藤井聡太七冠(21)が10月11日、第71期王座戦5番勝負第4局で、先手の永瀬拓矢王座(31)を138手でやぶり、3勝1敗で前人未到の「八冠」を達成した。次々と記録を塗り替え、驚異的な勝率で勝ち続ける20歳の強さの源とは――。
「死ぬまで努力」の稀代の名経営者・丹羽宇一郎氏との対話から見えてきた異次元の天才の頭の中身――藤井聡太、初の対談本『考えて、考えて、考える』から取り上げる。
心の強さを維持する秘訣
丹羽 よく「実力以上に力が出た」などと聞きます。藤井さんも、謙遜なのかどうか、「実力以上の結果が出ました」とおっしゃる。これは本当にそうなんですか?
藤井 それは「実力」をどう捉えるかにもよる気がします。実力が、例えば将棋をたくさん指したうえでの平均値だとすれば、もちろん実力以上の力が出るときもあれば、実力以下のときもあるということになります。自分はけっこう、それに近い捉え方はしています。
一方で、「自分の力を出し切れた」、あるいは「出し切れなかった」などと言われる方もいますが、そのとき出たものが実力の一つだとも思います。多少変動することがあっても、実力とは、その集合体のようにも思います。
丹羽 将棋の世界では、何勝何敗という形で、良くも悪くもはっきりと結果が出ますしね。それは他人が見ても、自分が見ても、変わらない事実ですね。
藤井 棋士は勝敗で明確に結果が表れるので、強い人は周りからも強い人だと思われているし、評価ははっきりと出るような気がします。
丹羽 ビジネスパーソンの実力の評価は、もっと曖昧なんです。僕が入社した頃、課長に怒られたんですよ。「お前、自分で自分を評価しているんじゃないか。『俺は優秀だ』、『俺は偉いんだ』と思っているんだろう。人間というのは自分に甘いから、自分の本当の力が仮に100点だとすると、自分では150点くらいだと思っている。でも他人から見ると、50点とか、良くて70点くらいなんだ」と。他人の認識、自分の認識、本当の実力と、すべて乖離しているものなんです。実際、僕は自分のことを150点じゃないかと思っていたから、これは反省しなきゃいけないなと思いましたね。そこから、僕はちょっと謙虚になったんじゃないかな。
藤井 自己評価というのは、なかなか難しいものですよね。
丹羽 自己評価を高めるためには、「俺はここまで、これ以上できないというくらいに真剣に取り組んできた」と、自分の努力に対して自信を持つ必要があります。それが心の強さを維持する秘訣になるんですね。
これは、京都大学アメリカンフットボール部を30年以上指導し、四度の日本一へ導いた名将、水野彌一さんに聞いたんです。頂点を目指すような大試合の当日になって、もう負けるんじゃないかと弱気になって心が騒ぎ、「しまった、もうちょっと頑張っておけばよかった。あれをやっておけばよかった」などと思うようじゃ勝てない。そうじゃなくて、「今の実力をそのまま出せばいい、これが俺なんだ」と思えれば勝てる。つまり、人事を尽くして天命を待つという心境になる。でも、その境地へ至るには、「もうこれ以上できない」と心の底から思えるくらい練習をやりきってきたという本人の気持ち、日々の達成感が必要なんだ、と。これは「三昧境(無我の状態、忘我の境地)」と呼ばれる境地のことです。
この達成感こそが、自己評価においてものすごくウエイトが大きいんじゃないかと僕はずっと思っているんです。だからいざというときに「しまった、あれをやっておけばよかった」と思わないよう、日頃からやるべきことは早々に片付けておいたほうがいいんです。後回しにばかりしていたら、いざというときに「自分はやりきっている」とは思えないですよね。
藤井 おっしゃる通りだと思います。
「勝ち」を目指すな、「負けないこと」を考えろ
丹羽 ゴリラの研究をしている京都大学前総長の山極壽一さんが、ゴリラのリーダーは相手に勝つことよりも、負けないことを考えるんだと言っています。これは将棋の世界にも当てはまるんじゃないかなと思っていて。
勝つことを目標にすると、邪念が入る。早く昇段したいとか、勝って賞金が欲しいとか。負けないことを目標にするほうが、結果的に長く勝てて、強いと思うんです。負けないことには限界がない。負けないとは、自分の心に負けないことだから。難しいけれども、勝ちたいというより、そういう思いを持ったほうがいいんじゃないかと思うんですね。藤井さんはどう思いますか?
