・「こんな体になって、どうやって生きていけばいいの? まこちゃん(夫)には、離婚してもらうしかない。死にたい。死にたい」
医師を呼んだこともあります。
「先生! 私を殺してください!」
「何を言ってるんだ! 私は自殺した人も助ける医師だよ。君が死ねば、どれだけの人が悲しむか」
(それなら、舌を噛んで死ぬしかない)
舌を噛んでみました。しかし、痛くて痛くてとても噛み切ることなんでできません。
・夫の話によると、意識が無い時は、
「まこちゃん、私から離れないでね」
と言っていたそうですが、意識が戻ってからは、
「まこちゃん、私から逃げて」
と言ったそうです。
・そのときの私は、自分がこうして生きていること自体が周囲に迷惑をかけている。私なんて死んでしまえばよかったのに・・・と感じていました。歩くことはもちろん、食事に排泄、着替え、何ひとつ人の手を借りないとできない自分の存在。私に生きていく意味があるのか、私の命に価値があるのかを考えては、
「こんな人生じゃ、イヤ! 私の人生を返して!」
と涙を流していました。
・この体になってみて、経験することはすべて衝撃的でした。歩くこと(車椅子をこぐこと)、排泄、入浴、着替え、夜に寝ることまで・・・。今まで何気なくしてきたことすべてに、大変な労力と時間がかかるのです。
・そんなある晩、“どこかで死にたい”と思っていた自分が恥ずかしくて仕方なくなりました。それは、恋愛も就職も結婚も何一つ手に入れていないまま障害を負ってしまった高校生や大学生のたくましさに触れたからです。
その笑顔の裏にはきっと、先行きの不安に崩れ落ちそうになる時もたくさnあるはずです。しかし、彼たち彼女たちはいつも前向きで、ただただ高校、大学への復学や進学を夢見てリハビリに取り組んでいることに気がつきました。
(私、甘えすぎている・・・)
リハ友と過ごす夜は楽しいばかりか、自分の甘い考えを反省し、明日からのリハビリにさらなる意欲を与えてくれる貴重な時間となったものです。
・歩けない、手が思うように動かない、汗をかけない・・・。それより何よりつらかったことは、自力で排泄をすることができなくなってしまったこと、つまり膀胱直腸障害を抱えてしまったことです。排泄に使う筋肉が麻痺し、頚髄が損傷していることで尿意や便意を脳で感じることができなくなってしまったのです。
・退院の日
我慢していた涙が一気に溢れ出し、気づくと叫んでいました。
「帰りたい! 帰りたい! 病院に帰りたい!」
「大丈夫だから。大丈夫だから・・・」
夫と母は泣き叫ぶ私に戸惑い、そんな言葉をただただ繰り返すばかりでした。
・(実家の)敷地内にある車庫をバリアフリーにリフォームして、寝室・リビング・キッチン・トイレ・お風呂と最低限の住まい環境を整えました。
・退院してきた私は、今までのように日常生活を普通に生きるためには大変な精神力と努力が必要でした。
いつもぎりぎり、いっぱいの精神状態は何か壁にぶつかるたびに崩れ落ちました。入院していた頃と同様、社会に出て車椅子で経験するひとつひとつが衝撃的だったのです。
入院中培ったものを土台に、社会に出て、またゼロからのスタートといった感じの日々が続きました。
・そんなときは、「こんな私でも生きていてよかった?」と気持ちはどん底にまで落ち込みました。
しかし、退院してからの私はいつもの私と違い、「死にたい」よりも、「まこちゃんのために生きてみよう」とか、「ばあちゃんに何かお返しがしたい」などと絶望の中にも光を見つけられるようになったのです。
・人のために何かをする、人の役に立つ、ということが私に生きる希望を与えてくれるようになりました。
・正直、今も何かにつまずくと自分の存在が何なのか分からなくなるときはあります。しかし、女性としての自信はいまだに持てないものの、講演活動やたくさんの人びととの出会いをとおして、人間としての自分に少し自信が持てるようになってきました。
・夫とのけんか
確かに夫は優しいですし、仲は良いですが、そんなふうにおっしゃっていただくと、なんとなく抵抗がある私です。普通のご夫婦と同じようにけんかもしますし、私たちはそんなに特別ではありませんよ、と・・・。
もともと、そんなにけんかしない私たちですが、私が車椅子生活となり、けんかをすることが増えました。特に杏子(ももこ)が産まれ、2歳になるぐらいまでは・・・。理由はどこの家庭にもあることかもしれませんが、夫の家事・育児への協力です。
私は、共働きの両親に育てられ、父親(夫)が家事の協力をするものだと思って育ちました。
しかしどうでしょう。いざ結婚生活が始まると、家事への協力はほとんどなし。働いていなかった頃はまだしも、保育士として働き始めても家事への協力はありませんでした。つい夫を責めたくなりますが、自分の足で動けた頃は、
(いちいちお願いして協力を求め、その度にイライラするのならば、全部自分でやてしまった方がラク!)と割り切っていました。しかし、自分が車椅子生活となってからはいくら自分で!といっても、限りがありました。
「まこちゃん(夫)、布団干して」
「えー、面倒くさいよ。干さなくたって平気だよ」
