、花火でも上がって、効果音の一つも鳴り響いた事だろう。麗夢は確かにそんな幻聴を聞いたような気がして、頭が痛くなった。あの姉にしてこの妹達あり、と言うことなのか。死夢羅や自分の正体をも知っている原日本人の後継者が現れたと言うのに、そんな衝撃的な出来事への驚きよりも、今は異様な疲れの方が自覚される。
「……で、その制服は何?」
 とりあえず難しいことを考えるのはやめよう、と、麗夢は頭を抱えつつ、さっきから気になっていたことをまず口にした。とにかく頭を冷やし、状況を整理しないと、とてもついていけない。
 すると皐月は、軽く口を尖らせて麗夢に言った。
「あれ? 随分キホンから聞くのね? まあいいわ。それは私たちが、南麻布学園初等部6年生の生徒だからよ」
「初等部ですって?」
 そんなモノがこの学校に有っただろうか? 
 いや、他にも何か引っかかったような気が……。
 麗夢はもう一度4人を順番に見て、後ろでしょげている少年、いや、今は少女? に視線を止めた。そうだ、彼女は今、南麻布『学園』と言った。ここは『女』学園だ。彼がいるのはそもそもおかしいじゃない。
「……それじゃあもう一つ聞くけど、どうしてそこに彼がいるの? ここは女の子の学校よ。それとも、初等部と言うのだけは共学なの?」
「麗夢ちゃん、紫はオンナノコだってば」
「だから違うって」
 すかさず否定する紫に、ハイハイと手を振ると、皐月は麗夢に問いかけた。
「まあいいわ。それより麗夢ちゃん、いつからここが女の子の学校になったの?」
「え? いつからって、ずっとここは女学園なんじゃ……?」
 言いかけた麗夢の頭が、軽くズキッと痛んだ。何か、無理やり感覚をねじ曲げられたような不快感が、一瞬だけ鋭く走り抜ける。その直後、麗夢は愕然として自分の記憶を疑った。確かにここは高等部だけの「女学園」だったはずだ。それなのに、今、自分の記憶は、ここを共学の小中高一貫教育校として認知している。
 二つの相容れない記憶が麗夢の混乱を一層増した。
 思わず頭をふった麗夢は、今もまだ皐月が大事そうに抱えている綺麗な小箱に気がついた。そうだ。きっとあの箱、あの箱から出ていた煙に、何か秘密があるに違いない。調べないと!
「皐月ちゃん、って言ったわね。ちょっとその箱を見せてもらえるかしら?」
 人数が多くても、そして彼女たちがあのアッパレ4人組の後継者だったとしても、所詮は小学生。体格も小さければ、力も弱いに違いない。麗夢もまたあまり体格に恵まれた方ではないが、聖美神女学園でもやったように、不良女子高生たちとやりあうくらいの体さばきはできる。それからしたら、女子小学生など恐れるに足りない。
 麗夢は無造作に手を伸ばして、皐月の箱を取り上げようとした。すると皐月は、さっと箱を頭上に持ち上げて身を翻すと、仲間の少女たちに呼びかけた。
「それっ! 逃げろ!」
「あぁっ! 待って! 待ってたら! もう! この、待ちなさい!」
「きゃあーっ!」
 蜘蛛の子を散らすように、とはまさにこのことを言うのだろう。少女たちは一斉に部屋から飛び出すと、思い思いの方角に走って逃げた。だが麗夢の狙いはただ一つ、あの箱を持つ荒神谷弥生の妹だけだ。麗夢は大急ぎで部屋から出ると、そのツインテールが跳ね逃げるところを目ざとく見つけ、追跡を開始した。いまここで何が起きているのか、彼女たちは何をしようとしているのか、それを今すぐ確かめないと! 
