・がんになっても自分は生きる意欲を失わないとか、いつも前向きな生活をする・・・。それが健康というものかな。それはもっと突き詰めると、たとえ死が避けられなくても、最後まで自分のよりよい人生を選択していく、これが究極の健康じゃないかと思うんです。(柳田)
・がん哲学外来への相談も、病気そのものよりも人間関係のことが多いですからね。(樋野)
・『人生に無意味な時間はない。むしろ悲しみや苦しみの時こそ深い意味があるのだ』(ヴィクトール・フランクル)
・フランクル自身が戦後の講演で次のような話をしました。
「人一倍働き者だったナースががんになり、すでに死が目前に迫っていました。彼女がいちばん苦しんでいたのは、自分が何にもまして愛した看護の仕事、つまり痛む人を助ける仕事をもうやれなくなり、他者の世話にならないと生きられなくなったことでした。ベッドサイドを訪れた私(フランクル)は彼女をこう諭しました。
<あなたが一日に何時間働こうと別に大したことではない-、それは誰かがかわることができる。けれども、あなたのように働きたがる、だのに働くことができない、そしてそれにも拘わらず絶望しない-、これこそ、誰もおいそれと真似るわけにはいかない行為ではないだろうか、(中略)実際はあなたにとって今という今こそ、一回だけのチャンスなのだ。つまり今までは、自分に任せられているそうしたすべての人たちに対して職務上の看護をするのがあなたには精一杯だったのに、これからはそれ以上のチャンスを持つことになる。つまり身を以て人の鑑になるチャンスだ。>
・マザー・テレサ
「人間が本当に人間としての尊厳をもって生きたという時間を持つことは、たとえ最後の10分であれ、その人の人生にとって大事な意味のあることです。だからこそ、死を待つ人々の家でどんな人でも受け容れてケアするのです」
・いよいよ死を前にして、単なる恐れや不安だけではなく、「今」という時間をどう生きなければいけないか、その答えを自分で見つけ出すように努めることが大切だと思います。(柳田)
・『病者・花』細川宏著
・お便りによると、あるときハッと気がついたというんです。「なぜ」に答えはないということに。それで、大事なことは、「なぜ」という原因ではなくて、いま目の前で起こったことや、夫(脳梗塞で倒れて亡くなった)との人生が自分にとってどんな意味があるのかを考えること。だから今、「夫が亡くなってしまった。しかも突然死である」ということが、自分にとってどんな意味があるのか、と考えはじめたそうです。すると、だんだん、「なぜ、なぜ」という答えのない袋小路から抜けだして、夫と過ごした30年あまりの歳月の意味や、心に遺してくれたもの、また、こういう喪失感のなかでどう生きるか、そこにどんな意味があるのかということをいろいろ考えられるようになり、すごく心が落ち着いて、毎日を前向きに生きられるようになってきたちいうです。
・ヴィクトール・フランクル
「我々が人生から答えを出してもらおうとするのは誤りであって、我々が人生に対して答えを出すことが大事だ」
「たとえ、あなたが絶望しても、人生はあなたに期待することをやめない」
・「場の設定」と言うのでしょうか、誰でもできるけれども、お金もかからずにそういう場ができること、それが「がん哲学外来の意味」であると言う人もいますね。(樋野)
・犬でも猫でもペットに慰められている人は多いですね。日本緒病院では、「犬をベッドに入れるなんて」などと言いますけど、実際にアメリカではやっていますからね。それによって子供に何か悪いことが起こったとは聞いたことがありません。だから、やればできることもいっぱいあるでしょう。
末期がんで病院から家に帰ってきた人も、庭に木を植えて水をやったり、もう外へ出られなくなっても過敏の花に水をやっていますね。花と同様にペットもそばにいると癒されます。(樋野)
・「隣の家がどんなに大きくても、自分の家が小さくなったわけではない」(樋野)
・人との比較や競争で悩んでいる人は多いですね。多くの悩みは比較から生まれます。(樋野)
・ヴィクトール・フランクル
「人生に無意味なことは何もない。悲しいとき、つらいときにこそ深い意味がある」
・「尖った正論よりも、あたかかい配慮」(樋野)
・河合隼雄先生がおっしゃったのは、「人の助言と言うのは、みんな正論だ」(柳田)
・「隣の家がどんなに大きくとも、自分の家が小さくなったわけではない」(樋野)
・「あなたには、死ぬという大事な仕事が残っている」(樋野)
・内村鑑三の読書に関する表現の代表的なものを3つほど挙げてみます。
①「本を読むときには一つの繰り返してたびたび読むほうがよい。そして永遠の生命を持つ本がよい」
②「書物は必ずしも多くを読む必要はありません。たとえ一句でも二句でも、読むときには落ち着いて味わうことが必要であります」
③読書というものは、自分に興味があろうがなかろうが、一つの錬磨として非常に有益なものである。一日に5分間ずつ、目的は継続するか継続せぬか、そこなのである」
・『だいじょうぶだよ。ゾウさん』菊田まりこ作
・「グレーゾーンを解決するには愛しかない」(樋野)
・「がん哲学外来は、一人の人間がそこに入るだけで、すき間が埋められるというのがいい」(樋野)
感想;
末期がんになって、もう生き続ける可能性がほぼなくなった人にスピリチュアルケアができないかということで、「がん哲学外来」を立ち上げられました。
「がん哲学外来」は何でも話せる場になっているようです。
いずれ命には終わりが来ます。
最後までどう生きるかが選択肢なのでしょう。
ロゴセラピーでは何もできなくなっても「態度価値」は残されていると考えます。
先達から学び、間際に慌てることよりも今から考えることで、今をより大切に生きられるのでしょう。