●ペルシア(ササン朝)
The Arabs defeat the Persians at Niharvand and put their king, Yazdgard Ⅲ, to flight. The victory puts an end to the Sassanid dynasty.
無用(むよう)になった ササン朝。
642年 ウマル ニハーヴァンドの戦い
ササン朝ペルシア
ムハンマドの死後、ムスリム(イスラム教徒)からカリフ(後継者)が選出された。
初代のアブー=バクルから4代のアリーまでを正統カリフ時代という。
当時、イスラーム成立後の大征服の時代で、正統カリフの下にアラブ・ムスリム軍はアラビア半島から領地を拡大していた。
一方、ホスロー1世以後のササン朝は、東ローマ帝国との長い戦いやその後の王位争いなどで国力を消耗しており、オリエントの大国だったササン朝はすっかり弱体化していた。
その後も新興のアラブ軍の前に敗退を重ね、ついには正統カリフ第2代ウマルの軍がササン朝の本拠地イラクへ進出。
首都クテシフォンは陥落し、ザグロス山脈を越えて642年、西部イランのニハーヴァンド(現在のイランの首都テヘランの南方)でヤズデギルド3世のササン朝ペルシア軍を撃破(ニハーヴァンドの戦い)、イスラム教東進の道を開いた。
この敗北でササン朝は事実上崩壊し、651年にヤズデギルド3世はホラーサーンのメルヴへ逃れるも同地で総督の裏切りにあって殺害され、サーサーン朝は滅亡した。
ササン朝がイスラム帝国に滅ぼされると(651年)、ホラーサーンは急速にイスラム化し、この地域を治める総督府は、メルブ(のちにニーシャプール)に置かれた。ウマイヤ朝を覆してアッバース朝を建てさせた原動力はこの地域の人々だったと言われる。
▼ホラーサーン
「ホラーサーン地方」の名は「ほら、さあウマイヤ打倒!」から?
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