藤井 自分も最近は対局に臨むときに、勝ちたいという気持ちじゃなくて、「一つ一つの局面に、なるべく最善に近い手を探して選択していきたい」と思っています。将棋で負けるときには、必ずどこかで自分が悪手を指している。逆にその悪手を指さなければ、負けがそれだけ遠ざかるというか、負けにくくなる。最後には勝敗は必ずつきますけど、それは最初から意識することではないかなと思っています。
丹羽 僕が何十年もかけて感じた経営の真髄を、この歳ですでに感じているんですね。よっぽど経験を経て、悔しいときに考え抜いた人じゃないと、なかなかそういう言葉は出てこない。
勝つことだけ目指している人は、勝てなくなったらそれで終わり。ところが負けないと考えていた人は、いろいろな面で負けないようにするわけだから、なかなか長生きもすると思います。
じゃあ負けないようにするにはどうすればいいのか。やはり心の持ち方ということになります。人生は最終的に、「心の強さ」に行きつくと思いますね。
研究時間にノルマを決めない
丹羽 ところで、「どうしても今日は将棋の研究をする気が起きないな」といった日は、藤井さんにはないですか。おっしゃっていた「将棋を指したくないとか、駒に触れたくないなどと思ったことはないです」というのは、本当なんですか?
藤井 はい、将棋をまったくやりたくないと思ったことはないんです。でも日によっては、あまり気分が乗らないことももちろんあります。基本的には、そういうときには無理して頑張ることもないのかなと思っているので、無理はしません。
丹羽 絶対に一日3時間以上研究しようとか、ノルマみたいなものはとくに決めてはいないんですか?
藤井 はい。とくにストイックな性格などではなく、けっこう普段も、気の向いたときに研究をする感じなんです。
丹羽 将棋の研究は、具体的にどういうことをしているんですか?
藤井 愛知県に住んでいますと、研究会などの機会は東京・大阪に比べて少ないので、盤を挟んでの実戦となると公式戦が多くなってしまいます。今は将棋AIがあるので、普段はそれで将棋の研究をしています。AIと対戦したり、棋譜を見て気になった局面は盤に駒を並べてみたり、AIによる評価値を見たり……あとは詰将棋を解いたりといったことですね。
丹羽 他に、毎日10キロ走るとか、毎朝早く起きてこれをするとか、何か一生懸命やっていることはないんですか?
藤井 自分では、とくにそんなに決めてやっていることはなくて、自然に将棋を続けることがいちばんいいのかなと思っています。
丹羽 やる気の起きない日に、モチベーションを上げるためにしていることなどはあります?
藤井 そういうときは、他の棋士の方の対局を観戦します。自分には気付かない手など、自分と違う発想を見ることができるので、割と普段からよく観戦しています。
丹羽 対局の動画を見るんですか?
藤井 公式戦の一部の対局については、スマホのアプリで棋譜を見ることができるので、それを使って見ることのほうが多いです。自宅のリビングのソファーでくつろぎながら、対局の中継動画を見ることもあります。
努力の方法に“正解”はある?
丹羽 努力できるかどうかも、才能の一つです。ただもう一つ、僕が藤井さんに聞きたいのは、「死ぬほど努力すればできないことはない」といわれるけど、どれだけ努力してもどうしてもだめだという場合もあるでしょう?
僕の友人の子どもが将棋のプロを目指しているけれど、努力しても努力しても「奨励会三段リーグ」を抜けられない、プロになれないんですよ。三段リーグでは上位2人に入らないと、プロにはなれないそうですね。そして奨励会には年齢制限があって、基本的には26歳までにプロになれなければ、辞めなければいけないんですよね。
藤井 はい。三段に上がると、関東奨励会と関西奨励会をあわせてのリーグ戦が、半年に一度行われます。40人近い三段が半年で18局戦い、そこで上位2人に入ると、四段に昇段し、正式に棋士となります。
丹羽 奨励会は関東と関西だけなの?
