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“虐待禁止条例”改正案撤回も 自民・埼玉県議団長「問題があるとは思っていない」 小林史明衆院議員「条例ではないやり方もあったのでは」 ”問題があることを理解できない田村琢実団長”

2023-10-12 17:47:27 | 社会


 子どもを1人で留守番させたら虐待とするなどとして批判が殺到した埼玉県の虐待禁止条例の改正案が、10日に撤回された。 
  小学3年生以下の子どもに対する禁止事項の具体例として示されたのは、子どもだけで公園で遊ばせる、子どもだけでの登下校、子どもだけのおつかいなど。これらの「放置」が虐待にあたるとし、罰則は設けないものの県民に通報を義務付けるとしたことで、「厳しすぎない?」「共働きで子育てしてる親にとっては難しい」「ほとんどの家庭が条例違反になるよ?」と物議を醸した。
 とはいえ、今回の改正案は本当に無意味なものだったのか。「条例の構成自体に問題があるとは思っていない。私の説明不足がこのような状態になっている」と述べた自民党県議団の田村琢実団長が、10日の『ABEMA Prime』に出演。これまでの経緯や今後の取り組みについて聞いた。  田村団長はまず、「私どもが2017年に制定した埼玉県虐待禁止条例の第6条で、養護者の安全配慮義務というものを明記した。これを怠っている様々な事例があり、様々な課題がある中で今回放置について追記させていただいた。安全配慮義務を説明することなく、改正部分だけに目が行くような説明をしてしまったのは私の責任だと感じている」とコメント。  「各ご家庭で安全配慮義務を守っていただいているものは放置ではない」とするが、明確な線引きができるのか。「子どもの発育状況や年齢によってオペレーションは違うし、ご家庭の事情や住んでいる地域によっても変わってくる。そこで“安全配慮義務はこういうものだから徹底してください”とは言えないので、弾力的にさせていただいたが、具体例で答弁してしまったがゆえにこのような状況になってしまった」という。

罰則は設けないものの県民に通報を義務付け
 安全配慮義務を怠っているかが第三者からはわからない中で、通報を義務づければ混乱につながってしまったのではないか。「外見上わからないので、逆に通報が増えるとは考えていなかった。ただ、車の置き去りについては明確に怠っていると言える。国の虐待の定義として、放置については“長時間の放置”しか禁止していない。しかし、私どもは短時間でも危険な放置はあると認識している」との見方を示す。

自民党デジタル社会推進本部事務局長の小林史明衆議院議員は「子どもが寝ているから、エンジンをかけたまま鍵をかけてちょっとお手洗いに行く、ということはあるだろう。それはバツな事例ではないと思う。そういう個別のケースよりも、なぜ埼玉でこの条例を作ろうと思ったかが共有されるべきではないか」と指摘。  田村団長は「去年埼玉県であった放置による虐待事案は440件。これはわかっているだけの数だ。子どもの車内の置き去りや、家庭での置き去りで火事が発生している事例を聞く度に、この積み残した課題は議論をしていかなければいけない、政治課題として子どもたちの安全を守っていく必要がある、ということでスタートしている」とした。  改正案に対しては、「条例が浸透していくことで、徐々に放置に対する事例が少なくなっていくことを期待していた」「子どもを遊ばせる時のオペレーションを今一度見直してほしかった」という思いもあったということだ。
安全配慮義務の一例

 小林議員は「新しいルールを作ることで住民の意識を変えたい、というのがやりたいことだったのだろう。ただ、法律などで人の行動を制限する場合、なるべく最小限であることが前提だ。今回、受け取り手がどう感じるかを考えれば、条例ではないやり方もあったのではないか」と投げかける。  田村団長は「学童保育や放課後児童クラブに入りたくても、なかなか入れない方々がいる。私は議員になって17年目で、その予算立ての要望をずっとやっているが、増えていかない現状がある。こういった条例を制定することを契機にして、行政に対応してもらえるように働きかけたかった」と述べた。

