投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 3月17日(水)23時08分30秒
小川剛生氏の『二条良基研究』は1万4千円(税別)もするので購入時には若干躊躇いましたが、内容はその金額にふさわしい充実ぶりですね。
笠間書院のホームページには井上宗雄氏、五味文彦氏の推薦文が載っていますが、国文学・歴史学の両碩学からここまで絶賛される書物も珍しいでしょうね。
http://kasamashoin.jp/2006/10/28.html
今日、入手した『三田評論』(2007年5月号)には、「話題の人 『二条良基研究』で角川源義賞を受賞 国文学研究資料館准教授小川剛生さん」というインタビュー記事が掲載されており、小川剛生氏が二条良基研究を始めたきっかけが書かれているので、少し紹介してみます。
「インタビュアー」は『武士の家計簿』の著者、磯田道史氏(茨城大学准教授)ですね。
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──このたびは『二条良基研究』で最年少での角川源義賞受賞おめでとうございます。最初にどうして二条良基という人物を研究しようと思ったのかをおうかがいしたいのですが。
小川 まず二条良基が作者として最もふさわしいと言われている『増鏡』が好きで読んでいたということがあります。『増鏡』は鎌倉時代の宮廷を描いた歴史書ですが、動乱の世にこんな優雅なことを書いていていいのかと、時代錯誤だとしてあまり評価されていなかった。だけど、乱世のなか平安時代の残っている優雅な面を書いているわけですから、これはちょっと尋常な精神の持ち主じゃないなと逆に思ったんですね。実際文学として読んでみるとなかなか一貫性のあるおもしろい読み物だし、時代に背を向けているのは、それはそれで一つの主張を持った人物の生き方ではないか。それで良基について書かれたものを読んでみたら、これが『増鏡』の作者だということと切り離して考えても、おもしろい人物だったんです。(中略)
──良基は非常に大きな幅の広い人物ですよね。歴史学者や国文学者は解剖学者のように、分析する対象を捌くのですが、二条良基は巨大な牛のような巨人で、牛を解体できる刀と技術を持った料理人でなければ、とても扱えない。だから二条良基の研究は小川さんだからこそできたのではないか。
この研究のすごさは、歴史叙述から、和歌や連歌から、一番大切な南北朝時代の朝儀の復興、つまり天皇をいかに即位させ、維持していくかという儀礼の問題まで研究し捌いていること。これは、歴史学者であり、和歌や有職故実の研究者であるような人でないとできない。小川さんの場合、二条良基が大きな人だということは、『増鏡』から入って感じられたのですか。
小川 そうです。『平家物語』のように、古典文学はたいてい作者不明で、作者探しというのは魅力的なテーマなのだけど、たいてい作者としてこの人がふさわしい、という推測にとどまる。『増鏡』については、逆に二条良基の伝記、業績の研究から入って、結果的にどう見えてくるかとい手法でやったほうがいいと思った。非常に迂遠だけど、初心忘れるべからずという感じでやったんです。
(後略)
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「牛を解体できる刀と技術を持った料理人」という磯田氏の表現は、随分と生々しい比喩ですね。
言いたいことは何となく分かりますが、牛を解体するのは料理人とは別の職業なので、単に洗練されていないだけでなく、適切でもない比喩ですね。
小川剛生氏の『二条良基研究』は1万4千円(税別)もするので購入時には若干躊躇いましたが、内容はその金額にふさわしい充実ぶりですね。
笠間書院のホームページには井上宗雄氏、五味文彦氏の推薦文が載っていますが、国文学・歴史学の両碩学からここまで絶賛される書物も珍しいでしょうね。
http://kasamashoin.jp/2006/10/28.html
今日、入手した『三田評論』(2007年5月号)には、「話題の人 『二条良基研究』で角川源義賞を受賞 国文学研究資料館准教授小川剛生さん」というインタビュー記事が掲載されており、小川剛生氏が二条良基研究を始めたきっかけが書かれているので、少し紹介してみます。
「インタビュアー」は『武士の家計簿』の著者、磯田道史氏(茨城大学准教授)ですね。
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──このたびは『二条良基研究』で最年少での角川源義賞受賞おめでとうございます。最初にどうして二条良基という人物を研究しようと思ったのかをおうかがいしたいのですが。
小川 まず二条良基が作者として最もふさわしいと言われている『増鏡』が好きで読んでいたということがあります。『増鏡』は鎌倉時代の宮廷を描いた歴史書ですが、動乱の世にこんな優雅なことを書いていていいのかと、時代錯誤だとしてあまり評価されていなかった。だけど、乱世のなか平安時代の残っている優雅な面を書いているわけですから、これはちょっと尋常な精神の持ち主じゃないなと逆に思ったんですね。実際文学として読んでみるとなかなか一貫性のあるおもしろい読み物だし、時代に背を向けているのは、それはそれで一つの主張を持った人物の生き方ではないか。それで良基について書かれたものを読んでみたら、これが『増鏡』の作者だということと切り離して考えても、おもしろい人物だったんです。(中略)
──良基は非常に大きな幅の広い人物ですよね。歴史学者や国文学者は解剖学者のように、分析する対象を捌くのですが、二条良基は巨大な牛のような巨人で、牛を解体できる刀と技術を持った料理人でなければ、とても扱えない。だから二条良基の研究は小川さんだからこそできたのではないか。
この研究のすごさは、歴史叙述から、和歌や連歌から、一番大切な南北朝時代の朝儀の復興、つまり天皇をいかに即位させ、維持していくかという儀礼の問題まで研究し捌いていること。これは、歴史学者であり、和歌や有職故実の研究者であるような人でないとできない。小川さんの場合、二条良基が大きな人だということは、『増鏡』から入って感じられたのですか。
小川 そうです。『平家物語』のように、古典文学はたいてい作者不明で、作者探しというのは魅力的なテーマなのだけど、たいてい作者としてこの人がふさわしい、という推測にとどまる。『増鏡』については、逆に二条良基の伝記、業績の研究から入って、結果的にどう見えてくるかとい手法でやったほうがいいと思った。非常に迂遠だけど、初心忘れるべからずという感じでやったんです。
(後略)
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「牛を解体できる刀と技術を持った料理人」という磯田氏の表現は、随分と生々しい比喩ですね。
言いたいことは何となく分かりますが、牛を解体するのは料理人とは別の職業なので、単に洗練されていないだけでなく、適切でもない比喩ですね。