・老人には老人の楽しさがある。
若者の発想のまま老人になるから、不幸になる。
・相手の心を開かせる、最も重要なことは笑顔である。
・私は「老い」は成熟であって、活力の低下ではないと思っている。「老い」は成熟であると同時に「活力」であると思っている。
・アルベルト・アインシュタイン
何も失敗しない人は、何も新しいことを試みたことがない人である。
・要するに人生を後悔して死んでいく人は、失敗を怖れて、何もしない人である。そしてそれが人生最大の失敗である。
・「くよくよする」ということは自分に失望している人の症状である。何よりも解決の意志と自信がない。「誰か私のトラブルを解決してください」という訴えが「くよくよ」である。
・安全第一で、傷つくことを避ける。「どうしたら傷つかないか?」ということばかりを考えていて、自分の能力を使う喜びの体験がないのだろう。拒絶されることを怖れて自己主張できないのだろう。
・神経症とは他人が不当なまでに重要になってしまって、自分の身近な人を愛する能力を失ってしまっている状態である。
・アドラーの著作に「うつ病は重症でも2週間で治る」という言葉があるが、他人の幸せを願えれば、うつは治る。というよりも、私に言わせれば、うつにはならない。
・高齢になって悩んでいる人がいる。それは多くの場合、若い頃に蒔いた悩みの種が大きく実った場合が多い。
・失敗のない人生は崩壊した人生である。失敗は、意味ある人生を送るための必要条件である。
・私はアメリカの刑務所の中で、囚人たちに「何を一番恐れるか?」と聞く調査をしたことがある。
彼らはなんと言ったか。「最も怖れているのは、自分の人生が意味のない人生となることです」と答えた人が圧倒的に多かった。
・アインシュタインは何も失敗しない人は、何も新しいことを試みたことがない人であると言った。
・彼(古代ギリシャ・ローマ時代に大雄弁家として大成功した
デモステネス)は必至で努力した。涙ぐましい努力をした。しかし自殺をした。
彼の努力は人の上に自分を置く努力だった。雄弁になる努力だった。あくまでも「心」ではなく「形」であった。
・大切なのは、「今の不幸につながる頑張った過去」を肯定すること。「あれはあれで良かった」と受け入れること。
その過去があっての今の時分である。
・アメリカの“Why Worry?”という本に、
「歳をとった人は新しい習慣を身につける力がないように見えるが、それは能力がないからではなく、むしろ注意力の欠如や無関心、あるいは先入観のせいだということに、
エピクロスは気づいていた。」
・ハーヴァード大学の心理学者
エレン・ランガー教授は「醜いアヒルの子」が自分自身であることに気づいたとき、「古い心がまえは消え失せたのである」と述べている。
・「老後を生きる」という考え方自体がおかしい。
老後を生きようとすることがおかしい。
今の日本人は老後という概念を作って勝手に苦しんでいる。
老後なんてない。
老後というイメージが今の日本の高齢者をどれだけ不幸にしているか。
・世界の長寿地域に共通のものとして挙げられているのは次のようなものである。
3つの有名な地域といえば、ビルカバンバ(エクアドル)、アブハジア(ジョージア)、フンザ(パキスタン)である。これらの地域は長寿の人が多いということと、その人々がきわめて元気位だということである。
・食事が適切。食べすぎないということである。
・生涯を通じて仕事をしている。
・家族と地域社会が大切である
・運動とリラックスが日常生活の中に取り入れられている。
世界の長寿地域は高地にある。約900m以上の地域である。歩くことがエアロビクスになっている。
・アメリカの偉大な精神医学者
シーベリーは「不幸を受け入れる」と言っている。それは自分が人間である以上避けられないことは受け入れるということである。
老いの一番の過ち、それは老いを「落ちぶれ」と解釈することである。老いを落ちぶれと解釈すると、最後に「我が人生に悔いなし」と言える人生にはならない。
・今不幸な人は、不幸の本当の原因に気づくこと。人と比較している、今生きていることを当たり前のことと思っている。
今幸せな人は、幸せの本当の原因に気がつくこと。比較しない、何事も当たり前のことと蔽わない。
幸福の敵は、「比較」と「なれ」。
・悩んでいる人は、文句を言うけど、解決する意志はない。文句を言うことが目的になっている。
ノイローゼとは悩むことが唯一の救いになっている人の心である。
困ったことがそこにある。
・人はダメだと思ったら能力は落ちる。
コントロールできる力が耐久力もつく。
・人は、自分の行動で自分を作っている。
・紅葉を見て、思った。
生きているものは、最後が最も美しいと。葉は輝いて散っていく。
葉は「私は花になれない」と言わなくて良い。
葉そのものが、花なのである。
「前向き」といことは失ったものに執着しないということである。
・シーベリーは「仲間とわいわい賑やかに、ほがらかに食べればだいたいの悩みは解決する:と言っている。
『燃え尽き症候群』の著者
フロイデンバーガーが、燃え尽きることに対する防衛策は人と親しくなることだと述べている。
・スタンフォード大学の心理学者シーモア・レヴィンは猿を使った実験をした。光がフラッシュするたびに猿に軽いショックを与える。つまり光がフラッシュするとストレスで反応するように条件づける。すると副腎のホルモンが急に上がる。