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02.悪夢の後継者 その1

2010-03-06 10:50:34 | 麗夢小説『夢の匣』
 『む、無念……。麗夢……ど……の……』
 ガタン! と突然の大音響に、麗夢は飛び上がらんばかりに顔を上げた。
 いつの間にか居眠りをしてしまっていたらしい。
 振り向くと、壁に立てかけていた錫杖が倒れ、床に転がっている。あの、夢の剣でさえ歯が立たなかった斑鳩日登美のパワードプロテクターを一撃で粉砕した、円光渾身の業物である。
 麗夢は椅子から立ち上がり、錫杖を拾い上げて立て直した。
 さっき、円光の声が聞こえたような気がして、改めて耳を済ましてみる。しかし、麗夢の耳に入るのは、遠くの梢でさえずる小鳥の歌のように、初夏の微風に乗って窓越しにささやいてくる、学園のそこここで奏でられる明るい歓声ばかりであった。
 麗夢は、気のせいだったか、と小さく欠伸をしながら、さっきまで座っていた椅子に座り直した。
 ほんの数日前まで、学園でも1,2を争ったに違いないにぎやかさを誇った部室は、ただ空ろな空気に支配されていた。明るい光と明るい声、それに涼やかで暖かな初夏の空気が外からふんだんに流れ込んできているのに、その全てのエネルギーがそのままどこか別の次元に吸い出されているかのようだ。
 麗夢は、軽く汗ばむほどの気温とは裏腹に、むき出しの腕へ鳥肌を立てた。そっと自分をかい抱くように、胸の前で腕を交差する。
 死んだわけではない、とは判っていても、彼女たちの現実世界への帰還は、絶望的なまでにありえない。
 荒神谷弥生、纏向静香、眞脇由香里、斑鳩日登美。
 麗夢の同級生にして原日本人の4人の巫女達は、学園地下の洞窟で、彼女らが信奉する闇の皇帝とともにいずくとも知れぬ異次元へ封じ込められた。
 ついこの間のことだったのに、既に記憶ははるか昔の事だったかのようにさえ感じられる。いや、ひょっとしたら、と麗夢は思い直した。ずっとずっと以前、まだ原日本人が大勢いて、夢守の民も一緒に暮らしていた遥かな古代。その時にも、今回の事件と同じようなことがあったのかもしれない。麗夢の前世と彼女らの前世で、同じような邂逅と別れを経験していたのかもしれない……。
 しかし、結局は判り合い、助け合うことはできなかった。
 いかなる理由があろうとも、麗夢には、原日本人の恨みと願いを断ち切れなかった彼女らの暴走を許す訳にはいかなかったのだ。たとえ今、耐え難いほどの喪失感に苛まれていても、夢守の民の末裔として、麗しき夢を守る使命を帯びた自分には、他に採りうる選択肢は無い。
 頭では理解できるそのことが、理解できるがゆえに虚しく、うそ臭くさえ感じられる。
 こうして人気の無い古代史研究部=古代民族体系保存会=ESP研究会=戦略兵器研究会、の部室に一人たたずんでいると、ひょっとして、間違っていたのは自分の方だったのではないか、という錯覚すら起こしそうで、麗夢は思わず頭を振った。
 いつまでも落ち込んでいてもしょうがない。地下洞窟に何か気になることがある、と言った円光、そしてそれについていった鬼童、榊の一行が戻ってくれば、麗夢もこの学園での潜入捜査を終了する。青山42番地のぼろアパートに戻り、偽りの学生生活から、いつもの探偵稼業へ帰ることになるのだ。アルファ、ベータも待っているし、一刻も早く帰りたいと思う反面、なんとなく名残惜しさも覚えて、結局は部室でまた椅子に座り、頬杖を突く麗夢であった。
 しかし、実のところ、こうして改めて部室をなにげに見回してみても、4人の痕跡は全く残っていない。
 女子高生4人が忽然と消えたりしたらそれこそ大騒ぎになっても不思議ではなかったはずなのに、闇の皇帝を呑み込んだ結界のためか、はたまたあの4人が何らかの手を打っていたのか、学園には、麗夢をのぞいて、4人の存在を知るものは一人も残っていなかった。麗夢自身当ってみたわけではないが、鬼童によると学校の名簿を初めとする公式な記録にも、「あっぱれ4人組」の事は何一つ残っていないというのである。
 そもそも麗夢がいるこの部室自体、麗々しく入り口に掲げられていた古代史研究部=以下略、の看板が無くなっている。部屋は以前から物置場でした、と言われたら疑いも無く頷いてしまいそうなほどに、雑然と埃を被った机と椅子があるだけで、他はがらんとしている。
 麗夢を戦慄させ眞脇由香里を苦しめた「古代民族体型保存ギブス」や、闇の皇帝の脅威を解析し記録していた松尾亨のパソコン、斑鳩日登美が吹き飛ばしたアブナイ実験室のドアまでもが、きれいさっぱり跡形も無く消え、ただの空き室になっていたのだ。まるで、この間の喧騒と恐怖が文字通りの夢であったかのように、その足跡はどこにも残っていない。でも、たとえ覚えているのが自分だけだったとしても、私だけは絶対忘れないでいよう、と麗夢は思った。それは、彼女らの夢と未来を封印した自分の義務であり、今を生きる夢守の民としての責務なのだ。麗夢は軽く目を瞑った。今でもまるですぐ側にいるかのように、明るく元気良い彼女達の声が脳裏に浮かぶ。そう、まるで聞こえているかのように……?
