1862年1月 官板バタビヤ新聞を翻訳刊行。
いや難しい看板は。
1862年 官板バタビヤ新聞
1868(慶応4)年 2月 柳川春三、中外新聞を発刊。
威張ろ柳川中心に。
1868年 柳川春三、中外新聞
1870年 横浜毎日新聞
人は慣れたよ毎日に。
1870年 横浜毎日新聞
1874年 子安峻、「読売新聞」創刊。
いやな新聞 読む売子。
1874年「読売新聞」 子安峻 小新聞
[point]
1.日本最初の新聞は官板バタビヤ新聞、最初の日刊新聞は横浜毎日新聞。
[解説]
1.官板バタビア新聞は、わが国最初の翻訳新聞。幕府は従来、「和蘭風説書」など海外情報を秘密扱いにしてきた。しかし開国後は広く世界情勢を国内に知らせる必要に迫られ、バタビアのオランダ政庁が提出した機関紙を、江戸幕府の蕃書調所が翻訳、編集して、官板バタビア(バタヒア)新聞として発行。1861(文久1)年の23巻まで、二つ折りの木版刷りで発行。
2.横浜毎日新聞は、わが国最初の日刊邦字新聞。1870(明治3)年に創刊。本木昌造(もときしょうぞう)の鉛製活字を用い、西洋紙一枚の両面印刷だった。記事内容の大部分は貿易と物価関係。
〈2010明大・政経
問1 (1~5)の文頭の「この新聞」とは何か。その正しい新聞紙名をそれぞれA~Dからひとつ選べ。
(1)この新聞は、「和蘭風説書」の代わりにオランダ領東印度総督府が幕府に献上した機関紙を蕃書調所が翻訳、編集したものである。文久2年1月から2月にかけて発行され、すべて漢字とひらがなで書かれていた。内容は諸外国のニュースなどであった。わが国最初の翻訳新聞とされるが、初めは手書き、のちに木版刷りで、二つ折りの半紙数枚で綴じられたパンフレット形式のものであった。
A官板中外新聞
Bジャパン・ガゼット
C官板バタビヤ新聞
Dジャパン・タイムズ」
(2)この新聞は、慶応4年2月に創刊された日本人による最初の日本語新聞である。発行者は日本の新聞の開祖ともいわれる柳河春三で、内容や影響力において当時もっとも有力な新聞であった。主として横浜で発行されていた英字新聞の記事を翻訳し、それに国内の重要ニュースを加えていたが、幕臣でもあった春三は佐幕的傾向が強く、開国政策をとる幕府に共感した記事を掲載するなどした。
A朝野新聞 B中外新聞
C万朝報 D時事新報
(3)この新聞は、明治3年12月に創刊されたわが国最初の日刊新聞である。それまでの新聞が綴本で書物や雑誌のような体裁であったのに対して、この新聞は鉛活字を使用し、輸入した西洋紙一枚の両面に印刷された今日の新聞の先駆をなすものであった。記事は貿易と物価関係が大部分を占めた。
A東京日日新聞
B大阪毎日
C郵便報知新聞
D横浜毎日新聞
(4)この新聞は、明治5年3月にイギリス人ブラックが創刊した邦字新聞である。新聞の内容は、公法を掲載したほか、東京、横浜などのニュース、地方での出来事、海外ニュースなど多方面にわたり、それまでの新聞とは異なる紙面構成となった。また、新政府の左院の議事・議案、建白書などの掲載や外国人の地位を利して政府の施策への批判記事などもしばしば登場した。
A日新真事誌 B海外新聞
Cよのうはさ D大西新聞
(5)この新聞は、明治7年11月に子安峻らによって創刊された、いわゆる小新聞と呼ばれたものである。漢字に振り仮名をつけるなど、読者に親しみやすい平易な文章と娯楽と報道を編集方針とした。当初は隔月に発行されたが、のちに日刊となり、大いに部数を伸ばした。
A四十八字新聞 B読売新聞
C東京仮名書新聞 D平仮名絵入新聞」
(答:1C、2B、3D、4A、5B)〉