学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

資料:佐伯智広氏「二条親政の成立」(その2)

2025-02-22 | 鈴木小太郎チャンネル2025
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 徳大寺家取り込みの点では、育子入内の前段階として、永暦元(一一六〇)年正月の太皇太后多子の再入内が注目される。本来多子は藤原頼長養女として近衛天皇に入内していたが、近衛の死去・保元の乱での頼長の没落により、父公能に養われていた。公能は皇嗣を産む可能性があることを理由に多子を説得したとされており、徳大寺家にとっては再入内は困惑する事態だったが、二条との婚姻関係自体は歓迎されるものであった(10)。
 また、このとき二条が後白河の反対を「天子に父母なし」として押し切ったとする『平家物語』の実否は不明だが、結果的に二条が自己の意思を押し通したことは確かである。院政期には後宮の構成についての主導権、すなわち王権の継承者を産むべき存在の決定権を院が握っていたわけだが、育子入内の主導権は完全に二条天皇の側にあり、後白河院は全く関与していない。これは後白河の保持する後宮構成の決定権を二条が切り崩したことを意味し、この点でも多子の再入内は、育子入内の前提となった出来事と評価できる。

(10)『平家物語』(覚一本)巻一・二代后。なお河内祥輔は、多子入内は姝子を正統の皇位継承者の証として二条に配した鳥羽院の遺志に反したため、美福門院や貴族の離反と、姝子を擁護した後白河の復権につながったとしてる(はじめに注(3)同前掲書)。しかし、美福門院が反対していれば多子の再入内は実現しなかったはずであり、実際には美福門院もこれを容認していたと考えられる。
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2 姝子内親王(高松院)・暲子内親王(八条院)の院号宣下

 次に、姝子内親王(高松院)・暲子内親王(八条院)の院号宣下について分析する。
 育子入内と直接関係するのは、姝子の院号宣下である。育子が入内の翌応保二(一一六二)年三月に立后された際の皇妃は、中宮姝子内親王・皇后藤原忻子・皇太后藤原呈子・太皇太后藤原多子であり、空席はなかった。このような場合、通常は先帝・先々帝の后妃である忻子・呈子・多子のいずれかに院号宣下し、育子を皇后とする、もしくは中宮姝子を皇后とし育子を中宮とする、のいずれかの処置が取られる。
 ところが、二条は中宮姝子に院号宣下し、育子を中宮とした。これは在位中の天皇の皇妃が院号宣下を受けた初例である。一般に院号宣下は政治的権威の上昇と考えられるが、姝子の事例は例外であり、永暦元(一一六〇)年春以降二条との同居が途絶えていた姝子にとって、院号宣下は二条の後宮からの締め出しを意味していた。
 先述の通り、二条にとって姝子は、鳥羽院の後継者としての正統性を示す存在である一方、後白河が二条の後宮を支配することを可能とし、ひいては「後白河の親権による二条の保護という体制を象徴する存在でもあった。そのため、二条は姝子を皇妃から外し、後白河の親権の排除を図ったのである。
 継に、応保元(一一六一)年十二月の暲子の院号宣下については、先述の栗山の論稿がある。それによると、暲子への院号宣下は美福門院死後の二条天皇側の陣営強化策であり、二条が鳥羽の正統な後継者であることを示すための処置であった。この点については異論はないが、問題は院号宣下と育子入内・後白河院排除との関係である。
 栗山の指摘の通り、二条と暲子との准母関係は、院号宣下以前に美福門院の遺志により設定されていた。准母関係は二条が暲子を准母として拝した保元三(一一五八)年の朝覲行幸に遡るものであり、おそらく美福門院が後白河の養母となるに際し、代わりに暲子が二条の准母とされたと考えられる。このような准母関係設定と院号宣下との時間的隔たりは、この二つが直接関わらない別の政治的理由によるものであったことを示しており、暲子との准母関係が二条の政権掌握に直接影響を及ぼしたとは考えられない。
 また、暲子は保元二(一一五七)年五月に出家しており、その後院号宣下以前の政治的活動は、母美福門院の代わりに二条の准母とされた保元三年の朝覲行幸のみである。このことは、院号宣下以前の暲子は重要な政治的立場になかったことを示している。
 暲子が院号宣下されたのは、姝子に代わって二条の鳥羽院後継者としての正当性を象徴する役割を果たすためであった。二条にとっては育子入内・立后と姝子の後宮からの排除が主目的であり、暲子の院号宣下はあくまで従であったと評価できるだろう。
 以上のように、育子入内、姝子・暲子の院号宣下という三つの政策は、二条親政を実現するために一体のものとして行われたものであった。【後略】
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