「麗夢ちゃん!」
「どうしたの? こんなところで一人たたずんで」
「ひょっとして、『いいヒト』でも思い出していたのな?」
「ま、なんてふしだらな!」
「あーん、あたしのこと思い浮かべてくれなくちゃいやぁん」
「あ、あなた達、一体どうして……」
 振り返った麗夢が絶句するうちに、南麻布女学園の緑の制服を身にまとった4人の少女達が、入り口にたたずんでいる。
 満面の笑みで手を振る眞脇由香里。
 じっと裏を探るかのように見つめる斑鳩日登美。
 眉をひそめてずれた眼鏡を直す荒神谷弥生。
 そして、いたずらっぽく唇を突き出す纏向静香……。
 背中に冷たい汗が流れ、麗夢は思わず身震いした。
 ありえない。
 彼女達が現世に蘇るなど、どう考えてもありえない。
 鬼童が持参した「思念波砲」で構築したあの結界は、麗夢と円光の二人の死力を振り絞って作り出した白の想念の結晶だ。原日本人の末裔として、現日本人への復讐に燃える黒の想念に囚われた彼女達に破れる代物ではない。もし、万が一にも彼女達がその奇跡を実現して蘇ったのだとしたら、闇の皇帝だって黙って封印されたままではすまないだろう。だが、彼女たち4人は、そんな麗夢の懸念などまるで眼中に無いかのように、朗らかに部屋に入ってきた。
「何がどうして? なの?」
「まるで幽霊でも見たみたいだけど」
「しっかりなさい。麗夢さん」
「寒いんなら暖めてあげちゃおうかな?」
 手を広げて今にも抱きついてきそうな纏向静香に、麗夢は思わず立ち上がった。
「だ、だってあなた達は……?」
 動転していた麗夢の胸に、何か言い知れぬ違和感がよぎった。
 何かおかしい。
 麗夢は、部屋の奥に後ずさりながらその違和感の正体を探り、ようやくその正体に気がついた。
 夢の気配だ。
 衝撃的なその姿に翻弄され、直ちに気づくことができなかったが、落ち着いて意識を集中すれば、肌に慣れた独特の感じが濃厚に当りを支配しているのが判る。
 麗夢は油断無く4人をにらみ据えると、鋭く一言、言い放った。
「あなた達、誰なの?!」
「誰って、麗夢ちゃん大丈夫ぅ?」
「おいおい、ほんのちょっといなかっただけで忘れるなんて、私達ってそんなに印象薄い?」
「しっかりしてよ麗夢ちゃん」
「違うわ!」
 口々に呼びかけてくる4人の少女の口を、麗夢の叫びが縫いとめた。先頭を切って近づこうとした纏向静香が、突然凍りついたかのようにその場に立ち止まり、荒神谷弥生以下の3名も、それぞれ笑顔を凍りつかせて麗夢を凝視する。
「さあ、正体を明かしなさい! こんな無神経ないたずらをするのは誰なの?!」
 すると、固まっていた4人の体がぶるぶると震え出し、やがて、こらえきれぬとばかりにおなかを抱え、背中を丸めて、絞り出すように笑い始めた。
「さ、さすが夢守の民の末裔さんね、初めの驚いた顔はすっごく面白かったけど、やっぱり引っかかんなかったか」
 ひぃひぃ笑い声を引きつらせながら、荒神谷弥生がようやく体を伸ばし、麗夢を見た。それに習うように他の3人も顔を上げた。
「じゃあ、自己紹介しましょう」
 荒神谷弥生が、軽く会釈した。
 いつの間に手にしたのか、裁縫箱のような錦の模様もあでやかな箱を抱えている。どうやら、濃厚な夢の気配はその箱から漏れ出ているようだ。
「何なのその箱は?」
 麗夢がそのことを問いかけようとしたその時だった。荒神谷弥生が箱に手をかけ、ずらすように上ふたを外した。とたんに舞台演出用のドライアイスのように、真っ白な煙がもうもうと箱から流れ出し、4人の姿を覆い隠した。ほのかに梅か桃の花のような甘い香りが鼻を突く。とっさに口元を覆った麗夢は、次の瞬間には、あっと驚いて立ち尽くした。あれほど濃厚に辺りに充満した白い煙が、瞬きする間もなく一瞬で消え去ったからである。そして、荒神谷弥生達が立っていた場所には、見慣れぬ4人の小さな女の子が、ほぼ同じ姿勢のまま立っていた。まるで高校生の4人をそのまま縮小コピーしたようなその姿に、麗夢は唖然として見つめるばかりだった。
