評判が良いこと。スタッフに聞くと皆が良い人と言う。好感度抜群のお笑い芸人。
1970年前。ブレイクしたのは39歳。アラフォー世代の自虐ネタ。
お嬢様育ち。19歳で親に反発して家出。紆余曲折の過去。幅広い世代に愛される生き方。
笑顔の裏に隠された過去。
双葉学園。周りがお金持ちの人が多かった。家にプールがあったが、友だちの家は川が流れていたので貧乏だと思っていた。いかりや長介さんの大ファンだった。いかりや長介さんがあって回っている。男は顔じゃなかった?近藤真彦さんのファンだった。10歳で近藤真彦に恋をした。代々木公園で近藤真彦のカレンダーの撮影をしていた。“まさかの遭遇”。少女漫画で偶然出会って恋に落ちるシーンを思い出し、ウロウロして涙が出た。どうしようかと思った。
記憶に残っている曲。ユーミンの「翳りゆく部屋」
悲劇のヒロインになれる曲。落ち込んだ時に聞く曲。その時は部屋の電気を消して、雨が降っていて欲しい。そして聞く。中高時代は愛のこともわからずに聞いていたなと思った。
経済的にも恵まれていた。何に悩んでいたの?
ある日、どしゃぶりの日、図書館行くと言ってタクシーに乗って出た。
尾崎豊の楽曲に出逢って、決意した。親に反発した。フィギュアースケート冬場だけ3年だけやった。先生が続けたらと親に言ったけど、親は普通の子でいいからと断った。そういうのもあり、ぶーたれ時が3~4年続いていた。親と一緒に食事しないなど。表面上は普通に学校に通っていた。“お嬢様”を捨て去る決意をした。
最初は捜索されなかった?家出をする前に住むところは探していた。親の保証人がなかったので変な部屋。ロフト含めて3畳。極貧だった。ただがむしゃらに働いた。全日空ホテルフロントなどでアルバイトして働いた。3日後に母に居場所が見つかった。妹から聞いたようだ。車で待っていた。
恐い思いはしなかった?悪い男とか。全然大丈夫だった。しかし、女子高で男性を知らなかった。出逢った男には数々の“貢ぐ恋”を経験した。8時から9時までひたすら働いた。男の借金取りが家にお金を取りに来ていた。お金返すのが働き甲斐になっていた。
芝居の学校に行こうかなと。27歳の時コンビを組んだ。コンビを組んだらすぐに人気が出ると思っていた。初めてネタ見せのオーディションに行ったら、多くの人がいた。なんて魅力的な世界なんだろうと思った。
これで生きて行こうと思ったは39歳。10年経って、自虐ネタを思いついた。レオタード姿。アラフォー女性の“自虐ネタ”。クリスマスに歩いているカップルの二人の間を割って入ったり実際にしていた。自分のホンネを出していたのが良かったのかも。レオタードの脇汗もネットで検索されるようになった。
爆発的に売れても一発芸で終わる人が多い。信念は「嘘をつかない」。生き方を見せている。嘘はやめておこう。大久保さんと昨日飲んでいた。最近の話は老後の話をしている。頭が痛い時は寝るときは携帯を持って、危ない時は数秒の間に電話しようと思っている。
お笑い芸人になった娘に母は、自分の見てくれていた。裸のような仕事をしていても母親が笑っていた。良かったなと思った。
純粋さに胸を打たれた曲。Little Green「好きだ」。
薄汚れて忘れた青春。ランナウエーを一緒に歌わせてもなじまない。ずっと踊っている。
感想;
いろいろな経験が芸になっているのだと思いました。
働かない男に貢ぐ女性。自分が支えないといけない。それが頑張るエネルギーになる。
人生は不思議なもので、よい男性に出逢っていたら今の彼女の活躍はなかったでしょう。
人生のさまざまな問いかけをどう受け容れて、自分がどうしていくか。
