投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 3月 6日(土)10時36分9秒
先の投稿はあまりに唐突だったので、そもそも即位法とは何かについての説明を『中世王権と即位灌頂』序章から引用しておきます。(p11以下)
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本書では、天皇の即位儀礼に関する資料に登場する「天皇」の位置を、史実、叙述、構想という三つの側面から捉え、論を進めている。また、本書で論じる即位灌頂については、各章ごとにそれぞれ個別の研究史を論じているため、以下では、即位灌頂を論じるうえで、押さえておくべき点を述べておきたい。
即位灌頂とは、摂関家から即位予定の天皇に印明が伝授され、即位儀礼の当日、天皇が高御座(たかみくら)で伝授された印を結び、明を唱える行為のことである。そして儀礼前、天皇に印と明の内容を伝授したのが、二条摂関家である。この行為を印明伝授という。
即位灌頂をめぐる現在の研究状況は、歴史学の分野で行われているほか、説話や伝承との関わりでアプローチする日本文学や宗教思想史、インドの王が行った灌頂儀礼に日本の即位灌頂の源泉を求める比較宗教史、仏教史の展開のなかで即位灌頂を捉えた仏教史学など、複数の学問分野で行われているが、それぞれの分析の視座や文脈は異なっている。一方、即位灌頂に関する問題として、即位儀礼で天皇が印明を結ぶ、いわば国家儀礼の場で天皇が行う即位灌頂とは別に、寺院伝来の聖教に記された寺家即位法というものが存在していた。この即位法は、天皇が即位灌頂のために摂関家から伝授される印明とは異なる次元のものである。たとえば、上川通夫氏は、寺院における即位法の主張について、天皇の正統性を仏教的に強調し、集団内部の仏弟子再生産を行いながら、総体的には天皇の正統性の保証を指向した寺家側の論理であると位置づけられた。(後略)
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「国家儀礼の場で天皇が行う即位灌頂」については、中世は小川剛生氏の研究、近世は橋本政宣氏の研究によって、その実態がほぼ明らかにされています。
それを私流に平たく言えば、即位儀礼は要するに「二条家の二条家による二条家のための儀礼」であって、二条家は二条師忠とその16歳上の異母兄、道玄が頑張って天皇の即位儀礼に「即位灌頂」という珍奇な儀礼をねじ込んでくれたおかげで、実に孝明天皇の時代まで、公家社会の中で自家の存在意義を確保できた訳ですね。
しかし、もちろんこの儀礼は道玄がある日突然思いついたようなものではなく、その背後には仏教と天皇の関係、寺院社会と天皇の関係について、寺院社会の中で蓄積されていた膨大な思惟が存在しており、また、伏見天皇の即位により「国家儀礼の場で天皇が行う即位灌頂」が現実化した後も、寺院社会の中で更に膨大な思惟が継続的に蓄積された訳ですね。
その膨大な思惟のごく一部である寺院即位法に限っても、その内容は非常に複雑で、様々なバリエーションが生まれてくるのですが、難解すぎて私にはなかなかついていけない世界なので、興味がある方は『中世王権と即位灌頂』を読んでみてください。
先の投稿はあまりに唐突だったので、そもそも即位法とは何かについての説明を『中世王権と即位灌頂』序章から引用しておきます。(p11以下)
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本書では、天皇の即位儀礼に関する資料に登場する「天皇」の位置を、史実、叙述、構想という三つの側面から捉え、論を進めている。また、本書で論じる即位灌頂については、各章ごとにそれぞれ個別の研究史を論じているため、以下では、即位灌頂を論じるうえで、押さえておくべき点を述べておきたい。
即位灌頂とは、摂関家から即位予定の天皇に印明が伝授され、即位儀礼の当日、天皇が高御座(たかみくら)で伝授された印を結び、明を唱える行為のことである。そして儀礼前、天皇に印と明の内容を伝授したのが、二条摂関家である。この行為を印明伝授という。
即位灌頂をめぐる現在の研究状況は、歴史学の分野で行われているほか、説話や伝承との関わりでアプローチする日本文学や宗教思想史、インドの王が行った灌頂儀礼に日本の即位灌頂の源泉を求める比較宗教史、仏教史の展開のなかで即位灌頂を捉えた仏教史学など、複数の学問分野で行われているが、それぞれの分析の視座や文脈は異なっている。一方、即位灌頂に関する問題として、即位儀礼で天皇が印明を結ぶ、いわば国家儀礼の場で天皇が行う即位灌頂とは別に、寺院伝来の聖教に記された寺家即位法というものが存在していた。この即位法は、天皇が即位灌頂のために摂関家から伝授される印明とは異なる次元のものである。たとえば、上川通夫氏は、寺院における即位法の主張について、天皇の正統性を仏教的に強調し、集団内部の仏弟子再生産を行いながら、総体的には天皇の正統性の保証を指向した寺家側の論理であると位置づけられた。(後略)
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「国家儀礼の場で天皇が行う即位灌頂」については、中世は小川剛生氏の研究、近世は橋本政宣氏の研究によって、その実態がほぼ明らかにされています。
それを私流に平たく言えば、即位儀礼は要するに「二条家の二条家による二条家のための儀礼」であって、二条家は二条師忠とその16歳上の異母兄、道玄が頑張って天皇の即位儀礼に「即位灌頂」という珍奇な儀礼をねじ込んでくれたおかげで、実に孝明天皇の時代まで、公家社会の中で自家の存在意義を確保できた訳ですね。
しかし、もちろんこの儀礼は道玄がある日突然思いついたようなものではなく、その背後には仏教と天皇の関係、寺院社会と天皇の関係について、寺院社会の中で蓄積されていた膨大な思惟が存在しており、また、伏見天皇の即位により「国家儀礼の場で天皇が行う即位灌頂」が現実化した後も、寺院社会の中で更に膨大な思惟が継続的に蓄積された訳ですね。
その膨大な思惟のごく一部である寺院即位法に限っても、その内容は非常に複雑で、様々なバリエーションが生まれてくるのですが、難解すぎて私にはなかなかついていけない世界なので、興味がある方は『中世王権と即位灌頂』を読んでみてください。