「初めまして、麗夢ちゃん。私は、荒神谷皐月。弥生お姉ちゃんの妹にして、原日本人4人の巫女の後継者だよ」
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01.地下迷宮謎の少女 その2

2010-02-27 20:56:34 | 麗夢小説『夢の匣』
 少女の真下まで歩み寄っていた円光も、離れて見守っていた榊と鬼童も、少女の言った言葉がすぐには理解出来なかった。もう一人? おじいちゃん? いや、自分達は3人連れで、おじーちゃんと言われるような年の者もいない。もっとも少女からしたら榊は既におじさんではなく、おじーちゃんかもしれないが……。鬼童が反撃とばかりに意地悪い笑みを浮かべながら、隣の榊に呼びかけようとしたその時。
 鬼童の手にした装置から、突然耳障りな警報音が鳴り響いた。何事?! と思う間もなく、一同の背中に、いきなり氷柱を突っ込まれたかのような冷気が襲いかかってきた。円光は驚きつつも錫杖まで走り寄り、改めて榊らの背後から発散される、猛烈な殺気に身構えた。やがて、闇の中からにじみ出るように、銀髪を戴いた痩せこけた老人が、人を見下す冷ややかな笑みに唇を歪めつつ、浮かび上がってきた。
「よく分かったな、小娘……」
 少女も、お返しとばかりに朗らかな顔でにっこり笑った。
「ごきげんよう。ルシフェルのおじいちゃん」
「死夢羅!」
「ど、どうしてここに!」
 榊と鬼童が思わず叫び声を上げた。死夢羅は、ちらりと鬼童の方に視線を向けると、誰に言うとも無くひとりごちた。
「うるさい。少し静かにしていろ」
 同時に、死夢羅が無造作にマントから右手を振りだした瞬間、ガシャン! と機械を岩に叩きつけたような耳障りな音がこだまして、うるさく警報音を鳴り響かせていた鬼童の装置が沈黙した。死夢羅の右手に握られた仕込み杖が瞬きする間もなくその先端を飛ばし、鬼童の装置を破壊したのである。
「あ、あああ、……」
 大切な測定装置を破壊され、悲鳴も出ない鬼童に一瞥をくれると、じゃらん、と鎖の音を残して、仕込杖が再び死夢羅のマントに引き込まれた。
「おのれっ!」
 円光が錫杖を振り上げ、鬼童と榊の元に駆け寄った。今、死夢羅に対抗できるのは円光しかいない。しかも、この闇の中では圧倒的に不利だ。思わず脂汗がにじむ円光に対し、死夢羅はもう興味はない、とばかりにあっさり無視すると、頭上の少女に呼びかけた。
「我が名を知る者ならあえて問う必要もあるまい。さあ、出してもらおうか」
「なーに? 出して欲しいものって?」
 空とぼける少女に、ルシフェルは更に一段と皮肉っぽい笑いで唇をひねり上げると、もう一度言った。
「そこの若造のごとく、餓鬼と戯れる趣味はない。さっさと出せ。貴様ら原日本人の秘宝を」
「原日本人?!」
「秘宝?」
 死夢羅にまでこき下ろされて茫然自失の鬼童も、その言葉には鋭く反応した。榊と円光も、死夢羅の言葉に耳を疑う。一方の少女は、死夢羅の恫喝にもさして脅威を憶えていないのか、至ってのんびりした口調で答えた。
「何? これが欲しいの?」
 左手で頬杖をついたまま、少女は右手の平を上に向けて、そこに鎮座する小さな箱を見せた。
「それだ! その玉櫛笥(たまくしげ)を渡せ!」
「なんだ? 玉櫛笥って?」
