投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 5月27日(木)22時01分36秒
続きです。(兵藤裕己校注『太平記(四)』、p87以下)
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この有様ただ盛長が幻〔まぼろし〕にのみ見て、他人の目には見へざりければ、盛長、左右を顧みて、「あれをば見るか」と云はんとすれば、忽ち消え去つて、正成が物謂〔い〕ふ声ばかりぞ残りける。盛長、これ程の不思議を見つれども、その心なほも動ぜず、「「一翳〔いちえい〕眼〔まなこ〕に在れば、空花乱墜〔くうげらんつい〕す」と云へり。千変百怪〔せんぺんひゃっかい〕、何ぞ驚くに足らん。たとひいかなる第六天の魔王どもが来たつて云ふとも、この刀をば進〔まいら〕せ候ふまじいぞ。さらんに於ては、例の手の裏を返すが如きの綸旨給ひても詮なし。早や、面々に御帰り候へ。この刀をば将軍へ進〔まいら〕せ候はんずるぞ」と云ひ捨てて、内へ入れば、正成、大きにあざ笑ひて、「この国たとひ陸地〔くがち〕に続きたりとも、道をばたやすく通すまじ。まして海上〔かいしょう〕を通らんに、やる事ゆめゆめあるまじ」と、同音〔どうおん〕にどつと笑うて、西を指してぞ飛び去りける。
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兵藤裕己氏の脚注によれば、「一翳眼に在れば、空花乱墜す」は『景徳伝燈禄』(北宋の道原撰の禅宗の僧伝)巻十に見える言葉で、「眼に一つでも曇りがあると、実在しない花のようなものが見える。煩悩があると種々の妄想が起こる意」だそうです。
「これ程の不思議を見つれども」全く動じない大森彦七は相当の人物ですが、その勇敢な行動を支える論理は、
「一翳眼に在れば、空花乱墜す」という真理に照らせば、自分が見た数万人の大軍団も煩悩から生じた単なる妄想であり、「千変百怪、何ぞ驚くに足」りないのである。
↓
従って、自分は「たとひいかなる第六天の魔王どもが来たつて云ふとも、この刀をば」絶対に渡さない。
↓
そうである以上、「例の手の裏を返すが如きの綸旨」など貰っても意味がない。
↓
であるから、正成その他の連中は「早や、面々に御帰り」下さい。自分は「この刀をば将軍へ」進呈することにします。
ということで、大森彦七は決して無教養な乱暴者ではなく、禅宗をその思想的基盤とするなかなかの理論家として造型されていることが分かります。
また、大森彦七の発言の中で、「例の手の裏を返すが如きの綸旨給ひても詮なし」という表現は格別に面白いですね。
ここは禅宗とは関係なくて、むしろかつて後醍醐が綸旨を濫発して大混乱を起こした結果、多くの武家が味わった苦い経験を踏まえての「綸旨」に対する警戒的・軽蔑的姿勢の現れと考えることができそうです。
第二幕では手ぶらだった正成は、第三幕では後醍醐の「綸旨」を持参し、「勅使」と称して仰々しく登場した訳ですが、「例の手の裏を返すが如きの綸旨」などよりは将軍から戴く文書の方がよっぽど有難いぞ、という手厳しい反撃を受けたことになります。
さて、数万人の壮麗な大軍団であることを誇示したにもかかわらず、第二幕と同様、正成に率いられた怨霊(または天狗)の一行は、意外にあっさりと引き返して行きますが、話はまだまだ続きます。
第四幕に入ると、怪異に沈着冷静に対応していた大森彦七は「物狂ひ」になってしまい、一族は彦七を座敷牢に閉じ込め、周囲を警固するという展開となります。(p88以下)
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その後〔のち〕より、盛長、物狂〔ものぐる〕ひになつて、山を走り、水を潜る事止む時なく、太刀を抜き、矢を放つ事隙〔ひま〕なかりける間、一族以下〔いげ〕数百人相集つて、盛長を一間〔ひとま〕なる処に押し籠めて置き、おのおの弓箭兵杖を帯して、警固の体〔てい〕にてぞ居たりける。
