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戦跡 薄れる記憶 忘れられた被爆者たちの原爆映画「ひろしま」 ”見ました。知らなかったです”

2023-08-22 10:00:00 | 社会
映画『ひろしま』1953年
『ひろしま』は、日教組プロ制作、関川秀雄監督による1953年(昭和28年)公開の日本映画である。太平洋戦争末期の広島市への原子爆弾投下で被爆した子供たちの手記集『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ』を原作としている。 1955年(昭和30年)に第5回ベルリン国際映画祭長編映画賞を受賞した。(ウイキペディアより)<.a>  

 https://www3.nhk.or.jp/news/special/senseki/article_19.html (2019年8月7日 NHK大阪局 宮脇壮行ディレクター) 
 原爆の投下から8年後に製作された、映画「ひろしま」。出演している人の多くが、被爆した人々です。 映画は、海外の映画祭でも受賞するなど高く評価されていました。しかし日本では大手映画会社から上映が拒否され、その存在は忘れ去られています。 完成から半世紀以上たった今、映画は世界各地で上映され再び脚光を浴びています。 なぜ、埋もれていた映画が注目されるようになったのでしょうか。 被爆者たちが自ら演じた 映画の舞台は1953年、原爆投下から8年後の広島。 市内にある中学校の少年少女たちが主人公です。 急性被爆の症状に苦しみ、貧困や差別に悩まされる姿を、被爆者自らが演じています。 当時、被爆地で深刻化していた実態が描かれていきます。 さらに物語は、人々の運命を変えた“あの日”へと、さかのぼっていきます。 映画の製作者達がこだわったのは、原爆投下直後の広島の姿をリアルに再現することです。 一般市民8万8,000人が出演し、被爆した衣類やがれきを持ち寄りました。 映画の脚本は、被爆した当事者達の手記を基に作られました。 
 つらい記憶と向きあった撮影 被爆の手記を寄せ、映画にも出演した早志百合子さん。 9歳のとき被爆し、両親とともに市内を逃げまどいました。 早志さんの手記より: “山の防空壕に入りました。死人がごろごろしていたので、どうしても見ないわけにはゆきませんでした。その中には、私の知っている人もだいぶいました。” 早志さんの撮影が行われたのは、被爆直後、自分が逃げまわったまさにその場所でした。 

 早志百合子さん: 「本当に地獄絵だったんですよね。現実に見えている景色と、当日の景色が重なるんですよね。本当に吐きそうになって吐いたかもしれないし、倒れそうになりました」 「反米」と上映拒否 被爆者たちがつらい記憶に向き合いながら、懸命に演じた映画。しかしその思いはくじかれます。 完成試写をしたところ、配給を予定した大手映画会社が、内容の一部が反米的だと上映を拒否したのです。これが問題とされたシーンです。 映画「ひろしま」より “ヒロシマとナガサキでは結局のところ、20何万かの非武装の、しかも何らの罪もない日本人が、あっさりと新兵器の「モルモット実験」に使われてしまったのだ、と。
 ” 映画評論家 佐藤忠男さん: 「要するに、アメリカに遠慮したんです。はっきり言って。とにかく、映画の中で原爆について語ったり、ちょっと触れたりするだけでも大変でしたから」 結局、映画「ひろしま」は、自主上映会などで細々と公開されるにとどまりました。 SNSなどで注目 世界へ 完成から半世紀以上埋もれていた映画。そこに再び光を当てようとする人物がいます。 
 小林開さんは、祖父がこの映画の製作に関わっていたことから、多くの人に見てもらいたいと考えていました。4年前から上映会やSNSなどを通して、映画の魅力を発信する活動を続けてきました。 小林開さん: 「これを見ることによって継承ってことをしていって、そういうことによってまた、二度と核を使わない、使わせないっていう思いが芽生えるんじゃないかなっていうふうに思いますね。」

 「この映画はアメリカ人にも貴重だ」 小林さんの地道な活動が実を結び、思わぬところから声がかかります。 アメリカ・ハリウッドに拠点を置くメディア会社が、フィルムをデジタル化する資金を提供し、北米での配信を決めたのです。 (プロデューサーのチャールズ・タベシュさん): 「この映画は日本人だけでなく、アメリカ人にとっても貴重な作品です。トランプ大統領が大統領選のとき『なぜ核兵器を使用してはいけないのか?』と言ったと伝えられています。この映画こそ、それに対する的確な答えだと思います。」 
 映画「ひろしま」の上映は今、北米やヨーロッパ、アジアなど、世界10の国々へ広がっています。 2018年6月、カナダのトロントで開かれた映画の上映会。ここに招かれたのが、サーロー節子さん。広島で被爆し、その後、世界各地で核廃絶を訴えてきました。 サーローさんは、実際に核の脅威を体験した人たちが演じたからこそ、この映画には訴えかける力があると感じています。 
 サーロー節子さん: 「被爆者の人たち、市民の人たちが生の声を世界に伝えようと、みんな手弁当でね、ああいうものを作った。これは貴重な、尊い宝のようなものだと思うわ。皆さんに、正真正銘の広島の体験というものを考えてほしいですね。世界の人は驚くと思います」 映画の最後は、市民たちが原爆ドームを目指して行進するシーンで締めくくられます。