 死夢羅が勢い込んで右手を伸ばした。榊と円光も、少女の手にある10センチ四方ほどの小さな箱を見て首を傾げた。あれほど死夢羅が欲しがるもの、原日本人の秘宝とは、あの小さな箱のことなのか? 一方鬼童は、その言葉と箱を見上げ、驚きもあらわに思わずつぶやいた。
「た、玉櫛笥って、まさかあの!」
「そうよ、玉手箱って言えば、そっちのおじさん達も分かるかな?」
「玉手箱だって?!」
「そう。玉手箱。竜宮城のお土産よ」
 驚く榊と円光に構わず、死夢羅は苛立たしげに叫んだ。
「呼び名などどうでもよいわ! さあ、それを渡せ!」
 一旦マントに右手を引いた死夢羅が、抜き打ちにその手を突き出した。その瞬間、強靭な鎖で連結された仕込杖の先が、マントを割って少女に襲いかかった。
「させん!」
 円光が錫杖を振り上げ飛び上がった。さっきは距離があって鬼童のからくり破壊を止められなかったが、同じ失敗は二度としない。勢い良く頭上高く突き上げられた円光の錫杖が、すんでのところで仕込杖の鎖を絡めとった。はったと地上に降り立ち、巨大魚をヒットした釣竿のように、円光はその錫杖を渾身の力を込めて引き寄せた。
「これ以上の狼藉は、この円光が許さん!」
「おのれ! 邪魔するか!」
 死夢羅も見かけからは及びもつかない膂力を発揮して、円光満身の引きを受け止めた。榊もようやく事態の急展開に頭が追いついたのか、懐から拳銃を取り出し死夢羅を狙う。鬼童はなんとか一矢報いんと、ポケットに手を突っ込んであたりかまわず色々な装置を取り出した。何か死夢羅にダメージを与えられる装置はないか、と必死に探る。やにわに騒がしくなった洞内を見下ろしながら、少女は小さく欠伸をした。
「そろそろやめたら? おじさん達。皆もう、仲間なんだから」
「な、何を世迷い言を……っ!、あ、駄目だ開けるな小娘!」
「えへへ、残念でした! もー開けちゃったよ?」
 死夢羅が、恐らくは生涯初めてあげるであろう絶望的な悲鳴をこだまさせた。対する3人も、死夢羅が見せた思わぬ狼狽に、目を丸くして驚いた。その足元に、闇の中でもはっきり分かる、白い煙が漂ってきた。
「な、何だこの煙は!」
「ま、まさか玉手箱の煙と言ったら……」
 困惑し、新たな恐怖にぞっと背筋を震え上がらせた榊、鬼童に、死夢羅が歯ぎしりして言った。
「この慮外者めらが……、貴様らさえ邪魔しなければ……」
 円光も、その煙に充満する異常なまでの力に、新たな戦慄を隠せなかった。
「な、なんと、これほどの夢の力は初めて見る……」
「ふふふ、生まれ変わった新しい人生を生きてねっ」
 少女の最後の言葉が耳に届いた頃、榊、鬼童の意識がふっとろうそくの炎を吹き消すように消し飛んだ。
「む、無念……。麗夢……ど……の……」
 わずかに円光は永らえたが、それでも少女を改めて見やるのが限界だった。3人の男たちが次々と倒れ伏す中、死夢羅は最後まで少女を睨み据え、充満する白い煙に沈んでいった。
「おのれぇい、小娘と思い油断したわ。だが忘れるな小娘ぇっ! わしは夢を統べる夢魔の王、メフィスト=ルシフェルだ。その名にかけて、この借り、必ず返してもらうぞ……」
「楽しみにしてるわね。おじいちゃん」
 最後に死夢羅の意識が捉えたのは、まるで古えの巫女のように並んでウインクする、4人の少女達の姿だった。
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01.地下迷宮謎の少女 その1

2010-02-21 21:00:00 | 麗夢小説『夢の匣』
 あっ、という聞き慣れた小さな叫び声を追いかけるように、がらん、と音を立てて、人の頭ほどもある石が一つ、いずくとも知れず転げていった。「大丈夫か、鬼童君!」と白いハンドライトの光芒が辺りの闇を一瞬だけなぎ払い、けつまずいて片膝をつく瀟洒なスーツ姿を照らし出す。
