投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年11月 4日(土)12時26分57秒
『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち』は、かねてから不思議に思っていたトハチェフスキー元帥以下の赤軍大粛清の経緯についてある程度理解できたのでいったん打ち切り、時代を遡って、同じ著者の『スターリン 青春と革命の時代』(松本幸重訳、白水社、2010)を読み始めてみました。
原著の発行は『Stalin: The Court of the Red Tsar』が2003年、『Young Stalin』が2007年ですが、翻訳は前者上下巻が2010年2月、後者が同年3月で、白水社はほぼ同時期に三冊、合計約二千ページの訳書を出したのですね。
白水社サイトの紹介はずいぶんあっさりしているので、アマゾンの商品説明を転記すると、
-------
《「若きスターリン」の実像》
スターリンの後半生を描いた前作『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち』に続き、謎に包まれた前半生を描いた、評伝二部作の第2弾。
一八七八年、グルジアの貧しい靴職人の家庭に生まれ育ったスターリンは、神学校在学中にマルクス主義に目覚め、聖職者になる道を捨てる。同志たちとデモやストライキなど労働運動を始め、コーカサス地方一帯で頭角を現す。また、銀行強盗や強請り、殺人や放火などで活動資金を調達するようになる。
その後、度重なる逮捕・投獄・脱走・流刑を経験し、数多の女性関係ももった。最初の結婚では家庭を顧みず、若妻カトは息子を遺して病死。流刑地では落とし子をもうけ、後には二十歳も年下の妻ナージャをめとることとなる。
やがてスターリンは、亡命中のレーニンに活躍が認められ、地方の活動家からロシアの活動家へと転身し、ボリシェヴィキ中央委員に選出される。しかし一九一二年、二月革命後、酷寒のシベリアに四年間も流刑される。やがて帰国したレーニンの腹心となり、一九一七年、十月革命の成功後、レーニン首班の一員となる。
グルジア公文書の最新公開資料が、「若きスターリン」の知られざる実像を明かしてくれた。故郷コーカサス人の派閥、強盗の頭目で幼馴染のカモー、二度の結婚と派手な女性遍歴、レーニンやトロツキーとの複雑な関係など、驚愕のエピソードが満載だ。まさに独裁者誕生の源流に迫った、画期的な伝記。映画化進行中。
-------
といった具合いですが、映画化は中止になったようですね。
若干重複しますが、「序論」から少し引用してみます。(p15以下)
-------
若き日のスターリンに関する研究はわずかである(若い頃のヒトラーに関する多くの研究に比べれば)。しかし、これは資料がきわめて少ないように見えたからだ。だが、実際はそうではない。彼の子供時代、そして革命家、ギャング、詩人、神学生、夫、行く先々で女性と庶子を見捨てる女たらしとしての経歴をよみがえらせる大量の生々しい新資料が、新たに解放された各地の公文書館に、とりわけ、これまでとかく軽視されがちだったグルジアの公文書館に潜んでいた。
スターリンの若年期は謎に包まれていたかもしれない。しかし、それはレーニンやトロツキーの若い時代とまったく同じように並外れていたし、あるいはもっと波乱に富んでいたとさえ言える。そしてそれが彼に数々の勝利と悲劇のための、最高権力獲得のための身支度を調えさせたのだ(そして同時にダメージをも残した)。
スターリンの革命前の働きと犯罪は、知られていたよりもはるかに大きかった。銀行強盗、みかじめ料稼ぎ、ゆすり、放火、海賊行為、殺人(政治的ギャング行為)で彼が果たした役割を、初めて史料で証明することができる。これらの行為こそレーニンに感銘を与えたのであり、スターリンはソヴィエトの政治ジャングルの中ですこぶる有益な技術を仕込んだのである。しかしまた、彼が単なるギャングのゴッドファーザーをはるかに超えていたことも示すことができる。彼は政治的オルガナイザー、行動家であり、そして帝政側の治安機関に浸透する名人でもあった。大政治家としての名声が、皮肉なことに大テロルにおけるみずからの破滅に立脚しているジノヴィエフ、カーメネフ、あるいはブハーリンとは対照的に、スターリンは一身の危険を冒すことを恐れなかった。けれども彼がレーニンに感銘を与えたのはまた、年長のレーニンと対立し意見を異にすることを決して恐れない、独立の思慮深い政治家、精力的な編集者、ジャーナリストでもあったからだ。スターリンの成功の源となったのは、少なくとも一つには教育(神学校での)と街路での暴力行為の特異な結合である─彼はそのまれなる結合であって、「インテリ」と殺し屋が一身に同居していた。一九一七年にレーニンがその暴力的な、窮地に立たされた革命のための理想の副官としてスターリンを頼りにしたのは、不思議でもなんでもない。
