俳優。映画、ドラマ、舞台で活躍。初めてお会いする。1964年生まれ。
若い頃は不登校。家族と衝突。
玉三郎さんが、私が堤真一を見出したと。
玉三郎さんの舞台で獅子をやっていて、そのとき、役者やりませんか?と。
玉三郎さんが前、自分が真ん中、真田さんが後ろの3人で獅子を被ってやっている中で言われた。
真田広之さんの付き人をやっていた。
それから声をかけてもらえるようになった。
真田広之さんの代役をやっていた。「あんたいつまで台本を持っているの?」と玉三郎さんから言われた。
僕だけがダメだしだった。その時は楽しかった。
逆算をしなさい。それをする前に今何をするか。
学ぶことだらけだった。
その時におれはこの世界に関わっていこうと思った。
30代のドラマ出演で人気役者になった。
それが「やまとなでしこ」だった。
事務所の社長から「あんたぎりぎりやで」と言われた。
何かやる時の歳としてはの意味だった。
有名女優との恋の相手役で、その時はきつかった。
兵庫県の西宮で野球をやっていた。高校1年でケガで野球を辞め不登校になった。
父親は熊本出身で無口だった。母親はずっと喋っていた。
ほがらかな母が突然号泣した。
母はストレスで腕が動かなくなった。
母に悪いなと思った。
母親は父親の悪口をずっと言っていた。
だから反発する対象となった。
父親に反発。
サラリーマンの苦しみをわからないやつは何をやっても上手く行かない。
負けたと思った。
高校3年生の時は学校行っていた。
1曲目 佐野元春「SOMEDAY」
家で寝ていた状態から養成所に通う目的が出てきていた。
友だちの車ホンダのシティに乗って移動していた。
19歳の時に、養成所に通って合格して東京に行かないといけなかった。父親はガンで余命1か月と言われた。1か月と言われたが、東京に行くときは9カ月生き延びていた。上京前日 病床の父と最後の会話。パーキングは駐車場は1時間だったので、「早く行きなさい」と言われて、病室を出る時に「元気でな」と言われ、涙が止まらなくなった。
自分がきつかった30代~40代の時、父と話したかった。
父親が大好きだったなと思いだした。
大人になって気づいた。
高倉健さんは父にくらべたら喋り過ぎ。笑
親父は俺のことを嫌いだと思っていた。嫌いだったとこはなかったと気づいた。
父親が栄転で引っ越しがあり、嫌だなと父に言った。でも転校は嫌だったけど、行っても良いかなと思っていたら、父親はそれを断った。そのせいか万年平だった。
2人の娘を持つ父親になって水テッポウをした。お風呂での水テッポウは父親にして貰ったことを思い出してしている。
佐藤浩市さんによく声をかけてもらった。真田広之さんにはよく叱られた。
タバコを吸うシーンがあって、タバコ買って来ましょうか?と言ったらお前が持っているタバコでよいと言われた。知られていた。
咥えタバコで物を渡したら、真田さんから叱られた。
二人が話す映画はたくさん見たがよく覚えていない。やはり見る時は一つをと思う。
2曲目ナオト・インティライミ「花びら」
娘たちの幸福を思い浮かべる曲。
この曲は本当に好きですね。
新しい映画が「泣くな赤鬼」
野球部の監督の役。
丹波哲郎さんがご自身が遅刻してきたのに「俺が来たら~大丈夫」と。
皆があなたを待っていたんですよと。笑
そのぐらいに。
感想;
人生何が転機になるかわからないものです。
良い出会いがあるか、その出会いを生かすかなのでしょう。
野球という目的がなくなって引きこもりになりました。
俳優養成所に通うとの目的ができて引きこもりから脱出した。
人には何か生きる目的が必要なんだとあらためて思いました。
叱られることが楽しかったとのこと。
こういう心境が大切なんだなと思いました。
話し言葉が懐かしいなと思ったら、同じ兵庫県出身でした。
生きる目的を考えるセラピーがロゴセラピーです。
http://inorinohinshitu.sakura.ne.jp/logo.html
人が創る品質 -ロゴセラピー(ヴィクトール・フランクル「夜と霧」)-
若い頃は不登校。家族と衝突。
玉三郎さんが、私が堤真一を見出したと。
玉三郎さんの舞台で獅子をやっていて、そのとき、役者やりませんか?と。
玉三郎さんが前、自分が真ん中、真田さんが後ろの3人で獅子を被ってやっている中で言われた。
真田広之さんの付き人をやっていた。
それから声をかけてもらえるようになった。
真田広之さんの代役をやっていた。「あんたいつまで台本を持っているの?」と玉三郎さんから言われた。
僕だけがダメだしだった。その時は楽しかった。
逆算をしなさい。それをする前に今何をするか。
学ぶことだらけだった。
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何かやる時の歳としてはの意味だった。
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父親は熊本出身で無口だった。母親はずっと喋っていた。
ほがらかな母が突然号泣した。
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母に悪いなと思った。
母親は父親の悪口をずっと言っていた。
だから反発する対象となった。
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大人になって気づいた。
高倉健さんは父にくらべたら喋り過ぎ。笑
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父親が栄転で引っ越しがあり、嫌だなと父に言った。でも転校は嫌だったけど、行っても良いかなと思っていたら、父親はそれを断った。そのせいか万年平だった。
2人の娘を持つ父親になって水テッポウをした。お風呂での水テッポウは父親にして貰ったことを思い出してしている。
佐藤浩市さんによく声をかけてもらった。真田広之さんにはよく叱られた。
タバコを吸うシーンがあって、タバコ買って来ましょうか?と言ったらお前が持っているタバコでよいと言われた。知られていた。
咥えタバコで物を渡したら、真田さんから叱られた。
二人が話す映画はたくさん見たがよく覚えていない。やはり見る時は一つをと思う。
2曲目ナオト・インティライミ「花びら」
娘たちの幸福を思い浮かべる曲。
この曲は本当に好きですね。
新しい映画が「泣くな赤鬼」
野球部の監督の役。
丹波哲郎さんがご自身が遅刻してきたのに「俺が来たら~大丈夫」と。
皆があなたを待っていたんですよと。笑
そのぐらいに。
感想;
人生何が転機になるかわからないものです。
良い出会いがあるか、その出会いを生かすかなのでしょう。
野球という目的がなくなって引きこもりになりました。
俳優養成所に通うとの目的ができて引きこもりから脱出した。
人には何か生きる目的が必要なんだとあらためて思いました。
叱られることが楽しかったとのこと。
こういう心境が大切なんだなと思いました。
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