「大丈夫です。榊警部、それよりちょっとここ照らしてもらえませんか?」
 鬼童は身体のことよりも、極太のストラップで肩から下げた巨大な拡声器のような装置の方が気になるらしい。呆れる榊を呼びつけた上に、自分が手していたペンライトも口に加えて、倒れた拍子に地面にぶつけてしまった装置先端を両手で念入りに撫でさすっている。円光はとりあえず緊張を解くと、もう一度闇をすかすように前方を睨み据え、目の前に錫杖を突き立てた。
 南麻布学園地下迷宮。
 つい先日、ここに封じられていた「闇の皇帝」と言う名の一つの悪夢を巡り、原日本人の末裔達と麗夢、円光、鬼童との間で熾烈な闘いが演じられたのだが、空爆とした暗闇に、その名残は何もない。
 あの時、麗夢と円光の力を合わせ、鬼童海丸が持参した思念波砲なるからくりを用いて、この闇に充満した黒の想念をきれいさっぱり浄化し、再び封じ込めたのだ。既にここは、円光の、負の力や悪の気配にすこぶる鋭敏な皮膚感覚をもってしても、ただの廃墟以外の何ものでもない。しかし……。
円光は、両の手を複雑に組み合わせ、真言を一つ唱えて改めて意識を集中させた。額の梵字が白くおぼろに光り、闇の中に端整な顔立ちを浮かび上げる。
 感じる。
 方角は……、どうやら更に奥の闇の彼方らしい。
 だが、正邪は不明。
 生き物が放つ命の炎なのか。妖しの器物が漏れこぼす不穏な瘴気なのかも不明。
 ただ、曰く言い難い何かが存在する気配が、小さく、しかし鋭く円光の超感覚を刺激するのだ。
 円光は再び目を開くと、ようやく榊に促されて立ち上がった鬼童が言った。
「でも、本当に何かあるのかい? 円光さん。僕のセンサーには一向に引っかからないんだが」
「拙僧にもしかとは判りかねる。だが、確かに何かがある」
 円光は、その、自分を呼ぶかのように気配を放つ「何か」を見据えるように闇を凝視した。
「円光さんがそう言うのなら、そうかも知れないけどね……」
「とにかく先を急ごう。あんまり気持ちのいい場所ないからな」
「確かに。円光さん、行くよ」
 じっとして動かない円光に、榊と鬼童が榊と鬼童が先を促した。円光も、うむ、と軽く頷くと、再び錫杖を手にとった。
 実際は、大した問題はないのかも知れない。
 闇の皇帝が封印され、原日本人四人の巫女達が祭壇を築いたほどの場所だ。その祭具なり、結界の残滓なりが残っていて、異彩な気配を放っていたとしても不思議ではない。このまま進んでようやく辿り着いた先に、かつての祠跡や宝玉のなれの果てが転がっているだけというのも充分に考えられる話だ。
 だが、万一と言うこともある。
 円光は、ともすればこんな気配は捨て置いて、今一番気がかりな地上の一隅に駆け付けたい気持ちを抑え込んだ。
 何にせよここは原日本人が護り続けてきた霊場なのだ。そこに何かの気配がぬぐい去れないでいるとあらば、まずはその所在を確かめ、正体を見極めねばならぬ。大事ない。あの人はお強い。
 円光はもう一度闇を見据え直すと、がれきの山と化した地面に、草鞋の足を進めていった。
「それにしても、東京の地下にこんな大空洞があろうとはな」
 ひとしきり、懐中電灯のビームを走らせ、榊が驚きを隠せない様子でひとりごちた。天井は多分10mを優に超えるだろう。土がむきだしの壁面は、榊の両側に余裕で数メートルの空間を隔ててそそり立っている。そして、その奥行は単一電池4本の生み出す光では到底届かないほどに深く暗い。それが、都内でも有数の規模を誇る南麻布女学園キャンパスの下に広がっていようとは、多分ほとんどの人間が知らないに違いない。
「防空壕に使われたという記録もないみたいですし、上の学園の建物を建てた時にも気づかれなかったと言うのはまさに奇跡と言うよりありませんね」
