その数を大幅に減らしてしまったEF66の0番代。
すべて更新色になってしまい、PS22仕様でかつての東海道筋でブイブイいわしていた頃の面影は薄いです。
今でも武蔵野線あたりでこいつを見ると、全盛期にデカパンで密着自連でコキ10000やワキ10000といった
オールエアサス車を牽いて韋駄天走りしていた頃を思い出します。
下関口のゴハチを撮りに行った際、新下関あたりで捉えた一桁番(番号不明)のフレトラ。
東海道の名撮影地である通称竹倉で富士山バックはかなわなかったけれど、ブルトレの合間に
38号機牽引のフレトラがやってきた。上の写真ともにシャッタータイミングが今一なのはご愛嬌で。
やはりEF660番代といえば、この仕業だといまだに思うのであります。
写真は撮りますが、武蔵野線や高崎線などでタキを牽いているのはちょっと寂しいです。
上)1977年8月21日 山陽本線新下関付近 下)1981年5月 東海道本線 三島~函南 EF6638
※左上のにほんブログ村ボタンをポチっとよろしくお願いします。
最新の画像[もっと見る]
やはり東海道本線で長大な貨物列車を牽く姿がサマになっていますね。
ボンネット電車にも通ずる顔は、当時の電機の中では、
全く異質のもので、当時直流区間で出会うと
とても興奮したものでした。
おそらくEH200も当時のロクロク的な存在なのではと。
この頃は木製ポールが普通に見られましたね。
東海道の名撮影地では、ここ竹倉で富士山バックを
2度チャレンジして撃沈。根府川もやはり2度行って撃沈と、東海道に相性が悪いような(爆)