 今後、改正案を再提出する予定はないというが、どのような取り組みを行っていくのか。「今回のことで、子育てオペレーションの中で子どもを放置しない状況を考える一助になれば、少しでもそういう状況が全国で生まれたらありがたいと思っている」とした上で、「自民党のこどもまんなか政策と連動して、埼玉県議会の自民党でもこどもまんなかプロジェクトチームを作って議論をしている。今回ケアできなかった社会づくりについては、そこでしっかりと議論して反映していく。改正案を取り下げた後の方針はまだゼロベースだが、そういった取り組みのところで、これから県民に向けて丁寧に説明し、ご意見をお聞きし、子育て環境を強化していきたい」との考えを示す。  
 小林議員は「田村さんは団の中から上がってきた案を責任者として提出する立場。いろいろな思いを背負っている中で、世間から批判的に受け取られ、2日3日と経たずに取り下げた。ある種、組織の中で自浄作用をちゃんと働かせて、かつ国会議員とも連携をして調整した。今回、一番汗をかいたのは田村さんだ。X上で『僕はこんなの反対だ』と言っている国会議員で、まったく調整していない人もたくさんいる。田村さんみたいな人がこうやって出てきて説明して、めっちゃ怒られる状態になっているのはもったいないことだ。これから挽回してくれると思うので、今後の埼玉県の取り組みに注目してもらいたい」とエールを送った。(『ABEMA Prime』より)

感想
 取り下げるなら、改正案に問題あるのを提案したこと自体、責任者として適正に判断する能力がないのです。
 調整して取り下げたのではなく、あまりにも現状を無視したおかしな案だから、あれだけの反対があり、ついには自民党の国会議員からも「おかしい」と内圧があり取り下げざるを得なくなっただけです。
 固執すると選挙に影響するとの判断があったのでしょう。
 取り下げずに可決すると、次回選挙で投票しない動きも出て来ます。

 子ども真ん中プロジェクト、まさに羊頭狗肉の例えを行っているのでしょう。
子ども真ん中ではなく、自民党真ん中の考えだからおかしな提案になったのです。
 働きかけたいなら別の方法があります。混乱させることは本末転倒です。
そのことに気付いていないのは、気の毒というか、能力の限界なのでしょう。
政治家としての資質が問われます。
 もっと酷い政治家がいる!
そう言われるとその通りですが。

「4cm÷5mm=8」は間違い? 小学校の算数テストの減点理由に疑問、賛否両論の声 ”先生より、子どもの方が正しい”

2023-10-12 08:32:08 | 社会

算数のテストの解答に、賛否両論(琢也 栂/stock.adobe.com)※画像はイメージです
娘が算数のテストで 「4cmの針金を5mmずつに切ると何本できますか」 という問題に (式)4cm÷5mm=8 (答)8本 と解答したところ、式が減点されてた。 
 「この式では答えは8になりません」 と書かれてたけど、単位付けてるから正しいのになあ 

