一都原爆 出頭後。
(伊東玄朴(げんぼく))(種痘法)
[ポイント]
1.伊東玄朴は、牛種痘法に成功した。
[解説]
1.伊東玄朴(1800~71)は、肥前国佐賀藩伊東家の養子で、シーボルトの鳴滝塾に学んだ蘭方医。牛種痘法に成功し、江戸神田に天然痘の予防接種施設の種痘館(種痘所)を開設。あわせて西洋医療技術の教育を行ない西洋医学の拠点となり、これが1860(万延元)年、幕府の直轄になり、1863(文久3)年に医学所と改称、後身が現在の東京大学医学部。
〈2014明大・経営(経営・会計・公共経済)
「鎖国という言葉は、オランダ商館の医師だった( ク )の著書『日本誌』の一部をオランダ通詞( ケ )が『鎖国論』として訳したことで用いられるようになったと言われている。
問8 空欄(ク)にあてはまる人名として正しいものを1つ選べ。
Aケンペル Bクルムス Cシドッチ Dツンベルグ
問9 空欄(ケ)にあてはまる人名として正しいものを1つ選べ。」
A伊東玄朴 B工藤平助 C志筑忠雄 D野呂元丈」
(答:ク→ケンペル、ケ→志筑忠雄)〉