感想
 この映画知らなかったです。
 このブログを見た友だちが「ご存知ですか?」と教えてくれました。

 すぐにネットで検索したらYouTubeがあり全て見ることができました。
悲惨ですが、まずは現実を知ることだと思いました。
当時は白血病という病気もわからず、治療方法もありませんでした。
生き残った被爆者の苦しみと不安も描かれています。

 これがどうして米国批判になるのかわかりません。
大手が忖度したと。
今も大手が忖度している記事があります。
大手の情報だけに頼っていたら偏った情報だけで間違った解釈をするリスクが高いようです。

“恐喝で逮捕された”女子高生が「28歳で医学部に合格」するまでの紆余曲折 ”恩師に出合えれかどうか?”

2023-08-22 02:22:02 | 社会

 綺麗事に聞こえるかもしれないが、再起のきっかけさえあれば、人は変わる。

 間違った方向へ人生が流れそうになったとき、自らの手にある“踏み止まれるもの”を自覚する者は幸福である。自分の人生をどう設計していくか。すなわち、私たちはどう生きたいか。一度道を外れて尚、現在は仕事で社会貢献する者たちの軌跡を追いかける。腫れ物だった彼らが這い上がるまでのドラマに、迫った。

河原風子氏
増加の一途をたどる「対人関係に悩む子ども」

“みらい外来”――そう名付けられた小児外来が2022年6月に福岡県で誕生した。担当するのは、小児科医・河原風子氏。通常、小児科の診察は感冒症状などで訪れる患者が多いが、同外来には、不登校などの問題を抱えた子どもたちが診察にやってくる。

「SNSなどの発達でコミュニケーションの方法が多様化したこともあり、あるいは子どもも日常生活でストレスを抱えやすい状況があることなどによって、対人関係に悩む子どもは多くなってきていると思います。

 器質的な異常が何もない子どもは、『お腹が痛い』『朝どうしても起きられない』と訴えても、『心因性』『起立性調節障害』と診断され、ひどい場合には学校などで怠け者扱いされてしまうことさえあります。当外来では、そうした”改善しにくい主訴”の裏側に焦点を当てて、根本的な治療を行いたいと思っています」

「親の過干渉」が子どもの自己肯定感を潰す

 とりわけ河原氏が着眼しているのは、根底に「親との問題」を抱える子どもの存在だ。

「新しくできたこの外来にお子さんを連れて現れる親御さんは、本当にとても温かくて子ども想いの人が多いと感じます。ただ、実際には、親御さん本人さえ気付いていない過干渉によって、子どもの自己肯定感が潰されてしまっているケースもあるんです。

 たとえば、『あなたはこれが向いている』と言って、子どもの自己決定の機会をことごとく奪うなどの行為は、良かれと思ってやっていても、結局は自分で決断できない子どもにしてしまう可能性があります。そうなると、子どもは親の評価軸でしか動けないので、親がどう思うかでしか判断がつかなくなるんです」

問題を根本から解決するには…

 河原氏は、一見やってしまいがちなこんな親の行動にも警鐘を鳴らす。

「不登校になった子が、1日ふらっと学校に行ったとします。そのときに、親が過剰に喜んだり褒めたりすると、子どもにとっては逆効果かもしれません。というのは、先ほど話したように『親の評価軸』で生きている子の場合、その喜び方を見て『学校に行っているから親が喜んでいる、行かない自分は無価値なんだ』と思い込む可能性があるからです。

 親が子どもに伝えるべきなのは、『どんなあなたでも大切だし、価値がある』ということであって、条件付きの愛情であってはならないのです。そうしないと、不登校が改善されたとしても、根本の原因は治らないままです。

 ですから、私の外来では、子どもが登校したことを喜びたい気持ちは理解できるのですが、なるべくフラットに接してくださいとお伝えしています」

高校時代に恐喝で逮捕された…

高校時代の河原氏
 親子の問題がその子の人生に大きな影響を及ぼすのではないか――。河原氏がそう考える理由は、自身の過去と深い関わりがある。

「私が医師になったのは30歳を過ぎてからのことです。それまでの生活はいわゆる不良少女でした。未成年飲酒、自転車窃盗は当たり前で、高校時代には恐喝罪で逮捕歴もあります。少年事件であっても罪の重い事件は逆送といって裁判を受けることになるのですが、私もご多分に漏れずその手続に乗りました」

