振り返ると、この1年は鉄道にとって激動の1年だったようです。
思いは、人それぞれでしょうが電関人にとってはやはり餘部鉄橋の架け替えです。
餘部は鉄橋の写真が圧倒的に多いですが、駅側もとてもフォトジェニックです。
冬の餘部駅の1ショット。
山に木霊する汽笛一声、ホームにDD51牽引の鈍行列車が入線。
客車の下からはスチームの湯気が上がる。
駅は、列車と乗降する人々で一瞬賑わうけど、
列車が鉄橋を渡って出ていくと、
ふたたび静寂な駅に戻る。
1978年12月
来週末はクリスマス。
雪国方面も、クリスマスに間に合わせるように急に雪が降り始めているようですね。
ホワイトクリスマスと言うともう5年も前になりますが、
雪の磐西にクリスマストレインを撮りに1度だけ行きました。
1日早い23日のクリトレでしたが、結構大雪になり倒木でダイヤが乱れ、
挙句に水が無くなって喜多方で運転打ち切り。
その翌日のイブは前面運休と災難のクリトレでした。
その1度だけのクリトレをその年に買ったばかりのデジイチで撮ったカットです。
まだ扱いが不慣れで今一の出来ですが・・・(汗)
2005年12月23日 磐越西線 五泉~猿和田
タイトル通り、つばめを見た。
今日も時間が無く、ゴハチ紳士録で行きます。
学生時代の80年代にEF58のロイヤルエンジンが牽く14系オシ入りつばめを
東海道本線山崎にて捉えました。
とてもカッコ良かったです。
今日は時間が無くなってしまい、安易に紳士録で。(大汗)
浜松の60号機はお召予備機でしたが、事故に遭い正面窓をHゴム化され、
またお召予備機の任も解かれてしまいました。
しかしながら、品川に居てめったに西エリアに顔を出しくくれない61号機に比べ、
頻繁に荷物列車の運用で下関まで足を延ばしてくれていた60号機の方が、
電関人にとっては、茶罐としての親しみが有りました。
77年3月、晴れて県立高校に合格し大手を振って卒業旅行に四国のDF50や
山陰本線などを撮影してまわった時の岡山での一齣。
もうもうとスチームを上げて岡山駅に入線の下り荷物列車です。
60号機をカラーで撮ったのはこれが最初で最後でした。
久々の貨車(?)ネタです。
「ヒ」という貨車(事業車?)を知っていますか?
その昔は、連絡船が発着する宇野、高松、青森、函館のヤードでは良く見かけた、
2軸貨車を改造した手摺だけの得体のしれない車両です。
用途はおもに、連絡船入替等機関車の重量を船に掛けないように、
貨車と機関車の間に挟んで使います。
連絡船が有った頃の青森駅構内。写真ではちょっと分かりずらいですが、
特急はつかりの横で、DE10(15かも)が連絡船に貨車を押し込んでいる様子。
DEと貨車の間に数両のヒが付いています。
それ以外の用途もあったようですが・・・、あまりピンときません。
出雲市駅の構内で、季節臨「だいせん51号」用の12系を煉瓦庫に押し込むのに
DE10との間に箱付きのヒが挟んでありました。(1976年8月3日撮影)
この入替にヒを使う理由はいまだ謎です。