幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

沖縄知事、拒否を表明…国の辺野古是正指示 ”沖縄の問題ではなく日本の問題”

2015-11-11 16:55:25 | 社会
http://news.goo.ne.jp/topstories/politics/90/121b1ea85c8a9108b39ac8bcc745cdde.html(読売新聞)

 沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)移設を巡り、 翁長 ( おなが ) 雄志 ( たけし ) 知事は11日、記者会見を開き、名護市辺野古沿岸部の埋め立て承認取り消しに対する国土交通相の是正指示を拒否すると正式に表明した。

 記者会見で翁長氏は「政府の対応は極めて不当」と述べた。政府は近く、知事に代わって埋め立てを承認する代執行に向けて高裁に提訴する方針だ。

感想;
沖縄は琉球王国でした。島津藩が中国との貿易をしたいために琉球王国を支配し、中国に対しては独立国として貿易を行わせて、琉球王国から中国製品を入れていました。

沖縄でどうして沖縄では取れない北海道の昆布がよく食べられているか?
島津藩が琉球王国に昆布を売ることで代金の一部にしていたそうです。
島津藩の支配下だったので日本になりました。

第二次世界大戦では、沖縄本土が決戦の場になり、多くの犠牲者が出ました。
それも民間人で多くの方が犠牲になりました。
降伏することも許されずに自決を強いられたことも多かったと聞いています。
泣く赤ちゃんが、「うるさい。米軍に見つかる。黙らせろ!」と言われ、赤ちゃんの口を封じて母親がわが子を殺したシーンが映画にもありました。

戦後、沖縄には多くの米軍の基地が設けられました。土地は強制収容されました。
そしてずっと基地問題に悩まれています。
日本の安全は沖縄の犠牲の上で成り立って来たと言っても過言ではないと思います。

沖縄の辺野古の問題は沖縄だけの問題でなく、日本の問題だと思います。
沖縄の多くの人々が反対していることを行うことは沖縄の人々の悲しみを無視することでもあるように思います。

このまま政府の方針が続くと、沖縄の人々に日本から独立したいとの気持ちも出てくるのではないかと思います。
沖縄の人々を孤立させてはいけないと思います。




乳がん公表の生稲晃子が涙の告白 生きるために別れた右胸に“感謝” ”何でびょうきなんや?”

2015-11-11 13:46:56 | 生き方/考え方
http://news.goo.ne.jp/article/sponichi/entertainment/sponichi-spngoo-20151111-0079.html乳がん闘病を明かした生稲晃子(スポニチアネックス)

 乳がんのため右乳房を全摘出していたことを公表した元「おニャン子クラブ」のタレント・生稲晃子(47)が11日、フジテレビ「ノンストップ!」(月〜金曜前9・50)にVTR出演。2013年の2度目の再発を振り返り「神様はいないのかもしれない。何かいけないことをした報いなのかもしれないと思いました」と涙ながらに心境を語った。全摘出手術前に、娘が自身の右胸にキスしたエピソードなどを明かした。

 43歳の誕生日を迎えた2011年4月28日に初めて早期のがんが発見され、翌月に腫瘍を部分切除する手術を受けた。病理検査の結果、「初期の浸潤性乳頭腺管がん」と診断されたが、温存した乳房の中で12年9月、13年11月と2度の再発が確認され、13年12月に乳房全摘出の手術を受けた。

 2度目の再発で「生きることを真剣に考え始めた」という生稲。医師から「手術はこれで終わりとは思わないでください。繰り返すかもしれないつらさを考えたら、全摘出をして命を取りましょう」と言われ、決断した。

 「その時ですね、私、何か悪いことしてきたかなって…。特別いけないことをしてきわけでもないし、平凡に普通に生きてきたんだけどな…。でも、何かバチが当たっているのかな…と思いましたね」と涙。「神様はいないのかもしれないとか。自分が何かいけないことをしたから、その報いなのかもしれないとか。今まで前向きだったんですけど、2回目の再発の時に初めてダメになりましたね」と、つらい心境を打ち明けた。

 全摘出の手術の2〜3日前、当時7歳の娘と銭湯へ。「これがこの子と銭湯に行く最後かなと思って。右胸を取ってしまったら、行くことはないだろう。いい思い出にしようと思って。ずっと入っていたかったんですよね。忘れないですね。あの日のことは。とっても楽しいけど、とっても悲しい日だったので」。娘は自宅で「私の右胸を触ったりとか、チュッてやったりとかしていましたね。やっぱり寂しかったんじゃないのかな」と思い返した。

 手術当日は「ずっと一緒に生きてきた右胸と別れるんだと思ったら、これほどつらいことはありませんでした。変な話ですけど、ずっと胸に『ごめんね』って謝ってましたね。自分が生きるために自分の体から去っていってくれるんだと。それによって私は命を与えてもらうんだから、頑張っていきなきゃいけない。自分の右胸なんですけど『ありがとう、さようなら』っていうふうに、ずっと言い続けていましたね」と回顧した。

