投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 1月11日(日)10時20分8秒
殆どの学者は自分が常に対象を観察・分析する側にいると思っていますが、人間が対象である場合、相手もまた注意深く学者を観察・分析していることがありますね。
「生駒庵」の「ご主人」は珍しい「逸品」を次々と網野一家に見せてくれたそうですが、私にはその種の物品について特別な知識はなく、昔、鈴木清順の『ツィゴイネルワイゼン』か『陽炎座』で見たような覚えがあるだけです。
ただ、それらの「逸品」は相当に高度な技術を持った職人が手間隙かけて作ったものであることは間違いなく、また価格も高価でしょうから、好事家のための特注品か、あるいは性に関連する商売で何らかの用途に用いられていたものだと思います。
ま、私としてはそれなりに高級なクラスの遊廓で客寄せのために作ったと考えるのが素直なんじゃないかな、と想像します。
そして、店には「どことなく水商売風の雰囲気も漂って」いて、「小づくりな体つきをしたきれいなおばあさん」が「きちんと手をそろえて挨拶」してくれ、「小柄な体つきのご主人が粋な和服姿であらわれ」、その人の方言を中沢新一が標準語に直しているのかもしれませんが、とにかく非常に丁寧な、洗練された言葉で応接してくれるのだそうですね。
ま、これだけの材料があれば、「水商売」で相当の財産をためた「ご主人夫婦」が、金儲けのためというより半ば道楽でやっている店と考えてよいのではないかと思います。
そして、「若い頃は大須観音あたりで浪曲師をしていたというご主人夫婦の過去」が語られたそうですが、大須観音周辺にはかつて「旭遊廓」という大規模な遊廓が存在していたそうですね。
私は名古屋に全く土地カンのない人間ですが、「大須観音」プラス「遊廓」で検索すれば次のようなサイトが引っかかります。
「ご主人夫婦」にしてみれば、野鳥料理を提供しつつ、なじみ客の好事家と昔話などをし、ときには「霞網」にかかってやって来た新参の客に「自慢の収蔵品」を見せて反応を楽しむ、といった悠々自適の生活を送っていたところ、いかにも生真面目そうな学者タイプの親子連れが小生意気な理屈っぽい大学生と一緒にやってきて、少しピントはずれているものの旺盛な知的好奇心を剥き出しにして色々質問してくれるので、これは近年稀に見る素晴らしい「天然もの」だと気を良くして丁寧に対応してくれた、といったことではないかと思います。
「ご主人夫婦」も別に真面目な学者一家を積極的にだまそうとしていた訳ではなく、「若い頃は大須観音あたりで浪曲師をしていた」というような、まあ普通レベルの朴念仁や唐変木だったら、なるほどそうだったか、と気づくようなヒントを出してあげており、それでもこの学者一家が気づかないらしいので、世の中には本当に珍しい品種の「天然もの」がいるものだなあと改めて感動したのではないですかね。
>筆綾丸さん
>美濃の世界
これもよく分からない勘違いですね。
中沢新一って、ものすごく頭が良いのに変な思い込みが本当に多い人です。
中沢新一が「相生山の丘陵地に隠れ住む、もう一人の『鳥刺し』の人生を、みんなでほめたたえながら」「九州から持参したおみやげの芋焼酎をたらふく飲んで、大きな声でパパゲーノの歌を歌」っていた頃、同じ相生山の丘陵地の一画では、「ご主人夫婦」が、今日の学者一家は本当に面白い客だったなあ、と思い出し笑いをしていたかもしれないですね。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
パパゲーノ とパパゲーナのデュエット 2015/01/10(土) 16:20:24
小太郎さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%99%BD%E5%8C%BA
http://en.wikipedia.org/wiki/Freudian_slip
昭和区(現天白区)相生山の丘陵地帯の団地に関して、「癖の強い古い美濃の世界が切り崩されて」とありますが(25頁)、ウィキに「中世には鳴海庄天白村であった」とあるように、そこは尾張国であって美濃国ではないですね。天白川を少し下れば、織田氏と今川氏が対立した鳴海城があります。「アミノ」に引きずられて「ヲワリ」を「ミノ」と言い間違えたのは、いわゆる Freudian slip( parapraxis )と考えられるかもしれませんね。つまり、フロイト風に云えば、網野さんの終わり(死)を受容したくないという無意識が働いたのだ、と。
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私はその夜、九州から持参したおみやげの芋焼酎をたらふく飲んで、大きな声でパパゲーノの歌を歌った。相生山の丘陵地に隠れ住む、もう一人の「鳥刺し」の人生を、みんなでほめたたえながら。(29頁)
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https://www.youtube.com/watch?v=THsbW6bBK2U
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%88%BA%E3%81%97
上の文は、『チベットのモーツァルト』の著者が書かせた創作で、「パパゲーノの歌」の話は嘘ではあるまいか。網野氏が聞いていたのなら、Vogelfang(鳥刺し)に関するドイツの歴史的背景について何か言及したのではないか。「エロティシズムと聖性の関係」や「中世の遊女と天皇の妖しい関係」に関心を抱いていた二人が(21頁)、パパゲーノとパパゲーナの関係に興味を示さないはずがない。さらには、papageno と papagena には papa(教皇)と pappagallo(オウム)が含意されていて・・・とか、そんな話になったかもしれない。・・・というような訳で、「パパゲーノの歌」の話は中沢氏の単なる法螺話(自慢話)のような気がします。
小太郎さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%99%BD%E5%8C%BA
http://en.wikipedia.org/wiki/Freudian_slip
昭和区(現天白区)相生山の丘陵地帯の団地に関して、「癖の強い古い美濃の世界が切り崩されて」とありますが(25頁)、ウィキに「中世には鳴海庄天白村であった」とあるように、そこは尾張国であって美濃国ではないですね。天白川を少し下れば、織田氏と今川氏が対立した鳴海城があります。「アミノ」に引きずられて「ヲワリ」を「ミノ」と言い間違えたのは、いわゆる Freudian slip( parapraxis )と考えられるかもしれませんね。つまり、フロイト風に云えば、網野さんの終わり(死)を受容したくないという無意識が働いたのだ、と。
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私はその夜、九州から持参したおみやげの芋焼酎をたらふく飲んで、大きな声でパパゲーノの歌を歌った。相生山の丘陵地に隠れ住む、もう一人の「鳥刺し」の人生を、みんなでほめたたえながら。(29頁)
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https://www.youtube.com/watch?v=THsbW6bBK2U
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%88%BA%E3%81%97
上の文は、『チベットのモーツァルト』の著者が書かせた創作で、「パパゲーノの歌」の話は嘘ではあるまいか。網野氏が聞いていたのなら、Vogelfang(鳥刺し)に関するドイツの歴史的背景について何か言及したのではないか。「エロティシズムと聖性の関係」や「中世の遊女と天皇の妖しい関係」に関心を抱いていた二人が(21頁)、パパゲーノとパパゲーナの関係に興味を示さないはずがない。さらには、papageno と papagena には papa(教皇)と pappagallo(オウム)が含意されていて・・・とか、そんな話になったかもしれない。・・・というような訳で、「パパゲーノの歌」の話は中沢氏の単なる法螺話(自慢話)のような気がします。
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