半谷範一の「オレは大したことない奴」日記

B級自動車ライターのカオスな日常

Y’s‐CUP 参戦記 その2 オレンジ号編

2009-09-01 21:30:43 | VW 空冷
さて今日は、Y's-CUP参戦記、その2ということで、クラッシャーズの2号車、オレンジ号について書くことにしましょう。

今ではオレンジ号と呼ばれている2号車ですが、元々は我が家の近所に住んでいるVW仲間、Sさんが所有していた車で、当時のボディカラーはこのように水色でした。レギュレーションの関係で一時期シロ号が耐久に出場できなくなってしまったため、うちのカミさんがナンバーなしの状態で譲り受け、耐久用のチームカーとして仕上げました。この水色号の時代、05年のY's-CUPの耐久では “ヒーローしのい” で優勝。年間シリーズ・チャンピオンにもなっています。




翌06年、更なる戦闘力の向上を狙ってフードやフロント・フェンダーをFRPに変更して軽量化。赤フェンダーの “赤フン号” に生まれ変わりました。

レギュレーションの変更で再びシロ号も耐久に参加できるようになったので、2戦目からはクラッシャーズもレディースチームとメンズチームの2台体制での参戦を決定。1号車のシロ号がレディースチーム用、2号車の赤フン号がメンズチーム用の車となりました。

この年、私が2台の監督を兼任した結果、采配ミスが多く耐久ではあまり活躍することができませんでした。しかし、スプリントのAクラスでは坪田大祐さんが乗って見事年間シリーズ・チャンピオンに輝いています。




翌07年、私1人で2台の監督を兼任することが無謀だということが分かったので、2号車の監督は森口信之さんにお願いすることになりました。新たに “スピードジャパン” さんからのバックアップを受けることになったのを機に、ボディカラーもそのコーポレートカラーであるオレンジ色に塗り替えました。オレンジ号の誕生です。

この年、オレンジ号はエンデューロクラスで優勝!。シロ号もスーパー・エンデューロクラスの3位に入賞したので、2台揃ってシャンパンファイトに参加することができました。

昨年はオレンジ号も2.0ℓオーバーのニュー・エンジンを得て、シロ号と同じスーパーエンデューロへとステップアップ。同一車両での2クラス制覇を狙っていたものの、残念ながら些細なトラブルが原因で順位を落としてしまいました。しかし、4時間耐久ならば、まだまだ十分に上位入賞を狙えるだけのポテンシャルを持っていることは間違いありません。






と、いうわけで今年ですが……昨日のブログにも書いた通り、私はシロ号の作業でオレンジ号の走りを見ている余裕はなし。ふと気づいたら、こんなことになってました。



どうやらエンジンがストールして、再始動できなくなった模様。結局レッカーのお世話になってしまいました。まぁキャブ車なんで、熱持っているときは始動にちょっとコツがありますね。別にトラブルっていうほどのもんじゃありません。


その後、予選中に “キーッ、ガシャ” という音がしたので、どこのチームかと思ったら……



……うちのチームでした (笑)。オイルに乗って行ってしまったようです。本日二回目のレッカー車のお世話になりました。 




幸いダメージは軽微なもの。走行に支障はありません。テープで補修して修理完了。




決勝ではこのようにバンパーレスの姿での参加となりました。大きなトラブルはなく、淡々と周回を重ねます。




給油の直前には2位。給油で順位を落としたものの、その後も徐々に順位を上げて行きます。




上位を狙って激走します。ウ~ン、Sタイヤが欲しい!




結果は総合5位、クラス4位で完走。クラス3位のチームとは同一周回でわずか12.494秒差でした。惜しい!。でもタイヤだとか何だとか、まだまだ戦闘力を向上させることは可能なので、次回が楽しみです。

これが今回のSJクラッシャーズのドライバー達。後列左からエースドライバーの宇野努さん、スピードジャパン社長の小澤一彰さん、堅実な走りで4耐には欠かせない神薗拓哉さん、チームの代表で監督でもある森口信之さん。前列左から今回がY's-CUP初参加の芥川貴之志さん、最後に切れた走り?を見せてくれたスピードジャパンの北村竜也さん。



さて次回は10月12日。筑波1000での1時間耐久です。もちろん2台体制で参加の予定です。
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