学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

寺家即位法

2010-03-06 | 妙音天・弁才天
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 3月 6日(土)10時36分9秒

先の投稿はあまりに唐突だったので、そもそも即位法とは何かについての説明を『中世王権と即位灌頂』序章から引用しておきます。(p11以下)

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 本書では、天皇の即位儀礼に関する資料に登場する「天皇」の位置を、史実、叙述、構想という三つの側面から捉え、論を進めている。また、本書で論じる即位灌頂については、各章ごとにそれぞれ個別の研究史を論じているため、以下では、即位灌頂を論じるうえで、押さえておくべき点を述べておきたい。
 即位灌頂とは、摂関家から即位予定の天皇に印明が伝授され、即位儀礼の当日、天皇が高御座(たかみくら)で伝授された印を結び、明を唱える行為のことである。そして儀礼前、天皇に印と明の内容を伝授したのが、二条摂関家である。この行為を印明伝授という。
 即位灌頂をめぐる現在の研究状況は、歴史学の分野で行われているほか、説話や伝承との関わりでアプローチする日本文学や宗教思想史、インドの王が行った灌頂儀礼に日本の即位灌頂の源泉を求める比較宗教史、仏教史の展開のなかで即位灌頂を捉えた仏教史学など、複数の学問分野で行われているが、それぞれの分析の視座や文脈は異なっている。一方、即位灌頂に関する問題として、即位儀礼で天皇が印明を結ぶ、いわば国家儀礼の場で天皇が行う即位灌頂とは別に、寺院伝来の聖教に記された寺家即位法というものが存在していた。この即位法は、天皇が即位灌頂のために摂関家から伝授される印明とは異なる次元のものである。たとえば、上川通夫氏は、寺院における即位法の主張について、天皇の正統性を仏教的に強調し、集団内部の仏弟子再生産を行いながら、総体的には天皇の正統性の保証を指向した寺家側の論理であると位置づけられた。(後略)
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「国家儀礼の場で天皇が行う即位灌頂」については、中世は小川剛生氏の研究、近世は橋本政宣氏の研究によって、その実態がほぼ明らかにされています。
それを私流に平たく言えば、即位儀礼は要するに「二条家の二条家による二条家のための儀礼」であって、二条家は二条師忠とその16歳上の異母兄、道玄が頑張って天皇の即位儀礼に「即位灌頂」という珍奇な儀礼をねじ込んでくれたおかげで、実に孝明天皇の時代まで、公家社会の中で自家の存在意義を確保できた訳ですね。
しかし、もちろんこの儀礼は道玄がある日突然思いついたようなものではなく、その背後には仏教と天皇の関係、寺院社会と天皇の関係について、寺院社会の中で蓄積されていた膨大な思惟が存在しており、また、伏見天皇の即位により「国家儀礼の場で天皇が行う即位灌頂」が現実化した後も、寺院社会の中で更に膨大な思惟が継続的に蓄積された訳ですね。
その膨大な思惟のごく一部である寺院即位法に限っても、その内容は非常に複雑で、様々なバリエーションが生まれてくるのですが、難解すぎて私にはなかなかついていけない世界なので、興味がある方は『中世王権と即位灌頂』を読んでみてください。
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『中世王権と即位灌頂-聖教のなかの歴史叙述』

2010-03-06 | 妙音天・弁才天
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 3月 6日(土)00時34分23秒

今日は松本郁代氏の『中世王権と即位灌頂-聖教のなかの歴史叙述』(森話社、2005)を途中まで読んでみました。
奥付を見ると、1974年生まれの著者が31歳で出版した本となりますが、それが俄かに信じられない程充実した内容ですね。
当面の私の興味の対象である二条師忠に関しても、若干の言及がありました。(p67以下)

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第三節 三宝院流即位法の生成

 報恩院方の即位法を担った道順は、後宇多法皇の権力を背景に東寺長者となり、文保三年(一三一九)正月、三宝院流・理性院流・金剛王院流という醍醐三流の嫡僧が残らず参加しての後七日御修法を行っている。
 醍醐三流のうち、後宇多法皇を背景に持つ三宝院流は他流を凌ぎ、名実ともに真言密教界の頂点に立つ法流であった。しかし、同じ三宝院流に属す院家レベルでは、統一された即位法は伝持されなかった。この点はその後も変わらない。
 三宝院流における院家の分派は、鎌倉時代中期の憲深と親快の座主嫡流争いに端を発したが、その後、報恩院方が大覚寺統・南朝方、地蔵院流がその対抗勢力となり、王統の分立がそのまま法流の分裂にも関係する形となった。
 即位法に表れた王権の始源や口伝は、理念的に「顕密仏教」に位置づけられ、言説的には「中世神話」としての位相を獲得している。そして従来、東寺即位法の一種類が、真言系即位法であると考えられていた。
 しかし、第一節で紹介した地蔵院方の即位法と、第二節で紹介した報恩院方の即位法の存在から、三宝院流では二種類の即位印明に基づく即位法が生成されていたことが判明した。両即位法の口伝は、担い手である流派の世俗的な立場の違いが表れており、これは、王統の分裂によって、より明白化したといえる。
 この両即位法の特徴について説明しよう。
 まず、地蔵院方の即位法には、二条摂�咸家が登場していた。そもそも、平安時代中期以降の即位儀礼では、摂関が高御座に登壇し、艮の方向に座していた。そして、伏見天皇に即位印明を伝授した二条師忠から江戸時代末期の孝明天皇まで、代始めの摂関が二条家でなくても、ほとんど二条家の者が家職として印明伝授を行っていた。このように、二条家は、即位儀礼には不可欠な存在であるという実態があった。また、このような家職の二条家と関係があった僧に、地蔵院方親玄(一二四九~一三二二)の付法弟子として、二条師忠弟で、良実息である道承(乗)という僧がいた。親玄は得宗家や将軍とも関わり、その後、地蔵院方は関東における東密最大の流派となっていた。このような関係から、地蔵院方は、天皇輔弼の家であり、幕府とも良好関係を保っていた二条家を、即位法口伝のなかに伝持したといえる。(後略)
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最近、この掲示板に来られた方には訳が分からない内容だと思いますが、以前、後宇多院に関連して、かなり文献をアップしておきましたので、興味があれば読んでみてください。
最初は辻善之助「両統対立の反映として三宝院流嫡庶の争」が良いと思います。

http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/tuji-zennosuke-sanpoinryu.htm
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/yugimonin-to-sonoshuhen.htm

ただ、当面の話題に関しては、特に真言密教についての深い理解が必要というわけではありません。
そんなもの、私にも全くないですし。

ちなみに、ここに出てくる道順と親玄はともに久我通光の孫であり、後深草院二条の従兄弟ですね。
親玄については高橋慎一朗氏の「『親玄僧正日記』と得宗被官」が参考になります。

http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/takahashi-shinichiro-shingen.htm
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