今でこそ原色機もいて人気罐のロクヨンセン。
でもデビュー時には、EF16を駆逐した罐であり上越筋のゴハチの運用も代替していった罐。
1981年3月に訪れた上越国境にはその新鋭機がすでに幅を利かせて新国境の番人の座についていた。
そして、
長岡のゴハチの運用を代替して3604レの先頭に立つロクヨンセン。
デビュー当初は、結構嫌われ者だったロクヨンセン。
これも時代の趨勢の悪戯。
上)1981年3月 上越線 土樽付近 EF641009+EF641000重連貨物 下)EF641000 3604レ急行能登 高崎線 新町~神保原(旧橋梁)
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ワル罐でしたが、ある意味当時の労組問題で形式がロクヨンにならざるを得なかったエピソードが電関人のこの罐を見る目を、
少し変えていたように思います。
RDP3さん曰く所の山男然とした無骨さが良かったのかもしれません。
したがって、自ずと国境から足が遠のいていまいましたが…。
このように雪の上越国境で見事な記録を撮られていようとは!
私もご多分に漏れず、今ではロクヨン・センを追っかけています(爆)。
その昔東北のゴハチも、ゴナナファンからは疫病神呼ばわりでしたね。
時代は繰り返すですかね。
ある意味こんな立派な急行編成を牽くロクヨンセンも
過渡期の珍しい組み合わせだったという解釈もできますね!
機関車もそうですがスロの緑帯がなくなったのもショックでした。
今や本来の場所を追われ、平坦線を行く仕業が増えましたが、これも時代の流れですね。
高崎線~上越線のEF58も休鉄中にすっかり無くなってしまいましたので、自分にはEF64は敵役という認識がほとんど有りませんでした。
さいたま市に越してきた頃は朝ゴハチ牽引の下り普通列車が1本ありましたが、それも撮ろうと思っているうちに消えてしまい、残念な事をしました。
大好きだった上越国境に君臨したので、最初はその憎さが倍増しました。
それでもシャッターを切った自分が罐屋なんだと再認識
してしまいます。
編成美からはスニはいただけないのですが、まあこの時代らしさの
象徴のようなものですのでよしとします。
EF58とナハ22000ですか、造詣が深い・・・。
3604レ、カマ次位のスニ41がせめてマニ37だったら言う事無しですが…しかし当時最新鋭のEF64-1000とそろそろ終焉の見えて来た軽量客車、在来一般型客車編成との組み合わせには、新車体化間もない頃のEF58+ナハ22000クラスの木造客車やオハ31クラスの17m客車の姿がオーバーラップしたものでした(流石にそれは写真でしか見た事がありません。体験できたのはスハ32以降です)。
東海道~山陽筋ではユ+二+ロネ+ロザ+ハネ+ハザが原則の客車急行も、上野発着列車ではユ+二+ロネ+ハネ+ロザ+ハザ…ロザとハネの位置関係が変わるのが面白いですね(あ?津軽の様に二+ハネ+ロザ+ロネ+ハネ+ハザ…なんてのもありましたか…もっともあれはロザ前のハネは秋田回転車でしたが…)。