・生きがい
生きがいとは、自分を徹底的に大事にすることから始まる。
・考えて生きる
人間には、他の動物には欠けているもの、すなわち「考えて生きる」、生き方を工夫する、「よく」生きようと努力することができるという特権が与えられている。
・問題解決の力
これまでの教育は、できあがったデータを記憶させる教育であった。困難な問題にぶつかったときに、問題解決ができるような能力を与えられていない。本当に学ぶべきなのは、問題とどう取り組むか、戦略をどう立てるべきかということである。学校を出てからも自分でできるような頭の仕組みを作る。そして、その仕組みに従って生活し、行動することが必要なのである。
・感性をはぐくむ
人間の感性が成長するか否かは、人との出会いによる。出会いは、私たちが後天的に獲得する財産である。一生懸命に働けば、いくばくかの財は築くであろう。しかし人との出会いからはどれほど多くの無形の財産を得るだろうか。
・老いへの歩み
私たちが生きるためには、どうしても死をしっかりと見つめなければならない。死の地点に立って、私たちは、若い日も中年期も、老年期も生きなければならない。若い日々、中年の日々といった日々のの積み重ねが老後につながるのである。若いときの姿勢が人生の最後のステージに反響してくるとも言えよう。
・心を与える
まず与えることから始めよう。富のあるものは富を、才のあるものは才を、時間のある者は時間を、しかしなんと言っても、人が人に与える最高のものは、心である。他者のための「思い」と「行動」に費やした時間、人とともにどれだけの時間を分け合ったかによって、真の人間としての証がなされる。
・恵み
私たちに与えられた恵みを数えてみれば、どんな逆境にあったとしても、受けているもののほうが、与えるものよりも多いことに気づく。受けた恵みを、どこかで返そうと考えたいものである。
・真に生きた人と出会う
与えられた人生をどのように生きるかを選択する自由は、誰もが平等に持っている。生きかたの選択をするためには、真に生きた人と出会うこと。真に生きた先輩と出会うことである。出会いのための努力は、自分でしなければならない。小説、あるいは伝記を読むことからでもよい。よき読書をすすめたい。人間に生きる方向づけを与える本や言葉は、孤独をも解決する力を持つ。
・一緒に悩む
理解というのは一緒になること、一緒に悩むこと、そして悩む人の心に共感できることである。
・習慣とは
習慣とは五つに分けられる。どのように食べるか(食事習慣)、どのように働くか(生活習慣)、どのように運動し、休養するか(運動・休養習慣)、どう上手にストレスをかわすか(精神衛生習慣)、タバコ、アルコールにどのように対処するか(嗜好習慣)。
・良い医師の見分けかた
医師の見分けかたにはこつがある。
①病歴がていねいに問われて診察がなされているか。
②時間をかけてコミュニケーションをし、正確なデータをとることは診察の基本である。
③診断の内容を説明してくれるか。
④患者が用意していったデータや資料をよく見てくれるか。
⑤自分の守備範囲を心得ている人かどうか。
専門外のことは他の医師に任せることができるのは、良心的な、誠意のある医師と言える。
・病もまた益
病むことにより、今までよく知らなかった自己がわかり、他人の悩む問題が理解でき、思いやりの心が養われる。病むことは、人間の精神的成長を高くする。心を持つことを特性とする人間の感性が高くなるということは、知性が高くなること以上に、人間形成に必要である。病もまた益なのだ。
・健康でなくても
完全に健康でなければよく生きることはできない、立派なことはできないと思いこんでしまうことは危険である。
・未知の世界に飛び込む
未知の世界に飛び込んで、やったことのないことをやることによって、使ったことのない脳が働き出す。それによりいろいろな意味で自己発見、自己開発を体験できる。
・最初の患者
私はそのときなぜ、その十六歳の少女に、「あなたに代わって、お母さんにあなたの感謝の心を十分伝えてあげましょう」と言えなかったのか。「死ぬなんて考えてはいけない、注射をすればすぐに楽になるから」と言う前に、「何かもっとお母さんか友だちに伝えたいことありませんか」という言葉を、なぜその場で反射的に口にすることができなかったのか。長い臨床医の生涯を回顧して、医師としての私が初めて直面した死の場面を思い出すたびに、悔やむ気持ちがわく。後年、私に死の臨床に関心を持たせた原因の一つは、この貧しい十六歳の女工であった。
感想;
言葉は誰の口から出るかで重みが変わってきます。
日野原重明先生は医学生の時に結核になり休学して療養されています。
同級生が医者になって行くのを見ながら、自分は医者になれるのか、その前に病気は治るのかなど不安を抱えていました。
その体験が日野原先生にとって大きかったのだと思います。
だからこそ「病もまた益」と心から実感して発せられたのだと思います。
日野原先生も失敗され、そしてその失敗から学んでいかれたのでしょう。
十六歳の女性は日野原先生に”気付き”を与えるために、神さまが特別の使命を与えられたのかもしれません。
神さまから与えられた使命に好き嫌いはないと思って生きることなのでしょう。
今からでもできることをしていくことが大きいのだと自分に言い聞かせています。