第268回配信です。
一、前回配信の補足
0267 桃崎説を超えて。(その32)─栗山圭子説批判〔2025-02-23〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/f61fdcae58363a47547ec002d28a4878
上西門院・八条院、いずれの場合も基本的には荘園群の頂点の問題、即ち社会・経済的問題であって、政治情勢とは切り離して考えた方が良いのではないか。
特に八条院の場合、時系列は、
永暦元年(1160)十一月二十三日 美福門院死去
応保元年(1161)十二月十六日 暲子内親王院号宣下(八条院)
となっていて、美福門院死去の一年後に院号宣下。
これは野口華世氏の言われるように、「先駆的な待賢門院領での久安元年(一一四五)の女院没後におけるドタバタ劇を見ていた八条院と八条院領知行者たち」が、「それをある意味反面教師として対応することができた」ためではないか。
資料:野口華世氏「待賢門院領の伝領」(その2)〔2025-02-18〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ec74550d0de725b3b814f6a7d05ab1f8
0267 桃崎説を超えて。(その32)─栗山圭子説批判〔2025-02-23〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/f61fdcae58363a47547ec002d28a4878
上西門院・八条院、いずれの場合も基本的には荘園群の頂点の問題、即ち社会・経済的問題であって、政治情勢とは切り離して考えた方が良いのではないか。
特に八条院の場合、時系列は、
永暦元年(1160)十一月二十三日 美福門院死去
応保元年(1161)十二月十六日 暲子内親王院号宣下(八条院)
となっていて、美福門院死去の一年後に院号宣下。
これは野口華世氏の言われるように、「先駆的な待賢門院領での久安元年(一一四五)の女院没後におけるドタバタ劇を見ていた八条院と八条院領知行者たち」が、「それをある意味反面教師として対応することができた」ためではないか。
資料:野口華世氏「待賢門院領の伝領」(その2)〔2025-02-18〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ec74550d0de725b3b814f6a7d05ab1f8
荘園制の問題は派閥を超えた、公家社会の人々の共通利益の問題。
院政期に成立した「荘園公領制」は、公家社会の有力者が在地の有力者と組んで国家の財産を切り取る仕組み。
中央貴族はソビエト崩壊後の「オリガルヒ」のような存在。
これによって長期的な投資が可能となり、荘園の生産力は増大し、経済が発展して、中央でも地方でも富裕な人々が増えた。
反面、地方の武力対立が中央にも波及し、都でも暴力的な事件が頻発する荒っぽい時代となった。
荘園群の承継は政治的立場を超えて発生する問題。
オリガルヒ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%83%92
二、佐伯智広説の問題点
佐伯智広氏『皇位継承の中世史』(その1)(その2)〔2022-04-27〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/83c9b9ab66defa845354140b178df280
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e3847f6428a58345c43d9e1b885719f5
資料:佐伯智広氏「二条天皇─夭折した正統の皇位継承者」〔2025-01-30〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8d7f2e48b69e586a13acc22cd6697c68
0256 桃崎説を超えて。(その21)─「二代后」についての佐伯智広氏の解釈〔2025-01-30〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/159b4c8a6e837817f375cd8c757a3724
資料:佐伯智広氏「二条親政の成立」(その1)(その2)〔2025-02-21〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/bfbb33d914c9ce7337a84490d035e83d
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/7ccff8868af1121075d2063cea3ea493
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