 鬼童も慎重に足を運びながら榊に答えた。
「それも原日本人とか言う輩の力なのかな?」
「そうかも知れませんね。とすると、彼女らが闇の皇帝とともに封印された今は、相当脆くなっているかもしれませんよ」
「脅かさないでくれよ、鬼童君。こんなところで生き埋めなんて、洒落にならんぞ」
「ハハハ、警部も心配症ですね。多分まだ大丈夫ですよ。昨日今日できた穴と言うわけでもないですし……」
「しっ! 静かに」
 多分不安もあるのだろう。饒舌に話を続けていた二人を、円光が鋭く制した。何事? と円光を見やると、歩みを停め、左右の闇に視線を走らせて、何かを探っている様子である。
「な、何かあったのか? 円光さん」
 榊がその墨染め衣の背中に追いつき、不安げに小声で問いかけると、円光は鬼童は装置のデータ表示用液晶を凝視し、手元の感度調整ダイヤルを軽く動かしてみた。
「うーん、円光さんは何か感じ取っている様子なのに、センサーはノイズしか拾ってない。まだまだ装置の改良が必要だな……で、円光さん何が……」
「おじさん達誰? ここに何しに来の?」

 暗闇の中、突然掛けられた幼い声に、榊と鬼童は飛び上がらんばかりに驚いた。何かある、と直前に緊張の度を高めた円光でさえ、一瞬確かに気をとられ、錫杖を握る手に思わず力が入った。その間も榊と鬼童のハンドライトがめまぐるしく洞窟内に白い光芒を引き、その声の元を探すが、反響する声の方角を見極めるのは、さしもの円光でも難しいものがあった。
「どこ照らしてるの? こっちよ、こっち!」
 再び甲高い女の子の声が3人の耳を打ち、ライトの光が更に狂ったように土壁を次々と照らし上げて行く。やがて、円光の視線が正面やや左上の闇を凝視すると、二人に注意を促した。
「榊殿、鬼童殿。あそこだ」
 円光の指し示す錫杖の先を追いかけるように二つの光が接近し、ついに一点に集中したとき、その光は、明らかに場違いなモノを白く浮かび上げていた。
「やっほー」
 高さにして5m位の所だろう。岩でも露出しているのか、土壁の一部がテラス状にせり出しているその上で、一人の小さな女の子が俯せになって3人をニコニコと見下ろしていた。
「き、君は誰だ。こんなところで何をしている?」
 職業柄か、まず榊が真っ先に声をかけた。すると少女は、ニコニコした表情を崩さずに、頬杖をついてまた言った。
「人の事を尋ねる前に自己紹介しなきゃ」
「これは失礼した。拙僧は円光と申す修行中の者。こちらの二人は、拙僧の有人の榊殿と鬼童殿だ」
 円光が3人を代表して返事すると、少女は更に嬉しそうに円光に言った。
「あら、以外に礼儀正しいね」
「おいおい、円光さん、子供相手になに生真面目に自己紹介してるんだ」
 鬼童は、呆れ返って円光をたしなめると、朗らかに笑う少女を見上げた。
「それより君、その服は南麻布女学園の初等部の制服だろう? 小学生の君こそこんなところで何してるんだ!」
 すると少女は、すっと笑顔を収めると、何か変なものでも見たかのように眉を顰めた。
「へーぇ、この服を初等部の制服って見分けるなんて。おじさん、ひょっとしてヘンな趣味のヒト?」
「バ、馬鹿な事を言うな! 僕はみ、南麻布女学園高等部の教師、鬼童海丸だ! 断じて、ヘンな趣味のヒトじゃないしおじさんじゃない! あぁっ警部! なぁに疑わしそうに見てるんですか!」
 ほぉ-うそんな趣味が……、とすぐ隣にじとっとした視線を向けていた榊は、気を取り直して少女に言った。
「まあそんなことより、確かにここは遊び場と言うにはかなり問題があるな。君、危ないから私たちと一緒に地上に戻りなさい」
「えー、おじさん達の方が危ないんじゃないの?」
「おいおい、私は警察官、円光さんは僧侶だ。まあ確かに彼はちょっと不安だが……」
