ベック式!難単語暗記法ブログ

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622年 〈ムハンマド、メディナ到着(イスラム暦元年)〉★★

2015-02-05 | 『新世界史頻出年代暗記』

▲メディナの位置(メッカからメディナに北上と覚えて二つの都市の位置を覚えよう!)

 ●イスラム(イスラム教の成立期)

  Prophet Muhammad arrives in Medina; the Islamic Era

begins.

無風(むふう)になる日 めでたいな。

622年  

 ムハンマド         ヒジュラ  メディナ

7世紀初め、クライシュ族の商人出身のムハンマドが、唯一神アッラーの預言者として、神の前における信者の平等や偶像崇拝の禁止を説き、厳格な一神教であるイスラム教が誕生。

しかし、メッカの多神教を否定し、大商人を批判したために迫害を受け、信者とともにメディナに北上し逃れた。この出来事はヒジュラ(聖遷)とよばれ、イスラム暦の起元となっている。

 背景

シリアをめぐる、イランのササン朝ペルシアビザンツ帝国の対立によって絹の道が途絶え、アラビア半島西部のメッカが中継貿易で繁栄し、大商人の力が大きくなった。  

▼天使ジブリールから啓示を受けるムハンマド

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9年 〈ローマ、トイトブルク森の戦いに敗れる〉★

2015-02-05 | 百人一首を最速で覚える

 

 ▲トイトブルク森の戦いで奮戦するアルミニウス(中央馬上の赤いマントの男)

●ローマ(帝政) 

 

The Battle of the Teutoburg Forest took place in 9, when an alliance of Germanic tribes led by Arminius of the Cherusciambushed and decisively destroyed three Roman legions and their auxiliaries, led by Publius Quinctilius Varus.

急(きゅう)会う、逃げる 遠い森。

9年  アウグストゥス 

アルミニウス ゲルマン人 トイトブルク森の戦い

 

9年、初代ローマ皇帝アウグストゥスの派遣した将軍ウァルスの率いるローマ軍は北ドイツのウェストファリア地方にあったトイトブルクの森で、アルミニウスに率いられたゲルマン人に敗れ、3個軍団が全滅。その知らせを受けたアウグトゥスが、泣きながら「ウァルスよ、余の軍団を返せ!」と叫んだというのは有名なエピソードである。この戦いの敗戦でローマとゲルマン人の境界はライン川ドナウ川を結ぶ線に確定した。

 

 

 

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642年 〈ニハーヴァンドの戦い〉★★

2015-02-05 | 『新世界史頻出年代暗記』

 ●ペルシア(ササン朝)

 The Arabs defeat the Persians at Niharvand and put their king, Yazdgard , to flight. The victory puts an end to the Sassanid dynasty.

 無用(むよう)になった ササン朝。

  642年 ウマル ニハーヴァンドの戦い 

                    ササン朝ペルシア    

 

ムハンマドの死後、ムスリム(イスラム教徒)からカリフ(後継者)が選出された。

初代のアブー=バクルから4代のアリーまでを正統カリフ時代という。

当時、イスラーム成立後の大征服の時代で、正統カリフの下にアラブ・ムスリム軍はアラビア半島から領地を拡大していた。

一方、ホスロー1世以後のササン朝は、東ローマ帝国との長い戦いやその後の王位争いなどで国力を消耗しており、オリエントの大国だったササン朝はすっかり弱体化していた。

その後も新興のアラブ軍の前に敗退を重ね、ついには正統カリフ第2代ウマルの軍がササン朝の本拠地イラクへ進出。

首都クテシフォンは陥落し、ザグロス山脈を越えて642年、西部イランのニハーヴァンド(現在のイランの首都テヘランの南方)でヤズデギルド3世のササン朝ペルシア軍を撃破(ニハーヴァンドの戦い)、イスラム教東進の道を開いた。

この敗北でササン朝は事実上崩壊し、651年にヤズデギルド3世はホラーサーンメルヴへ逃れるも同地で総督の裏切りにあって殺害され、サーサーン朝は滅亡した。

ササン朝イスラム帝国に滅ぼされると(651年)、ホラーサーンは急速にイスラム化し、この地域を治める総督府は、メルブ(のちにニーシャプール)に置かれた。ウマイヤ朝を覆してアッバース朝を建てさせた原動力はこの地域の人々だったと言われる。

▼ホラーサーン

 

「ホラーサーン地方」の名は「ほら、さあウマイヤ打倒!」から?

 


 

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