どうするかが自分の選択肢なのでしょう。
1970年前。ブレイクしたのは39歳。アラフォー世代の自虐ネタ。
お嬢様育ち。19歳で親に反発して家出。紆余曲折の過去。幅広い世代に愛される生き方。
笑顔の裏に隠された過去。
双葉学園。周りがお金持ちの人が多かった。家にプールがあったが、友だちの家は川が流れていたので貧乏だと思っていた。いかりや長介さんの大ファンだった。いかりや長介さんがあって回っている。男は顔じゃなかった?近藤真彦さんのファンだった。10歳で近藤真彦に恋をした。代々木公園で近藤真彦のカレンダーの撮影をしていた。“まさかの遭遇”。少女漫画で偶然出会って恋に落ちるシーンを思い出し、ウロウロして涙が出た。どうしようかと思った。
記憶に残っている曲。ユーミンの「翳りゆく部屋」
悲劇のヒロインになれる曲。落ち込んだ時に聞く曲。その時は部屋の電気を消して、雨が降っていて欲しい。そして聞く。中高時代は愛のこともわからずに聞いていたなと思った。
経済的にも恵まれていた。何に悩んでいたの?
ある日、どしゃぶりの日、図書館行くと言ってタクシーに乗って出た。
尾崎豊の楽曲に出逢って、決意した。親に反発した。フィギュアースケート冬場だけ3年だけやった。先生が続けたらと親に言ったけど、親は普通の子でいいからと断った。そういうのもあり、ぶーたれ時が3~4年続いていた。親と一緒に食事しないなど。表面上は普通に学校に通っていた。“お嬢様”を捨て去る決意をした。
最初は捜索されなかった?家出をする前に住むところは探していた。親の保証人がなかったので変な部屋。ロフト含めて3畳。極貧だった。ただがむしゃらに働いた。全日空ホテルフロントなどでアルバイトして働いた。3日後に母に居場所が見つかった。妹から聞いたようだ。車で待っていた。
恐い思いはしなかった?悪い男とか。全然大丈夫だった。しかし、女子高で男性を知らなかった。出逢った男には数々の“貢ぐ恋”を経験した。8時から9時までひたすら働いた。男の借金取りが家にお金を取りに来ていた。お金返すのが働き甲斐になっていた。
芝居の学校に行こうかなと。27歳の時コンビを組んだ。コンビを組んだらすぐに人気が出ると思っていた。初めてネタ見せのオーディションに行ったら、多くの人がいた。なんて魅力的な世界なんだろうと思った。
これで生きて行こうと思ったは39歳。10年経って、自虐ネタを思いついた。レオタード姿。アラフォー女性の“自虐ネタ”。クリスマスに歩いているカップルの二人の間を割って入ったり実際にしていた。自分のホンネを出していたのが良かったのかも。レオタードの脇汗もネットで検索されるようになった。
爆発的に売れても一発芸で終わる人が多い。信念は「嘘をつかない」。生き方を見せている。嘘はやめておこう。大久保さんと昨日飲んでいた。最近の話は老後の話をしている。頭が痛い時は寝るときは携帯を持って、危ない時は数秒の間に電話しようと思っている。
お笑い芸人になった娘に母は、自分の見てくれていた。裸のような仕事をしていても母親が笑っていた。良かったなと思った。
純粋さに胸を打たれた曲。Little Green「好きだ」。
薄汚れて忘れた青春。ランナウエーを一緒に歌わせてもなじまない。ずっと踊っている。
感想;
いろいろな経験が芸になっているのだと思いました。
働かない男に貢ぐ女性。自分が支えないといけない。それが頑張るエネルギーになる。
人生は不思議なもので、よい男性に出逢っていたら今の彼女の活躍はなかったでしょう。
人生のさまざまな問いかけをどう受け容れて、自分がどうしていくか。
どうするかが自分の選択肢なのでしょう。