・何だかんだといっても、男は女に血迷ってしまうものだ、と兼好はいっているのです。世間に非難されようが、親に意見されようが、女を自分のものにしたい一心で悶々としてします。だから女は始末が悪いといったのです。
・私たちは、何か習い事や稽古事などを始めた時、照れや羞恥心から、ついつい後ろに下がってしまいがちです。が、兼好は初心者でも恥を捨てて人前に出て、一流の人に交じって学ばねばダメだと主張します。
・道を極めるには
①「優先順位をつけよ」
②「恥を捨て人前に出よ」
③「真似でも行動せよ」
④「環境を整えよ」
・私も予備校生たちに、「みなさんも、ただ家でぶらぶらしているより、こうして予備校に来ているだけでも意識が高まるんだよ」といいうのですが、そういうと、とても安心してくれるようです。
・『徒然草』をじっくり読むと、兼好が過剰なくらい中庸であることに心を砕いているのを感じます。右側に行きすぎたと思えば左側に軸足を移し、左側に行きすぎたと思えば、右側に軸足を移し、前にのめりすぎたと思えば後ろに戻り、上に上がりすぎたと思えば下に下りてくる。どこにも重心を置かないことに細心の注意を払っていて、しかも、どこにも根を張っていない。中空に浮いているような印象なのです。
・心理学の授業で、街中の見ず知らずの人たちの日常会話を聞き、その心理を分析してリポートせよという課題が出されて時のこと。私たちは街に出て、いろんな人の会話を集め、記録されたその内容をみなで眺めて愕然をしました。その内容の大半が「人の噂」と「人の批評」と「おせっかいな忠告」で閉められていたからです。
・伝えられるところによると、足利直義や高師直といった有力武将のもとに出入りし、和歌の代作をしたり、有名な話としては、高師直の恋文の代筆などもしていたそうです。
・兼好が感じていた「未来に希望がない感じ」「これからどんどん悪くなっていきそうな感じ」「何も頼りにできない感じ」-これらの漠然として不安は、まさに、いま私たちが社会に対して抱いている感覚と近いように思われるからです。
・そうしたフラストレーションが回り回って、兼好を「書く」という行為に駆り立てた側面も、大いにあったのではないでしょうか。そして同時に、ほかならぬその「書く」という行為が、兼好のフラストレーションを解消することにもなっていた可能性が大きいと思うのです。それは、いってみれば、書くことによる浄化(カタルシス)です。兼好が飄然としていられたのは、この効用にかなり助けられていたのではないかと思われます。
・兼好は初め、大覚寺統の後二条天皇に仕えていたが、後二条天皇が亡くなって、統の違う持明院統の花園天皇の時代になってしまった。それで後二条天皇の皇太子である邦良親王の家庭教師になるわけです。正確には堀川大臣家司(けいし)です。『徒然草』は「家司の文学」です。邦良親王が立派な天皇となるために、帝の心得や有職故実というしきたりなどを教える立場ですね。そのためのテキストとして書きはじめたのが『徒然草』だったのですが、その邦良親王が若くして亡くなってしまった。
ですから、途中から内容がどんどんと変わっていくんです。第三九段あたりからでしょうか。「帝王学」という束縛を受けずに、思うまま、自在に書くようになってきているあたりからが、面白いんです。(嵐山光三郎)
・人間の死というのは、人間の都合を待ってくれないよ、いきなり、ぽーんとくる。大事なことを成しとげよう、とする人は「いま目の前にある雑事を片づけてから」などと考えているうちは成しとげられない。
・人生の達人になるコツ
①一人の時間を過ごす
②優しい目線が自分も救う
③「所在なさ」を楽しむ
・私(嵐山光三郎)が兼好から教えられたのは、「この世は無常であり、だからそのことをしかと自分に生き聞かせて、ゆっくりと急ぐのだ」ということです。
・私(荻野文子)は『徒然草』を読んでいると、何かを書きたくなります。書き進めるうちに、自分がわかっていると思っていたことが実はわかっていなかったことに気づいたり、逆にいままで見えなかったことが見えてきたり、そうやって自分の内面と対話するきおとで、心の間口が広がったり、思考が少し奥深くなったりするのを感じるんです。だから、つれづれなる時間をつくって何かを書く-それは大事なことだと教わった気がします。
感想;
荻野文子さんは当初は『徒然草』はお説教的で好きだなかったとのことです。
私は『徒然草』はお説教的と受け取らず、生きる知恵やさまざまな考え方を教えてくれているように感じて好きでした。
『源氏物語』『枕草子』『徒然草』『方丈記』古典の代表作ですが、『枕草子』と『徒然草』の話はよく学びました。
「高名の木のぼり」などは暗記していました。
古典や漢文は読んだことがある箇所が試験に出ると高得点を得ます。
どれだけたくさん読むかが勝負の分かれ目です。
漢文は範囲が広すぎますが、古典は読んだところが出る確率が読めば読むほど高まります。
受験勉強で学んだことが生きる知恵や考え方を広く深くしてくれたことに後で気付きました。
『小倉百人一首』を高校一年生の時に「夏休みの宿題」で暗記させられましたが、今も覚えている短歌も多く、有難いです。
吉田兼好はどのようにして糧を得ていたのか不思議でしたが今回ようやくわかりました。
その書き出しを仕事上のメールに活用したりしていました。
「ヘタな人生論より枕草子 美しい生き方ができる大人になるためにー」荻野文子著 ”東進ハイスクール「古文のマドンナ」”