宣命上司 完成だ。
(宣明(せんみよう)暦)(貞享(じょうきょう)暦)(寛政(かんせい)暦 高橋至時
[句意]暦はその誤りを鮮明に除去し完成した、という句。
[ポイント]
1.暦は宣明暦→貞享暦→寛政暦と変遷した。
[解説]
1.日本のおもな暦は平安時代から823年間も使われた宣明暦(862年~)から、江戸時代にはいり貞享暦(1685年~)→宝暦暦(1755年~)→寛政暦(1798年~)→天保暦(1844年~)→グレゴリオ暦(明治5年11月9日=1872年12月9日)と変遷。
2.貞享暦は、渋川春海が中国の郭守敬(かくしゅけい)作の授時暦(じゅじれき)を元に、独自の観測結果を用い、日本と中国との地域差を加味して完成。春海はこの功により、新設の幕府天文方に任命された。
3.寛政暦は、幕府天文方に登用された高橋至時(よしとき)が西洋天文学を取り入れ完成させたもの。
〈2016慶大・商AB方式
洋学の分野では、幕府は西洋暦をとりいれた寛政暦を天文方の[ 28 ]に作らせたり、天文方に[ 29 ]を設けて、洋書の翻訳に当たらせたりした。[ 29 ]は、のちに洋学の教育研究機関である[ 30 ]になり、明治以降における大学の前身となった。」
(答:28高橋至時、29蛮書和解御用(至時の子景保が建議)、30蕃書調所 ※原問には選択肢65語あり)〉
〈2016上智大・神外(英)総人(教・心)
L 初め安井算哲として幕府のa碁所で活動していたが、のちにa貞享暦を作成し、初代c天文方に任じられた。 1684年に完成した暦は、平安時代以来のd授時暦の誤りを、元の暦をもとにしながらも、天体観測の結果を加えて修正した太陰太陽暦であった。
〔語群〕
1宣明 2歌学方 3和学方 4閏月
5太陽 6和算 7書物方 8勘定方」
(答:d1)〉
〈2016明大・文
問5 史料Aの政策が出された時期に関連して、18世紀末から19世紀前半の学問・文化についての説明として誤っているものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
1 越後の小林一茶は、村に暮らす民衆の生活を和歌に詠んだ。
2 大田南畝(蜀山人)らのつくる狂歌には、為政者への風刺や世相を皮肉るものもあった。
3 幕府天文方の高橋至時は、西洋暦を取り入れた寛政暦を作成した。
4 幕府天文方に学んだ伊能忠敬は、幕命を受けて全国の沿岸を測量した。」
(答:1×越後→信濃)〉
〈2014明大・国際日本(国際日本)
問10.史料Ⅰ(本居宣長『秘本玉くしげ』)が著される時期まで、江戸時代を通じて、総じて農業技術は発達し、農村の生産力は上がったが、その結果、農村は全国的な貨幣経済に組み入れられ、村内では豪農などの有力百姓と、貧農の間の格差が広がり、多くの人々が村を離れ、仕事を求めて都市に流入するなど、社会の構造が大きく変容することにもつながった。これに限らず、この史料が著された頃にも社会の様々な局面で、徳川幕府の体制が揺らぎ始めていた。そうした状況の中での学問・思想について述べた文として誤っているものを、下記の1~4の中から選びなさい。
1 『海国兵談』でロシアの南下を警告し海防論を説いた林子平が、人心を惑わせたとして『海国兵談』の版木は没収、本人も禁固刑となるなど弾圧されたが、同じ年、ロシアの使節ラクスマンが、大黒屋光太夫を伴い根室に来航し通商を求めた。
2 天文方では、高橋至時が西洋暦法を取り入れた寛政暦を作り、高橋に学んだ伊能忠敬が全国の沿岸を測量し、『大日本沿海輿地全図』を作成した。
3 水戸学においては、『大日本史』の編集に当たった藤田幽谷、幽谷に学んだ会沢正志斎、幽谷の子藤田東湖らによって、朱子学の大義名分論に基づいて天皇を幕府より上位とみなす尊王論が展開され、攘夷思想とも結びつき、倒幕連動の思想的基盤となった。
4 八戸の医師だった山片蟠桃は、自然の世界の根本法則を追究し、これに反するものとして封建社会を厳しく批判し、万人が農耕に従事すべしとする『自然真営道』を著したが、当時は公刊されなかった。」
(答:4×山片蟠桃ではなく安藤昌益の誤り)〉
〈2013早大・文
1680年代には幕府に天文方が設置された。これは、渋川春海が平安以来の[ B ]の誤りを修正した貞享暦を作ったことに端を発していた。また和歌の研究や詠歌を担当する
問6 空欄Bに該当する暦を、漢字3字で記述解答欄紙の解答欄に記入しなさい。」
(答:宣明暦)〉
〈2013中大・法
問8 下線部7自然科学の分野でも多くの成果がみられたに関連する説明文(原問:正しいものにはイ、誤っているものにはロをマークしなさい)の正誤を判断せよ。
a 安井算哲は平安時代から用いられていた暦に代わる貞享暦をつくった。
b 貝原益軒が灰吹法を発明し、これにより銀の産出量の増加傾向に拍車がかかった。
c 関孝和は代数学のほか円周率などの研究を進めた。」
(答:問8a〇、b×貝原益軒→神谷寿禎、c〇)〉
〈2012立大・全学部2/6実施
問7.太陰太陽暦の旧暦から新暦施行の直前の旧暦は天保暦であるが、その前に50年近く施行されていた寛政暦は、幕府が18世紀末に天文方のある人物に命じてつくらせたものであった。この人物とは誰か。次のa~dから1つ選べ。
a伊能忠敬 b志筑忠雄
c渋川春海 d高橋至時」
(答:d)〉
●元禄文化(学問)
〈渋川春海、『貞享暦』を作成〉★
Shibukawa Harumi revises the Chinese lunisolar calendar at the imperial request.
一路走るし 上京し。
1684年 渋川春海 『貞享暦』
初め安井算哲として幕府碁書で活躍した渋川春海は天文学に転じ、1684(貞享元)年、平安時代以来の宣明暦の誤りを元の授時暦をもとに天体観測天体観測で経度差を修正した貞享暦をつくり、初代の幕府天文方に任じられ代々世襲となった。