◆パリ講和会議における「四巨頭」左から順にロイド=ジョージ、オルランド、クレマンソー仏首相、
●国際(第二次世界大戦)
The Treaty of Versailles is signed, ending World War.
遠(とお)く行くパリ ヴェルサイユ。
1919年 クレマンソー首相 パリ講和会議 ヴェルサイユ条約 三・一独立運動
第一次世界大戦終結の翌1919年、連合国の代表が集まり、パリ講和会議が開かれた。
原則となったのはアメリカ大統領ウィルソンによって発表された十四カ条であった。
しかし、フランスのクレマンソー首相やイギリスのロイド=ジョージ首相は敗戦国ドイツにとって厳しい内容であるヴェルサイユ条約を結ばせた。
民族自決の理念はヨーロッパ諸国にしか適応されず、朝鮮では三・一独立運動が、中国では五・四運動が起こった。
《ドイツ以外の敗戦国に対する講和条約》
ヴェルサイユ条約と同様、第一次世界大戦の敗戦国はそれぞれ講和条約を締結。
トルコにはセーヴル条約、ブルガリアにはヌイイ条約、オーストリアにはサンジェルマン条約、ハンガリーにはトリアノン条約が結ばれ、敗戦国は領土の割譲を余儀なくされた
おっさん邪魔で パンツ取り、
オーストリア‐サン=ジェルマン条約
ハンガリー‐トリアノン条約
トシ子制服(せいふく) ブルマ脱ぎ。
トルコ‐セーヴル条約 ブルガリア‐ヌイイ条約
1914年に第1次世界大戦がはじまると、イタリアは開戦当初中立であったが、1915年4月、イギリス・フランス・ロシア・イタリア間でロンドン秘密条約が結ばれた。内容は、イタリアが連合国側に立って参戦するかわりに、戦後「未回収のイタリア」・アドリア海沿岸地域の割譲、植民地の拡大を約束するものであった。
こうして、翌5月にイタリアは第1次世界大戦に参戦し、戦後、1919年9月オーストリアと連合国との講和条約であるサン=ジェルマン条約によって、「未回収のイタリア」が回収された。
その後、イタリアはムッソリーニが政権を握るとユーゴスラヴィアと紛争を起こし1924年にはフィウメを獲得し、つづいて1926年にはアルバニアを保護国化した、さらにローマ教皇庁と1929年にラテラン条約を結んで和解し、教皇庁(ヴァチカン市国)の独立を認めた。