藤井 はい。奨励会は、東京の将棋会館と、大阪の関西将棋会館の二ヵ所で行われています。将棋会館があるのも、関東と関西だけなんです。囲碁の「日本棋院」の場合は、東京本院、関西総本部、中部総本部と、名古屋にも拠点があるので、囲碁界が羨ましいなと思っています。
丹羽 愛知県には将棋会館も奨励会もないんだね。先ほどの「研究会の機会が少ない」というのも、そういう理由なのか……。
話を戻すと、僕の友人の子などのようになかなかプロになれない人は、努力が足りないのか、努力の方法が間違っているのか、正しく努力しているのに結果が出ないのか。どう思いますか?
藤井 将棋は強くなるための方法論というのが、まだはっきり確立されていないんです。これをやれば必ず強くなれるという方法は、まだないので。
丹羽 ないよね。そんなものがあったら、皆強くなれますよ。誰もが努力だけで夢を叶えられるなんて、残念ながらあり得ないよね。やはり才能的にどうしようもない部分もある。例えば司法試験も、いくら努力しても受からない人もいれば、まあまあの努力であっさりと受かる人がいる。将棋の世界にもそういう、あなた以上に努力をしていて四段になれなかった人、いるんじゃないですか?
藤井 それはやはり、そう思います。なので、将棋も「努力したら、必ず成果が出る」という世界ではないのかなと。そんななかで、自分なりの強くなる方法を見つけられることが、大事なんじゃないかと思っています。
丹羽 じゃあ、どういう資質の人が将棋に向いているんでしょう?
藤井 自分も昔からすごく負けず嫌いだったので、負けず嫌いはとくに子どもの頃に、伸びる傾向があるのかなと思います。負けず嫌いだと、将棋に打ち込む時間も長くなりますし……。
ただもっと上のレベルになるとそれだけではなくて、自分の弱点や短所を自分で把握して、改善できるかどうかがポイントになってくるでしょうか。
丹羽 それは言わば「努力の集中力」ですね。藤井さんには優れた集中力があるんじゃないかなと思うんですよ。絶えず、真剣勝負みたいな努力をしているんじゃないのかと思うんです。
自分に合った上達法を見つける
丹羽 あなたが他の人を見ていて、「こういうふうにやったら、この人はもっと強くなるんじゃないかな」と思うようなことはありますか?
藤井 やはりそこも、はっきりとした正解を見つけるのは難しいんですけど……。将棋の上達方法として考えられているものはいろいろとあるのですが、人によって必ず、その中での向き不向きがあると思います。その中から、自分に合った方法を知るのが、一つ大事なことなのかなと思います。
丹羽 向き不向きとは、具体的には何でしょう?
藤井 例えば自分の場合だと、昔から詰将棋を解くのが好きでした。詰将棋は、王手の連続で玉を詰ませるというルールの、複雑で分岐が多いパズルの一種です。一方で、プロの棋譜を将棋盤の上で再現して学ぶ「棋譜並べ」は、昔はほとんどしなかったんです。でも仮に自分が小さい頃に棋譜並べをしていたら、もっと力が伸びたのかというと、そういうことはないと思います。自分はやはり詰将棋を解くのが好きで、向いていたからこそ、将棋が強くなれたのかなと思うんです。
丹羽 藤井さんは、「詰将棋」が強いことでも有名だそうですね。詰将棋はいつ頃から始めたんですか?
藤井 将棋を始めたのが5歳の夏なんですが、冬には地元の「ふみもと子供将棋教室」で、一手詰、三手詰を解くようになりました。詰将棋も、好きだから自然に続けてきたんです。奨励会二段で小学6年生のときに「詰将棋解答選手権 チャンピオン戦」で初優勝することができました。
丹羽 トッププロが何人も出場している大会で2019年まで五連覇中なんですって? それはすごいな。
藤井 2020年と21年は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響でチャンピオン戦は中止になってしまいました。チャンピオン戦は毎年の楽しみなので、残念でした。
関連記事『藤井聡太 天才をつくった家庭環境』もあわせてお読みください。<文・藤井 聡太 >
感想;
負けない手を打つ。
勝つ手を厳しく一歩間違えると逆転される場合もあります。
勝ち切るときは勝つ手を勇気を持って選択することなのでしょう。
AIの登場で、将棋が想像以上の難しさがあったことがわかりました。