  shelfallさん(@shelfall)が、学校の指導の仕方について疑問を投げかけました。 算数のテストで「4cmの針金を5mmずつに切ると何本できますか」という問題に、娘さんが「4cm÷5mm=8」と解答したところ、先生に「この式では答えは8になりません」と減点されてしまったといいます。 娘さんの考え方は正しいと判断したshelfallさん。それを間違いだと指摘する先生の方針に疑問をもち、X(旧Twitter)に書きこんだところ、たくさんの方から反響がありました。 
「単位を揃えなくても表記しているのだから問題無いでしょうに」 
「これは〇で良いと思いますけどね」 
「ちゃんと単位の違いも認識しててえらい」 
「学校って1つの考え方や方法が正解であって、他のやり方考え方は例え結果同じでも誤りなんですよね」 
 「先生の言い方が悪すぎる」 投稿には、娘さんの方が正しいとする意見が多く寄せられるなか、反対の意見もみられました。 
「算数的には減点されるのが道理」 
「バツになってなくて減点ならおかしくないのでは」 
「cmとmで『単位が揃っている』というのは社会で通用しないと思う」 賛否両論ありましたが、
 そもそも娘さんは「4cmの中に5mmは8個ある」という観点から、この立式を行ったといいます。さらに確かめとして、 (式)  1cm÷5mm=2  2×4=8 (答)  8個 という別解も行っており、しっかりとした理解のもと問題を解いていることがうかがえます。また、「単位を揃えていない」という指摘についても、shelfallさんは「等式において、c(センチ)やm(ミリ)などのSI接頭語を合わせなければならないというルールはない」という見解を示します。 しかし、先生には娘さんの意図が通じず、「間違い」にさせられてしまいました。 確かに、単位の概念や問題への考え方の理解が生徒ごとにバラバラにならないようにするため、画一的な教え方をしなければならないという学校側の事情もあるでしょう。しかし、そのような方針もあるとはいえ、個人の考えが一方的に否定されてしまったことには、疑問を覚えてもおかしくはありません。 shelfallさんに詳しい話をおうかがいしました。
 ――このような単位の置き方ができることからみても、娘さんはかなり理解が進まれていると感じました。娘さんは算数や学校の勉強全般が得意なのでしょうか? shelfallさん:小さい頃から本や図鑑を読むのが大好きで、知識欲が強いというのが親としての印象です。数学的センスはある子だとは思っていますが、実は全国統一小学生テストでは国語の方が成績が良いです(笑)。
 ――先生から間違いだと指摘されてしまったことに対して、娘さんはどのような反応を示していましたか? shelfallさん:先生の「この式では答えは8にならない」という誤ったコメントに混乱していましたが、娘が正しく先生が間違っている旨を伝えたところ、安心していました。 
――shelfallさんからみた、先生の印象について教えてください。 shelfallさん:悪意があるわけではないと思いますが、考え方が古かったり、自分のやり方に固執している印象の強い先生です。指導に疑問を持ったのは今回が初めてではありません。例えば、「筆算の時に、繰り上がりや繰り下がりの数字を書いてはいけない」という指導を行ったせいで、娘の計算ミスが増えたことがありました。その時はちゃんと連絡し、書きたければ書いても良いということで丸く収まりました。しかしその後、先生が娘を呼び出し、理不尽に叱ったそうです。そういったことがこれまでにも複数回あったため、娘と相談し、今回は文句を言わず、娘が大人になることに決めました。 ――今後、先生に求めたいことは? shelfallさん:「①“解き方”ではなく“考え方”を重視した指導をすること」、「②児童・生徒の考えがわからないときは、安易に否定せず、本人に聞いたり、他の有識者と協議して理解に努めること」の2点です。 (①について)小学校や中学校の算数・数学の授業では「式を作り、答えを求める」という順番を正として問題の「解き方」を教える傾向がありますが、それでは不十分だと考えます。高校以上の数学では、時に「直感的に求めた/予測した答えに対し、その裏付けを論じる」という流れもごく一般的ですし、社会に出れば決まったやり方では答えにたどり着かない、あるいはそもそも答えが無いような問題にたくさんぶつかります。算数を含む義務教育課程で重要なのは、将来あらゆる問題に立ち向かうために、「自分で考える」習慣をつけること、そして考えるにあたっての引き出しを増やすこと(=知識を身に着けること)だと考えています。 (②について)教師といえども、常に子どもの考えが理解できるわけではありません。子どもは、大人には思いもよらない独自の考えを持つことがあります。その時にいきなり否定してはいけません。どうしてそのように考えたのか、理解してあげることが大切です。今回のテスト問題では、娘の立式が理解できなかったのであれば娘に直接尋ねるか、同僚の先生に聞いてみてもよかったでしょう。「教える者は常に正しい」という認識を捨てることこそ、指導者として最初にすべきことではないかと思います。 
――今回の件で、テストの解答について娘さんに伝えたことはありますか? shelfallさん:これからも自分が正しいと考えたものを素直に書けば良いと思います。ですが、今回のテストに関しては、先生が間違っているということは伝えた上で、「生きていく中でこういう理不尽なことは少なからずある。次からは簡単な問題でも先生が授業で教えた式も書いて、できることをアピールしておこうね。それが社会で上手に生きる方法だから」というふうにも伝えています。なんだかんだ、子どもは点数が取れた方が嬉しいですからね。   ◇  ◇
  shelfallさんは、今回の件について自身のブログでも『割り算の本質が理解できない大人たち』というタイトルで紹介。娘さんの立式の正しさや、学校教育の問題点について、詳細に論じています。 また、まいどなニュースでは、以前にもshelfallさんについて「エプロンに刺繍された『謎の数式』解いてみたら…なんと愛のメッセージだった 超理系的な展開に胸キュン」という記事で取り上げさせていただきました。 (まいどなニュース/Lmaga.jpニュース特約・竹中  友一(RinToris))

感想
 先生の減点は間違いですね。
先生自身が理解していません。
単位が書いてあるのですから、論理的正しいです。

問題
 100万円を千円ずつ配るとすると何人に配れますか?
回答
 100万円/1,000円=(100*10,000/1,000)=1,000人
これも間違いになります。どこに単位を合せて計算しないといけないとのルールがあるのでしょうか?

 きっと算数が苦手な先生だっただけの話だと思います。
4cm÷5mm=8
4cm÷5mm=4*10/5=8
と先生にもわかりやすいように書いてあげると良かったのかもしれません。

 それと、これを減点されると思っておかしなルールを学んでしまうと、それこそ、教育的には問題です。