頻繁に鉄道写真を撮るようになった頃、まだキハ55やキハ26などを集めた臨時急行が多客時に運転されていた。
すでにクリーム地に赤や青のラインを巻いた準急行色からベージュにスカーレットの気動車急行色に変わっていたけれど、
急行色を纏いながらも寸胴に低運転台の真四角の前面窓と貫通扉の真上に付いた大きなヘッドライトのスタイルが独特の存在感を振りまく。
旧塗装も、準急行の現役時代も知らない電関人だがその独特顔に準急行の残響を強く感じるのであった。
1976年5月 鹿児島本線 白木原~南福岡 キハ55ほか 臨時急行出島(?)
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グーグルマップで見ると、このカーブがどこだか判りましたが、現在はすっかり住宅地で写真の面影は全く有りませんでした。
39年も前だから当たり前ですが、貴重な記録ですね。
駅名も変わりましたし、画面右手線路より先は全てかつての
春日ベースつまり米軍駐屯地でした。
返還後に道路が整備され学校ができ、公園や競技場ができ
マンションなども立ち並んで全く当時の面影はありませんね。
この写真の奥の木々は、現在の九大あたりでしょうか?九大の門あたりに、当時のHQがありました。HQ前面にあった並木(カエデの木)が今も残っています。
ちなみに、拙ブログにカエデの木を載せていますので、よろしければどうぞ~
http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/9568156.html
コメントありがとうございます。
大した写真はありませんが、ちょくちょく古い写真をアップしますので
たまに覗いてやってくださいね!
そうですね、ちょうど九州大学春日キャンパスの辺りですね!
返還後解放になってから、春日神社辺りの友人宅が直線で
行けるようになり、まさに並木道を通ったりしたのが懐かしいです。
先頭車、バス窓ですね。
九州・四国地区は早くからDC急行の冷房化が進んでおり、キハ26・55の臨急は貴重です。
デッキの補助いすも懐かしいです。
真夏は??ですが、それ以外の季節には76年、77年辺りまで
旧港に使用されていたような気がします。
バス窓キハ55は下の窓枠が木製のヤツが結構いました。
キハ55形、
キハ20系にありながら急行仕様の室内、何気に好みでした。
大糸線のキハ52に晩年施された国鉄色、
初代の青系のものよりもこちらを採用してくれれば、
なんて、よく考えました。
私もラストは学生時代、豊肥本線を走ったC58のついでに撮ったものでした。
70年後半期にはよく見かけたキハ55、26でしたが80年代に入ると
どんどん減っていきましたね。
無論、電関人も81年春から上京してその後の同形式の動静を
細かく追えていないのですが・・・。