学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

新年のご挨拶(その2)

2021-01-03 | 建武政権における足利尊氏の立場
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 1月 3日(日)11時13分6秒

『太平記』について書くべきことは一応見込みがついたな、と思った直後に出会ったのが佐藤雄基氏の「鎌倉時代における天皇像と将軍・得宗」(『史学雑誌』129編10号、2020)で、私にとってこの論文はゲームの終盤に意外なところから登場した最大最強の難敵、ラスボスのように思えました。
「特集 天皇像の歴史を考える」の「趣旨説明」によれば、佐藤雄基氏は「日本の史料論を代表する分野である中世古文書学を、近代史学史・法社会史にも関わらせながら進展させている論者」(p2)です。
佐藤氏の問題意識を少しだけ紹介すると、

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 黒田・河内の議論は、説明の明快さもあって、《上からの統合》を重視する現在の研究動向に大きな影響を及ぼしている。一方、武家政権の成立を実態(歴史の動因)とみる立場から反論がある。佐藤進一は権門体制論を批判して「京都の朝廷側の論理でありむしろ願望である」と喝破し、近藤成一は「朝廷再建運動」論に対して「事件が起きてしまってから、それを収束して平時に戻るために機能するもの」であり、歴史の表層にみえる指導者の「論理」に過ぎないと批判を加えた。
 しかしながら、確かに願望であり、つじつま合わせではあるが、権門体制論的なイメージは中世に事象として存在していた。そのことを正面から問わなければ、議論は平行線に終わるのではないか。治承・寿永の戦争の《偶然》の産物として武家政権が関東に成立した鎌倉時代において、天皇と武家との関係をどのように考えるのかは中世国家論の焦点であった。同様に鎌倉時代人の《現代史》認識においても難問であったため、鎌倉時代には様々な天皇像・歴史叙述が生み出されていた。権力と権威、実態と理念といった《二分法》的な発想をもとにして、力点の差異で繰り返されてきた議論の構図を抜け出すためには、実態としてあった天皇像を捉え、その歴史的変化を問うべきではなかろうか。物語やイメージに対して歴史的事実を重視する傾向が伝統的な歴史学にはあったが、たとえ虚構であったとしても、いったん生まれた天皇像が、どのように変容しながら、どのように人びとにリアリティをもたせたのかが重要である。現実に機能した天皇像・歴史像のもとでどのように「史料」が生成し、それらを後世の歴史家がどのように読みといたのか、複層的に議論を進める必要がある。
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といった具合です(p5)。
「権力と権威、実態と理念といった《二分法》的な発想をもとにして、力点の差異で繰り返されてきた議論の構図を抜け出すためには、実態としてあった天皇像を捉え、その歴史的変化を問うべきではなかろうか」に付された注(10)には、

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(10) 現実の最高実力者が鎌倉幕府・得宗であることをもって権門体制論への批判とする類の議論が後を絶たないが、黒田も幕府が「権門政治の主導権」をもつことは認めている。
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とあって、当掲示板でそのような「類の議論」を何度か繰り返していた私などにとってもなかなか耳の痛い指摘ですね。
さて、上記のような問題意識を持つ佐藤氏は、「鎌倉後期まで視野に入れて天皇像やその担い手の変化を通史的にたどり、天皇像との連関のもとで将軍像・得宗(北条氏家督)像、すなわち「武家」像がどのように生成したのか、歴史実践や史料論の観点を交えつつ検討する」(p6)試みを、

第一章 天皇像と将軍像の模索─『愚管抄』の時代
 第一節 慈円の構想と権門体制
 第二節 院政時代の歴史像
 第三節 源実朝と後鳥羽院の「文武兼行」
第二章 「文武兼行」の将軍像と天皇─承久の乱の<戦後>
 第一節 承久の乱後の帝徳論
 第二節 九条道家の徳政と歴史意識
 第三節 「寛元・宝治」の転換
第三章 鎌倉後期の天皇像と得宗像─「武家」の定着
 第一節 鎌倉後期の皇位継承─「治天」の位置
 第二節 文武兼行の得宗像─北条貞時の時代
 第三節 「御成敗式目」にみる得宗・天皇関係の言説
  ①天皇・上皇による式目「同意」という噂
  ②北条泰時の崇徳院「後身」伝承
  ③鎌倉後期の歴史像

という構成に従って論じられます。
私は第一章と第二章はフムフムと素直に読めたのですが、第三章は予想以上に大胆な展開だったので、ちょっとびっくりしました。
佐藤氏の議論は旧来の退屈な「得宗専制論」、鎌倉幕府政治史「三段階論」の枠組みに捉われていた私にとって本当に新鮮で、画期的なものに思われたのですが、ただ、佐藤氏が「得宗・天皇関係の言説」を取り扱う具体的な例を見ていると、若干の懸念も覚えました。
「物語やイメージに対して歴史的事実を重視する傾向が伝統的な歴史学にはあったが、たとえ虚構であったとしても、いったん生まれた天皇像が、どのように変容しながら、どのように人びとにリアリティをもたせたのかが重要」として「虚構」の世界に踏み込んで行く佐藤氏の勇気を認めるにはやぶさかではないとしても、佐藤氏が何度か言及されている『増鏡』や『五代帝王物語』などの文学的な世界の複雑さを知っている私にとっては、佐藤氏があまりに無邪気で無防備であるような印象も受けました。
コメント
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