或る夜、また雨風一〔ひと〕しきり過ぎて、電光〔いなびかり〕繁〔しげ〕かりければ、「すはや、例の楠〔くすのき〕来たりぬ」と怪しむ処に、案の如く、盛長が寝たる枕の障子をがはと踏み破つて、数十人打ち入る音しけり。警固の者ども起き騒ぎて、太刀、長刀の鞘をはづし、夜討〔ようち〕入りたりと心得て、敵はいづくにかあると見れども、更になし。こはいかにと思ふ処に、天井より、猿の手の如くに毛生〔お〕ひて長き腕〔かいな〕を差し下ろし、盛長が髻〔もとどり〕を取つて中〔ちゅう〕に引つさげて、八風〔はふ〕の口より出でんとす。盛長、中にさげられながら、件の刀を抜いて、怪物〔ばけもの〕の臂〔ひじ〕のかかりの辺を三刀〔みかたな〕差す。差されて少し弱りたる体〔てい〕に見えければ、むずと引つ組んで、八風より広廂〔ひろびさし〕の軒〔のき〕の上にころび落ちて、また七刀〔ななかたな〕までぞ差したりける。怪物急所をや差されたりけん、脇の下より鞠の如くなる物、つつと抜け出でて、虚空を指して去りにけり。
警固の者ども、梯〔はし〕をさして屋〔や〕の上に昇り、その跡を見るに、一つの牛の頭〔かしら〕あり。「これはいかさま楠が乗つたる牛か。しからずは、その魂魄の宿れる物か」とて、この頭を中門の柱に吊り付けて置いたれば、家終宵〔よもすがら〕鳴りはためきて揺るぎける間、微塵に打ち砕いて、則ち水の底にぞ沈めける。
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ということで、第四幕では彦七が問題の剣を振るって怪物の体の一部を切り落とす、というダイナミックな要素が加わっている点に若干の新味はありますが、怪物が大森彦七を空中にさらって行こうとするも失敗する、という展開は第一幕と同じですね。
ついで第五幕に入りますが、第四幕の攻撃方法が若干単調だったためか、第五幕ではより巧妙な手法が考案されています。
続きです。(兵藤裕己校注『太平記(四)』、p87以下)
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この有様ただ盛長が幻〔まぼろし〕にのみ見て、他人の目には見へざりければ、盛長、左右を顧みて、「あれをば見るか」と云はんとすれば、忽ち消え去つて、正成が物謂〔い〕ふ声ばかりぞ残りける。盛長、これ程の不思議を見つれども、その心なほも動ぜず、「「一翳〔いちえい〕眼〔まなこ〕に在れば、空花乱墜〔くうげらんつい〕す」と云へり。千変百怪〔せんぺんひゃっかい〕、何ぞ驚くに足らん。たとひいかなる第六天の魔王どもが来たつて云ふとも、この刀をば進〔まいら〕せ候ふまじいぞ。さらんに於ては、例の手の裏を返すが如きの綸旨給ひても詮なし。早や、面々に御帰り候へ。この刀をば将軍へ進〔まいら〕せ候はんずるぞ」と云ひ捨てて、内へ入れば、正成、大きにあざ笑ひて、「この国たとひ陸地〔くがち〕に続きたりとも、道をばたやすく通すまじ。まして海上〔かいしょう〕を通らんに、やる事ゆめゆめあるまじ」と、同音〔どうおん〕にどつと笑うて、西を指してぞ飛び去りける。
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兵藤裕己氏の脚注によれば、「一翳眼に在れば、空花乱墜す」は『景徳伝燈禄』(北宋の道原撰の禅宗の僧伝)巻十に見える言葉で、「眼に一つでも曇りがあると、実在しない花のようなものが見える。煩悩があると種々の妄想が起こる意」だそうです。
「これ程の不思議を見つれども」全く動じない大森彦七は相当の人物ですが、その勇敢な行動を支える論理は、
「一翳眼に在れば、空花乱墜す」という真理に照らせば、自分が見た数万人の大軍団も煩悩から生じた単なる妄想であり、「千変百怪、何ぞ驚くに足」りないのである。
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従って、自分は「たとひいかなる第六天の魔王どもが来たつて云ふとも、この刀をば」絶対に渡さない。
