学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

松尾著(その12)「眉太く作つて、金黒なる女の頸の、回り四、五尺もあるらんと覚えたるが」

2021-05-28 | 山家浩樹氏『足利尊氏と足利直義』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 5月28日(金)23時08分34秒

「警固の者ども数百人」は蜘蛛の糸に絡めとられてしまって何の役にも立たず、大森彦七はたった一人奮戦して何かを取り押さえますが、彦七が膝の下に抑え込んだそれを、逃がすまいとして皆で押さえつけると「大きなる瓦気の破るる音して、微塵に砕け」てしまいます。
結局、それは「曝たる死人の首」、野ざらしになっていたしゃれこうべということで、これで一安心かと思いきや、彦七は肝心の剣がいつの間にか無くなっていることに気付いて驚愕します。
ただ、この後、次のような展開となります。(兵藤裕己校注『太平記(四)』、p92)

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 有明の月の隈なく、中門〔ちゅうもん〕に差し入りたるに、簾台〔れんだい〕を高く巻き上げさせて、庭上〔ていしょう〕を遥かに見出だしたれば、空中より、手毬の如くに見えたる物、ちと光りて叢〔くさむら〕の中へ落ちたり。なにやらんと走り出でて、これを見れば、先に盛長に押し砕かれつる首の、半ば残りたるに、件〔くだん〕の刀自〔おの〕づから抜けて、柄口〔つかぐち〕まで突き貫ぬいてぞ落ちたりける。不思議なんど云ふもおろかなり。やがてこの首を取つて、火に投げくべたるに、火の中より跳〔おど〕り出でけるを、金鋏〔かなばさみ〕にてしかと挟みて、つひに焼き砕いてぞ捨てたりける。
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「空中より、手毬の如くに見えたる物」が落ちて来て、それは大森彦七に「押し砕かれつる首の、半ば残りたる」ものであって、そこに問題の剣が刺さっていた、ということですが、今一つ事情が分かりません。
怪物の実体は野ざらしのしゃれこうべであり、それは彦七との格闘中に彦七によって二つに割られてしまったか、あるいは自ら二つに分かれてたか、とにかく半分だけになってもしぶとく彦七の剣を奪って上空に逃れたものの、そこで剣が自発的に動き出し(?)、残り半分を刺し貫いた、ということでしょうか。
あるいは、彦七との格闘中、剣が「自づから抜けて」しゃれこうべを刺し貫き、そこで二つに割れて半分は彦七が抑え込み、残り半分は剣に突き刺されたまま上空に逃げたものの、力尽きて落ちて来た、ということでしょうか。
「自づから抜けて」というのは鞘から抜けたということでしょうから、後者の解釈の方が自然かもしれませんが、この辺り、ストーリーの展開がちょっと雑になっているような感じがしないでもありません。
また、第四幕では「怪物急所をや差されたりけん、脇の下より鞠の如くなる物、つつと抜け出でて、虚空を指して去りにけり」とありましたが、この「鞠の如くなる物」は第五幕の「手毬の如くに見えたる物」と同じ物、即ち野ざらしのしゃれこうべということなのでしょうか。
いろいろ謎ですが、この後、更に続きがあります。

