・左側の扉に向こうにある世界では、私たちは、『たまたま』の人生しか生きることはできず、生きれば生きるほど、ニヒリズムに浸食されてしまいます。自分に対しても、他の人々に対しても、世界に対しても、不信を抱え込むことになるのです。
それに対して、右側の扉の世界観の特徴は、すべてのものごとに、『意味ある必然』があり、つながっていると受けとめることです。
・右側の扉を開いて、その向こうに広がる世界に足を踏み入れた途端、私たちの人生に根本的な転換が起こります。
左側の扉の世界を生きることで、誰もが気づかずに抱えてしまう自己不信、他社不信、世界不信というニヒリズムの影から、信頼の力を得て、少しずつ脱してゆくことができるのも、その一端です。それは、すべてを変えてしまうほどの衝撃をもたらします。
そして、多くの人たちが右側の扉を発見し、勇気を持って
その向こうの世界へと歩み出すとき、人類は、新しい歴史のスタートラインに立つことになるのです。
・前田浩利(小児在宅医療の第一人者)さんの実践はさらに続きました。
小児在宅医療は、少しずつ軌道に乗り始めましたが、そこには根本的な課題が解決されずに残っていたのです。
それは、医療的な支援を必要とする子どもたちが病院から自宅に帰った途端、支援を受けることができなくなってしまうことでした。
彼らは、病院で手厚い医療的な支援を受けていた存在です。当然、家に帰ってからも、相当の医療的な支援が必要です。ところが、子どもたちを支援する法律がなかったのです。・・・
前田さんは、子どもたちを守り、支えてゆくために、医療者という枠組みを超えて、その土台の法律をつくるための活動を始めたのです。
しかし、大きな壁がありました。新しい障がい者の概念を組み込むことに、当時の厚生労働省が前向きでなかったのです。
新たな障がい者の概念を加えてほしい前田さんたちと、それに難色を示していた厚生労働省が議論を重ねていたとき、部屋を間違えて、偶然のようにそこに入ってきた方がいました。法務大臣を2度も務め、議員立法に熱心に取りくまれた故・保岡興治周銀議員でした。
部屋を間違えたことに気づいても、保岡さんは、何か重要なことが議論されていると感じて、そこに留まりました。そして、話し合いが膠着状態に陥り、前田さんたちが「もう無理かもしれない」と思ったとき、突然、保岡さんが立ち上がって、「今、話されているのは、日本全体にとって大事なことだ。もう1度、考えてみるべきだ」と厚生労働省の人たちに強く促してくれたことで、新たな道が開かれることになったのです。それは、運命的な助け舟と言って良いもでした。
その後、超党派の議員グループをはじめ、様々な方々のサポートを得て、自治体の支援内容を含めた『医療的ケア児及びその家族に対する支援に関する法律』(医療的ケア児支援法)が2021年6月に成立、9月18日に施行されることになったのです。
困難な道が開かれるとき、世界からの助力が示されることが少なくありません。まさにこのとき、「偶然、たまたま」では説明のつかない出会いが生まれていたのです。
・人生の最晩年でしか果たすことができないこと、その時期だからこそ、出来ることがあります。
晩年の季節は、決して終点への行脚のためだけにある時間ではないはずです。
人生の結びに向かう道中でしか得ることができない、かけがえのない体験があるということです。
・『建前』か『本音』かではなく、その奥にある『本心』を知ることが本当に重要なのです。『本心』を知った人だけが、『理想』と『現実』を見つめながら、その2つを1つに結ぶことへと向かうことができる。
・自分がこの世界に生まれてきた理由がある。
自分がこの世界を生きる意味がある。
自分がこの出来事と出会う必然がある。
そして、自分がこの世界で果たせることがある。
・右側の扉を開くと、『すべての出来事には意味がある』という感覚が育ってきます。
・『このカオスは、ただ偶然にそこにあるわけではない。自分をめがけてやってきたのだ』
・『新・祈りのみち』高橋佳子著(396~7頁)
『この出会いにはどんな意味があるのだろうか。
この出来事、この事態は私に何を呼び掛けているのだろうか。
何に気づけ、何をせよと言っているのだろうか。
過去からの要請は何だろう。
足りないものは何だろう。
修正すべきこと、最結すべきことはないだろうか。
未来からの呼びかけは何だろう。
この事態には未来のどんな潮流の兆しが孕まれているのだろか』
今、全体はどの方向へ行こうとしているのだろうか。
緊急にしなければならないことは何だろう。
今、創造しなければならないことはないだろうか。
私はこの事態のどんな縁になれるのだろうか。
最も大切にすべきことは何だろう。
事態は私にどう生きよと言っているのだろうか』
・失敗・敗北・低迷は切り捨てたいもの?
それをさらに進めて、切り捨ておうとしていたバツの中に光を見出すということです。
・人生 = X × Y
X;楽しいこと・うれしいこと・得をすること
Y:苦しいこと・悲しいこと・損をすること
・人生全体を眺めれば、Yを経験することによる打撃よりも、Yを経験しないことのマイナスの方がはるかに大きいと言っても過言ではないのです。
・人生からなくしたい、切り離したいと思ってきたYのとき、まさに人生の成長と進化がもたらされる。
・行動しなければ始まらない。
どんなに素晴らしい考えでも、それを実現しようと行動しない限り、決して現実にはなりません。
感想;
何か新しいことをする場合には、社会の支援創りが必要になります。
ライフリンクの清水康之さんが自殺防止を地方自治の活動にするために国会議員とタグを汲んで実践されました。
ロゴセラピー</strong>では、「人生(過酷な試練も含め)の方から自分に問いかけてくる」と考えます。そしてどう応えていくかが問われています。
その問いに一生懸命対応していくことで人生に意味が生まれ、価値を生み出すと考えます。
人生からの過酷な問いかけにつぶされてしまう人、それを乗り越えて意味を見出す人、その違いはどこになるのでしょうか?
その違いは考え方によると思います。
GLAやロゴセラピーの学びが、過酷な人生からの問いかけが遭った時に伴走して力を貸してくれるように思います。