学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

「邪教」立川流

2010-03-24 | 新潟生活
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 3月24日(水)07時38分58秒

同じく末木文美士氏『日本宗教史』の少し離れた部分からの引用です。(p101以下)

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「邪教」立川流

 中世的な宗教形態の一つとして、「邪教」と排斥されながらも大きな影響を与えた真言の立川流がある。これについては、先に即位灌頂と関連して触れたが、ここでもう少し述べておこう。立川流というと、性的な秘儀を伴ういかがわしい宗教というレッテルが貼られるが、その実態はそれほど明らかでない。立川流は、醍醐寺の僧仁寛が永久元年(一一一三)伊豆に流され、翌年自殺するまでに伊豆で広めたものと言われている。しかし実際には、それほどはっきりした立川流という一つの流派がまとまって存続したというわけではなく、性的要素を含んだ密教の形態は、院政期から中世にかけて、さまざまな形で展開している。
 その中で、文永五年(一二六八)までに成立していた心定の立川流批判書『受法用心集』では、はっきりと「立川の一流」と呼んでいる。それによれば、立川流の人たちは「内の三部経」などの経典を偽作し、「女犯は真言一宗の肝心、即身成仏の至極なり。・・・・肉食は諸仏菩薩の内証、利生方便の玄底なり」と説いて、広く普及していたという。本書には、髑髏を本尊として、女人との和合水を塗り重ねて行なうという秘儀についても書かれている。
 それだけ見るといかにも怪しげであるが、性的な要素が当時の密教で重視されるようになってきたのは、必ずしも不可解なことではない。仏教が民衆の中に広まっていくとき、性からの離脱は現実にそぐわないものとなっていく。なぜならば、一般の民衆にとって、子孫を残すことと豊穣な収穫を得ることはもっとも大きな関心事であり、そのためには性の力は不可欠なものだからである。今日でも神社の祭には性的な要素を含んだものが数多く残されている。民衆の間だけでなく、同じことは王権に関しても言えるのであり、立川流と密接な関係を持つダキニ法は、まさに即位灌頂など、王権の力を生み出すもととなるのである。
 仏教が日本の社会の中に根を張るためには、どうしても土着の神祇信仰を摂取し、このような現世の力を獲得する方法を認めていかなければならない。それは広く言えば、先に述べた本覚思想とも関わる問題であり、また密教がその分野でもっとも大きな力を振るったのは当然である。しかし、それが仏教の中に留まるかぎり、異義邪教として批判されなければならない。そこで、この場合も表面の言説から排除されながら、<古層>の深みに沈んでゆくことになる。
 こうして、中世は近代の表面の合理主義が隠蔽してきた<古層>をさまざまな形で展開させているのである。
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末木氏の理解では、「藤原氏に伝えられた秘伝」であるところの即位灌頂に関係する「ダキニ天を本尊とするダキニ法は仏教の正統に位置づけられない『外法』」であるけれども、「その呪術的な力が王権の本質を形づくる」のであり、「立川流と密接な関係を持つダキニ法は、まさに即位灌頂など、王権の力を生み出すもととなる」のだそうですね。

仕事の関係で、次の投稿は少し遅れます。
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天皇即位と「外法」

2010-03-24 | 新潟生活
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 3月24日(水)07時06分17秒

即位灌頂について、現在どのような理解がなされているかの一例として、東京大学教授末木文美士(すえき・ふみひこ)氏の『日本宗教史』(岩波新書、2006)から少し引用します。(p80以下)

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天皇即位と「外法」

 鎌倉時代は仏教がもっとも勢力を持った時代と考えられるが、それだけに仏教と国家、仏教と神祇などの関係が正面から問われた時代でもあった。仏教と国家の関係については、王法と仏法の関係として論じられてきているが、従来主に注目されてきたのは、いわゆる新仏教の祖師たちが世俗の国家権力の圧力をものともせずに、自らの宗教的信念を貫き通したということだった。法然や親鸞は流罪にもかかわらずその立場を曲げることがなかった。日蓮もまた度重なる迫害をものともせずに『法華経』の行者としての使命に邁進した。道元はそうした迫害こそ受けなかったものの、北条時頼の求めに応じて鎌倉に赴きながら、妥協を排してただちに越前に戻った。
 こうした宗教の世俗権力からの自立の動きに対して、当時の主流をはす仏教は政治権力との共存を図った。王法と仏法は相互依存的な関係にあるものとされ、車の両輪に喩えられる。これを王法仏法相依論という。もっとも両者は同じレベルで対等というわけではなかった。権門寺院は、広大な荘園による経済力や僧兵という直接的な武力をも有したが、それ以上に仏の力をバックにした呪術的な力によって恐れられた。それゆえ、単なる相依という以上に仏教界は巨大な力を世俗に対しても及ぼしていた。法然教団への弾圧にしても、『興福寺奏状』などによる仏教界の圧力がなければ実現しなかったであろう。
 そうしたひとつの極限の形態として即位灌頂が知られている。これは天皇の即位に絡む仏教儀礼であるが、藤原氏に伝えられた秘伝であり、即位のときに天皇に伝授されるという。その本尊はダキニ天であるが、人黄(人間の根源的な精気)を食う羅刹であり、愛欲の神として、異端的な密教立川流とも関係が深い。そのダキニ天を本尊とするダキニ法は仏教の正統に位置づけられない「外法」である。その呪術的な力が王権の本質を形づくる。王権はその継続性が重要な意味を持つから、仏教の原則に従って煩悩を滅し、性を否定しては成り立たない。王法が仏法から見れば「外法」的な立川流に接点を持つのはその故である。天台座主慈円(一一五五-一二二五)が王権の危機に当って見た夢の記録である『慈鎮和尚夢想記』では、三種の神器の神璽と宝剣をそれぞれ后と国王の体と見、その交合に国家の繁栄を見ようとしており、このような王権と仏教の関りに対して重要な示唆を与える。
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