ところがこの猿をもう一匹の猿と一緒にしておくとストレス反応が半分になる。また5匹の猿を一緒にしておくと、その光がフラッシュしても猿のホルモンんは増加しない。要するに仲間がいるということはストレスの防衛策になっているのである。
・決して自分の健康をお医者さんに任せてはいけない。自分の健康の責任は自分でとる、この姿勢がなければ高齢になってからも健康でい続けることはできない。
お医者さんは自分が健康になるためのアドバイザーでしかない。お医者さんが自分を健康にしてくれると思ったら大間違いである。
・些細な一言で深く落ち込んでしまうのは、もともと自分が自分に対して否定的な態度をとっているからである。相手のそのひとことで自分の価値を全否定されたような気持になる。
言葉そのものは、まさにその人のある部分を否定したに過ぎない。
・コミュニケーション能力のない人は、会社で普通に働いていても疲れる。熱があって働いているのと同じことである。
対人恐怖症を考えれば理解できるだろう。
対人恐怖症に必要なのはコミュニケーション能力の育成であり、対人恐怖症の治療である。
会社を変えることで解決できるものではない。
・現実に耐えられない人間から、耐えられる人間への成長の過程には苦しみの試練は不可避である。
・不安な人は怒ることで優位に立ち、そのことで不安を解消しようとする。
怒りっぽい高齢者は、小さい頃からの心理的未解決な問題が心の底に山積みしている。
・解決策の一つの方法は正直に心の履歴書を書くことである。学ぶことに年齢の制限はない。
・人と仲良くなるには無理しない方がいいのに多くの人は無理をする。
無理している人は迎合し悩んでいる。
無理している人は愛を求めている。
無理している人は頑張っているつもりであるが、自分自身であることから逃げている。自分の心の葛藤に直面することから逃げている。
・人と親しくなっていく過程でどうしても必要なことが二つある。
一つは自己開示である。
もう一つは自分が自分を知ることである。自己認識である。自己認識とは自己執着の反対の気持ちである。
・ナチス親衛隊がヒトラーに忠誠を誓う。親衛隊のモットーは、「我が名誉、それは忠誠」である。
現代人は「我が名誉、それはあなたへの忠誠」である。それが非生産的いい人である。
愛されようとして上司に忠誠を誓う。
・お金にだらしない人は協調性がない。どうしても収支決算がマイナスになる。ということは自分を知らないということであり、人生の目算がないということである。
お金にだらしない人には刹那的な人が多い。その場でものを買ってしまう。感情の起伏が激しい。
お金にしっかりしていることとケチとは違う。ケチとはお金の使い方を知らないことである。
・「あなたさえ幸せならお母さんはそれでいいの」、これは愛情の言葉でない。ドイツの社会心理学者エーリッヒ・フロムの言う
好意的サディズムの言葉である。
だからこの言葉は子どもには重く感じられる。この言葉は子どもにはやりきれない。この言葉を聞くと子どもは生きる気力を失う。
そして大人になると周囲の人に敵意を持つようになる。それはこう言われて、母親から子どもは虐められているのだから、隠された敵意を持っておかしくはない。
・心の借金が溜まっていませんか?
・「不幸を受け入れる」ということは納得するということでもある。
・本来、病気でもなく朝、目が覚めたら、「今日もこうして穏やかな朝を迎えられた」と感謝しなければならない。
それを「三週間全く眠れません」とか「ぐっすりと眠れなかった」とか「寝坊してしまった」とか「朝ごはんが美味しくない」とか、今の状態からさらに多くを求めるから気持ちが落ち着かなくなるのである。
・『心の生理学』加藤諦三著
・人生を後悔して信ていく人は、とにかく感謝の気持ちを知らない。
変わった自分の役割を認める高齢者は幸せ。
人は「これしかない」と思うから、それに執着する。
何かに執着していると運が来ない。
・寝ようとすると眠れないが、起きていると眠い。
・
ACE性格「Attend(注意を向ける)」/「Connect(つながりを持つ)」/「Express(表現する)」とはどういう性格か。それは次のような作業をする性格である。
怒る前に、「なぜ?」と考える。
なぜ自分はこの感情をを持つのか?
・不幸を受け入れると感謝の気持ちがわく。
・幸せな人は不幸を受け入れている。
・邪念を追い払うには別のことを考える。
・私が言いたいのはこの最後の言葉(エピクロス)である。それは今書いた「すべての悩みがなくなるような力を求めてはいけません」という言葉である。
何千年も前から言われているのに、今もまだ人々は実行できない。・・・
つまり「安易な解決」を求めてはいけない。
感想;
なかなか厳しい指摘、アドバイスでした。
せめていまからでも失敗を怖れずにチャレンジすることなのでしょう。
”好意的サディズム”の言葉も知らなかったです。
「あなたさえよければ、私はいいのよ」
これは暗に、「あなたの幸せは私の犠牲になっている」との意味になっているとのことでした。
これは考えさせられました。
この本を読んでいると、自分の幸せは自分の考えと行動の結果のようです。
失敗を怖れずに自分のやりたいことにチャレンジする。
周りからの声は参考にしても振り回されない。
人は人、自分は自分だから、比較して一喜一憂しない。
今は過去の結果ですから、未来は今の結果です。