------
スターリンが1907年6月にグルジアのチフリスで起こした「銀行強盗」は「プロローグ」で詳しく紹介されていますが、堅固な銀行支店にピストルを持った強盗団が乗り込むのかと思ったら、スターリン配下のギャング20人が、警官とコサック騎兵に囲まれた現金輸送中の馬車二台の下に手製の手榴弾(愛称は「りんご」)を10個以上投げ込み、同時に警官・コサック騎兵を周囲から銃撃して無辜の通行人を含め約40人を殺害したという荒っぽいもので、殆ど西部劇の世界ですね。
>筆綾丸さん
>カタルーニャ
カタルーニャの独立運動についてエマニュエル・トッドはかなり冷ややかな書き方をしていましたね。
法的問題については法律雑誌で特集が組まれるでしょうから、面白そうな記事や論文があれば紹介したいと思います。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
亡命か送還か 2017/11/03(金) 13:24:17
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E5%B1%B1%E5%A4%A9%E7%9A%87
Sebag と Jaffé がユダヤ系の姓なのでしょうね。Montefiore はイタリア語で「花の山」ですが、そういえば、花山院という風変わりな人もいました。月岡芳年の画は、不謹慎ながら、哀れっぽくて笑えます。
http://www.rfi.fr/europe/20171102-catalogne-huit-anciens-ministres-places-detention-provisoire-puigdemont
カタルーニャ州政府の元閣僚達が sédition, rébellion et détournement de fonds publics(暴動、内乱、公金横領)の疑いで中央政府の司法当局に拘束された、とありますが、とうとう、ここまでこじれてしまったのですね。Haute trahison(国家反逆)という言葉はまだ使われていませんが。ベルギーに逃亡(?)した Carles Puigdemont は、本国に強制送還されるのか、亡命が認められるのか、EU内における難しい国家間問題になりました。
法律の専門家には興味深い問題かもしれませんが、日本で法律論が話題になることはないでしょうね。??
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E5%B1%B1%E5%A4%A9%E7%9A%87
Sebag と Jaffé がユダヤ系の姓なのでしょうね。Montefiore はイタリア語で「花の山」ですが、そういえば、花山院という風変わりな人もいました。月岡芳年の画は、不謹慎ながら、哀れっぽくて笑えます。
http://www.rfi.fr/europe/20171102-catalogne-huit-anciens-ministres-places-detention-provisoire-puigdemont
カタルーニャ州政府の元閣僚達が sédition, rébellion et détournement de fonds publics(暴動、内乱、公金横領)の疑いで中央政府の司法当局に拘束された、とありますが、とうとう、ここまでこじれてしまったのですね。Haute trahison(国家反逆)という言葉はまだ使われていませんが。ベルギーに逃亡(?)した Carles Puigdemont は、本国に強制送還されるのか、亡命が認められるのか、EU内における難しい国家間問題になりました。
法律の専門家には興味深い問題かもしれませんが、日本で法律論が話題になることはないでしょうね。??
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます