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深刻な中高年の引きこもり 専門家「解決焦らないで」 ”日本の危機は莫大な借金と引きこもる人 その対策の遅れ!”

2019-06-04 08:06:00 | 社会
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190603-00000563-san-soci 産経新聞 6/3(月)

 川崎市の殺傷事件と東京都練馬区の刺殺事件で共通のキーワードとして浮かび上がったのが「中高年の引きこもり」だ。調査結果によると若者世代よりも人数が多く、自宅に引きこもる年月が長期にわたるケースも顕著になっている。適切な対応策への関心が高まる中、専門家は「解決を焦らずに専門機関を頼ってほしい」と呼びかけている。

 川崎市の事件で犯行後に自殺した岩崎隆一容疑者(51)は、高齢の伯父夫婦と同居する家で、長期間にわたって引きこもり生活を送っていた。元農水次官の男が刺殺した長男(44)も、引きこもりがちだったという。

 今年3月に内閣府が公表した調査結果によると、40~64歳で家族以外とほとんど交流せずに半年以上、自宅に引きこもる人は推計61万3千人と、15~39歳(同54万1千人)を上回った。

 こうした中高年の引きこもりは、76・6%が男性。7年以上の長期にわたる人は46・7%を占め、30年以上という人も6%いた。きっかけは「退職」が最も多く、次いで「人間関係」や「病気」となっている。

 引きこもりの中高年を支援しているNPO法人「STEP・北九州」の田中美穂理事は、「今回のような事件が起きると、『引きこもりは危ない』というイメージが一人歩きしてしまいがちだが、引きこもりに至る理由は、人それぞれ異なっている」と指摘する。

 中高年の引きこもりでは、支える親側が自身の高齢化などもあって今後の生活に不安を抱き、解決を焦りがちになる。田中理事は、「その人に合ったアドバイスや方法を粘り強く探っていく必要があり、一朝一夕には解決できない。引きこもりになる人は、そうなる前から内面で葛藤してきている。家族内だけで何とかしようとせず、専門の相談機関を頼ってほしい」と話した。

感想

一人当たり約900万円の借金。
引きこもりの人が親の収入や年金などで生活されていますが、親が亡くなると社会支援の生活保護になります。
年金を支える側に回るか生活保護支給されるか、この両者の差はとても大きいです。
戦闘機など軍事費に莫大なお金を手当しており、その一部でも引きこもりの社会復帰への支援をすることが、日本の本当の意味での危機リスクを減らすことではないでしょうか?
誰でもが想像できることをなぜ政府は想像できないのでしょうか?
癌になっているのに、それに目を向けずに何の治療もしていないのと同じです。
にっちもさっちもいかなくなった時には手遅れになってしまっているのですが・・・。
まあ、そういう政権を選んでいる国民も同罪なのかもしれまえん。

「わたしはよろこんで歳をとりたい」イエルク・ツィンク著 眞壁伍朗訳 ”日本の「いのちの電話」の生みの親ルツ・ヘットカンプさん”

2019-06-04 04:02:18 | 本の紹介
・1922年ドイツ中部のハーバーツホーフという山里に生まれた彼は、3歳のときに、母を亡くし、さらにその翌年には、父まで失うというきびしい幼少時代をすごしています。・・・
 彼は、第二次世界大戦さ中の空軍の通信士として独軍に従軍。乗った飛行機が英軍によって撃ち落され、かろうじて生き延びて、終戦時には、アメリカ軍の捕虜として収容所ですごさなければなりませんでした。属した部隊400人のうち、生き残ったのはわずが3人、そのうちの一人がイェツク・ツインクでした。・・・
 彼はやがて神学を学び牧師となり、宗派や宗教の違いを超えて、与えられたこの自然を大切にしながら、みんなで一緒に生きていこうと、呼びかけ、働き続けました。
 この翻訳のきっかけは、日本の「いのちの電話」の生みの親となってくださった、いまはドイツにおられるルツ・ヘットカンプさんでした。・・・
 長い入院生活の間、自分を慰め、支え、励ましてくれていた本がある。これをわたしに訳してもらって、ぜひ日本人の知人、友人たちに読んでもらいたいというのです。

本より;
・昨日いわれた名前を 思い出せないからといって
 それが どうってことはない
 なにもかものろくなり しんどくなって当然だ 
 それでも わたしはよろこんで歳をとろう

・つい先ごろ山でカエデの老木に出会った
 わたしもその木のように ただそこにいて
 生きているだけでよいのだ
 ようやくそのように わたしも成長し自由になった!

・歳をとると 感謝の言葉こそが決め手になる ・・・
 もう自分がどんなに役に立つだとか まだ何ができるかなど
 それを実証する必要など さらさらない
 それよりも大切なのは かつての出会いや経験を思い出させる
 ごくごく小さな物たちが
 壁にかかった絵や 小石の一つ おし花 一枚の写真
 そして何よりも手紙のかずかず これは人生の春と夏の証だ

・わたしたちが どんなに努力しても すべてを
 神の意思に沿うようにすることなどできない
 だが 晴れた一日が与えられ
 それをこころから楽しんだとすれば
 わたしたちは 神の意思に答えたことになる

・旧約のソロモンの書(コヘレトの言葉)には こうある
 「光は快く 太陽を見るのは楽しい
  長生きし 喜びに満ちているときにも
  暗い日々も多くあろうことを忘れないように」

・自分を後生大事にしてはいけないよ、とイエスはいわれる
 そのように思わないひとのところにこそ
 わたしたちが 愛と呼んでいる力が
 ゆたかに注ぎ込まれるからだ

・神を信じるとは
 目の前にある すべての暗がりをとおして 先を見ること
 ちょうどガラスごしに見るように 先を見るのだ 
かつて 目の前の物をこえて
一つの不思議な光が輝いているのを 見たことがある
貴重な瞬間だった

人生の最後のときまで この経験を忘れることなく
 死の暗い壁が きらめる光のなかで しだいに消えてゆくのを
 わたしはこころから願っている
 
信仰とは 聴くことでもある
いのちが 静けさのなかで
はるかな はるかな音として 聞こえてくるように
最後のとき 静けさのなかで
あの永遠に変わることのない 別の世界の音楽が
わたしには 聞こえてくることだろう
・・・
いま わたしはもう一度若くなりたいとは思わない
わたしは 喜んで 歳をとってきた
そして 人生という時の境をこえて
神が共におられたことを こころから感謝している
わたしと 人生と 永遠と
その境は わたしには いよいよなくなってきている
わたしはいま あの夕日が沈む 山の向こうの
光のあるところに 立とうとしている

・「Ich werde gerne alt」
「わたしは よろこんで 歳をとる」という断定的な表現であって、「歳をとりたい」という願望ではないというのです。もうそのように決めて生きているとのいう強い表現だと(ヘットカンプさんは)おしゃいます。
 わたしたち日本人の感覚では、歳は自分でとるものえはなく、すぎてゆく年月を歳として受け入れる、いわば受動的な表現でしかないように思います。ですから、「よろこんで 歳をとっている」とはいっても、自分で「歳をとる」とはいいません。そして「よろこんで」といえば、すぎてゆく時と、それにともなう衰えや変化を、まあそれなりに幸せとして受け入れていることになります。結局、ヘットカンンプさんのご指摘ににもかかわらず、この本の標題は「わたしは よろこんで 歳をとりたい」としました。それは訳者のわたし自身も、そしてこれを読んでくださるかたがたも、ツインクの遺言とも思える言葉の一つ一つをたどりながら、「わたしは よろこんで 歳をとる」とまで、言い切れるようになりたいと願うからです。