 河原氏が起こした恐喝事件は、説得しても水商売を辞めない高校時代の同級生に対して、「①全裸で山に捨てられる、②自ら命を絶つ、③毎月河原氏の口座にお金を振り込む」のいずれかの選択を迫るという、かなり悪質なものだ。そもそも友人のアルバイトを“管理”すること自体異様だが、河原氏は、過去の自分のこうした行為について思い当たる節があるという。

「管理をしたがる母」からの影響

「私は母子家庭で育ちましたが、母との関係性がよくありませんでした。母は何かにつけて私を管理したがる人で、『あんたは未成年で親の監督下なんだから自由にはできない』というのが口癖でした。私の交友関係にも当然に口を出しますし、好ましくないと母が判断した友人に『あなたと付き合って娘は不良になったから、今後は付き合わないで』と迫るのを聞いたこともあります。

 高校時代の被害者には心から申し訳ないと思っていますし、すべてを母のせいにするつもりは微塵もありませんが、あの頃の私は紛れもなく母の影響を受けていたと思います」

「28歳で医学部に合格」した背景には恩師の存在が

 家庭に閉塞感を感じ、逃れたいと思えば思うほど非行に走る生活。荒廃した学生時代において、光明が見えてきたのは恩師との出会いだった。

「私は喘息持ちで、小児科によく罹っていました。そこには女性の小児科医がいて、どんなに忙しくても必ず駆けつけてくれました。家庭に安心できる場所のなかった私にとっては、先生の存在が救いでもあり、頼みの綱だったと今になって思います。また、先生は私の非行事実を真正面から叱ってくれる厳しい顔も持っていました。

 義務教育さえまともに受けず、19歳で子どもを宿した私ですが、『先生のようなお医者さんになりたい』という思いだけは持ち続けていました。それから、子育てと受験勉強、アルバイトに全力で向き合い、28歳で医学部に合格しました」

「不良だった」からこそ理解できる

親と子どもの問題を第三者的に診ていきたい
 人生を折れ線グラフで表すとすれば、まさに乱高下。その気流をくぐり抜けた河原氏は、精神的な安定こそ人生にとって重要だと話す。

「幼い頃は、どうしても家庭がその子の土台にならざるを得ないと思います。しかし、昔の私やその他多くの非行少年のように、安定的な家庭に生まれた人ばかりではありません。私の場合は、家庭で得られなかった安心感を、恩師だったり異性だったりという外部に求めました。そういう土台ができて初めて、何かに挑戦してみようという意欲が沸き起こるのだと思います。

 かつて不良として周囲に迷惑を掛けた私と不登校に悩んで外来にやってくる子どもたちは、一見真逆に見えるかもしれません。しかし、同根である場合が多いと実感します。どちらも親との関連性に問題を抱えているからです。一昔前に“毒親”という言葉が流行し、機能不全家族の問題が可視化されましたが、私は“優しい毒親”も存在すると考えています。

 親の側もなりたくて毒親になっている人はいないし、不登校の子どももその状況に焦っていることがほとんどです。そうした親と子どもの問題を第三者的に診て、アプローチできる医師になること。それが今の私の目標です」

自分と似た思いをする子供たちに手を差し伸べたい

 医師として日々業務に邁進し、依頼があれば講演や勉強会にも出向く。多忙を厭わない原動力は、「昔の自分との対話」だという。

「私の現在の活動によって、少しでも救われる人がいたとしたら、あの頃の自分がちょっとでも喜んでくれるんじゃないか……そんなふうに思って行動しています。極論は自分のためにやっているような部分があるんです。あの当時、私は本当に毎日が辛くて逃げ出したくて、どうしようもありませんでした。似た思いをしている子どもたちに手を差し伸べてあげられているとしたら、少しは報われる。そんな気がしますね」

 満たされない思いを抱え、「助けて」さえ言えず彷徨った河原氏の学生時代は、誤った方法でしか自分を表現できなかった。翻って、登校という“当たり前”ができない落伍者の烙印を押され、大人から「助けて」を無視され続ける子どもたちは自宅で立ち往生している。

 表出の仕方は違えど根っこで繋がる2つの「助けて」。同じ周波数を持つ者の耳にしか届かない声なき悲鳴を、今日も河原氏は拾い上げる。
<取材・文/黒島暁生>

【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

感想
 刺青弁護士大平光代さんが頭に浮かびました。
組長の妻になっていた光代さんのことを心配していろいろ世話してくれた大平伯父さんのおかげで立ち直りました。
 虐めで割腹自殺を試み、それから非行と・・・。
 そういった少年少女の支援をされています。

