1903年 長岡半太郎、土星型原子模型の理論を発表。
ひどく幼い 原始人。
1903年 長岡半太郎原子模型の理論
[point]
1.物理学の長岡半太郎は、原子構造の研究で知られる。
[解説]
1.長岡半太郎(1865~1950)は、長崎県大村藩士の家に生まれる。東京大学理学部を卒業後、ドイツに留学、帰国後同大学教授に就任。磁気歪現象や、原子構造を研究し、土星型原子模型を発表。また地震波の伝播などの研究に業績を残した。
〈2017大学入試センター試験日本史A
問6 下線部e東京帝国大学(現在の東京大学)に関連して、この大学やその前身の学校の教員をつとめた人物に関して述べた次の文X・Yと、それに該当する人名a~dとの組合せとして正しいものを、下の1~4のうちから一つ選べ。
X ドイツ人医師で、医学を教えた。
Y 物理学者で、原子模型理論を発表した。
a ベルツ b モース
c 長岡半太郎 d 本多光太郎
1.Ⅹ-a Y-c
2.Ⅹ-a Y-d
3.Ⅹ-b Y-c
4.Ⅹ-b Y-d」
(答:1)〉
〈2017早大・人間
問6 下線部e日本人の学者による独創的な研究に関連して、正しいものはどれか、1つ選べ。
ア 大森房吉は、原子摸型理論を発表した。
イ 木村栄は、地球の緯度変化公式のZ項を発見した。
ウ 志賀潔は、ペスト菌を発見した。
エ 鈴木梅太郎は、アドレナリンを抽出した。
オ 長岡半太郎は、地震計を考案した。
(答:イ〇 ※ア×大森房吉は大森式地震計の発明、ウ×志賀潔は赤痢菌の発見、エ×鈴木梅太郎はオリザニン(ビタミンB₁)の抽出、オ×長岡半太郎は原子構造の研究)〉
1902(明治35)年 木村栄(ひさし)、地球の緯度変化公式のZ項を発見した。
引く鬼ひさし Z項。
1902年 木村栄 z項
1897年 志賀潔、赤痢菌発見。
いや苦難志賀 赤痢菌。
1897年 志賀潔、赤痢菌
〈2016関西学院大・全学部
日露戦争以降、新聞・雑誌などが発達し、一般勤労者を基盤とする大衆文化が誕生した。そして、大正デモクラシーのもとではh.多様な学問が花開いた。
問7.下線部h多様な学問に関連する説明として、正しいものを下記より選びなさい、
ア.河上肇の『貧乏物語』が広く読まれるなど、マルクス主義の影響が強まった。
イ.和辻哲郎は『善の研究』を著し。独自の哲学体系を打ち立てた。
ウ.柳田国男は民俗学を確立し『風土』を著した。
エ.長岡半太郎は強力な磁石鋼である、KS磁石鋼を発明した。」
(答:ア〇、※イ×『善の研究』は西田幾太郎、ウ×『風土』は和辻哲郎、エ×KS磁石鋼は本多光太郎)〉
〈2015明大・経営
問14 下線部(ウ)自然科学では、富国強兵と近代化に役立つ科学や技術の導入が先行したに関して、1903年に土星型原子模型の理論を発表して原子構造の研究に寄与した科学者の氏名を、記入しなさい。」
(答:長岡半太郎)〉