油川で見つけた羽黒神社のしめ縄である。
県道を線路と反対に渡るとそこには津軽海峡が広がる漁師町。
そのしめ縄から容易に連想できる一つは漁師の道具の網。
それと同時に、遠く縄文の時代への考古学浪漫が迸る。
三内丸山遺跡出土品からは、
高い生活技術力が幾つも見て取れる。
栗の木をすでに栽培していたことや、3000年以上も昔から染色や織物技術を習得していたことなどなど。
その文化は何処から来たのであろうか?
季節風に乗って日本海を超えて遥か彼方からなのか否か。
そのしめ縄の網目は土器の文様そのものではないか!!?
この晩、千畳敷の宿の布団はまるで幾千年もの時空をかけるマシンと化した。
2018年 睦月 上)油川羽黒神社 下)三内丸山遺跡関連HPより
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こういうのは初めて見ました。まさに海の神社。
工業生産品とは違うかの時代の網は、作るに膨大な手間も掛かったでしょうし、いつしか神への捧げものにもなったのでしょう。
青森県では確か遮光器土偶も出土していましたね。
この寒い地方で、古代から人々が生活していたことに驚きです。
全国の祠(神社)は、すべて同じ名前同士で繋がっていることは言わずもがなです。
と云うことは、羽黒と言えば羽黒山信仰の分社なのでしょうかね?ヤマもウミも修験者が鍛錬することに変わりは無いのかな。
ものの本に因ると5000年前頃から3000年前ごろまでは、青森辺りは温暖で津軽海峡でクジラが獲れたという貝塚の捨て骨に多くのクジラなどの骨が見られると。
そしてもっと驚きは、縄文人が直径1m近い栗の木を栽培していたというのです。
北海道の今おいしいお米がとれるのは温暖化による影響も大きいと言い、
長野でリンゴができなくなるなど、こちらは周期氷河期のサイクルのなせることでは
ありませんが・・・(^^ゞ