□熊も上手に海老釣ると。
(海老名弾正(えびなだんじょう))(熊本バンド)(ジェーンズ・徳富蘇峰(とくとみそほう))
[point]
1.熊本洋学校の学生の一団が、ジェーンズの感化で熊本バンドを結成。海老名弾正・徳富蘇峰など、メンバーの多くはのちに各界で活躍した。
[解説]
1.ジェーンズ(L.Janes)(1838~1909)は、アメリカ陸軍の軍人で、退役後は教育家となる。1871年来日。新設された熊本洋学校の教頭として教育・経営を一任された。彼は、生徒と寄宿舎で起居をともにしながら、自由・自主独立の教育を行った。ジェーンズは宣教師ではなかったが、課外で聖書購読会を行い、参加生徒の中から35人の入信者が出た。
2.熊本バンド(1876)は、熊本洋学校(旧熊本藩が1871年に設立)の生徒35人が、ジェーンズの感化で1876年結成した団体。結成目的(花岡山(はなおかやま)の誓約)が、キリスト教による人民の啓蒙教化だったため迫害を受け、やがて同校も廃校にされた。このため多くが、前年の75年に京都に設立されたばかりだった同志社英学校に転入学。この中に海老名弾正、徳富蘇峰らがいる。これにより同志社の私学としての基礎が固まったとされる。
〈2016慶大・文
軍人であった( M )は旧熊本藩立学校の熊本洋学校に招かれており、彼の教え子たちの集まりが熊本バンドである。これに対して、札幌農学校でウィリアム・スミス・クラークの教えを受けて改宗した者たちは札幌バンドと呼ばれる。その一人の( N )は、のちに無教会主義を提唱している。彼がキリスト教徒としてとった行動が大きな問題となり、帝国大学教授( O )は論文「教育と宗教の衝突」でキリスト教を激しく糾弾している。
M:1W.E.グリフィス
2H.ケプロン
3L.ジェーンズ
4B.プティジャン
5D.マレー(モルレー)
N:1植村正久 2内村鑑三
3海老名弾正
4徳富蘇峰 5新島襄
O:1姉崎正治 2井上哲次郎
3久米邦武 4田口卯吉
5元田永孚」
(答:M3、N2、O2)
(答:M3、N2、O2)井上哲次郎「教育と宗教の衝突」〈い〉〈の〉〈つ〉
C.
ウィリアム・エリオット・グリフィス(William Elliot Griffis, 1843年9月17日 - 1928年2月5日)は、アメリカ合衆国出身のお雇い外国人、理科教師、牧師、著述家、日本学者、東洋学者である。
明治時代初期に来日し、福井と東京で教鞭をとった。帰国後は日本の紹介につとめたほか、朝鮮についても紹介した。
M4.ベルナール・プティジャン(フランス語:Bernard-Thadée Petitjean, 1829年6月14日 - 1884年10月7日)は、フランス出身のカトリック宣教師である。パリ外国宣教会会員として幕末の日本を訪れ、後半生を日本の布教にささげた。1865年、大浦天主堂での「隠れキリシタンの発見」(信徒発見)の歴史的瞬間に立ち会ったことで有名。
5.ダビッド・モルレー(David Murray, 1830年10月15日 - 1905年3月6日)はアメリカ合衆国の教育者、教育行政官。オルバニー・アカデミー校長、ラトガース・カレッジ教授、日本国学監、ニューヨーク州大学校理事会事務局長を歴任した。明治初期に日本政府が招聘したお雇い外国人の一人であり、1873年(明治6年)から1878年(明治11年)まで文部省顧問として教育制度の整備に貢献。東京大学、東京女子師範学校(お茶の水女子大学の前身)および同校附属幼稚園、教育博物館(国立科学博物館の前身)、東京学士会院(日本学士院の前身)の設立を助けたほか、中央集権的な「学制」改正案をまとめた。デイビッド・マレーなどとも表記される。
O1.姉崎 正治(あねさき まさはる、1873年7月25日 - 1949年7月21日)は、日本の文筆家・評論家・宗教学者(インド宗教・神道・仏教・キリスト教・新宗教)。
〈2012立大・文
(新島襄は)翌75年には同ボードの宣教師デーヴイスと京都府顧問山本覚馬の協力を得て、京都に( リ )英学校を創設した。翌76年同校は今出川校地(旧薩摩藩邸跡)に移転したが、この土地は覚馬が提供した。この時、海老名弾正や〈 ち 〉など、熊本バンドの若者たち約35人が入学した。〈 ち 〉は後に民友社を創立し、平民主義を唱えたが、やがて国権主義に転じ、第二次世界大戦後『近世日本国民史』全100巻を完成させた。」
(答:リ同志社、ち徳富蘇峰)〉