・この翻訳のきっかけとなってくださったヘットカンプさんもまた、この「日本に大切な種を蒔いてくださった方です。
ナチスがドイツを支配した年、1933年にヘットカンプさんはドイツで生をうけられました。それからはまさに大戦のさ中です。1943年、10歳の時に、空襲で一家もろとも瓦礫の下にうずめられてしまいます。そして、九死に一生をえて、自分が不思議に生かされたことを実感したのでした。生かされた自分の命は、自分のものではない。そう心を定めて歩み続けた道が、遠い日本であり、それも生活のために自分の身を売る女性たちの救いのために何か役立ちたいということでした。
来日して、苦労して覚えた日本語で、どのようにしたらその女性と心をかよわせる友になれるのか。不安と苦労の日々が続いたといいます。そして、東京の年末の夜の街の雑踏のなかで、見通しも希望もなく、彼女は道に立ち尽くしたといいます。そのとき、拡声器から流れるウィーン少年合唱団が歌う「きよしこの夜」を聞き、われに返ったのでした。あの、命が救われたとき、”自分の命は、生きるのも死ぬのも、神のみ手のなかにあるのだ“という思いでした。これがやがて、希望を失い、思い余って、自ら死を選ぼうという人たちの、せめて何かの助けになろうと始まったボランティア運動、日本の「いのちの電話」のそもそもの発端でした。
「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出ていった人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる」
旧約聖書、詩篇126篇のこの言葉は、はからずもヘットカンプさんによって蒔かれた種の行く末を、わたしたちに告げているように思われてなりません。

感想
ルツ・ヘットカンプさんが、長い入院生活の間、自分を慰め、支え、励ましてくれていた本でした。
著者自身が人生での苦悩を背負って来られただけに、そこから出てくる言葉が大きな力になったのでしょう。

それにしても、誰かのために、何かのために、ハチドリの一滴のような行動が大きな働きになって行くのでしょう。
最初の一滴になる人、次の一滴になる人、そして続く人がいるからなのでしょう。

いのちの電話はメール相談も始まっているようですが、メール相談に参加されているセンターは少ないようです。
電話が始まった時、「電話で相談なんかできるか?」との心理療法の専門家が批判していたそうです。しかし、今は大きな働き(受信件数約70万件/2015年)になっているそうです。
ところが立場が代わって、若者は電話よりメールなのに電話を優先されているようです。
ナビダイヤルは最大30円/1分かかります。
このお金はかけ手の負担になります。
ナビダイヤルは携帯電話のかけ放題の対象外です。
多くの人は携帯電話のかけ放題を使っているのではないでしょうか。
また死因のトップの若者はLineの無料電話を使っていますが、ナビダイヤルは対象外です。
まるでいのちの電話が、「お金のある人にはナビダイヤルのサービスを提供するが、お金のない人は従来の電話番号で」とお金の有無でサービスを変えているように思えてなりません。とうとういのちの電話もいのちをお金で差をつけだしたのかと。涙
ナビダイヤルよりもフリーダイヤルをもっともっと進めて欲しいと思います。
いのちの電話は新約聖書ルカの福音書の善きのサマリヤ人が人を助けた話のようにとかありました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/善きサマリア人のたとえ
困っている人がお金を持っていると助け、お金を持っていない人は助けないのかと。

https://www.inochinodenwa.org/soudan.php
https://www.inochinodenwa-net.jp/index.html

ヘットカンプさんが日本のいのちの電話の今を知られたらどう考えて行動されるのだろうかと思いました。

https://www.inochinodenwa.org/about.php
日本いのちの電話連盟とは

 「いのちの電話」の活動は、1953年に英国のロンドンで開始された自殺予防のための電話相談に端を発しています。
 日本ではドイツ人宣教師ルツ・ヘットカンプ女史を中心として準備され、1971年10月日本で初めてボランティア相談員による電話相談が東京で開始されました。
 1977年、当時いのちの電話は全国にわずか5つのセンターでしたが、この市民運動を全国に展開するために、その中心的役割を担う組織が必要となり、日本いのちの電話連盟が結成されました。
 その後この運動は飛躍的に拡大し、2011年10月1日には、いのちの電話開設40周年を迎える運びとなり、記念式典には、皇后陛下のご臨席を賜りました。
 2016年現在、連盟加盟センターは49センターとなり、分室を含め電話相談を実施している都市は約60ヶ所、約6500名の相談員が活動しております。
*2015年相談件数 704,904件
(メール相談は行っていても受信件数が低いのか報告されていません)

http://www.indt.jp/about/data/report2016_1.pdf
社会福祉法人いのちの電話

6ページ目にインターネット相談が報告されています。
インターネット相談件数 2,734件/2016年