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 事静まりて後、盛長、「今はこの怪物〔ばけもの〕、よも来たらじと覚ゆる。その故は、楠がともなふ者七人ありと云ひしが、かくて早や来たる事七度なり。これまで(にて)ぞあるらん」と申せば、諸人、「げにもさ覚え候ふ」と云ふを聞いて、虚空にしわがれたる声にて、「よも七人には限り候はじ」と、あざ笑う声しけり。こはいかにと驚いて、諸人、空を見上げたれば、庭なる鞠の懸かりに、眉太く作つて、金黒〔かねぐろ〕なる女の頸〔くび〕の、回り四、五尺もあるらんと覚えたるが、乱れ髪を揮〔ふ〕り上げて、目もあやに打ち咲〔わら〕ひ、「恥づかし」とて後ろ向く。見る人、あつと怯えて、同時に地にぞ倒れける。
 かやうの怪物は、蟇目〔ひきめ〕の声にこそ怖〔お〕づるなれとて、夜もすがら番衆〔ばんしゅ〕を置いて、宿直〔とのい〕蟇目を射させければ、虚空にどつと笑ふ声、射る度〔たび〕に天を響かせり。さらば、陰陽師に四門〔しもん〕を封ぜさせよとて、符〔ふ〕を書かせて門々〔かどかど〕に押させければ、目に見えぬ物来たつて、符を取つてぞ捨てたりける。
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ここもちょっと変で、大森彦七は「楠がともなふ者七人ありと云ひしが、かくて早や来たる事七度なり」と言いますが、指折り数えても怪物が来たのは五回ですね。
あるいは、ここは彦七が相変わらず「物狂い」の状態に置かれていることを示しているのかもしれませんが、しかし、それでは「諸人」が「げにもさ覚え候ふ」と納得してしまうのが変です。
ま、それはともかく、彦七が怪物はもう来ないだろうと言ったそばから、不気味な女の首が登場し、「七人に限った訳ではないでしょうに」と嘲笑います。
「乱れ髪を揮り上げて、目もあやに打ち咲ひ、「恥づかし」とて後ろ向く」は第一幕に登場した美女を思い出させますね。
そして、怪物は「蟇目の声」、即ち鏑矢を射る時の音に怯えるだろうということで番衆に鏑矢を射させてみたところ、怯えるどころか、その度に「虚空にどつと笑ふ声」がするということで、女の首の登場以後、笑い声が連続して響きます。
更に陰陽師に護符を書かせて貼っておいても、「目に見えぬ物」が来て、護符を取って捨ててしまいます。
ここまでを第五幕と考えてよいと思いますが、とにかく決め手のないまま、ダラダラと神経戦が続いた後、「或る僧」が抜本的な対処方針を提案します。
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松尾著(その11)「大きなる寺蜘一つ、天井より下がりて、寝ぬる人の上をかなたこなた走りて」

2021-05-28 | 山家浩樹氏『足利尊氏と足利直義』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 5月28日(金)10時49分2秒

大森彦七物語もかなり長くなったので、改めてここまでの話の流れを整理すると、

第一幕 大森彦七の背に負われた美女が突如として「長八尺ばかりなる鬼」に変身。「この怪物、熊の如くなる手にて、彦七が髻を掴み、虚空に上がらんと」して彦七と格闘となり、彦七が配下を呼ぶと「怪物は掻き消すやうに失せ」る。

第二幕 猿楽上演の途中に「黒雲の中に、玉の輿を舁いて、恐ろしげなる鬼形の物ども」が、「色々に鎧うたる兵百騎ばかり」を連れて現れる。雲の中から「大森彦七殿に申すべき事あつて、楠判官正成と云ふ者、参つて候ふなり」との声があり、彦七と問答。正成は彦七の持つ剣の由来を説明し、引き渡しを求めるも、彦七は断固拒否。正成は怒るも特に彦七に危害を加えるようなことはせず、「何とも云へ、つひには取らんずるものを」という捨て台詞を残して、意外にあっさりと退去。

第三幕 黒雲の中から声があり、正成が後醍醐の綸旨を持参し、「勅使」を称して改めて彦七に剣を要求。彦七が同行者は誰か、正成は現在どのような境遇に置かれているのかを問うと、第二幕までは声だけの出演だった正成が「近々と降り下がつて」、彦七と対面で応答。正成が松明を振ると「闇の夜忽ちに昼の如くになり」、虚空には「玉の御輿」に乗った後醍醐以下、数万人の大軍団が出現。ただ、この一大スペクタクルは彦七以外には見えず。彦七が剣の引渡しを再び断固拒否すると、正成は「大きにあざ笑」たものの、特に彦七に危害を加えるようなことはせず、「この国たとひ陸地に続きたりとも、道をばたやすく通すまじ。まして海上を通らんに、やる事ゆめゆめあるまじ」という捨て台詞を残して、意外にあっさりと退去。

第四幕 彦七が物狂いになったため、一族は彦七を座敷牢に閉じ込め、周囲を警固していると、ある夜、「数十人打ち入る音」がしたものの、敵の姿は見えず。しかし、「天井より、猿の手の如くに毛生ひて長き腕を差し下ろし、盛長が髻を取つて中に引つさげて、八風の口より出」ようとする。彦七は剣を抜いて怪物に何度も切りつけたところ、「怪物急所をや差されたりけん、脇の下より鞠の如くなる物、つつと抜け出でて、虚空を指して去りにけり」。屋根の上には「一つの牛の頭」が残されていた。

