学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

桃崎有一郎氏「後醍醐の内裏放火と近代史学の闇」(その11)

2021-05-07 | 山家浩樹氏『足利尊氏と足利直義』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 5月 7日(金)08時42分9秒

桃崎著に戻って、続きです。(p182以下)

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 失火だった形跡はない。京都が敵に蹂躙される前後の騒然とした状況下であり、西源院本『太平記』に明記されたように、放火と見てよい。その放火が足利軍の仕業であり得ないなら、同じく西源院本『太平記』に明記された通り、後醍醐軍の仕業と見るしかない。
 ならば、はっきりしていることがある。内裏を勝手に焼き払うのは、極刑に値する謀反以外の何ものでもなく、名和であれ誰であれ、独断で行うはずがない。名和から後醍醐に進言したか、後醍醐自身の発案か、いずれにしても後醍醐の許諾を得てから、放火したに決まっている。つまり、富小路殿という内裏を焼き払ったのは、後醍醐の意思である。
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西源院本『太平記』には「後醍醐の京都脱出・比叡山入りに、名和長年が随行した場面が描かれ」(p179)ておらず、長年が「後醍醐の京都脱出に随行したというのは、流布本にない(西源院本の)独自の場面」(同)ではないにも関わらず、桃崎氏がそのような誤解をしていることは不可解なミステリーでしたが、ここでやっとその謎が解き明かされていますね。
桃崎氏の頭の中には「内裏を勝手に焼き払うのは、極刑に値する謀反以外の何ものでもなく、名和であれ誰であれ、独断で行うはずがない」という大前提が存在していて、「富小路殿という内裏を焼き払ったのは、後醍醐の意思」であることが「はっきりして」いる以上、「名和から後醍醐に進言したか、後醍醐自身の発案か、いずれにしても後醍醐の許諾を得てから、放火したに決まって」おり、従って論理必然的に長年が「後醍醐の許諾」を得た機会が必要となり、長年は「後醍醐の京都脱出・比叡山入りに」「随行」しなければならない訳ですね。
見事なまでに論理的であり、実に明快であります。
ただまあ、桃崎氏が自己の論理の出発点に置く「内裏を勝手に焼き払うのは、極刑に値する謀反以外の何ものでもなく、名和であれ誰であれ、独断で行うはずがない」という大前提は本当に正しいのか。
少なくとも御所とその周辺を焼き払うという長年の判断は、宇治方面の防衛を担当した楠木正成が「敵に心安く陣を取らせじとて、橘の小島、槙島、平等院のあたりを、一宇も残さず焼き払」った判断と同様に軍事的には極めて合理的です。
そして、長年がこうした決断をした結果、(『梅松論』によれば)糺河原に陣を置かざるを得なくなった尊氏軍は一月末に京都から追い落とされてしまったのですから、長年の判断の正しさは客観的にも裏付けられているように思われます。
「京都が敵に蹂躙される前後の騒然とした状況下」であり、後醍醐はさっさと逃げ出してしまって、その意思を確認しようにもできないのですから、まあ、この程度の判断は長年が「独断」でやっても全然オッケーではないですかね。
さて、続きです。

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 北畠親房は、それを知り得る立場にいたはずだ。それなのに、誰が焼いたかを『神皇正統記』に書かなかった。放火が天皇自身の指示だったとい事実をぼかし、後醍醐の名誉を守るための情報操作だろう。それでも彼は、足利軍を放火犯だと名指しで非難するという、史実の歪曲を犯さなかった。そこに、歴史叙述家としての彼の良心のラインがあった。
 後に『太平記』を書き換えた者には、その良心がなかった。名和長年のエピソードはごっそり削られ、放火の罪を足利軍に着せる文章が捏造された。その改竄がいつ行われたかはわからない。ただ、その改竄は、近代日本の言論統制のもとで、後醍醐を聖人、尊氏を悪の権化として描こうと決めた政府(系)機関にとって、大いに役立った。あのレベルの優れた史料集を作った優秀な担当者が、問題の流布本『太平記』の危うさに気づかなかったとは、到底信じられない(何しろ、西源院本もそれらの史料集に載っているのだ)。彼らはその歪曲に気づかぬふりをして、歪曲の再生産とさらなる流布に、手を貸したのだろう。
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「政府(系)機関」とありますが、「政府機関」が『後醍醐天皇実録』を編纂した宮内省で、「政府系機関」は『大日本史料』を編纂した東京帝国大学史料編纂所なんでしょうね。
そして、「あのレベルの優れた史料集を作った優秀な担当者」は、『大日本史料』では田中義成となります。
名探偵コナンばりの桃崎少年の名推理では、田中義成も「近代日本の言論統制のもとで、後醍醐を聖人、尊氏を悪の権化として描こうと決めた政府(系)機関」の一員となりますが、視聴者の感想はどうなのか。
また、誰も見たことのない特別な西源院本『太平記』や『神皇正統記』を見ているらしい「歴史叙述家としての」桃崎少年の「良心のライン」はどのあたりにあるのか。
コメント
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