「警部!」
「冗談だよ。とにかく詳しいことは地上で聞くから、すぐ戻るんだ。円光さん、あの子の所まで行けるか?」
 半分涙目の鬼童をまあまあとなだめつつ、榊は円光に尋ねた。多分、円光の脚力なら造作も無く飛び移り、少女を抱えて無事降りて来られるに違いない。円光も軽くテラスまでの高さと途中足がかりになりそうな壁面の様子を凝視すると、再び錫杖を地面に突き立て、短く返事した。
「承知」
 「そんなつもりで言ったんじゃないんだけどな。まあいいや。もう一人自己紹介まだでしょ? おじーちゃん!」
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新作連載、始めようと思います.

2010-02-21 20:59:00 | 麗夢小説『夢の匣』
 麗夢25周年にあたり、何かしたいな、と思いつつも結局なにもできないまま日々の忙しさと肉体的限界に翻弄されてきたこの頃ですが、ようやく身辺も落ち着いてきたことですし、ここは一発、心機一転一念発起して、自分に出来ることをばとにかくやろうと決めました。で、自分にできることはなんだろうな、と考えてみますと、結局テキスト屋さんにはテキストしかあるまい、という訳で、新しい話を連載してみよう、と言うことからまずは始めてみることにしました。
 なんと珍しく最初から題名を決めていたりするのですが、仮題と言うことでまた機会を見て変更しちゃうかもしれません.あと、思い切って始めてみたわけですが、現時点で全然この先考えていなかったりするので、果たして週一連載できるかどうか、非常に心もとないです、なんて予防線ばっかり張っていても仕方ないので、とにかくやれるところまでやってみましょう。

 本来なら、連載始めは登場人物とか説明するのがセオリーなのですが、それもまだそれほど固まっているわけではありません。できれば、もう少しお話を進めたところで、整理を兼ねてアップしてみようと思います。
 一方舞台背景くらいならなんとか描けますので、それを少し披露して、連載開始の狼煙にしておきましょう。

 原作からお借りする設定は、CDドラマ「南麻布魔法倶楽部」です。過去、2004年に、『夢封じ 大和葛城古代迷宮』としてやってみた訳ですが、あの時は舞台を奈良県に移してやっちゃいましたので、今回は、南麻布女学園に固定し、あのお話の続きを書いてみようと思います。そういうわけで、時間は、あっぱら4人組こと原日本人による「闇の皇帝」復活計画を麗夢達が阻止したその直後です。ただし、ここで同人拡張設定として、南麻布女学園を少しいじらせてもらいます。まあ原作にも別にはっきり書いてあったわけでもないので、許容範囲かと思います。要は単なる高等学校では無くし、私立学校法人では良くありがちなシステムにさせてもらおうと言うわけです。その詳細は、本編にておいおいご確認いただけることでしょう。そして、今回お話の根幹に据える昔話は、「浦島太郎」、で行こうと考えています。前作「白魔の虜囚」では雪女でしたけど、私はもともとそういう昔話を題材にするのが好きなのです。と言ってもちろんそのまま引き写すわけではなく、かっこうフィルターを通して話を解題して利用しちゃうわけですが(笑)。
 では、可能な限り週1連載は守ることができるよう、努力してみましょう。多分順調に行っても、夏を越えて秋位までかかるんじゃないか、と見積もりしているんですが、どうか気長にお付き合いいただければ、と思います。

では、新作小説「夢の匣(ゆめのくしげ)」、始めさせていただきます!

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