ということで、第二幕と第三幕はパターンが似ていますね。
また、第一幕では怪物が「熊の如くなる手にて、彦七が髻を掴み、虚空に上がらんと」し、第四幕では「猿の手の如くに毛生ひて長き腕を差し下ろし、盛長が髻を取つて中に引つさげて、八風の口より出」ようとしたということですから、熊と猿の違いはあっても、何だか同じような展開です。
なお、松尾氏は第一幕で登場した美女が「実は正成の怨霊」だと言われますが、第四幕と比較すると、怪物は正成自身ではなく、正成の配下の「修羅の眷属」であって、怨霊ないし天狗としてもそれほどレベルの高くない存在と設定されているように思われます。

松尾著(その6)「歳の程、十七、八とおぼしき美女(実は正成の怨霊)」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c8889f9d5aa45ef8efbcd46429454402

さて、作者も第四幕での攻撃方法の単調さが気になったのか、第五幕ではもう少し手の込んだ手法が採用されています。(兵藤裕己校注『太平記(四)』、p90以下)

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 その次の夜も、月曇り、風荒くして、怪しき気色〔けしき〕に見えければ、警固の者ども数百人、十二間の遠侍〔とおさぶらい〕に並び居て、終夜〔よもすがら〕睡〔ねぶ〕らじと、囲碁、双六を打ち、連歌をしてぞ遊びける。夜半過ぐる程に、上下三百余人ありける警固の者ども、同時にあくびをしけるが、皆酔へる者の如くになりて、首をうなだれて眠〔ねぶ〕り居たり。その座中に、禅僧の一人〔いちにん〕、睡らでありけるが、燈〔とぼしび〕の影より見ければ、大きなる寺蜘〔てらぐも〕一つ、天井より下がりて、寝〔い〕ぬる人の上をかなたこなた走りて、また元の天井へぞ上がりける。その後、盛長俄かに驚き、「心得たり。さはせらるまじきものを」とて、人に引つ組んだる体〔てい〕に見へて、上になり下になりころびけるが、叶はぬ詮〔せん〕にやなりけん、「寄れや、者ども」と申しければ、あたりに伏したる数百人の者ども、起き上がらんとするに、或いは髻〔もとどり〕を柱に結ひ付けられ、或いは人の手を我が足に結ひ合はせられて、起き上がらんとすれども叶はず、ただ網に懸かりたる魚の如し。一人睡らでありつる禅僧、余りの不思議さに走り立つて見れば、さしも強力〔ごうりき〕の者ども、わずかなる蜘〔くも〕の井に手足をつながれて、ちとも働き得ざりけり。
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ということで、「警固の者ども数百人」が「終夜睡らじと、囲碁、双六を打ち、連歌をして」遊んでいたにも関わらず、何故か禅僧一人を除いて全員が一時に眠り込んでしまい、その隙に「大きなる寺蜘」があちこち駆け回って、蜘蛛の糸で全員を身動きできないようにしてしまいます。
何となく、昨年秋に公開されて話題になったアニメ映画『劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編』を連想させるような展開です。
怪物と格闘するも戦況は極めて不利、「寄れや、者ども」と叫べども誰一人応援に来てくれない絶体絶命のピンチに追い込まれた大森彦七の運命やいかに。

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 されども、盛長、「怪物をば、取ちて押さへたるぞ。火をともして寄れ」と申しければ、警固の者ども、とかくして起き上がり、蝋燭ともして見るに、盛長が押さへたる膝の下に、怪しき物あり。何とは知らず、生きたる物よと覚えて、押さへたる膝を持ち上げんと蠢〔むぐめ〕きける間、諸人手に手を重ねて、逃がさじと押す程に、大きなる瓦気〔かわらけ〕の破〔わ〕るる音して、微塵に砕けけり。その後、手をのけて委〔くわ〕しくこれを見れば、曝〔され〕たる死人の首、眉間の半ばより破れて砕けたり。盛長、暫く大息ついて、「すでに奴〔きゃつ〕に刀を取られんとしたりつるぞや。いかにするとも、盛長が命のあらん程は、取らるまじきものを」と、気色〔きしょく〕ばうで腰を掻い探りたれば、刀はいつのまにか取られけん、鞘ばかりあつてなかりけり。これを見て盛長、「すでに妖鬼に魂を奪はれぬ。武家の御運、今は憑〔たの〕みなし。こはいかがすべき」と、色を変じ、涙を流し、わなわなと震ひければ、皆人〔みなひと〕、身の毛よだつてぞ覚えける。
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ということで、彦七の気づかないまま、剣は怪物に奪われてしまいます。
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