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そうである以上、「例の手の裏を返すが如きの綸旨」など貰っても意味がない。
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であるから、正成その他の連中は「早や、面々に御帰り」下さい。自分は「この刀をば将軍へ」進呈することにします。
ということで、大森彦七は決して無教養な乱暴者ではなく、禅宗をその思想的基盤とするなかなかの理論家として造型されていることが分かります。
また、大森彦七の発言の中で、「例の手の裏を返すが如きの綸旨給ひても詮なし」という表現は格別に面白いですね。
ここは禅宗とは関係なくて、むしろかつて後醍醐が綸旨を濫発して大混乱を起こした結果、多くの武家が味わった苦い経験を踏まえての「綸旨」に対する警戒的・軽蔑的姿勢の現れと考えることができそうです。
第二幕では手ぶらだった正成は、第三幕では後醍醐の「綸旨」を持参し、「勅使」と称して仰々しく登場した訳ですが、「例の手の裏を返すが如きの綸旨」などよりは将軍から戴く文書の方がよっぽど有難いぞ、という手厳しい反撃を受けたことになります。
さて、数万人の壮麗な大軍団であることを誇示したにもかかわらず、第二幕と同様、正成に率いられた怨霊(または天狗)の一行は、意外にあっさりと引き返して行きますが、話はまだまだ続きます。
第四幕に入ると、怪異に沈着冷静に対応していた大森彦七は「物狂ひ」になってしまい、一族は彦七を座敷牢に閉じ込め、周囲を警固するという展開となります。(p88以下)
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その後〔のち〕より、盛長、物狂〔ものぐる〕ひになつて、山を走り、水を潜る事止む時なく、太刀を抜き、矢を放つ事隙〔ひま〕なかりける間、一族以下〔いげ〕数百人相集つて、盛長を一間〔ひとま〕なる処に押し籠めて置き、おのおの弓箭兵杖を帯して、警固の体〔てい〕にてぞ居たりける。
或る夜、また雨風一〔ひと〕しきり過ぎて、電光〔いなびかり〕繁〔しげ〕かりければ、「すはや、例の楠〔くすのき〕来たりぬ」と怪しむ処に、案の如く、盛長が寝たる枕の障子をがはと踏み破つて、数十人打ち入る音しけり。警固の者ども起き騒ぎて、太刀、長刀の鞘をはづし、夜討〔ようち〕入りたりと心得て、敵はいづくにかあると見れども、更になし。こはいかにと思ふ処に、天井より、猿の手の如くに毛生〔お〕ひて長き腕〔かいな〕を差し下ろし、盛長が髻〔もとどり〕を取つて中〔ちゅう〕に引つさげて、八風〔はふ〕の口より出でんとす。盛長、中にさげられながら、件の刀を抜いて、怪物〔ばけもの〕の臂〔ひじ〕のかかりの辺を三刀〔みかたな〕差す。差されて少し弱りたる体〔てい〕に見えければ、むずと引つ組んで、八風より広廂〔ひろびさし〕の軒〔のき〕の上にころび落ちて、また七刀〔ななかたな〕までぞ差したりける。怪物急所をや差されたりけん、脇の下より鞠の如くなる物、つつと抜け出でて、虚空を指して去りにけり。
警固の者ども、梯〔はし〕をさして屋〔や〕の上に昇り、その跡を見るに、一つの牛の頭〔かしら〕あり。「これはいかさま楠が乗つたる牛か。しからずは、その魂魄の宿れる物か」とて、この頭を中門の柱に吊り付けて置いたれば、家終宵〔よもすがら〕鳴りはためきて揺るぎける間、微塵に打ち砕いて、則ち水の底にぞ沈めける。
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ということで、第四幕では彦七が問題の剣を振るって怪物の体の一部を切り落とす、というダイナミックな要素が加わっている点に若干の新味はありますが、怪物が大森彦七を空中にさらって行こうとするも失敗する、という展開は第一幕と同じですね。
ついで第五幕に入りますが、第四幕の攻撃方法が若干単調だったためか、第五幕ではより巧妙な手法が考案されています。