感想;
生稲さんは二度もがんになり、全摘出はとても辛かったと思います。
「神様はいないのかもしれないとか。自分が何かいけないことをしたから、その報いなのかもしれないとか。今まで前向きだったんですけど、2回目の再発の時に初めてダメになりましたね」
病気をする人には神様はいなかった。あるいは何か悪いことをしたので神様が病気にしたのでしょうか?
神様は悪いことをした人に罰するようなことはしないと思います。また悪いことをしなかった人を病気にしないこともないと思います。
病気は、遺伝、食事や運動や習慣、それと偶然の結果など様々な要因でなります。
そこには神様が判断したはないと思っています。

前に東京医科歯科大付属病院小児病棟で入院児と遊ぶボランティアをしていました。そこの病院は子どもの血液のがんや固形がんの子どもが多く入院していました。7~8割の子どもががんを克服しますが、2~3割亡くなっていました。
子どもたちは何か悪いことをしたのでしょうか?決して悪いことなどしていません。

生稲さんはとても辛かったと思います。今もその辛さと闘っておられると思います。ただ、見方を変えれば、生稲さんは子どものときにがんになっていたかもしれなかったのです。幸いがんにならずに”おニャン子”として活躍されました。
がんが治ったら医者になって助けるんだと言っていたよっくんは12歳で旅立ちました。
神様がいるとしたら、神様がいると信じて、神様からの欲しくないプレゼントにきっと神様が私に何かを知らせてくれたんだと思って、これからは
がんを二度も体験したからこそ生まれたこれからの人生をより価値あるものとして生きていくことなのだと思います。
そうすれば、大きな喜びと価値を見出されるのではないかと思います。

12歳で亡くなった よっくんの詩を掲載します。
ビーズとすず  yoshi
ぼくは 今ビーズにこっている。
いろんな色のビーズをつないでいる。
丸く丸く作っている。
その中にすずを入れてみた。
すずはぼく。
まわりのビーズは、家族、友達、
先生、かんごふさん・・・。
いつもぼくを守ってくれている。
いつかぼくもビーズになる!

何で病気やねん①
走りたかったのに
学校に行きたかったのに
どこへでも行きたかったのに
いろんなことしたかったのに
でけへんことばっかりやった

神様はなんでぼくに病気をさずけたんだろう?

何で病気やねん

何で病気やねん ②
神様は生まれてくる時
大切な贈り物をくれる
ぼくには病気って言う大切なおくり物をくれた
いやだった
すごくいやだった
そんなんはいらんっと思った
ものすごくつらかった
ものすごくかなしかった

でもちょっと考えてみた
病気とたたかっている間に
たくさんの宝物を手に入れた
人の思いやり
人のあたたかさ
命の大切さ
笑顔の大切さ
出会いの大切さ・・・

そんなたくさんの宝物を
ぼくはいつまでも
大切にしていきたい


よっくんと一緒に遊びました。
よっくんのお母さんとお話ししました。
少しでもよっくんのことを知って欲しいと思い、
私のホームページで紹介しています

http://inorinohinshitu.sakura.ne.jp/yokkun.html












クミコさんのブログ 「自分が元気でこそ 」より ”一人で抱え込まない”

2015-11-11 12:44:44 | 生き方/考え方
http://ameblo.jp/kumiko926/entry-12094291737.html?frm_src=favoritemail2015-11-11

今月は病院付き添いが多い。
ほんとにここで良いのか、とか、違うやり方はないのかとか。
まったくいろんなことを考える。
年をとるのは、決して若くなることはないのだ、とわかっていても気持ちはうろうろする。
元に戻ることはないのだ、と納得していても、でもはつらつと動いていた両親の姿を夢見てしまう。

隣の診察室で身づくろいをする母親を待ちながら先生と。
「たいへんなことですね、年をとるって」
「でも、おかあさまは、まだ87才ですから」
私よりは若い、でも十分にベテランの先生がとつぜん。
「ご自分が、疲れ果ててしまってはいけませんよね」という。
そして。
「僕の父親なんか93才です。まだまだ元気で。こっちのほうが疲れてきてしまいそうです」
確かに、先生は、最初会った時より小さくなってる。
そうか、そんな事情もあったんだなあ。
医者も患者も、みんなおなじなんだなあ。

夜。
ちょっとしたことで待ち合わせた友人。
「クミちゃん、やせちゃダメだよ」
「でもさあ、なかなかそうもいかないよね、親のこととかあるとさ」
「そうなんだよね、たしかに」
だけど。と友人。
「自分で抱え込まないこと、他人を巻き込むこと。親が元気な時から、他人の力を借りる術を考えておくこと」
と、これまで何人も見送った経験を話してくれる。

自分の気持ちを疲れさせないコツ、うまく逃げるコツ。
みんなおなじなんだなあ。とまた思う。
おなじようなことに悩み、考え、進んでいく。
とにかく、自分が疲れて余裕がなくなったらアウト。
これは確かだ。
私も、じょじょに上手くなってきていると思う。
ひらりひらりと、重さをかわしながら、それでいて罪悪感を感じないようなやりかた。
少しづつわかってきている。
でもなあ、これからだからなあ。本番は。
そのためにも、しっかり健康管理せんとな。自分の。

いい歌をもっと唄いたい。
そのためにも、ここは踏ん張らんといかんのですな。
うん。

感想;
親の介護の大変さがブログから伝わってきます。
自分が元気でいること。
そのためには、一人で抱え込まずに、周りの人の助けを借りることなのでしょうね。

そして元気な内は自分のできる範囲で周りの人の助けになることなのでしょう。