今年に入ってウヤが多くまだ撮り初めができていない2022レを狙って近所へ朝練。
出る前にJR東日本のHPで遅れが無いのを確認し、
それではとタイトル通りの狙いで出撃しましたが、定刻になっても来ず。
30分ばかり待ちましたが現れずで、撤収となりました。
待っている間に来た3074レでイメージに近いカットを練習しました。
数日前に、綺麗な満月を確認してましたので西に沈む前の月を入れて
薄っすら色づく空の下通過する罐を1/50sec.で流します。
レンズは、年始に手に入れた9-18mmズームです。
このようなアングルで表題の如く2022レを撮りたかったのですが・・・。
しつこくED76ネタですみません。
前回にも記述しましたように、鳥栖駅には発着客レが多くよく通いました。
1978年の晩秋に訪れた鳥栖駅の1カットです。
濛々とSGのスチームを上げて出発を待つ、長崎線下り各駅停車(右)の50号機と
鹿児島本線下り各駅停車(左)の33号機。(許可を得てこの場所から撮影)
冬の入り口になると、このSGのスチームが撮りたくて早朝のかいもん4号や、
夜行ながさき号、はたまた荷物列車にこの鳥栖発の客レを題材にしたのが昨日の
ことのようです。
前回にも記述しましたように、鳥栖駅には発着客レが多くよく通いました。
1978年の晩秋に訪れた鳥栖駅の1カットです。
濛々とSGのスチームを上げて出発を待つ、長崎線下り各駅停車(右)の50号機と
鹿児島本線下り各駅停車(左)の33号機。(許可を得てこの場所から撮影)
冬の入り口になると、このSGのスチームが撮りたくて早朝のかいもん4号や、
夜行ながさき号、はたまた荷物列車にこの鳥栖発の客レを題材にしたのが昨日の
ことのようです。
ED76ネタ3回目の今日は、お召機の話で。
撮影のこの年は佐賀国体が開催されてそのお召列車の際に選ばれたのが55号機。
ED76で栄えあるロイヤルエンジンに選ばれたのは55号機でした。
この前後で何か忘れましたが、植樹祭か何かの際にもお召装備を施されたのは
この55号機でした。その後、JR化後も生き延びたようです。
ロイヤルエンジンに選ばれる罐は最も調子が良い罐が選ばれたようですが、
この55号機は当時良く運用に就いており、電関人もかなり写真を撮っています。
1976年9月撮影 下り荷物列車
今日も予告通りED76ネタです。
ED76の中でも大型パンタを備え、スカートの裾を丸く絞ったスタイルが好きな
ファーストロットの1~8号機。
ひと頃、このファーストロットに凝ってしまい夢中で追っかけた罐達です。
鳥栖駅へは、ここを始発として鹿児島本線、久大本線、長崎線に客レが有ったので
よく通いました。
1978年10月の或る日、長崎線の荷物列車を牽く1号機(奥)と団体臨時の12系列車
(手前)を牽く4号機が5番線と6番線に仲良く並びました。
ED76の中でも大型パンタを備え、スカートの裾を丸く絞ったスタイルが好きな
ファーストロットの1~8号機。
ひと頃、このファーストロットに凝ってしまい夢中で追っかけた罐達です。
鳥栖駅へは、ここを始発として鹿児島本線、久大本線、長崎線に客レが有ったので
よく通いました。
1978年10月の或る日、長崎線の荷物列車を牽く1号機(奥)と団体臨時の12系列車
(手前)を牽く4号機が5番線と6番線に仲良く並びました。
某鉄道誌の情報によりますと、九州管内で行われていた14系によるイベント列車運行も
いよいよ終了のようで、既報ののEF81による貨物牽引機置き換えも進むと、
ED76型交流機も引退ということになります。
振り返ると、私の鐡人生の最初期から付き合ってきた罐でもあり
電関人としてはその引退には格別の惜別感を抱く次第です。
この機会に数回に亘り、『九州の万能交流機 ED76型』の想い出をアップいたします。
第1回目は、数あるED76の運用の中でもSGの関係で限定運用だった102レかいもん4号
門司港と西鹿児島を結ぶ鹿児島本線全線走破の名門急行です。
撮影は1976年5月で、折角のP型1002号機なのですが春闘の名残の文字跡が見えます。