□近現603.明治文学の評論家小説家5人◇B
[ゴロ]北村の/ロマンの泉に/森の一葉を/取ろうか
(北村透谷(きたむらとうこく))(ローマの泉森やリマンロマンきいもひと。ン主義・泉鏡花(いずみきょうか))(森鷗外(もりおうがい)・樋口一葉(ひぐちいちよう))(徳ロマ人も奇異。冨蘆花(とくとみろか))
[句意]北の村のロマンチックな泉のために森の一葉を取って浮かべようか、という句。
[point]
1.明治のロマン主義文学の代表的評論家は北村透谷、小説家は、森鷗外・泉鏡花・樋口一葉・徳冨蘆花である。
[解説]
1.日清戦争前後には、啓蒙主義や合理主義に反発して、感情・個性の躍動を重んじるロマン主義文学が日本でもさかんになった。
2.北村透谷らの雑誌『文学界』がその拠点をなし、小説の分野では森鷗外・泉鏡花・樋口一葉・徳冨蘆花らがあらわれた。
〈2015関西大・済文社会
(C)1890年代には、ロマン主義文学が日本でもさかんになった。その拠点となった『文学界』は、自由民権運動への参加を経てキリスト教に入信した( 3 ){(ア)徳富蘆花(イ)山田美妙(ク)北村透谷}らが1893年に創刊した。彼の代表的評論には、『内部生命論』や『厭世詩家と女性』がある。」
(答:ク)
1893(明治26)年1月北村透谷ら「文学界」創刊。
人は組み来た文学か。
1893年 北村透谷「文学界」