垣根に植えてあるお茶の木は花が咲いて散り始めたものも
出荷用の茶畑では次々に刈り込むので、お茶の花など見ることはないのですが、あちこちで垣根として植えてあります
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昨日も今日も朝は雨、気温は相変わらず高め
ベス🐕🦺の散歩は車で市の駐車場まで行き、スタート
町のはずれにある浄化場まで行ってみました
行きは田んぼの中の農道を歩いて
稲刈りの終わった田んぼであちこちにコスモスの花
稲の切り株からは新しい葉が出て蕾もついています
花が咲いて実になることはないのでしょうが、稲って逞しい植物なのかも
西方面に行く時、県道の左手に見える和風建築物と広々とした芝生
最初見た時は、何の公共施設?と思った建物です
浄化場にしては、周りの景色に馴染む洒落た施設です
ここでUターン
帰りは散歩用の遊歩道
遊歩道は緩やかな曲線を描いていますが、元は鉄道線路
南薩鉄道という県内唯一の私鉄が走っていた線路です
町の中心地が終点でした
南薩鉄道は西方面に行く鉄道なので、鹿児島市とは反対方向
一度も乗ったことがありません
大正12年に敷設が始まり、昭和18年から軍事統制下になります
陸軍の飛行場があったので、軍事物資を運ぶのに使われていたのでしょう
ご近所のSさんは、中国からの引き揚げ者
ご両親は戦争末期に子供だけは安全な日本に帰そうと連れて帰り、別れてこの南薩鉄道の駅へ
汽車を待っている時に爆撃にあい、両親とも亡くなったそうです
長女だったSさんは妹弟達と戦災孤児となり、大変な苦労をしたそう
今はバスの操車場となっている元駅舎辺り
そこを通るたびにSさんの苦労話を思い出します
この線路は昭和40年に廃線になったようです
世の中の人の移動が鉄道から車へ、物流もトラックへと変わっていった頃でしょうか
私の家も、昭和41年にまず母が教習所に通い運転免許証を手に入れました
初代マイカーはダイハツの軽自動車「フェロー」
それまで祖父母のところへはバスを使っていたので、マイカーになって車で往復出来る便利さと楽さと嬉しさはしっかり覚えています
子供の頃、残っている線路を歩いたりしたことも
今は整備されていて、浄化場までの下水管が埋設されているようです
歩いていると、マンホールが所々
お彼岸過ぎまで、遊歩道の両側の芝が草に覆われていて歩きたくない状態でしたが、今日は草刈りされていて気持ちのいい散歩ができました
駐車場に戻ると、4.5km
町の中心地から西の人家の少なくなったところまで往復してもこの距離
つくづく小さな町だと思った散歩です