まだ外が明ける前、辛い夢を見ていました
ベス🐕🦺をノーリードで抱いて外に出たらしく、橋の手前で川面を見ていました
橋の手前では河原に降りて行くなだらかな傾斜があり、河原に小さな犬が散歩中のようでした
ベス🐕🦺はその仔に向かって、私の腕をすり抜けて走り出したのです
私はきっとこちらへ戻ってくると思ったのか、追いかけもせず
でも呼び戻そうと大声で呼んでも、戻ってきません
夢って時々変なコマ送りされます
その後はベス🐕🦺が川に入り上流に向かって泳いでいます
呼んでも呼んでも姿が見えず、私の心は空っぽで半泣き
家で待っていると、まずトトさんが帰ってきました
何故かサラリーマン時代のスーツ姿で、しかも酔っている😓
この辺りで目が覚めました
外は暗いし、またベス🐕🦺を見つけなきゃと思いながら夢の国へ
でも見つかりません
だんだん気持ちが焦っていきます
すると
ベス🐕🦺が私の枕元にきた気配で目が覚めました
これではっきりと、嫌な夢見たなぁとわかったのです
やれやれ
トトさんに夢の話をすると、
だからそんな危なっかしいところは行かないようにしなきゃ
と、超現実的な言葉
ベス🐕🦺を抱いて、
ベス🐕🦺どこにもひとりで行っちゃダメよ
と話しかけた朝です
私の気持ち通じたかな
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
雨が降る今朝、久しぶりに朝から新聞に目を通しました
安倍元首相襲撃関連の記事が色々出ています
犯人のバックグランドがわかるにつれて、やるせなさが募ります
私が二十代、高校で教員していて担任もしていた頃の事
穏やかで真面目で成績もいい女生徒がクラス役員していました
3学期になって暫くすると、休みが続きました
当時の休みの連絡は事務室の職員が受け取っていました
私は欠席の報告のある生徒の氏名をメモで受け取るシステム(詳しい欠席理由は書いてあったりなかったり)
随分欠席が続くので、家庭訪問しました
その子の家は、戸建てでした
入り口を入ると土間になっていて、右手に部屋が続いている昔の商家の作りだった事まで覚えています
その土間の奥まった所に、女生徒と小さな子供がたくさんいます
一番下はおむつしています
炊飯器の蓋が半開きになっていて、ご飯粒も見えます
休みが続いている理由を尋ねると、両親が出掛けているから、下の子供達の世話をしないといけない、と言うのです
さらに詳しく尋ねると、奈良のとある宗教施設に行っているとの事でした
もちろんどの町でどの宗教かも教えてくれました
私の知っている町で私の知っている宗教というか、宗派
でもどういう宗教活動をしているかは全く知らない宗派
乳飲み子に近い幼い子までもほったらかして、両親で宗教施設に籠る親がいるという現実、そういう事をさせる宗教があるという現実をその時知りました
私としては、しっかり妹弟のお世話をして、両親の帰りを待つようにとしか言葉をかけられず
欠席中の勉強については、プリント類のサポートをこまめにしましょう
ぐらいしか出来ずに、家庭訪問は終わりました
その後しばらくしてまた登校しだした女子生徒にホッとした記憶もあります
高校時代の親友は、結婚してから とある新興宗教に入り、熱心な布教者になっています
お互いの2人の子は上が男の子、下が女の子で同じ年齢
子供が小さい頃は、泊まりがけで遊ばせるほど親しく過ごしていました
だんだん私の気持ちが重くなり、今では殆ど交流もありません
私の父が亡くなった時も、葬儀後に駆けつけてくれました
でもその次の年、父の供養をつとめたいから、他の宗教とは関わらないことにしたのと、しっかり宣言しました
もちろん同窓会などで会えば、懐かしく、おしゃべりもしてはいます
彼女は私よりうーんと純粋な心の持ち主
大事な素敵な友をその宗教に取られたと思ったりもします
友でさえ、そんなに思ってしまうのですから、母親が伝えられてくるような無茶振りを続けていたのなら・・・
ところで、私が相続した?宗派(仏教)は、信者数は多いようです
川崎にいる頃、その宗派の話をしたら、
その宗教(宗派)は、貧乏人の宗教って言われている
と、言われました
信心するのにお金がかからない宗派で有名らしい
もちろん熱心な信者でもないし、貧乏人の宗教で上等❣️って思っています😄
私は両親の命日にお寺に行き、供養のお経をあげてもらう事は欠かした事ありまさん
でもそこまで
その程度の関わり方
理由は、若い頃の経験と、親友が新興宗教の熱心な信者になったからというのもありそうです
こんにちは。
おたかさんの記事を読んで、身につまされました。
我が家の次男は学生の頃付き合っていた彼女がいました。
気立ての良い、とても素敵なお嬢さんでしたが、有るとき、突然『彼女とは別れたから』と息子が言うのです。
理由を聞くと、彼女が新興宗教にハマリ、息子にも入信して欲しいと迫ったからだ・・・と。
当時、息子は新興宗教から取り戻そうと一生懸命彼女を説得したようですが、すでに洗脳されていたのか、聞く耳を持たず・・・という感じだったそうで・・・。
結局、二人は別れたのですが、でも、息子は言いました。
「あいつも可愛そうなんだよ。家庭がごちゃごちゃしていてさ。そこから逃げたかったのだと思うけど、もし、宗教が本人を幸せにしてくれるのなら、それもいいかな・・・って」
今更ながら、息子は情に流されないで、正しい判断をしてくれたな・・・と安堵しています。
人間が宗教にすがりたいときは、きっと、その人が幸せでない状況にあるときなのでしょう。
そんな人の心を救うのが宗教だと私は思うのですが・・・?
なんだか、宗教が人間を不幸にしているようで、やれきれない思いがしています。
ごめんなさい。
つい、長いコメントになってしまいました
コメントありがとうございます。
私たちのあちこちで新興宗教やマルチ商法の魔の手がのびていますね
ご子息、本当に真っ当な判断されて良かった
我が子達も、私の親友の子達ととても仲が良くて、夫は特に影響を心配していたはずです。
でも子供の方がタフでした。
交流は子供同士でも続けていますが、信仰に関してはかなり冷めた目でみています。
私の親友の入信のきっかけは、パートナーが先で、彼が自己中心的な行動や思考が無くなったから、いいかなと思って・・・そこでした
純粋なほど危ない世界だと思います
私も、本人は別としても周りも不幸にする宗教なんてと、つい距離をとってしまいます