「そんなこと言って、先週だって干してくれなかったでしょ」
「うるさいな!」
「じゃあ、いいよ。お母さんに頼むから」
「すぐ、そう言うんだから、もうイヤだよ」
「だって、私と暮らすってそういうことじゃないの? 私だって、自分で布団が干せれば気持ちがラクだけど、できないの。布団干しどころか、まこちゃんの協力がないとこれから新しい家を建てて杏子と3人で生活することになっても、無理なことなんだよ。物もだしっぱなし、自分で片付けてよ・・・」
「あー、あー、うるさいなー。分かったよ」
週末にはよくこんな言い合いになりました。自分でできない苛立ちも重なり、夫を責めることがよくありました。いくら妻が車椅子になったからといって、急に家事に協力してほしいと夫を責めても仕方ないのかもしれません。
・すると、自然と自分に遺された機能や可能性に感謝の気持ちが湧いてくることに気がつきました。そして、このわずかに残された機能で自分にできることを精一杯やろう。私は、自分にできることを精一杯やればいいだと考えられるようになりました。
すると、気持ちがスーッとラクになりました。いつも今までの自分や他人と比べて、あれができないこれができないと、できないことばかり考えていたからです。それが、
「障害があっても私って結構あれこれできる。できないことはできる人に任せて、私はできることを精一杯にやっていこう」と気持ちが変わったのです。
「できることに感謝 できることを精一杯」は、私の人生のひとつのスローガンのようになりました。
先の見えない入院生活。私ばかりか、私を心配するみんなを励まし続けてくれていた3冊の本があります。私が、まるでお守りのように大切にしてきた本です。それは、『一年遅れのウエディングベル』そして『気分は愛のスピードランナー』『命をくれたキス』です。
・「講演」というあらたな世界
戸惑いつつお引き受けした講演ですが、回を重ねるうちにやりがいを感じるようになりました。そして講演という機会が、障害者として生きる自分の人間性を高めてくれているようにさえ感じるようになりました。それは、講演活動の中での貴重な出会いの数々のお蔭だと思っています。
・自殺を考えていたという男子生徒にも出会いました。
感想文より
僕も毎日死にたいと思っていた時期がありました。精神安定剤と睡眠導入剤のおかげで今、また生きる希望が持てました。だけど、僕を救ってくれたのはその薬だけではなく、友人の「お前は、俺の大事な友だちだ」という言葉でした。そのとき、僕は、また人を信じて生きる勇気をもらいました。
やっぱり自分はみんなに支えられていきているんだなということを又野さんの話を聞いて改めて実感しました。
これからも辛いことや悲しいkとおがお互いにあるかもしれないけれど頑張って生きていきましょう。
・命を失ったかもしれなかった私が今、こうして笑顔で生きるなかで命や愛の素晴らしさを一人でも多くの人に感じていただけたら幸いです。特に、誰よりもこれからの明るい社会づくりの大きな担い手となる我が子はもちろん、一人でも多くの子どもたちのために、たとえ小さなことでも何かができたらと考えております。
・そして、障害を負ってから、以前に増して、出会いを大切に考えられるようになりました。それは、事故に遭遇してから今まで素晴らしい出会いに恵まれ、その出会いをきっかけに人生が豊かになったように感じるからです。恋人に限らず、きっと人と人との出会いは運命だと思います。
障害を負ったからこそのたくさんのステキな出会いに感謝しています。その出会いこそが私を笑顔へと導いてくれました。きっとこれからも素敵な出会いがたくさん待っているはずです。その出会いをいつも大切に生きたいと思っています。
そして、これから待ち受けている苦難から決して逃げずに、何よりも自分を信じて前を向いて生きていきたいと思います。
感想;
あるものを失い、絶望に感じ、周りの優しさと理解に助けられ、支えられながら生きる意味・価値を見出され、人生を自分だけのためだけでなく、誰かのためにとの視点を持ち頑張っておられます。
車椅子になり、人生に意味がない、価値がないと自分で思っているということは、その人々の人生も「意味がない・価値がない」と否定していることになるのです。
つまりそれまでそういう意識で車椅子の人を見ていたことになります。
ただ、「意味がある・価値がある」と思っていても、それを自分がどう実現できるか悩み苦労することはあるかと思います。
どう自分の生きる意味を価値を見つけていくか。
それは自分で行動出来るときから、車椅子生活になる前から考えていきたい課題なのかもしれません。
つい人は失ったものに目が行き、まだ”あるもの”を見ようとしません。
失ってから、”あるもの”の大きさに気づくようです。
失う前に気づいて、それを生かすことをしたいです。
そのためには、失った人の本から学ぶことも大切なように思います。
それと失っても人生は”ある”ということも学びます。
この本は2009年10月に出版されました。
近況をネットで検索したら、各地の講演でお話をされていました。
3歳だった娘さんも17歳になられていました。