 人はいつからでもやり直すことができるのだと思います。
それだけの強い思いがあるかどうか。


遠見先生のことも頭に浮かびました。
同じ間違いをして欲しくなくて高校生に自分の体験を話しそして、医者を目指しました。

失敗体験、なくしたい過去の体験をずーっと悔やんで生きる人もいれば、それをばねに、自分の人生を見つめ直し、使命を感じて行動する人もいます。
その違いはできる能力云々ではなく、やりたいかどうかなのでしょう。

大竹まこと、福島第一原発の処理水海洋放出に疑問 ”情報はいろいろなソースから”

2023-08-22 01:44:22 | 社会

タレントの大竹まことがパーソナリティを務める「大竹まこと ゴールデンラジオ」(文化放送)。8月21日放送では、大竹と経済アナリストの森永卓郎氏が、福島第一原発の処理水を海洋に放出する方針をめぐり、岸田総理が全魚連会長と面会したニュースを取り上げた。
大竹 「森永さん、これ本当に海に流すしか方法はないんですか?」
森永 「いや、方法はいくつもあるんですよ。例えば水を沸騰させて水蒸気にして大気中に放出するというのもあるし」
大竹 「それは安全な方法なんですか?」
森永 「海に流すよりは環境負荷が小さいと中国やロシアは主張しています。ただ、10倍ぐらいコストがかかる。あとは電気分解などをして、水素と酸素に分けちゃうというのもあるし、地面に染み込ませるあるいは地層まで穴掘って、水を入れるというのが……できないことはないと思います。ただとんでもないコストがかかる」
大竹 「海洋に放出するのが一番コストがかからない」
森永 「はい、加えて手っ取り早いというので選んだと思うんですけれども、福島の漁協の人となぜ話をしなかったかというと、彼らは分かっているわけですよ被害が。だからもし話があったとしたら岸田総理に猛烈に噛み付いてしまうんですよ。それを、メディアが取材すると全国に広がってしまう。場合によっては原発そのものの是非まで話がいきかねないと。全国魚連の人は東京の人だから、形式的な反対派あれど最後握ってしまうような気がするんですよね」
大竹 「単純に素人の考えですけど、仮に10トンを10倍に薄めて流したとしますよね、でも100トンを10倍に薄めて流したら10トン分ぐらいのアレになっちゃうじゃないですか」
森永 「一応10倍に薄めれば安全基準を大幅に下回るというのが一つと、トリチウム自体もたとえ人間が摂取しても体外に排出されるので大丈夫だ、と政府は言っています」


原発処理水 迫る海洋放出 方法は?対策は?現地を訪ねた 
2023年3月7日NHKNews
福島第一原発を訪ねるとすぐに目にとまるのは、巨大なタンクの数々だ。
その数1000基余り。総容量はおよそ137万トンに及ぶ。


感想
 100倍以上との説明で、実際何倍かはネットで探すことができませんでした。

137万トン×100=13,700万トンになります。
別の情報では約500倍とありますので、68,500万トンになります。

具体的な情報を先ずは知ることだと思うのですが。
・何倍に希釈
・保管全量
・何トン/日放出
・モニタリングの仕組み(海水と海産物)
・トリチウムは科学的に除去できるが、なぜ選択しないのか

環境庁のHPに処理水と海水で魚を泳がせて比較するとありました。
放射能が蓄積しても、見た目は変わらないと思います。
21世紀にもう少し科学的な方法はないのでしょうか?
例えば、定期的に何種類かの魚や牡蛎などの放射能をモニタリングするとか。
昔ダイオキシンが問題になった時、自然界での濃縮問題がありました。

 わからないのは、「基準を超えているものを薄めて基準以下にする」ことの是非です。
 農薬に汚染されたお米を他のお米と混ぜて基準以下にすれば販売して良いのでしょうか?
 ブレンドしたお米の販売額が減ったら、それは風評被害というのでしょうか。
食品だけでなく、医薬品も(問題のない製品で)薄めて規格適合すれば販売して良いのでしょうか?

 福島漁港の選択肢は、船は茨城県や宮城県の漁港で魚を水揚げすることです。
そうすれば福島産でなくなります。
魚は採った場所でなく、水揚げの場所だそうです。
 でも福島漁連はそんなことをしたくないでしょう。

 スーパーではどこ産の魚かはわかりますが、外食ではわかりません。
外食に多く流れるかもしれません。

 いったい何を信頼すれば良いか分からなくなりますが。

 8月24日から海洋放出が始まるようです。
福島産の魚の販売が減るか減らないか。
既に中国、香港では購入が実質ストップしています。
 海洋放出賛成の人が引き続き福島産の魚を購入してもらえるかどうかでしょう。