学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

渡邊裕美子氏「慈光寺本『承久記』の和歌─長歌贈答が語るもの─」(その3)

2023-01-22 | 長村祥知『中世公武関係と承久の乱』

渡邉氏作成の「『承久記』和歌一覧」(p79)は横に1から28までの数字、縦に、

詠歌場所
初句
作者
宛先
慈光(慈光寺本)
古慶(慶長古活字本)
古元(元和古活字)
前田(前田家本)
兵乱(承久兵乱記)
軍物(承久軍物語)
他出状況

の各項目があって、例えば2番なら、

詠歌場所:駿河浮島原
初句:春の雁の
作者:実氏
宛先:【空白】
慈光:【空白】
古慶: 1
古元: 1
前田: 1
兵乱: 2
軍物: 2
他出状況:他出ナシ。前田・兵乱・軍物(小異)

となっています。
松林靖明校注の『新訂承久記』(現代思潮社、1982)は元和四年古活字本を底本としていますが、建保七年(承久元、1219)正月二十七日、右大臣任官の拝賀のために鶴岡八幡宮に行った実朝が公暁に殺された場面の直後に、

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 廷〔さて〕も都より下り給ひし公卿・殿上人、不計〔はからざる〕に眼前の無常に、目を驚し、空しく帰り上り給ふ。駿河国浮嶋原を通給ふに、霞める空、長閑〔のどか〕なりけるに、翅〔つばさ〕も見へぬ雁の音づれ過しを、左衛門督実氏卿、かく思ひつゞけ給ひける。
   春の雁の人に別れぬならひだに帰る空には啼〔なき〕てこそゆけ
聴人、袖を(ぞ)絞りける。各〔おのおの〕都を出し時は、伝聞し富士の高峯の烟〔けぶり〕よりして、珍敷〔めずらしき〕名所共を見ん事よと、思続けて被下しに、思はざる無常に興を失ひ、なげきの色を含みて、被上けるぞ哀れなる。
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とあり(p48)、祝賀行事に参列するために鎌倉に下ったのに、大変な騒動に巻き込まれてしまって空しく帰る公卿・殿上人たちの感慨を代表する形で西園寺実氏(1194-1269)の歌が載っています。
松林氏の頭注によれば、「雁は春になると、それまでどんなに慣れ親しんだ人とも必ず分かれて帰って行くのが習慣だが、それでも別れを惜しんで鳴き鳴き行くことだの意。ここでは実朝の死を悲しみ泣き泣き帰る我が身を雁に託している」という歌ですね。
実朝暗殺場面は流布本では詳細で、『新訂承久記』では4ページほどの分量があり、公卿五人・殿上人十人・随身八人・前駆二十人・隋兵十人の人名リストも載っていますが、慈光寺本は、

-------
【前略】去建保七年<己卯>正月廿日、右大臣ノ拝賀ニ勅使下向有テ、鎌倉ノ若宮ニヲキ拝賀申サレケル時、舎兄頼家ノ子息若宮別当悪禅師ノ手ニカゝリ、アヘナク被誅給ケリ。凡三界ノ果報ハ風前ノ灯、一期ノ運命ハ春ノ夜ノ夢也。日影ヲマタヌ朝顔、水ニ宿レル草葉ノ露、蜉蝣ノ体ニ不異。
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という具合いに(新日本古典文学大系、p34)、日付を間違えて、極めて簡略に記すだけです。
そして、この後に「爰ニ右京権太夫義時ノ朝臣思様、朝ノ護源氏ハ失終ヌ。誰カハ日本国ヲバ知行スベキ。義時一人シテ万方ヲナビカシ一下天ヲ取ラン事誰カハ諍フベキ」と続き、実氏の歌など存在しません。
従って、渡邉氏作成の一覧表では「慈光」の欄は空白です。
他方、「古慶(慶長古活字本)」と「古元(元和古活字)」では、それぞれに登場する和歌全20首のうち、この実氏の歌が最初に登場し、「前田(前田家本)」では全19首の最初に登場し、「兵乱(承久兵乱記)」と「軍物(承久軍物語)」では全20首のうち、実朝の初句「いでていなば」の歌に続いて二番目に登場します。
そして、「他出状況」を見ると、この歌は「他出ナシ。前田・兵乱・軍物(小異)」なので、『承久記』諸本以外の勅撰集・私撰集や『吾妻鏡』『増鏡』等では確認できず、結局、本当に西園寺実氏が作った歌なのかについては疑いが残ることになります。
慈光寺本の歌はほぼ慈光寺本作者の創作で間違いなさそうですが、流布本でも作者の創作の可能性はある訳ですね。
ま、それはともかく、一覧表を見ると、慈光寺本の孤立性・異質性は一目瞭然ですね。
「古慶(慶長古活字本)」・「古元(元和古活字)」・「前田(前田家本)」・「兵乱(承久兵乱記)」・「軍物(承久軍物語)」は、多少の異同はありますが、ほぼ同じ歌がほぼ同じ順番で並んでいます。
しかし、11番から17番までの七首は慈光寺本だけに存在しており、他の本では綺麗に空欄になっています。

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